賭けの攻勢①

「…………」

「……あの?」


 部屋の中央、机上に広げられた城塞近辺――ソレイル地方の地図を恐い顔で睨む武蔵に、ラピュセルは恐る恐る声をかける。

 夜が明け、朝も早い時間から軍議の準備をしていた最中、ラピュセルの部屋を訪れてきた武蔵は開口一番、「地図はあるか?」と。

 言われるがまま取り出し渡すと、一言礼を述べてすぐに出ていった。なんとなく気になって彼の部屋を訪れ、結果が今の情況である。


「何かわかる?」

「ん、ああ。地形は概ね把握した」


 地形。戦を行う上で重要な要素の一つだ。行軍の進路や布陣、補給拠点の設置場所等、戦略や戦術、あるいは戦場の策を練る上で必ず必要になる情報である。


「この戦、唯一こちらが勝っているのは地の理だ。ならばそれを使わない手はないだろう」

「それはそうだけど。あなた、まさか軍師も出来るの?」


 もしそうならば、なんとありがたく得難い人材だろう。だが、武蔵は「いや」と首を横に振る。


「俺にはその経験は無い。ただ父が軍師で、昔その知識と兵法を学んだことはあるが」

「そうなの? じゃあ、出来ないことはないじゃない。知識はあるわけでしょ?」

「……どうだろうな」


 武蔵にしては歯切れが悪い。経験が無い分、どちらとも断言出来ないのだろうか。

 と、扉をノックする音が。


「テンマっちおはよー! て、あれ? ラピュセルさまもいた! おはよーございまーす!」


 返事をするより先に扉が開き入ってきたのは、朝からかしましいルーミンだ。眩しさすら覚える笑顔に、ラピュセルの表情も自然と綻ぶ。


「おはよう。今日も元気ね。でも入室するならまず返事を待ってからよ?」

「あ、そうでした。ごめんなさい」


 マーチルほど厳しくはないが、きちんと釘を刺しておく。このそそっかしさはルーミンの悪い癖である。ルーミンの方も自覚は多少あるようで、苦笑い混じりに頭を下げる。


「それで、どうしたの?」

「えっと。おっちゃんが、テンマっちは軍議室の場所知らないから迎えに行けって」


 おっちゃんとはバゼランのことだ。幼少の頃からルーミンはバゼランをそう呼んでいたため、公然とその呼び方をしても誰も気にしていない。


「そう。なら一緒に行きましょ。テンマの準備はいい?」

「問題ない」


 武蔵が帯に刀を差すのを待ち、三人連れ立って退室する。

 この軍議で決定される今後の方針が、アルティアの命運を決める。綻んでいたラピュセルの表情は、一歩進む度に引き締まっていった。



□□□□□□



「お、姫さんも一緒でしたか。待ってましたぜ」


 軍議室に入室するや、バゼランの野太い声と陽気な笑顔が三人を出迎えた。他、長机を囲む椅子に既に着席していたマーチルとウィル、その他の部隊長四名が起立し、ラピュセルに敬礼する。その他、部屋の隅でしずしずと茶の準備をしていたメイド達も小さく頭を下げる。


「みんなご苦労様。座っていいわ。テンマはあそこへ」


 返礼し、全員を着席させ、ラピュセルも武蔵を促しつつ自身の席――上座へと向かう。

 席順はラピュセルを上座に据え、右手側手前からバゼラン、ウィル、空席を挟んで部隊長が二名。左手側手前からマーチル、ルーミン、部隊長二名と、その隣に武蔵となっている。

 武蔵はあくまで部外者である以上、上座に近い席には出来ない。しても別に構わないのだが、万が一味方との間でいらぬ軋轢を生んでは困るというバゼランの意見により、端の席となった。


「あの、将軍。ルシフォールさんは?」


 マーチルが空席を一瞥して尋ねた。そこに座るべき人物がまだ来ていないのだ。


「ああ、あいつは――」

「失礼。遅くなりました」


 バゼランの言葉に重なって、一人の男性が入室した。

 ラピュセルと同じ色の金の短髪に、白いローブで全身を纏った長身痩躯の優男。


「これは王女殿下。昨夜はゆるりとお休みになれましたでしょうか?」

「ええ。あなたが遅れて来るなんて珍しいわね、ルシフォール」

「これはお恥ずかしい。言い訳になりますが、ここ最近は目が回る程の忙しさでして」


 言いながら、ばつが悪そうに優男――ルシフォールは頬を掻く。と、その視線が、ふいに武蔵へと転じた。


「昨日もお見かけしましたが、貴方ですね? 道中王女殿下をお助けいただいた異国の剣士というのは」

「……まあ、そうなる」

「ありがとうございます。お陰で、我々はまだ抗うことが出来る。今、貴方への報酬の準備をしていますので、もう数日お待ちいただけると」

「ルシフォール、そろそろ始めるぞ」

「失礼。この話はまた後程」


 バゼランに促され、にこやかに微笑みながらルシフォールが着席した。一拍の間を置いて、バゼランが咳払い一つ。


「ではこれより、軍議を始める」



□□□□□□



ラピュセル

「まずは、現在の戦況の説明を」


ウィル

「はっ。率直に申し上げまして、敗北一歩手前という情況です」


ルシフォール

「こちらの戦闘可能な兵力は、今現在でおよそ二千七百。対して敵ガレイル軍ですが、確認出来た限りの総兵力はおよそ七万」


マーチル

「七万、ですか!?」


バゼラン

「全てが今ここに攻めて来てるわけじゃないがな」


ウィル

「あくまで総兵力、つまり、アルティア王国全土に展開されている敵の兵力だよ。ここに攻めて来ている敵はその一部だ」


ラピュセル

「とは言っても、こちらの数倍の戦力はあるんでしょ?」


ルシフォール

「ええ。ソレイル城塞前面に布陣している敵兵力は、およそ一万七千。昨日の戦闘で一部を削りましたが、さほど影響はないものと考えた方がよろしいかと」


マーチル

「二千七百対一万七千……」


バゼラン

「圧倒的過ぎて笑えてくらあな。しかも、敵にはまだまだ控えがいるときてる」


ウィル

「以上のことから、あと一回攻撃されれば、こちらの戦線維持は限りなく困難であると予想されます」


ラピュセル

「ここが正念場ということね……わかったわ。では次。それを踏まえた上で、現状取り得る手段は何があるか」


バゼラン

「言うまでもないが、正面からぶつかるなんてのは論外だからな」


マーチル

「そんなことをしたら、半日と経たずに壊滅しますね……」


ルシフォール

「手を打つとしたら、敵が昨日の敗戦から態勢を整えるまでの間しかありません」


バゼラン

「つまり、今日を含めて精々が二日三日程度だ」


ウィル

「それ以上かけたら、先に敵の攻撃が再開されてしまう、と」


ルシフォール

「そうなったら、もはや勝ち目は無くなります。この場合は幸い、こちらは寡兵。そういった機動性には優れています」


マーチル

「でも、どうするんですか? 正面からはぶつかれないし、かといって何か策を練ろうにも、この兵力差じゃ」


ラピュセル

「確かに、出来ることは限られるわね……」


ウィル

「ルシフォール殿、何か策はありませんか?」


ルシフォール

「ふむ……そうですね。貴方はどうお考えですか?」


武蔵

「……俺か?」


ルシフォール

「はい。テンマムサシ殿、でしたね? よろしければ、貴方の考えをお聞かせいただきたい」


ウィル

「ルシフォール殿、彼は部外者です。そのような者に意見を聞くなど――」


バゼラン

「ウィル」


ウィル

「……出過ぎた発言でした」


ルシフォール

「いえ。確かに、彼の立場上許可無く発言を求めるわけにもいきませんね。王女殿下、よろしいでしょうか?」


ラピュセル

「許可します」


ルシフォール

「ありがとうございます。さて、改めましてテンマ殿。もし何かお考えがあれば、ぜひお聞かせ願いたいのですが」


武蔵

「……なら、その前に一つ聞いておきたい」


ルシフォール

「なんなりと」


武蔵

「城塞前に布陣している敵の大将は、どのような人物かわかるか?」


ラピュセル

「敵の大将?」


マーチル

「そう言われれば、考えたことはありませんでしたね」


バゼラン

「ふむ……」


ルシフォール

「僅かではありますが、情報はあります」


武蔵

「それを教えてくれ」


ルシフォール

「名はガレス・マシアス。ガレイル軍の名門マシアス家の出で、大軍による突撃での蹂躙を好む将、と言われています」


バゼラン

「ああ。そういや緒戦で何度か耳にした名だな」


ルシフォール

「そうでしょうね。ガレイル軍による侵攻が開始された当初からこちらは敗戦の連続でしたが、唯一ランバード将軍だけは数回勝利していますから」


マーチル

「まさか、その時の相手が」


ルシフォール

「まさしく、そのガレス率いる部隊でした。全てがそうではありませんでしたが」


ウィル

「しかし、今はこちらが追い詰められています」


ルシフォール

「話が逸れましたね。ガレスの簡単な説明はそんなところになります」


武蔵

「蹂躙を好む、か。なら、そのガレスという将の性格は」


ルシフォール

「まあ、おそらく短気でしょうね。そのような戦術的嗜好、血の気が多くないとまず持ち得ません」


武蔵

(加えてバゼランを相手に幾度かの敗北……おそらく、他の戦術を組み合わせるような柔軟な思考も持ち合わせない短慮な人物、と考えていいだろう)


ウィル

「それで? そんなことを聞いてどうするというつもりだ?」


武蔵

「周辺の地図を貸してくれ」


ラピュセル

「用意してくれる? 出来れば大きい物を」


メイド

「かしこまりました」





メイド

「どうぞ」


ラピュセル

「ありがとう。テンマ」


武蔵

「ああ。ここを見てくれ」


マーチル

「そこは……ここから北西にある山脈地帯の隙間ですね。半日かからず移動出来る距離です」


ラピュセル

「山脈の隙間だけあって、随分と狭い場所ね。三方を小高い崖に囲まれてるみたいだけど」


バゼラン

「軍を展開するには向いていない場所だぞ」


ウィル

「で、そこが何だと?」


ルシフォール

「……なるほど」


ウィル

「ルシフォール殿?」


武蔵

「バゼランが言った通り、ここはその狭さ故、大軍を展開するには不向き。仮に戦闘になれば」


マーチル

「――そうか! 数の多さがむしろ枷になって身動きが取れなくなる!」


ラピュセル

「! そういうことね! さっき言っていた地の理というのは」


武蔵

「ああ。だが、それだけではまだ足りない」


ラピュセル

「え?」


バゼラン

「確かにな。戦場における数的不利はなんとかなるが、それはあくまでその戦闘だけだ」


マーチル

「……なるほど。一度に戦える数を制限するだけで、敵の戦力そのものを減らすわけではないですからね」


ラピュセル

「ああ……。どちらにしろ時間が経てば、先に兵力が尽きるのはこちらなのね」


武蔵

「もとより、チマチマと戦っていては勝機など無い。敵の頭を潰さない限りな」


マーチル

「頭……つまり、ガレスですね」


ルシフォール

「道理ですね。如何な大軍であれ、いえ、大軍であるほど、指揮官を失えば軍はその組織を維持出来なくなる」


ウィル

「し、しかし、どうやってガレスを討つつもりだ? 敵だってバカじゃない。わざわざ大将がのこのこ最前線に出てくるわけがない」


武蔵

「だろうな。だから、『釣り』を仕掛ける」


ラピュセル

「『釣り』?」


バゼラン

「へぇ? そいつはひょっとして、お前さんの国の戦術かい?」


武蔵

「ああ」


ルシフォール

「それは興味深い。ぜひとも教えてほしいですね。どのような戦術なのでしょう?」


武蔵

「『釣り野伏せ』だ」

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