嵐の邂逅

 走る。

 駆ける。

 疾駆する。

 倒れ崩れた石柱を、散乱した武器類を、そして累々と横たわる、アルティアの騎士達の亡骸を飛び越えて。炎に包まれた城内を脱するべく、ラピュセル達はひた走る。


「いたぞ!」


 その進路を、前方の曲がり角から現れた漆黒の鎧を纏う騎士の部隊が塞いだ。アルティアの騎士団は、一部の例外を除き白を基調とした鎧を標準装備としている。すなわち、敵。


「ラピュセルさま! お姉ちゃん!」


 背中にルーミンの声を受け、ラピュセルは咄嗟に身を低くした。刹那、弦音と同時に放たれた複数の矢が頭上を飛んでいき、直後に複数の悲鳴。道を塞ぐ敵兵数人の胴に、胸に、首に、矢が突き立ち、倒れ伏す。


「怯むな! 数で押し潰せ!」


 敵の先頭を行く騎士が激を飛ばす。おそらくは部隊長だろう。その言葉に応じ、敵部隊は止めかけていた動きを再び加速させた。それぞれが雄叫びにも似た気合いを吐き出し、王女を討たんと殺到してくる。


「【空防壁陣エアロ・ウォーラ】!」


 敵がラピュセルの間合いに踏み込む直前。背後で、マーチルが魔法を発動させた。

 瞬間、今にもラピュセルに斬りかからんとしていた敵兵たちが、何かに弾かれたように背後へと吹き飛ばされていく。


「ルーミン!」

「うん!」


 マーチルの呼びかけに、返事と同時にルーミンが前に出る。一本の弦に複数の矢をつがえて放つ。その全てが狙いあやまたずに敵を穿ち、立て続けに断末魔が響き渡った。


「た、隊長!」

「魔法か……ちっ。一度引け! 後続と合流する!」


 僅かな攻防で形勢不利と見るや、敵の部隊長は後退を指示。現れた曲がり角の向こうへと走り去っていく。


「引き際がいい……厄介ね」


 護衛の姉妹が二人だけであっさり退けた敵部隊の指揮官を、ラピュセルは冷静に評した。

 配下であり、剣術と兵法の師でもあるランバード将軍が、座学の際に何度も言っていた。良い指揮官の条件の一つは、「敗因を知ること」であると。

 ラピュセルのサーベルと、ルーミンの弓。この二人だけならば、幾ら技に秀でていても、数で押せば簡単に制圧できただろう。だが、そこに魔法を使うマーチルがいたことで、それはほぼ不可能になった。


 この世界において魔法は、学べば誰でも習得できる技術ものではない。生まれた時、魔法の才能を有していれば、大抵は5歳程までに成長する過程で、何らかの小さな魔法ーー例えば、蝋に触れただけで火を灯すなどーーを無意識に発動する。それによって親など周囲の大人がその才能に気がつき、その後必要な教育や修練を経て、大人になる頃には自在に魔法を操ることができるようになる。

 逆に言えば、才が無ければ成長過程で魔法を発動させることはまずあり得ないのだ。そして、魔法の才を持って生まれた者は、世界中という広い視点で見ても決して多くはない。


 無能な指揮官であれば、魔法を使う者がいようと構わず突撃しただろう。それが「敗因」になると理解できない無知故に。

 だが敵の部隊長は、マーチルの存在が己の「敗因」になることを瞬時に理解していた。だからこその引き際の良さ。


「この先はしばらく一本道です。こちらの居場所がばれた以上、おそらく敵はかなりの兵力を集結させて待ち伏せするはず」

「敵にも魔導士がいたらまずいわね……」


 敵にも魔法を使う者ーー魔導士がいる。それが、現状最も恐れるべき事態である。仮にいた場合、その敵の力量にもよるが、事実上マーチルの戦力を相殺されたと考えるべきだからだ。そうなれば、残ったラピュセルとルーミンだけで、敵軍の大部隊と戦わねばならなくなる。そうなったらまず勝ち目は無い。

 どうするべきかと、ラピュセルとマーチルは必死に思考を巡らせる。


「あ、ここ」


 そんな二人の思考を、状況を理解できているのかいないのか、いつもと変わらぬ調子で発せられたルーミンの声が断ち切った。


「ラピュセルさま! もしかしたら、ここから逃げられるかも!」

「え?」


 予想外の言葉に、ラピュセルはマーチルと顔を見合わせ、ルーミンが指差す方に視線を送る。そこは少し後方、今しがた横切ったばかりの部屋の扉だった。

 ラピュセルの記憶が確かなら、そこは数ある客間の内の一室。


「行ってみよー!」

「あ、ちょっと!? ルーミン待って!」


 どういうことかと問いただす前に、ルーミンはさっさと駆け出してしまった。慌てて後を追うマーチルに、ラピュセルも苦笑しながら続いて走る。


「やっぱり!」


 客間に飛び込んだルーミンを追って中に入るや、そのルーミンの弾んだ声。


「ラピュセルさま! そこの木! 木に跳び移れば外に出られます!」


 興奮した様子で、ルーミンが早口に言いながら客間の窓を指差した。

 見れば、窓ガラスのすぐ側まで太さのある木の枝が伸びている。その先を目で辿ると、城の外周を覆う木々の内の一本で、かなり巨大なものだった。確かにこの太さなら丈夫で、少女が三人乗ったところでびくともしないだろう。幸いこの客間周辺は火の手が薄く、木が燃えてしまう心配もない。しかも、この客間の位置は城のほぼ裏手にあった。


「確かに、城の外壁周辺で、しかも裏側ならまだ敵もいないかも」

「ですよね? ですよね! やった~! あたしお手柄ーー」


 ぽかっ、と。喜ぶルーミンの頭をマーチルの拳骨が容赦なく襲った。


「~~?!?」

「おてがらー、じゃないでしょ! あんたはどうしてこういつもいつも先走って!」


 本気の拳骨だったのだろう。痛みに悶絶するルーミンに構わず、マーチルは厳しく叱りつけた。


「たまたま! 運良く! ここに敵がいなかったからいいものの!」


 そこで、痛む頭をさすっていたルーミンが察したか、「はっ」とした表情でマーチルを見上げる。


「もし敵が入り込んでいたら、ラピュセル様を危険に晒すことになっていたのよ!? そうなったらどうするつもりだったの!?」

「あぅ……」


 その可能性に思い至り、ルーミンは目に見えてしゅんとする。

 事実、城の最奥である謁見の間で父は討たれたのだ。もはや、どこから敵が現れてもおかしくない状況なのである。まして、真っ先に部屋に入ったルーミンの得物は弓。近接戦には滅法弱い。そんな彼女が至近距離で敵と鉢合わせしたらどうなるか、火を見るより明らかである。

 直接名前は出さなかったものの、マーチルの怒りは、言外にルーミンの身を案じればこそでもあった。


「……ごめんなさい」


 それをきちんと理解すればこそ。ルーミンは素直に非を認め、頭を下げる。


「……はぁ。まったくもう」

「ふふ」


 呆れながらも、謝罪を受け入れるマーチル。そんな仲睦まじい姉妹の様子に、ラピュセルは自然と笑みを漏らす。

 幼い頃から側付きとして、成長した今は護衛として、窮地にあっても変わらず付き従ってくれるこの二人の存在を、非常に頼もしく感じた。


「ラピュセル様?」

「ごめんなさい、何でもないの。それより」


 気持ちを切り替える。ここはまだ死地の中なのだ。

窓の外の枝に視線を戻す。二人も同じように視線を転じた後、顔を見合わせて同時に頷いた。


「ラピュセル様。少しの間、後方を警戒していただいても?」

「わかったわ」


 頷き、部屋の入口へと体を向ける。扉は閉じているが、そこからいつ敵が雪崩れ込んでくるかわかったものではない。と、すぐ背後でマーチルが呪文の詠唱を開始した。


「ルーミン」

「わかった」


 詠唱を終えたマーチルがルーミンに合図。意を受けたルーミンが窓ガラスを押し開け、一足跳びに木の枝に飛び乗った。正面を睨みながら、油断なく弦に矢を番えつつ、ゆっくりと前へ進みながら、周囲を索敵する。


「……敵影、無いよ!」

「ラピュセル様」


 ルーミンの報告を受けて、マーチルが振り返りながら一歩横に移動する。

 行動で先に行くよう促されながら、ラピュセルは一瞬、マーチルに先を譲ろうかとも思案したが、すぐにそれが愚策であると思い至り、素直に窓枠に足をかけた。

 防御にしろ攻撃にしろ、魔法で援護も自衛もできる彼女が殿を受け持つことが最も安全だからだ。

 枝へと跳び移り、それにマーチルも追随する。すぐにルーミンとも合流し、周囲を警戒しながら、足を踏み外さないよう慎重に木を降りていき。


「……行きましょう」


 燃える王城いえを数瞬眺めた後、ラピュセルは二人を促し、駆け出した。

 いつか必ず、戻ってくる。改めて、そう決意して。



□□□□□□



 同時刻


「……これは」


 荒天の予感に、風雨を凌げる場所を探して道なき道を行き始めてしばらく。遠くにはっきりと火の手が見えて、何事かと近くまで歩いてきた。

 そして感じた、血の臭い。 比較的開けた場所に出た途端、青年は思わず呟いていた。

 おそらくは家族なのだろう。暗さではっきりと確認はできないものの、初老の男性と女性が仰向けに、年若い少女と、その体の下にーー守ろうとしたのだろうーー幼い男の子がうつ伏せに倒れていた。いずれの体からも大量の血が流れだし、既に事切れているのは明白である。


「狼……いや」


 狼などの肉食動物であれば、亡骸がそのまま残ることなどありはしない。であれば、これは人間の手によるもの。

 ーー風が、吹いた。


「…………」


 その風に乗ってか、微かに音が青年の耳に届いた。数多の人の時の声と、それを越える大きさの剣戟の音が。


「戦か?」


 であれば、おそらくはこの家族はこの国ーー確かアルティア王国、といったかーーの民で、ここまで逃げてきたものの攻め込んできた敵の兵に追い付かれ、殺された。そう考えるのが妥当だろう。そうだとすれば、まだこの辺りをその兵がうろついている可能性がある。


「…………」


 無言で家族の亡骸を眺めた後、目を閉じ、両の手を合わせる。この国の死者への手向け方がわからないので、故郷の作法で勘弁してもらう。


「通りあわせたのも何かの縁、か」


 手を下ろしてそう呟くと、青年は顔を上げた。視線の先には、まだ遠い火の手。よく見れば、城のような建物が燃えているようだった。

 その建物を目印にして、青年は歩を進め始めた。



□□□□□□



「ーー【無形鎧兜ブラインド・メイル】!」


 森の中に逃げ込み、走り続けてしばらく経った頃。

 同時だった。マーチルが全員に先程発動しなかった防御魔法を発動させたのと、後方から多数の矢が飛来したのは。

 すんでのところで、直撃するはずだった数本の矢が不可視の魔法の鎧に弾き落とされる。その直後。


「かかれー!」


 背後の暗闇から敵の声。それに呼応し、先程の比ではない数の敵兵が、暗闇の中から雄叫びを上げ突進してきた。


「別動隊!? 何でこんなところに!」


 剣を抜きながら、ラピュセルの顔に焦りが滲む。

 ここは王城へと通じるルートからも、首都クノーケルの市街地からもかなり外れた森林地帯である。ラピュセル自身はもちろん、付近に住む民ですら滅多に足など踏み入れない。せいぜいが狩猟を生業とする狩人くらいだろう。当然、主戦上とはなり得ない。であるならば、敵がここに兵を配する理由はないはずなのだ。


「ラピュセル様、お下がりを!」


 マーチルがラピュセルの前に出た。腰のロングソードを抜き放ち、呪文の詠唱を開始する。


「魔導士がいるぞ! まず奴を討て!」


 敵の指揮官の指示に、敵集団の狙いが一斉に、ラピュセルからマーチルへと切り替わる。詠唱はまだ終わっていない。


「させないよ!」


 既に矢を番えていたルーミンが、素早く矢を連射した。全ての矢が先頭を走る数人に命中し、ある者はその場で倒れ付し、ある者は勢いのまま転倒して地を転がる。その様に、後続は止まりこそしなかったが、さすがに怯んだのか勢いがわずかに弱まった。


「【炎撃舞踏グレーネ・ロンド】!」


 そのわずかな空隙を縫い、マーチルが魔法を発動させる。

 敵集団を囲うように空中に巨大な三重の火の輪が出現し、高速回転。直後、回転する火の輪から拳程の大きさの火球が無数に吐き出され、敵に次々襲いかかった。

 その魔法の名の如く、火球に襲われた敵兵達は、体に着火した炎から逃れようと悲鳴を上げながら必死でもがく。さながら舞踏のように。だが、魔法によって生み出された火はそう簡単に消せるわけもなく。火の輪を含む全ての炎が消えたのは、魔法を受けた敵兵が悉く絶命した後だった。


 マーチルが、つまり魔導士がラピュセルよりも優先して狙われた理由がこれである。魔法は、剣や弓などの武器よりも遥かに強力な破壊力と殺傷力で敵を討ち、鎧兜よりも遥かに堅固な防御力で味方を護ることが出来る。

 特にマーチルはアルティア王国では有数の魔導士であり、条件さえ揃えば、中隊規模の敵を一人で相手取ることも可能である。


「くそっ! 援軍を要請しろ!」

「はっ!」


 後方にいた敵指揮官が、側にいた配下に命令する。その配下が腰の袋から球のような物を取りだすと、空に向かって勢いよく放り投げた。瞬間、直視したら目が潰れかねない程の光が空中の球から放たれる。


「信号球……!」


 ラピュセルを庇い立ち、敵を睨みながら、今度はマーチルが焦りに滲んだ声を漏らした。

 今の光で、こちらの居場所が全ての敵に知られたのだ。いくら護衛の二人が強くとも、さすがに敵軍の全てを相手取ることは出来ない。そこにラピュセルが加勢したとて、結果は同じ。むしろ、足を引っ張る可能性の方が高い。


「……ラピュセル様、先にお逃げを」

「マーチル!? ダメよ、それはーー」

「ルーミン。いいわね?」

「うん」


 ラピュセルが否定しようとするが、マーチルはおそらくわざとその言葉を無視した。そして、ルーミンまでもが姉と同じ考えだったらしく、二つ返事でラピュセルの前に出て、マーチルの隣に並ぶ。


「待って! ダメよ! あなた達を置いて逃げるなんて、私はーー」

「大丈夫だよラピュセルさま」


 振り向き、いつものように朗らかに笑うルーミンに、ラピュセルは思わず口をつぐんだ。


「あたし達はラピュセルさまの護衛だもん。そのお役目、途中で降りるつもりなんかないですよ」

「この子の言う通りです」


 敵から視線を外し、マーチルもラピュセルを真っ直ぐ見て微笑んだ。


「地図の上では、ここからまっすぐ南下した場所に小さな廃村があるはずです。そこで合流しましょう」


 敵に聞こえないよう、声量を絞ってマーチルが提案する。

 今は敵も、援軍が到着するまで動くつもりはなさそうで、遠巻きにこちらを警戒するだけだった。だが援軍さえ到着したら、その瞬間に総攻撃を仕掛けてくるだろう。考えている時間は残されていない。


「……二人とも、死なないでね」

「はい!」

「はーい!」


 確信に満ちた姉妹の返事。その返事に頷いて、ラピュセルは二人に背を向け走り出した。


「王女が逃げたぞ!」

「くそ、追え! 逃がすな!」


 さすがに最大の目標を逃がすわけにはいかないようで、敵が再び動き出す気配。


「行かせないよーだ!」

「一人たりとも、ここは抜かせない!」


 二人が戦いを開始する音。

 剣戟と弦音、魔法の爆発。けれど、ラピュセルは決して振り返らない。それが姉妹の献身に応える、今この場でできる唯一の方法。


「必ず、無事で……!」


 徐々に小さくなる戦いの音を聞きながら、ラピュセルはただ走り続けた。



□□□□□□



「ーーきゃっ?!」


 森の中をひた走っていたラピュセルの口から短い悲鳴が漏れだした。何かに足がつまづき、転倒。


「つぅ……」


 よろよろと立ち上がり、痛みの有無を確認する。幸い、両脚に深刻な痛みは無い。身体中に細かな枝切れの傷はあるが、それはもはや無視していた。


「何が……ーー!?」


 足につまづいた何かを探して振り返り、そして言葉を失った。

 人間だった。血を流し、苦悶と恐怖と絶望をその顔にこびりつかせたまま絶命した、人の亡骸。

 そして気づく。亡骸は、それだけではないことに。


「……っ!!」


 目を見開かずにはいられなかった。

 周囲に倒れる、幾つもの死体。老いも若きも、男も女も関係なく。皆等しく平等に、一切の容赦無く殺されている。

 おそらくは、ここまで必死に逃げてきたクノーケルの……いや。

 『おそらく』ではない。確かにクノーケルの民だと、ラピュセルは確信した。死体の中に、祭の際に出会った男の子の一人を見つけて。

 その時、頬に水の粒。

 ポツポツと、ラピュセルに、草木に、横たわる民達の亡骸に、粒はすぐに強い雨となって降り注いだ。


「ほう?」


 横からふいに聞こえた声。振り向くと、木々の間からガレイル軍の兵が三人、こちらに向かって歩み寄ってきている。


「これは幸運だ。狩りに興じていたら、まさか王女殿下にお会いできるとは」

「狩り……ですって?」


 不遜な物言いはどうでも良かった。ただ、その中に含まれていた「狩り」という単語に、ラピュセルは猛烈な吐き気を覚える。


「ふん。アルティアの民なぞ、我らにとってただの獲物に過ぎん。狩りと称して何が悪い」

「しかしそれもつまらなかったのですがね。ちょっと腹を突いただけで、どいつもこいつも簡単にコロッと死んでしまいまして」

「しょせんは軟弱な王の民ということよ。闘う覚悟も反抗の気概もない、ただ生きてるだけの弱者に過ぎん」


嘲りの毒を口々に吐き出す兵士達。

ごろごろ、と。雨だけでなく、雷までもが鳴り出した。


「言いたいことはそれで終わりかしら?」


 内から涌き出る怒りを努めて抑え、ラピュセルは左手で剣を抜く。しかし、それでも敵兵達は薄ら笑いを崩さない。


「これはこれは。軟弱者の娘が、勇敢にも我らを相手にして戦おうとなさるとは」

「しかし、やはり箱入りのお姫様だ。世間知らずにも程度があるだろうに」

「そんな細腕で我らを相手にしようなどと。まず勇気と無謀の違いを知ることから始めた方が良いのでは」

「もう一度言うわ」


 抜いた剣を構えながら言う。

 今度は明確に、己の言葉に怒気を込めて。


「言いたいことはーーそれで終わりかしら!」


 言い終わると同時、ラピュセルは地を蹴り駆け出した。

 その速さが想像以上だったのだろう。敵の全員が、慌てた様子で剣を抜く。


「遅い!」


 だが、中央にいた敵が剣を抜き切る前に、ラピュセルが自らの間合いにその敵を捉える。

 銅抜き一閃。鎧の継ぎ目、防御の薄い箇所を狙って放った横薙ぎ。


「がっ?!」


 すれ違い様、敵の苦悶の声が耳に届く。

 だが浅い。致命傷には程遠い。


「くっ……この!」

「このアマ、調子に乗るなよ!」


 一撃を貰い、やっと本気になったのか、三人は散会し、ラピュセルを包囲。


「やれ!」


 一人の掛け声で、三方から同時に襲いかかってきた。

 だが。


「だからーー遅いのよ!」


 吠える。

 半歩横に移動しつつ身を捻り、後ろからの刺突を回避。その流れで正面からの斬撃を剣で受け流し、すれ違う瞬間に相手の足を蹴り払う。


「うおぉっ!?」

「なっ、バカ、おまっ!」


 バランスを崩した敵が、背後の敵も巻き込んで勢いよく転倒した。そして。


「死ねぇぇ!」

「ーーはっ!」


 一拍遅れて突進してきた残りの一人と、真っ向から勝負。

 相手は上段から剣を振り下ろし、ラピュセルは下から右に切り上げの一撃を放つ。

 すれ違い、次の瞬間倒れたのは敵だった。


「がはっ……!?」


 呻く相手にはもう目もくれず、起き上がった二人と対峙。


「くっ……」

「こいつ……!」


 事ここに至り、ようやく気がついたようだ。ラピュセルの剣の腕が、想像の遥か上をいっているということに。


「さあ、次はどちらかしら?」


 剣を構え直し、ラピュセルは油断なく二人の敵を交互に睨んだ。



□□□□□□



「ぐぅっ……」

「く、そ……」

「うう……」


 程なくして、三人の敵兵全員が地を舐めていた。だが全員死んではおらず、そう時を置かずしてまた立ち上がるだろうという程度の負傷しか与えていない。


(……今は、それでいい)


 自分にいい聞かせるように内心で呟いて、ラピュセルは剣を右腰に佩いた鞘に納めた。

 気がつけば、雨は更に勢いを増し、稲光が仕切りに暗闇をちかちかと照らし出していた。風も吹き荒れ始め、濡れたマントが激しく靡く。

 ひとまず脅威を退けたとはいえ、この天候では先に進むことはままならない。


「…………」


 わかっている。自分はこんなところで立ち止まっている場合ではない。難しくとも、一歩でも先に進まなければならない。

 けれど、民の骸をこのまま雨ざらしにしておくのは嫌だった。不恰好でもいいから埋葬してやりたい。全員は無理でも、せめて一人。無邪気な笑顔が可愛らしかった、あの男の子くらいは。

 そう思い、ラピュセルは風に持っていかれそうになる脚に力を込めて、少しずつ歩を進めていく。そうしてなんとか、男の子のもとまでたどり着いた。身を屈め、見開かれたままの目を閉じてやろうと手を伸ばしーー稲光と、それにより刹那生まれた影が二つ・・

 一つは自分。では、もう一つはーー


「きゃあっ!!?」


 咄嗟に振り返ろうとしたが、一瞬間に合わず。背後より伸びた無骨な腕に羽交い締めにされ、体を持ち上げられた。


「へっへへへへ! 捕まえたぜ、王女さま~!」


 下卑た笑いを漏らす新たな敵の出現に、ラピュセルは内心で舌打ちする。

 完全なる油断だった。敵は三人だけと思い込み、伏兵が存在する可能性を失念してしまっていた。


「っ、この! 離しなさい!」


 なんとかのがれるべく暴れるが、腕力ではかなうべくもなく。


「おいお前ら、さっさと起きろ! お楽しみの時間だぜ!」

「ちっ、簡単に言ってくれる……」


 ラピュセルを捕まえた敵の呼び掛けに、倒れていた三人が悪態をつきながら、それでものろのろと立ち上がった。

 本格型にまずい。いよいよ焦りを隠せなくなり、しかしいくらもがいても、敵の羽交い締めから逃れられない。


「とっ、この、おとなしくしろ!」

「っあ?!」


 締め付ける力が強くなり、骨が軋む感覚。痛みで堪らず力が抜け、なんとか離さずにいた剣を落としてしまう。


「よくもやってくれたなこの女……。この傷では、しばらく戦線に復帰できん」

「本当に。この借り、どのようにして返すべきでしょうかね」

「アルティアの王族は、生け捕りでも首でも構わないんだろ? なら、さっさとぶっ殺そうぜ」


 起き上がった三人が、口々に恨み言をラピュセルにぶつけてくる。それでもなんとか屈せずに、真っ向から睨み返した。


「生死問わず、か。なら、殺す前に何したって構わないってことだろ?」


 ラピュセルを捕まえている敵が、そんなことを言った。

 背筋に、悪寒が走る。


「ふむ」

「へぇ」

「確かに……」


 途端、全ての敵から殺気が消えた。変わりに、ねっとりとした下卑た視線を、ラピュセルの全身にまとわりつかせてくる。

 

「ーー! 嫌、やめなさい! 離して!!」


 瞬間、敵が何を考えているのかを悟り、無駄だとわかっていながらなおも抵抗する。だが、敵の腕は頑としてラピュセルを離さない。

 

「うるせえな。少し黙れ」

「~~~~っ!!」


 両腕を後ろ手に回され、口を手で塞がれる。

 声すら封じられ、いよいよ為す術が無くなった。


「さて。先程の借り、その体でお支払いいただこうか、お姫様」

「よく見りゃかなりの上玉じゃねえか。これはなかなか楽しめそうだ」


 ニヤニヤと、下衆の笑い。ラピュセルの鎧と衣服を剥ごうと、無遠慮な腕が伸ばされる。

 心まで屈したくない。しかし、女性故の嫌悪と恐怖が、瞬く間に思考の全てを埋めていく。それは程なくして、涙となってラピュセルの両眼から溢れでた。


「はははは! いいぞ、もっといい顔をしてもらおうか!」


 笑いながら、いよいよ敵の指先がラピュセルの体にーー


 その時、風が吹いた。

 嵐の暴風の中でなお感じられる、紫電のような一陣の風が。


「……えっ?」


 間の抜けた声は、ラピュセルに魔の手を伸ばしていた敵のもの。

 そのあまりの抜け方に、僅か冷静さを取り戻して、そしてすぐに気がついた。

 敵の腕、肘から先が、丸々無くなっていることに。


「ーーぎゃああああああ!?!?」


 直後、絶叫と血飛沫が同時に飛び散る。


「なっ!?」

「なん、なんだ! 何が?!」


 何が起こったのか。そんなことラピュセルにもわからない。自分を捕まえていた敵が混乱のあまり、自分を解放していることにも気がつかないまま、ラピュセルは辺りを見回した。

 そして、見つけた。


「…………」


 僅か離れた所に、ついさっきまでいなかった、新たな人影が立っていた。

 ラピュセルよりは幾らか年上だろうが、まだ年若い青年。見慣れぬ出で立ちの黒の上衣と、幅広のゆったりとした紺の下衣。長い黒髪をうなじの辺りで結わえている。そして最も特徴的なのは、その青年が手にした得物。

 片刃の、やや湾曲した剣。切っ先から滴り落ちる鮮血が、直前の惨劇をもたらしたのが彼であると物語っている。


「き、貴様! 何者だ!」

「よくも……生きて帰れると思うな!」


 敵も青年の存在に気がついた。ラピュセルには目もくれず、剣を取ってその青年を取り囲む。


「……貴様らか?」

「なに?」


 囲まれた青年は、しかし微動だにせず。

 その冷ややかな視線を、三人のガレイル兵に向ける。


「あの家族と、この大勢の民。やったのは貴様らか?」

「ああそうさ! 全部俺達がやったのさ!」


 その問いに、一人がわざとらしく得意そうに答えた。おそらく威嚇して怯えさせようとの魂胆だろう。

 だが。


「怖かろう? だがもう逃げられんぞ。仲間にあんなことをしてくれたんだ。ただではーー」

「もういい」


 それは、逆効果だ。

 直感的にラピュセルはそう感じ、そしてそれは当たっていた。

 次の瞬間、青年が剣を振り上げる。


「はっ?」


  またしても間の抜けた声。だが、次の展開は少し異なった。

 首が、落ちた。

 血が噴水の如く飛び散り、体がゆっくりとくず折れる。


「…………」


 返り血を浴びながら、青年は剣を一度大きく振り、刃についた血を振り払う。

 見えなかった。剣を振るうその瞬間が、まるで。


「……お、お前、いま、なにしたんだ……?」


 一人は腕を斬り落とされ、一人は首を斬り落とされ。

 瞬く間に戦力を半減させられ、残りの二人が動揺をあらわにする。


「貴様、本当に何者だ!?」

「……ただの旅の人間だ」

「う、ウソをつけ! ただの旅の人間だと? だったら何故、その王女の味方をしている!」

「勘違いするな」


 青年が、一歩踏み出す。それに合わせて、いや、反射的にか。残った二人のガレイル兵が一歩下がった。


「俺はそいつの味方じゃない。ただ貴様らを追った先で、貴様らがそいつを襲っていたからそういう形になっただけだ」

「な、なに?」


 その言葉はつまり。この青年は、ガレイル兵を狙ってこの場にやってきたと告げたのだ。

 その真意は、ラピュセルにはわかるはずもない。ガレイル兵も然りだろう。

 また一歩、青年が踏み出す。ガレイル兵が一歩下がる。それを何度か繰り返したあと。


「無念の声を知って散れ」


 死刑宣告の後、青年は地を蹴った。逃れようのない速さで、ガレイル兵に肉薄し。

 断末魔が、嵐の森に響き渡った。



□□□□□□



「あの……」


 剣を鞘に納めた青年に、恐る恐る話しかける。先程の口振りからして無視されるかもと思ったが、青年はこちらをまっすぐ見つめ返してきた。


「あ、ありがとう。助けてくれて」

「礼には及ばん。お前を助けたのは偶然に過ぎん」


 にべもなく言い放ち、青年はラピュセルに背を向けた。

 このまま立ち去らせてはいけない。


「待って!」


 何故かはわからないが、強くそう感じて思わず呼び止める。


「私はラピュセル! ラピュセル・ドレーク!」


 名乗る。呼び止めても、何を話せばいいかわからない。だから、苦し紛れにそれを口実にした。


「あなたの、名前は?」


 青年は黙ったまま、しばらくその場を動かず。ダメか、と諦めかけたとき。


天馬武蔵てんまむさし


 青年は、そう名乗り返した。




 それが、二人の出逢いだった。

 後に『血染めの魔女』と呼ばれ、恐れられることになる王女ラピュセルと、その魔女の『懐刀』として名を馳せることになる、異国から来た侍、天馬武蔵の。

 この日。この時。この場所から。

 二人の長い、長い戦いは始まった。

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