笛の音響くこの空に

笛の音響くこの空に・一




 刃の下に生を拾う。

 己の両断せんとする一撃を、烈火れっかは斜めに身を捨てて回避した。

 鼻の奥がひりつく。が、ぎりぎりの行動というわけではない。目の前の敵とは互角にやり合えている。

 彼方より、視界を蒼い閃光が過ぎった。右手を貫かれる。

「ぐっ……」

 苦悶の声を喉の奥に押し込め、開いた穴を塞いで復元。お返しとばかりに礫を生成して撃ち放つが、それは先ほどかわした剣の持ち主によって横から叩き落された。

 危険を察知して跳び退けば、足元が弾けるとともに中空から今の状況が一望できた。

 敵は四人、こちらも四人。自分の相手をしているのは剣を構えた少年で、手を貫いた光を放ったのは仲間と砲撃戦を繰り広げていたはずの一人だ。

 こんなはずではなかった。そもそもこの廃屋群に誘い込んだのは自分たちだ。まず自分独りで<竪琴ライラ>の二人組を釣り、仲間が後続のいないことを確認したならここへ連れて来て袋叩きにするはずだった。

 ところが仲間自体が尾けられていたのだろう、仕掛けたその瞬間に四対四となっていた。

 敵は騎士派。この財団派領域に援軍として派遣されてきたチームの一つだ。

 個々の力の程としては互角というところだろう。充分に戦える。あくまでも、個人でならば。

「クソがっ!」

 左手からの急襲をなんとか弾き、悪態をつく。

 この戦いは一対一が四つではない。四対四だ。そしてそれがために翻弄されていた。

 騎士派は連携を重視すると聞く。ふとした拍子に飛んでくる光弾、頻繁に入れ替わる相手、まるで倍の数を相手取っているかのように錯覚された。

 苛立ちが治まらない。

 そもそも<竪琴ライラ>と戦うことになっていること自体、こんなはずではなかったことなのだ。

 烈火は元々<竪琴ライラ>剣豪派に所属していた。志があったわけではなく、勧誘されて、あとは流れでそうなった。自らの力量にある程度の自信はあり、上から三分の一程度にはいられた。

 しかし、ほどなくして耐え切れなくなった。

 剣豪派は、出動以外に強制されるものはない。普段は何をしていてもいいのだ。

 そのはずだというのに、大半の者はひたすらに鍛錬を続けていた。話しかけてきたと思えば試合の誘い、頼みがあると言われてついて行けば審判、食事中の話題まで剣のこと。

 本当にそれしかなかったわけではないものの、頻度が常軌を逸していたのだ。

 烈火にとって、彼らはもはや正気とは思えなかった。

 もっと普通を望んでいた。ゲーム、猥談、他愛のない話、そんなものが欲しかった。

 幸いだったのは、そう思っていたのが自分一人ではなかったことだ。だから四人で示し合わせて同時に抜けた。

 以来の付き合いだ。ずっと一緒に行動してきた。

 <魔人>という存在は、やはり楽しかった。烈火ほどになれば、ただの人間では刃物を使おうが銃器を用いようが傷一つつかない。存分に自侭に生きられた。

 唯一の懸念がまさに<竪琴ライラ>だったが、これも天が味方したかのように都合よくことが運んだ。

 <横笛フルート>の急速な巨大化、そして仕掛けられた抗争に<竪琴ライラ>は力を傾けなくてはならなくなったのだ。

 そうなれば狙い目は財団派領域、と的確に見抜き、どちらに組することもなく自分たちの勢力を伸ばしていった。

 奇しくも<帝国エンパイア>などという集団まで現れて、先を越されたかと残念に思いつつも彼らを利用して着実に積み重ねた。

 自身では気付かぬうちにいつしか、烈火たちの認識はかつてのものから逸脱していった。

 人を捕まえ、<鍍金メッキ>という男に売り払った。勿論、<鍍金メッキ>自身は更なる高値でまた他の誰かに売ったのだろうが、烈火としてはささやかな小遣い稼ぎで面倒なことをするよりも、安定した売却先があることを喜んだ。顧客自体は他にもいたものの、しばらくの間まったく需要がないなどということもあったからありがたかった。

 このままうまくやっていける、そんなつもりでいたのだが。

 事態は唐突に、雪崩の如くに動いた。

 <竪琴ライラ>の処刑人による<帝国エンパイア>殲滅。

 肝を冷やした烈火たちが一時的にでも<横笛フルート>の庇護下に入ろうとしたところで、こちらでも異変が起きた。

 表にはあまり出ることのなかった首魁、<奏者プレイヤー>が内部の者に倒され、追放されたことによって<横笛フルート>そのものが根底から変わってしまった。名も<魔竜>ファフニールと改め、四方八方好き勝手に向いていた組織を整列させたのだ。

 これにより、都合の好いように利用するというのが不可能になった。服従か、敵対かのどちらかを明確に選択せざるを得なくなった。

 敵対は言うに及ばず、服従もまた<竪琴ライラ>への尖兵とされる破目になると容易く推測できてしまう。財団派領域に逃げ帰るほかなかった。

 騎士派からは幾つかのチーム、剣豪派からも序列三位と七位が送り込まれてもまだ、ここが最も安全。その判断に間違いはなかった。

 だから、こんなはずではなかった。<竪琴ライラ>と<魔竜>ファフニールの争いを身を低くしてやり過ごしていたのに、なぜ自分たちが直接<竪琴ライラ>に狙われているのだろう。

 烈火たちは思い至らない。

 自分たちが人身売買に加担していたことを<竪琴ライラ>はとうの昔に掴んでいるのだと。これまでは手を回すだけの余力すら財団派には欠けていただけだったのだと。

 そしてもはや、烈火たちが繰り返した数に、かけるべき情けも尽き果てているのだと。

 月下に影が動いた。

「逃げろ!!」

 烈火の叫びは遅い。

 流れるような連携によって、仲間三人はこの瞬間に息の根を止められ、消滅した。あまりにもあっけない最期だった。

 逃げなければならない。

 ずっと一緒にやって来たのだ、仲間意識は決して小さくない。それでも迫る危機は感傷を許さない。

 <竪琴ライラ>の四人が一度散開してこちらを囲んでから、じり、と距離を詰めてくる。決して逃すまいと、迂闊に飛び掛ることなく機を窺っているのだろう。

 烈火は素早く視線を走らせる。どこから逃げるか。基本的には街の方へ向かうべきだろうが、相手もその程度は予測しているだろう。

 しかし意表を突いたとて、それだけで終わってしまっては未来は変わらない。

 何か手はないか。

 烈火のその思いを嘲笑うかのように、豪放な声が降って来た。

「なんだ、手伝いは要らなそうだな」

 希望がその声を味方と錯覚させ、次いで聞き覚えがあることに気付き、誰なのかを覚って血の気が引いた。

 隙が生まれることなど意にも介さず振り返り、廃屋の屋根の上にある予想通りの姿に改めて息を呑む。

 彼は身の丈ほどもある大太刀を右に担ぎ、荒々しい瞳でこちらをを見下ろしていた。一見しただけでは少年と青年の端境、長身痩躯と映るが、その実鍛え込まれた肉体だ。<魔人>の見た目と身体能力は比例しないとはいえ、見た目を裏切ることのない力を持っていることを烈火は知っている。

 手合わせしたことも数度ならある。まるで敵わなかった。どれほどの力の差があるのかも量れない。

 初瀬光次郎はつせこうじろう、<竪琴ライラ>剣豪派序列三位<大典太光世>である。

「……豪勢だな、おい。勘弁してくれよ……」

 まだ軽口は出た。声が震えるのはどうしようもなかった。

 初瀬光次郎は剣豪派の三番目というだけで済まされる相手ではない。<九本絃>ナインストリングス、すなわち<竪琴ライラ>のトップ九名の一人として昔から数えられ続けている男なのだ。

 逃れられない。烈火の腹は諦めの氷塊に満たされた。あまりの重みに足が動かなくなった。

「悪いが、オーチェ的にもお前らには既に抒情酌量の余地なし、らしくてな。ここで死んでもらう」

 光次郎が大太刀の柄尻に左手を沿え、刃を立てた。

 烈火はやはり動けない。息を詰まらせ、裁断のときを待ち。

 予想だにしなかった、序列三位の切羽詰った声を聞いた。

「お前ら避けろ!」

 その言葉の意味は、すぐには分からなかった。

 円を描くように紅い旋風が駆け抜けた。

 血飛沫が舞った。取り囲んでいた騎士派四人の首が刎ね飛ばされたのだ。

 死した<魔人>は塵も残らない。そのまま薄れて消えてゆく四つの姿に、先ほどの避けろという言葉を向けた相手を理解した。

 紅い旋風、それが一人の<魔人>であることにも気付いた。正確には、その手にある不吉なまでに紅の輝きを放つ長剣こそが正体だ。

「離脱するよ!」

 その呼びかけとともに脇に抱えられる。

 そしてあろうことか、<魔人>はそのまま初瀬光次郎に向かって跳躍した。

 <魔人>の膂力をもってすれば烈火の体重などなきに等しいだろうが、片手で剣豪派序列三位に挑むなど正気の沙汰とは思えない。

 交錯は刹那。烈火には、どちらかの鮮血が零れ落ちるのだけが見えた。

 加速、更に加速。大気を強引に割り進む。肉体が曲がりそうな圧と浮遊感。流れゆく光はきっと、夜の街の輝きなのだろう。

 確かなものは何も分からなかった。

 ただ、助かったのであろうことを除いては。








 ビルとビルとに挟まれた道。

 狭くはないが、歓楽街から離れていることもあってか暗い。

 そこでようやく下ろされ、相手の顔をまともに見ることができた。

 少し年上、二十歳前といったところだろう。なんとも爽やかな風貌の青年だった。

「大丈夫?」

 そんなことを言って、人懐こく笑う。

「助かった……助かりました」

「タメ口でいいよ。上下関係だの年功序列だの、めんどくさいだけだよね」

 年上らしき恩人とあって言い直したのだが、それも即座に不要と否定される。

 そして大きく伸びをして、自己紹介された。

「僕は鏡俊介。昔の仲間にはリッキーとか呼ばれてたから、そう呼んで」

「烈火。ただの烈火、だ」

 あだ名が『リッキー』になる理由には見当もつかなかったが、ひとまず名乗り返しておく。

 姓は設定していない。馬鹿らしく思えたからだ。

「うん、いいんじゃないかな。別に苗字なんて要らないよね。僕も俊介だけにしようかな」

 なぜか妙に嬉しそうに頷いた俊介に、正直なところ烈火は反応に困っていた。

 意図が読めないのだ。何らかの必要があって自分を助けたのだろうが、あまりにも明け透けな笑顔で、何も考えていないようにしか見えない。

 怪訝な顔をしていたらしい。きょとんとした表情で覗き込まれた。

「どうしたの?」

「あー、どうして助けてくれたのかと思って」

 剣豪派を抜けて以来、裏があることは常に疑いながらいる必要があった。特に<鍍金メッキ>などは上得意であるとともに、いつ食われるかと警戒を緩めることの出来ない相手でもあった。

 しかし、俊介はさらに不思議そうに見つめて来た。

「どうしてって、<竪琴ライラ>に襲われてる人がいたらそりゃ助けるよ。<竪琴ライラ>の魔の手から人を守るのが僕の使命だからね」

「……使命?」

 未だかつて耳にしたことのない回答だった。

 <竪琴ライラ>の敵を名乗った者はいくつもあったし、恐れる、あるいは嫌悪を向ける<魔人>も少なからず見た。

 しかし、<竪琴ライラ>こそが諸悪の根源であると言わんばかりの口調で語ったのはこの青年が初めてだった。

「<魔人>には<魔人>らしく生きる権利があると僕は思う。<竪琴ライラ>はそれを踏み躙る。僕はそれが許せない」

 真摯に語るその瞳に、烈火は嘘を見出せない。

 それなりに人を見る目を養ってきた自信はある。その目を誤魔化せるほどの嘘吐きであるのか、あるいは本気で言っているのか、判断はできなかったが。

「僕の仲間はいつもいなくなってしまう。それでも、僕は一人からでも、何度でも立ち上がって戦い続けるよ。じゃあね。僕はもう行くけど、気をつけて」

 俊介は軽く手を上げ、背を向けた。

 烈火の脳内で算盤が弾かれる。

 現在の自分の立ち位置、その危険性。騎士派の四人は死んだとしても、剣豪派序列三位は分からない。そもそも<竪琴ライラ>の標的として設定されてしまった以上、これからも狙われ続けることになるのは必然。

 一方、俊介は正体が知れない。悪い印象こそ抱かせないが、無害である保証はない。ただ、恐ろしく腕が立つのであろうことは間違いないだろう。あの瞬間、優位に立ったのがどちらだったのかまでは分からないものの、少なくとも不利な体勢から逃げ切ってはのけたのだから。

 自分独りで<竪琴ライラ>から逃れることは不可能、となれば戦力が要る。

 賭けにはなってしまうが、これを逃す手はない。

「ちょっと待ってくれ」

 烈火は俊介を呼び止めた。



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