せいくらべ・十
肉を焼く音がする。
肉の焼ける匂いがする。
ざわめき。享楽に耽る声と痛々しい悲鳴。奏でられる音色に耳を貸す者などない。
誘うが如くに炎は踊り、跳ねる脂が付着してゆく。
明かりはあるのに薄暗い。ひたすらに肉を貪る人の群れは、あるいはこれも退廃なのか。
どうしてこのようなことになったのだろう。
「安い割りに美味いですね、ここ」
「だろ? ジャンクっちゃあジャンクに違いないが俺は結構好きだね」
黄昏時、とある焼肉屋の食べ放題コース。
本当に、どうしてこんなことになっているのだろう。徹は思わずにいられなかった。
<
仮に<
騎士派の対応としては基本に忠実に、それぞれに対し二
具体的にどのようにはたらきかけたのかについては、徹も知らない。しかし三週間で三つともを説き伏せ、そして更にもうひとつ事件が起こり、それを解決してから帰ってきたということになる。
『ほぼ予想はついていましたが、先の三つはすべて<
圭はそう言った。
<
その名は今や<
『それに加えてやはり内通者……この場合は間諜と呼んだ方が正しいですか。確実にいますね。あんな十人程度の集団にこちらの情報が行き渡り過ぎている』
まさか騎士派に限って、と反射的に返し、そうでもないかと思い直した。この二ヶ月だけでも九名加わっている。入り込めない理由はない。
ともあれそこから示される方針は二つ。内部をよく洗うことと、<
間諜の洗い出しは一輝と聡司が担当することになった。新島猛が敗れた件についても調べてみると一輝は言っていた。
二人とエリシエルに<宮中庭園>は任せ、徹は圭とともに<
『ちょうどよかった。今日の夕方に
そのときは、さすがはケイ、と感心したものだったのだが。
「あ、こっちのたれなんかもいけますよ」
「知ってる知ってる、ちぃと取ってくれ」
なるほど、確かに<
しかし徹にとって、この光景は何かが間違っていた。
もっと静かな、気力のせめぎ合いであるべきだった。笑顔の裏に刃を隠し、動揺をポーカーフェイスの後ろに押し込める空間であるべきだった。
「よく来るんですか、ここ?」
「ときどきだな。安くて美味い飯探してふらふらしてることの方が多い」
それがどうだ、これではまるでイベントの小さな打ち上げだ。
徹は尋ねずにいられなかった。
「もしかして最初から知り合いだったりするのか、君らは」
「いえ、初対面ですよ」
「辛気臭い顔で茶だけ飲んでるのは詰まらんだろ」
徹の思いを洞察した上で、二人はこともなげにそう答えた。その間も手は止まらない。生の肉を鉄板に広げ、あるいは裏返してゆく。
「大事なのは詰まった中身だ。形式なんか高貴な誰かに任せとけ」
「中身というか、一番大事なものが肉にしか見えないんだがね?」
思わず口をついて出た皮肉は、<
しかし<
「まあいい。そんなに不満なら話も始めるか。何でも言ってみな。俺は嘘はつかん。面白くなりそうならノーコメントにはするかもしれねえけどよ」
「ふむ」
圭に視線をやれば、こちらも箸は置かないままではあるが何やら思案しているようではあった。徹は元から圭に任せるつもりでいる。そうしておけば大抵何とかなると、経験上知っているのだ。
そして圭は単刀直入に尋ねた。
「<
「ひとつだけだ」
返す<
「招待状を奴らの言う日に送った。最近挑戦者が減ってたからな、ちょうどいいアイデアでもあった」
そしてやはり緊張感もなく肉を頬張る。
圭が困ったように笑った。
「こっちの都合は考えてくれなかったんですか?」
「挑戦されちゃあ、応えんわけにもいかん。小さな協力という事実と奴らの嘘を、俺という存在が打ち破れるかどうかってな」
「なっ!?」
思わず声を上げたのは徹だった。
つまり<
「むざむざと罠に嵌められたのか、君は!?」
「いんや。見事に嵌められたのはお前らだよ」
またも至極あっさりと、<
字面だけなら負け惜しみにも思えるが、<
縋るように圭を見たなら、
「そうでしょうね。空いた時間に<闘争牙城>に行ってみたんですが、彼らは全員笑い飛ばした。何の疑いも持っていなかった。<
「……君が言うなら信じるが」
徹は不満を堪え、無理矢理納得する。信じるものの三つめこそは
加えて、元々ここへは圭のみで来るはずだったのが、一人では心配だと徹が無理についてきたこともあってあまり強くは出られなかった。
<
「それで、どうして欲しい? <
<
先ほど圭は、もし<
「そうですね、お願いできますか? あまり大きくはたらきかけても逆効果になりそうですし、その程度がちょうどいいかと」
「分かった」
「それから……」
圭はまだ続けた。
「騎士たちの力試しとして、あなたに挑戦させてもらおうかと思います」
「ほう」
「ケイっ!?」
<
「挑めば挑むほど負けるだけだぞ!? これ以上傷を広げてどうするんだ!?」
一輝も徹自身も既に敗れている。聡司にしても、自分で言っていた通り勝てはしないだろう。敵うとするならば圭か、あるいはもしかするとエリシエルか、その二人しかいない。
だが、さすがにそれはならない。最後の二人まで負けてしまえば騎士派の抑止力は完全に失われてしまう。
だからといって勝てるはずもない者を向かわせるのも無意味だと徹は考えたのだ。
「いえ、そもそも傷になるように立ち回っているのがいけないんですよ」
しかし圭は、気性に似合わぬ凶貌を温和に緩ませた。
「自分たちの方が上だと言わんばかりの態度で試合に臨むから、周囲の<魔人>たちの嫌悪を買うんです。まるでやられ役の権力者みたいですからね。ほら物語によくある、権威を鼻にかけた貴族だとか、あのあたりです」
「馬鹿な! 騎士派はそんなものでは……」
「そうですね」
激昂とともに反駁しようとした徹を窘める声はあくまでも静かだ。<
「けれどそう見えるんです。驕りはありませんでしたか、徹さん?」
「む……」
そう言われてしまうと黙るより他になかった。騎士たちの誇りは行過ぎれば容易く傲慢となってしまうことは徹も重々承知しているのだ。
圭は今一度<
「お願いできますか?」
「活きのいい
<
「お前は来ないのか、
久しく用いられることのなかった圭のあだ名を呼ぶとともに、どこまでも見透かすような眼差しがあった。
傍にいる徹の頬にじとりと浮かんだ汗は鉄板の熱さのせいではない。<闘争牙城>での試合の際などとはまったく異なる、息の詰まるような重圧を視線ひとつで放っているのだ。
それを十全に受け止め、気圧された様子など微塵もないまま圭は困ったように笑った。
「挑んでみたい気持ちはあるんですけどね、それよりももっと大事なものが俺にはありますから」
睨み合いとはならなかった。吹き出したのは同時だった。
「惜しいな。ドスの利いた面構えといい、<
「褒め言葉と受け取っておきます」
「よし、メンドくせえ話はこのくらいでいいだろう。肉食おうぜ、肉」
「ですね」
再び和気藹々と食事に戻る二人を、徹は信じられない思いで呆然と眺めていた。
胸の奥がすっきりとしない。如何とも言いがたい気持ちの悪さがあった。
これは一体何なのだろうか。
一つ確実なのは、自分の<
「……ひとつ訊いてもいいかな?」
「ん、いいぜ」
肉を咀嚼、飲み込み、<
その様にさえ苛立つものを感じながら徹は問うた。
「<闘争牙城>では何かを賭けて『決闘』するらしいが、君は何を賭けているんだ?」
「強いて言うなら誇り、自信。ま、自分は強いだとか自分なら勝てるだとかの思いだな。もちろんイシュが徴収するわけじゃない。負けたら自信を砕かれるってだけの当たり前のことだ」
予想できない答えではなかった。
「なぜだ? どうしてそんな無意味なことをする? 君は一体何がしたいんだ?」
挑戦したいという者がいて、<
「君だっていつまでも勝ち続けられるわけじゃないだろう? いつか敗れたとき、君に何が残るんだ?」
「また随分メンドくせえこと言い出したな。男が天辺獲って君臨し続ける理由なんて、そうしたいから以外のことは滅多にないだろ」
<
そしてそれだけだ。これ以上何も告げるべきことなどないということなのだろう。
だから徹も今更ながらに気づいた。自分の問いは、今までに<闘争牙城>の面々が口々に投げかけてきた質問だったのだ。そして彼らはきっと、今や<
それでも徹はまだ問うた。止められなかった。
「敗北を震えながら待つのか?」
明らかな挑発である。<
しかし<
「脅かされない王座に何の価値があるんだ」
「なら、いざ負けたならどうする? すべてを失った君はどうするんだ!?」
語気が荒くなる。声が震える。忌まわしいと思う。それでも胸に渦巻く何かの迸るままに口を突いて出ていた。
うろたえて欲しかった。言葉に詰まって欲しかった。せめて、絶対に負けないと豪語してくれたならよかった。
<
「俺を斃した奴の肩を叩いて言ってやるのさ。『今この瞬間からお前が<
「分からない!」
叫ぶ。さすがに他の客が幾人かこちらを見たが、すぐに興味を失ったようだった。
「……分からない」
嘘である。言葉として表すには難しいが、感性が理解できてしまう。
<
何かとてつもないことを成し遂げてくれる。<
徹にとって、目を灼くほどの光だった。
「<闘争牙城>にいる奴はほぼ全員腹に一物抱えてる。使いもしない金を貯めてる奴から骨董マニア、刀剣フェチ。欲しいものも色々だ」
<
背筋に氷を突き込まれたようだった。
欺瞞を見抜かれている。今までしてきた質問のほとんどが意味のない、自分のために繕っただけのものであることがばれている。そしてその奥の徹自身を覗き込んでいる。
「強くなりたいのも欲望だ。しかも<闘争牙城>ではそれで大抵のものが叶う。だから俺は<闘争牙城>の欲望の頂点に違いないのさ。お前が何を望んでようがそれを否定したりはしない。さすがに恋人になってくれなんて言われたらそれ自体はノーサンキューだがな」
冗談めかした口調さえ圧倒的。
圧倒的なまま、切り込んで来た。
「なんだかよく分からんが、怯えるなよ。試合のときはもっとましな貌してたぜ」
奇声を上げて逃げ出していた。
恐ろしくて仕方がなかった。徹にとって<
現実の夕陽、赤と黄の入り混じった中を一心に駆けた。暑い大気の中で流れるのは冷たい汗ばかり。走って走って、<空中庭園>まで辿り着き、青い顔でへたり込んだ。
圭を置いてきてしまったこと、後でどのような顔をして会えばいいのかも忘れ、四阿の前で荒い息をつく。
<
そしてその行動が誤りであることまでも似ている。
ここならばあの怪物はいない。ここは我が家だ。安寧を約束してくれる空間だ。
どのくらいそうしていたのだろう。見かけた者から報告が行ったのか、一輝が早足にやって来た。
「何かあったのか? 圭はどうした?」
いぶかしげなのは当然だろう。<
徹はかぶりを振った。立ち上がり、いつも通りの落ち着き払った顔をする。
「大したことではないよ。個人的にちょっと驚くことがあって先に帰って来ただけだ」
「そうか」
違和感は覚えたようだったが追求しようと思うほどではなかったのだろう、一輝は露骨な戸惑いの表情を浮かべこそしたもののすぐに真顔となった。
「まあいい。とりあえずこちらも片方の進展はあった。つい先ほど分かったんだが、
「ああ、まあ……」
今度は徹の方が惑うことになった。
一輝が口にしたことは今朝の時点で既に耳にしていた情報だ。今頃になって何を言っているのだろう、そう思ったのだが。
天啓の如くに閃いた。思い出したのだ。スパイ、内通者がいると圭は言っていたではないか。
「分かったのはついさっき、で間違いないな?」
「ああ、財団派と直接コンタクトをとった奴から半時間前に聞いたばかりだが……凄い顔してるな、あんた。何か知ってそうだ」
また妙にいぶかしげな表情になって一輝が言うが、そんなことにかかずらっている場合ではなかった。
今朝、<
右手を強く握り込む。己を取り戻せた気がした。
「確証まではないが私に任せてくれ。きっといいようにできる」
腹の底に力が満ちた。
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