せいくらべ・五






「あらぁ」

 紫の髪の美女が、虚空で艶然と笑う。

 見た目は二十歳ほどか。腰など折れそうに細いくせに、ナイトドレスの半ば露わになった胸元が内側からの圧に耐えかねて今にもこぼれそうだ。

 見せつけるように揺らし、流し目をくれた。

「お久しぶりぃ、騎士ドノ。壮健そうで何よりですわ?」

 語尾を甘く緩めた口調は凄艶とともにどこか幼さを匂わせる。相反するはずの二つが男を狂わせるのだ。

 投影された映像であるが、まるでそこにいるとしか思えぬ存在感があった。

 徹が呼ばれたのはエリシエルの私室であるはずの質素な部屋だ。館そのものの豪奢こそあれ、私物と思しきものが何一つとしてない寂しい部屋だった。碌に使ってもいないのではなかろうか。

 そして今、部屋の三方に浮かぶ姿こそが会合の相手である。

「そちらこそ。ご機嫌麗しゅう、魔女殿」

「んふふふ、分かりますぅ?」

 エリシエルが静かに返せば、魔女派の主レヴィアは鈴を転がすような笑い声を上げた。

「一体どんなツラ下げて来るのかあたし物凄く楽しみにしてたんですよぉ」

 エリシエルは何も聞かなかったようにその言葉を流した。だから徹も何も言わなかった。

 ただ、これだけでも魔女の性格の悪さは知れた。

 そして二人の代わりのように、いや、レヴィアの嗤いはそちらに向けられたものでもあったのだろうことから、その向かいの映像が苦い声を出した。

「此度の会合、まさか嫌味を言うためだけに加わったのではなかろうな、貴様」

 エリシエルも男性的な喋り方をするが、それでも声音に潜むやわらかさを隠せてはいない。しかしこの声は鋭く直線的で、針が時を容赦なく刻む音を思わせた。

 一方で出で立ちもまた、完全に男装である。男物のスーツにネクタイを締め、鮮やかな翠の髪を後ろだけ無造作にくくってある。

 レヴィアよりも幾つか上と見える美貌は決して見劣るものではないが、怜悧なまなざしも引き結ばれたくちびるも中性的、ただ薄く刷いた紅だけが女を主張していた。それが逆に奇妙な色香となっている。

「性悪のお守りをしてやれるほど暇ではないのだがな」

「あら、いい音色。負け犬の遠吠えが心地いいですわぁ? ま、うちの子たちは有能ですし? この違いは致し方ありませんわねぇ」

 挑発に次ぐ挑発。魔女派が他の五派のいずれにも友好的とは言いがたいことは徹も承知していたが、率いるレヴィアからこの調子なのでは、なるほど、うまくゆくはずもないだろう。

 そして魔女派と最も仲が悪いとされるのが財団派であり、それを統括するのが男装の麗人オーチェ=ミンストレルである。

「そう気楽でいて構わんのか? そちらは<銃林弾雨ガンスミス>に何人かやられたそうだが」

「聞くところによると<闘争牙城>砲撃系最強、ですわねぇ」

 レヴィアはゆるゆると頭を振ると、悲しげな作られた声で溜息をついた。

「虚空から突き出す数多の銃口。黒色火薬銃あり、対物ライフルあり、粗悪な拳銃も名突撃銃もぞろぞろ揃って合計百以上。それはもちろん本物ではなく、<銃林弾雨ガンスミス>の創造した偽物。けれど威力は本物以上かつバラバラ。分間、万の弾丸をばら撒き、とどめはミサイルも真っ青の種子島。なんとも外連味あふれる<魔人>ですわぁ」

 謡うような口調で語られるそれは、徹も聞いたことはある内容だった。<王者チャンプ>の力の程を思えば、彼もまた自分が思い込んでいたよりも遥かに尋常ならざる相手なのだろうと推測はできた。

 しかしそこでレヴィアは、にぃ、と嗤ったのだ。

「ああ、いけない。そう、なんとも外連味あふれる<魔人>でした、わぁ? 昨夜うちのサラが消滅させてくれましたけど」

「……<お人形マリオネット>か。随分いいように使っているようだな」

 吐き捨てるように、オーチェ。

 神官派に処刑人あれば魔女派には殺戮人形あり。そう恐れられているのが御堂沙羅である。手には<塔>の名を持つ砲を持ち、凍てついた表情でレヴィアの言うがままに敵対者を抹殺してゆく少女だ。

「駒を操るのは楽しいか、レヴィア?」

「駒だなんて酷い言い方。あたしは皆を愛してますよぉ? 魔女派ファミリーは喧嘩もするけど仲良しなんですぅ」

 レヴィアはあくまでも嘲笑を崩さない。ゆったりと椅子に腰掛けたまま、くちびるを右手の小指でなぞる。

 その仕種の意味は徹には分からなかったが、きっと挑発の一つなのだろうとは思えた。

 だがなぜだろうか。本当に不思議なことに、あまり敵意が湧いてこない。直接悪意をこちらへ向けているわけではないということもあるだろうが、この人を食った言動の中に徹はカリスマ性とでも呼ぶべきものを感じていた。

 それはオーチェに対しても同じことだった。レヴィアを睨む鋭い眼差しに気品がある。会話の流れからは押されているはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない強さがある。

 エリシエルの持つ、人を惹きつける空気をそれぞれ姿を変えながら有しているのだ。

 そして。

「お二人とも、そこまでにしてください」

 困ったように、それでもふんわりと言ったのは正面の映像の中の姿だった。

 神官派を統括するステイシアは目に痛いほどに白いワンピースにほっそりとした肢体を包み、後ろに黒い影を従えて姿勢良くソファに座っている。

 その瞳がこちらを向いた。

 微笑んだ。

「兼任徹さんですね。初めまして、ハシュメールの<神官>を務めます、ステイシアです。今日はご報告を下さるとか。どうかよろしくお願いいたします」

 徹は少しの間、言葉を失った。何のことはないありふれた挨拶に心がゆらめく。社交辞令的なものに過ぎないと、理性では理解できるのに。

 華奢で儚げな容姿、澄んだ声。清流の畔にひっそりと咲く白い花を見つけてしまったような心持ちが消せない。

「……いや、こちらこそよろしく……お願いします」

 よろしく、で止めかけて、エリシエルと同じかそれ以上の地位であるのならばまずいかと思い直す。

 不自然な返しになってしまったものの、ステイシアはただ微笑みを人懐こいものにしただけだった。

 それとともに、触れてはならぬ危うい存在から可憐で愛らしい少女へと印象が変わった。

 どうしようもなく湧き出してくるのは、守ってやらなければという思いだ。それを宥めるのにまたしばしの時を要した。

 断ち切るために、もう一つの姿へと視線を移す。

 移して、後悔した。

「……後ろはもしかして」

 ソファの後ろの影。見た目は自分と同い年あたりと思われる長身の青年だ。ロングコート姿とまるでやる気の見えない顔で、石像のように突っ立っている。

 写真を見たことすらなかったが、特徴から推測は容易だった。額と背にぶわりと脂汗が浮くのが分かった。

「……<呑み込むものリヴァイアサン>」

 処刑人の数ある冷酷な噂を思い返しながら呼んだあだ名は、硬い声になった。

 嫌悪はある。しかしそれ以上に身体が冷たい。続く言葉が出なかった。

「名和雅年さんです。何か意見を頂けたらと思ってお呼びしました」

 救いはステイシアの声だった。やわらかなままに紹介する、鈴を転がすような声が徹に温もりを戻してくれた。

 小さく頭を振る。悪名高い処刑人といえど、言うなれば同格の存在に過ぎないのだ。気後れする必要などない。

 自分にそう言い聞かせ、ちらりと確認すればエリシエルにもオーチェにも動揺は見られない。レヴィアが妙に楽しげではあったが。

 自分が来ることをステイシアが把握していたように処刑人が参加することも伝えられていたのだろうと程なくして結論づけ、徹は思考を切り替えた。

 大事なのは騎士派の置かれている状況を可能な限り早く打破することだ。使えるのならば毒でも使えばいい。

 徹のその思いを知ってか知らずか、ステイシアがそっと促した。

「それでは早速聞かせてください。<闘争牙城>王者がどれほどのものであるのか」

「ええ」

 徹は頷き、頭の中でまとめておいた解説を始める。

 自分が出るまでの経緯。戦いの様子。凌駕解放オーバードライブに対する敵の挙動。一輝に語った推測も何もかもを語った。

 こういった説明に慣れているわけでもない。自分でも不恰好だとは思ったが、誰も笑いはしなかった。途中で爪の手入れを始めたレヴィアのことはこの際気にしないでいいだろう。聞かせる相手はステイシアである。

「なるほど。ありがとうございました」

 思案げな顔で聞き入っていたステイシアは、徹が口を閉じると労いとともにまた一度微笑み、それから小さく眉根を寄せた。

「思っていたよりも遥かに厄介ですね」

「その分ではそちらでもまだ情報をまったく得られていないのか。それほど期待をしていたわけではなかったが」

 同じく眉を曇らせ、エリシエル。

 ステイシアは首肯を返す。

「元々<闘争牙城>の外で何かをしたという話を聞いたこともありませんからね。ノートにも記されていないままです。少々、不思議な方ではあります」

 そこへレヴィアが割って入って来た。

「ねえねえ? えっとぉ……お前、そうお前。なんて言いましたっけぇ?」

「……兼任徹ですが」

 この投影された映像がどのような機序ではたらいているのかはよく分からないが、ともあれ享楽優先と口ほどにものを言う彼女の視線の向く先が自分であることを覚り、徹は名乗る。

 覚えてくれていないことには腹は立たない。興味のない相手には極力労力を割かない、いかにもそのような人柄であろうと既にもう見切っていた。

 しかしだからといって無視するわけにもいかない。何か有用な示唆をしてくれぬとも限らないのだ。

 そして淡い期待は、やはり見事に裏切られる。

「<王者チャンプ>っていい男ぉ?」

「……精悍ではありましたね。勝気というか、自信に満ち溢れています。好みかどうかは知りませんが」

「この馬鹿の戯言たわごとなど無視して構わない」

 正直に答えてみれば、今度はオーチェが鼻を鳴らした。ぎろりとレヴィアを一度睨んでから、こちらへと向き直る。

 瞳の色もまた、エメラルドのような翠だった。厳しい、けれど冷たくはない、レヴィアとやりあう姿が思わせるより深みあるまなざしだ。

「覚えがある。砲撃方筆頭マスターボウだったな。しかし悪いが私にアドバイスできることはないだろう。強き者には更なる強さをもってあたる、が我が方針だ。敵の上限を超えてゆけとしか言いようがない」

「エリスといいオーチェといい、脳筋で困りますわねぇ。だから追い込まれるのよ」

 やれやれとわざとらしく、レヴィアが頭を振ってみせる。

 それから、今度は逆の方向に流し目をやった。

「雅年さんはどう思いますぅ? 攻略法、あります?」

 先ほど徹に話しかけてきたときはお前呼ばわりだったのが、こちらはささやかながら敬称までついている。

 しかし当の本人はレヴィアを一顧だにせず、相も変わらず気力に乏しい表情で五つ数えるだけ沈黙を続けてから口を開いた。

 言葉を向ける相手は徹だ。

「今の話からしか判断できないが。まず、上限があり、それほど高くはないということには同意する。<魔人>の限界を超える方法は現在一種類しか確認されていない。その上で当てはまらない」

 おかしな一言が混じっていたが追求は間に合わなかった。

「しかし君の期待している弱点はおそらく存在しない」

「それは妙だろう。あれだけの規格外の異能、相応の条件限定か対価がなければ成り立つとは思えない」

 徹は今度こそ間髪入れず反駁した。

 胸に奇妙な棘がある。呼ばれ方が自分と違うことを妬んだのとは違う、えも言われぬ敵意が巣食っている。それはちょうど、<王者チャンプ>に対する気持ちに近い。

 この男はむしろ<竪琴ライラ>の敵なのではないかと自分は疑っている、そう徹は自己分析した。

「だから弱点はある。それは一体何なのか。奴の力の上限はどこにあるのか。おかしな推測ではないはずだが?」

 正論を言っているはずだ。なのに処刑人は眉筋一つ動かさない。淡々と述べるのみだった。

「思うに前提が逆なんだ。彼は相手よりも一回り強い力を得られるわけじゃない」

「何を……」

「<ヒーロー>の亜種と考えればいい。ランクに対して大幅な能力強化が為される替わりに、相手より少し強い程度の力までしか発揮できないんだろう。そう解釈すれば、メリットとデメリット、力の上限が明確に示される」

 その説明を飲み込むのにはたっぷりと十秒を必要とした。

 あり得るのか、と自らに問い、あり得るとしか返って来なかった。

「なぜ、そう思う?」

「<魔人>は君が思っているより遥かに詰まらない存在だ。答えの側から見れば割と単純にできている。僕が今言ったのはあくまでも個人的な推測であって、正解かどうかは知らないが……<魔人>に限った話ではなく、事実は脇の茂みよりも道の上に落ちていることが多いと思う」

 飄然と告げる口調は嘲ることも勝ち誇ることもなく、徹を慮ることも当然のようにない。

「しかし相手を上回るという時点でそれはデメリットになるのか? 不利になどなっていないだろう?」

 徹は食い下がる。

 一回りとはいえ明確に上回っているのならば、楽には勝てないにしてもそうそう負けることなどあり得ない。それでは何も失っていない。そう考えたのだ。

 処刑人の表情はやはり変わらない。

「一戦だけで評価するならそうだろう。問題になるのは連戦だ。本来なら傷ひとつ負うことのないはずの相手にさえ苦戦する、それでは何戦保つんだろうね」

「む……」

 不意に思い当たった。<王者チャンプ>は数日に一度しか戦ってはいないはずだ。頻度としてはむしろ高いくらいなのだが、処刑人の言葉を裏打ちしているようにも思える。

 <闘争牙城>では事実上、自分が不利なときに望まぬ戦いを強いられることはない。強者の弱っているところを弱者が闇討ちするなど、主である<天睨>のイシュが許さないのだ。

「奴はうまく自分の弱点を守ってある、ということか」

「どうだろう」

 肯定はせず、処刑人は続けた。

「そしてもう一つの戦格クラスだが、<シャドウ>だろう。相手の表現型をコピーする異能がある。<魔人>の戦い方は千差万別だ。いくら身体能力や出力で上回っても、その全てを真似ることは極めて難しいだろうからね」

「ああ、そうか……そういうことか」

 正直に認めてしまえば、相手を上回るということに気をとられて同じ戦い方をすることへの注意を失っていた。正確には、前者と後者を一つのものとして扱ってしまっていたのだ。

 しかし二つの戦格クラスの異能を組み合わせて作り上げた欺瞞であるならば、すっと胃の腑に落ちてくる。それが処刑人のもたらしたものであることだけは不愉快ではあるが。

詐術ペテンか」

 徹のその言葉が部屋に響いたのを最後に、部屋を沈黙が覆った。

 エリシエルとオーチェは得心の顔、レヴィアは楽しげな笑顔を浮かべ、ステイシアは思案げにまなざしを伏せた。

 そして破ったのは処刑人だった。

「どうだろう」

 先ほどと同じ言葉。意味合いとしては徹に対する消極的な否定といって構うまい。この結論は処刑人自信の考察から導き出されたものだというのに。

「<王者チャンプ>は自分の能力をうまく組み合わせて<闘争牙城>の頂点に君臨している。しかしそれは敵を上回る力と複写の異能によってもたらされたもの。ただコピーしただけでは本家に敵わないところを、基本能力で上回ることで強引に突破する。それでいいんだろう?」

 そんな詐術ペテンにいいようにされていたのかと思うと腹立たしくて仕方がない。

「徹」

 短く、エリシエルが名を呼んだ。

「どうした、何をそう苛立っている?」

 美しい、いつもの真っ直ぐな表情だ。凛々しいがため分かりづらいが、いぶかしげであるとともに心配そうでもある。

「大丈夫です、姫。勝機が見えました。能力に驕るなら、そこに付け入る隙があります。そんなことに気づけなかった自分が不甲斐ない」

 守らなければならない。あのような男は排除しなければならない。それが自分に課せられた使命なのだから。

 答えが出たとあればぐずぐずしてはいられない。

「それでは私は失礼します。これから対策を……」

「少しお待ちください」

 逸る気持ち、動きかけた足を止めたのは鈴を鳴らすようなステイシアの声だった。儚い声だというのに、掴まれたかのように動けなくなっていた。

 静謐にまなざしは伏せたまま、今度は処刑人へと呼びかける。

「雅年さん、彼に驕りはあると思いますか?」

「おそらくないだろう」

 処刑人はそう答え、徹は歯噛みする。

 どうしてこの男はことごとく自分の不愉快を掻き立ててゆくのだろうか。

「根拠は何だ?」

 向けた声は自分の耳にも喧嘩腰にしか聞こえなかった。

 それでもやはり、処刑人は淡々と告げるのだ。

「彼が<闘争牙城>の王者として認められているからだ」

「理由になっているようには思えないな。相手を上回る力も複写も、言ってみれば借り物だ。奴自身はどこにある? それなのに自分は強い、自分は王者だと宣言するような奴に驕りがないとは、私には考えられない」

 敵意がまた膨れ上がる。勘が、敵だと告げてならない。

 馴れ合うことはできる、妥協することもできる、けれど決して容れきってはならないと、自分の中の何かが絶叫しているのだ。

「<魔人>の力は元から借り物みたいなものだと思うが。それはともかくとして、彼の二つの能力はイシュにとっては非常に詰まらない代物だ。それだけで、あそこに入ることさえ許さないだろう。だが彼は王者となっている」

 処刑人の視線には温度がない。徹を見ているようで、何も見ていないようでもある。

「君は一つ忘れている。詰まらない能力を持ちながらイシュが王者として認めている。余程、彼の精神性が好みなんだろう。彼自身はそこにあるんだと思う」

 その視線ですら恐ろしい。あれが熱を帯びたとき、果たしてどうなってしまうのだろうか。

「自分の身に備わったと想定してみれば、彼の能力は不便だよ。相手に合わせて身体能力が変化するということは、譬えるなら戦いごとに片脚が動かなくなったり腕が上がらなくなったりするようなものだ。やりにくいだろうね。どれほど戦闘訓練を積んでいても、それを充分に活かせることはない。複写にしても、初見の相手に使えばどうなるか、予測しきれない。一回り強いくらいでは必勝は約束されない。あれだけ戦っているのなら、一分野で自分の上限を超える対戦相手もいただろう。そんなあらゆる恐怖を意思で捻じ伏せながら自分は王者だ、最強だと嘯く姿は彼女イシュの好みに実に沿う」

 沈黙していたときが嘘のように、処刑人は滔々と喋る。

 内容は、一応は頭に入ってきてはいるものの、徹はそれよりも己の中の敵意を宥めすかすのに手一杯だった。

 普段の自分でいられない。

 大きく息を吸う。こんなことでは駄目だ。流されてはならない。自己をしっかりと持ち、そして皆を守らなければならない。

「なるほど。私の考えが甘かったようだ。それではどうすればいいと思う、<呑み込むものリヴァイアサン>。正面から呑み込めとでも言うのか? それができれば私はここにいない」

「僕は君の話から自分なりの分析を述べただけだ。当たっているのかどうかすら保証はしかねる。君たちのことも知らなければ細かい対策は語りようもないが、ただ、倒すだけなら難しくはないだろう」

「ああそうだろうな。<闘争牙城>の外で闇討ちするなり連戦を申し込むなりどうとでもなる。だが、そんな真似ができるものか!」

 本当に<王者チャンプ>が己の言動を貫くならば、挑戦は全て受けるはずだ。それが息をつかせぬ連戦であろうとも、<闘争牙城>外での決闘だろうとも、受け入れるはずだ。

 だが人の口に戸は立てられない。どれほど慎重に隠蔽しようとしても、騎士派はなりふり構わず<王者チャンプ>を葬ったと騒ぎ立てられることだろう。

 それ以前に騎士派の皆の誇りが耐えられるかどうか。

 ならばどうするか。

 守らなければならない。この自分が。

 口を引き結んだその瞬間、そこでステイシアが静かに告げた。

「申し訳ありません」

 なぜそんな言葉から始まったのか、徹は戸惑った。閃きかけた怒りが行き場を失って燻る。

 そして絶句した。

「<王者チャンプ>は正面からの挑戦で真っ当に撃破するか、それが不可能であるのなら迂闊に手は出さないようにしてください」

「わお、神官サマってば残酷ぅ」

 レヴィアの入れた茶々も聞こえていなかった。

 一度失った言葉が一挙に溢れ出す。

「……このまま我々に苦汁を嘗め続けろと言うのか! 皆、屈辱に耐えているんだ。領域内の抑えも利かなくなりつつある。これ以上侮られることになどなれば外と内から崩壊するぞ!?」

 徹は一輝や聡司ほどは<空中庭園>から出ない。どちらかと言えば育成に力を注いでいる。

 だから皆の顔から精彩が失われてゆくのを間近に見ていた。

 筆頭騎士マスターナイトの不在も痛い。大きめの事件を単独で解決しに向かった後、次々と連鎖的に起こる騒動を収め続けて未だに帰って来られない。

 今、騎士派が耐えられているのはエリシエルがいるからだ。騎士姫在る限り、騎士たちの最後の支えはなくならない。

 それでも、支えがあってなお崩れる者は出るだろう。

 だから徹は今、怒らずにはいられなかった。

「ふざけるな! 我々は役目を果たすだけの蟻ではない。助言を請う立場ではあるが、譲れないものはある!」

 騎士派の主はエリシエルだ。これは出すぎた真似である。

 しかしエリシエルが制止することはなかった。

 そしてステイシアは徹の怒声を静かに受け止めた後、微笑んだのだ。本当に嬉しそうに笑ったのだ。

「ありがとうございます、徹さん」

 虚を突かれ、徹はまたも声を失った。

 ステイシアの表情に宥め諭すような色はない。ただ純粋だけがあった。

「それだけ騎士派の皆とエリシエルさんを守ろうと、必死になって下さっているんですね」

 だがそこで不意に眉を曇らせる。

「けれど徹さん、先ほどこっそりご自分が手を汚せばいいと考えたでしょう」

「……いや」

 否定は嘘だ。決めこそしなかったが頭の中でちらりと候補に上げはした。

 ステイシアはその嘘を咎めない。

「<竪琴ライラ>の大前提を、どうか忘れないで欲しいのです。私たちはあくまでも秩序の守り手、逆らうものを討ち滅ぼすのが目的ではありません」

「あらぁ、ひどい言い種」

「それはつまり……」

 まさに逆らうものを叩き潰す魔女派への批判ともとったのかレヴィアが頬を膨らませるが、そんなものにかかずらわってはいられなかった。

「<王者チャンプ>は倒すべき相手ではないと?」

 根本を覆す見解だ。

「それは奴が我々に与えた損害を知っての言葉でしょうか?」

 徹は先ほどまでのように激昂してはいない。それでも視線に乗せた力はかなりのものだ。

 ところがステイシアはやわらかに受け流してのけた。

「はい。逆にお聞きしますが、<王者チャンプ>は何か後ろ暗いことはしたでしょうか?」

「それなら」

 早速挙げようとして、止まる。

 分かっている範囲で<王者チャンプ>が行ったことといえば、招待状を送りつけてきたことと挑戦者を返り討ちにしたことくらいだ。考えるまでもなく後ろ暗くはない。

「自業自得、自縄自縛か。なるほどな」

 代わりに頷いたのはエリシエルだった。元々立派な男だと評価していたこともあってすんなりと受け入れたようだった。

「しかし<横笛フルート>に所属している時点で捨て置くわけにもいかないだろう」

 何の気ない台詞。積極的にか消極的にかは分かれるとしても肯定するしかない事実であるはずのもの。

 だというのに、ステイシアは囁くような声で自信なげに小首をかしげたのだ。

「先ほどの人物像予測を聞くまで私もそう思い込んでいたのですけれど。もし雅年さんの見解が正しいのであれば、彼は本当に<横笛フルート>に協力しているのでしょうか」

「どういう意味だ?」

「自らを強いと宣言し、有言実行しようとする<王者チャンプ>が誰かに従うでしょうか。彼の地位は<横笛フルート>の首魁である<奏者プレイヤー鏡俊介かがみしゅんすけよりもいっそ高いと言っていい。誰かに阿る必要はありません。それでは王者たりえませんから」

 言われてみればまさにその通りだろう。<闘争牙城>の参加者が何人いるかは知らないが、徹はあの地響きのような歓声を総身で感じている。あそこにいたような<魔人>ならば、天秤にかけたとき<横笛フルート>を裏切ってでも<王者チャンプ>につくだろう。

「人質とか、そぉいうのはありません?」

「困難を与えられたならなおさらです。立ち向かい、決して屈服はしないと考えられます」

 レヴィアの指摘にもさらりと返し、ステイシアの澄んだ声は徐々に確信を得始めていた。

「そもそも<横笛フルート>が取り込んだというのはどこからもたらされた情報だったのでしょうか。私はエリシエルさんから聞きましたけれど」

 今までと違った意味で空気が張り詰める。

 エリシエルも徹もオーチェも居ずまいを正した。レヴィアでさえ些か神妙な顔になり、変わらないのは気力に欠ける雅年だけである。

「私は……そうだな、いつの間にかそういうことになっていた覚えがある。当たり前のように語られていたから意識しなかった。徹は覚えているか?」

「あれは……」

 記憶を辿る。最初に聞いたのは目をかけていたあの少年だった。しかし彼自身も誰かから聞いたと言っていたような。

 ぞっとした。

「……おそらく、誰も彼もが又聞きです。してやられた?」

「そう思わせることこそが狙い、というのでなければ、うまく乗せられたのでしょうね。<王者チャンプ>のデータを私は持っていません。だから事実であるのか否か改めて裏を取らなければならなかったのに、意識の陥穽を突かれました」

 小さな溜息が不意に、巧まざる色香となって吐き出される。ステイシアは伏せた睫毛に憂いも濃く、今一度エリシエルと徹に向き直った。

「もちろん、まったくの無関係というわけでもないのでしょう。招待状を送りつけて来た時期が整い過ぎています。だから何かは知っているはず。まずはその情報を引き出して欲しいのです。あるいは本当に、何らかの理由で従っていることも絶対にありえないというわけではないでしょう。見極めなければなりません」

 黒の影を従え、白い姿が薄闇に淡く輝くよう。

 更に空気が変わった。息苦しいほどの静謐の中、<神官>が<騎士>に命を下す。

「<騎士>殿」

 ステイシアの表情が変わったわけではない。開かれぬ愁眉と、労わるような本当にかすかな微笑みの入り混じる。

 声も、変わらない。鈴音の如く、細くも凛と響く。

「は」

 そして跪くでこそないが、今まで言葉少なくも対等に接していたエリシエルが慇懃に視線を伏せ、言葉を待つ。

「よしなに、お願いいたします」

 指令はそれだけだった。具体的なものなど何もない。

 しかし<騎士>は承諾のいらえを返すのだ。

「御意に。そのように行いましょう、いと畏き肖りステイシア=エフェメラよ」
















「可哀そぉ」

 決定を先に伝えるためという名目でエリシエルが徹を退出させた後、レヴィアが薄い、嗜虐的な笑みを浮かべる。

「可哀想ですよぉ、彼。神官サマが雅年さん連れて来たりするから、あんなにうろたえちゃって。必死に押さえ込んでたのは可愛かったですけどねぇ」

「レヴィア……さすがに少し黙れ」

「せめて魔女派うちなら、救われはしなくとも気は楽だったでしょうに、よりによって騎士派エリスんとこですもんねぇ」

 エリシエルの制止も聞かず、そのまま続ける。

 けれども薄い愉悦の色は更に薄れ、すぐに消えていた。

 残ったのは、思わしげに濡れた瞳である。

「悪いことは申しませんわぁ、今からでもこちらへ寄越しなさい。あれだけの力があるなら最初は気性が合わなくてもやってはいけるでしょう。歓迎いたしますわ」

 勘違いしてはならない。まるで他者をからかい、不幸を喜ぶかのようなレヴィアであるが、彼女には彼女なりの愛し方がある。

 名前を覚えていなかっただけで、それ以外の徹のことは知っているのだ。かつて、今のように寄越せと言ったこともある。決して玩具を欲しがっているわけではなく。

「いかが、騎士ドノ?」

 だから、エリシエルも邪険にはしない。

「……楽にはなるだろう。だが堕落は当人が望むまいよ。しかし、もし逃げ出すことを選んだのならそのときはこちらから頼むことになるのかもしれんな」

「ふぅん……ま、いいですけどぉ」

 一度双眸を閉ざしてから、レヴィアはまたにんまりと笑ってあっさりと話題を変えた。

「それよりオーチェはどうするんですかぁ? 白旗揚げるとかどうです? そしたらあたしのお腹にくりてぃかるぅ」

「たとえそれでお前を殺せるとしても、やらんよ」

 オーチェは不機嫌そうに鼻を鳴らして一瞥、一転して乾いた声でステイシアへ報告する。

「今宵、日の変わる刻限に仕掛ける。<剣王>ソードマスターを刃とし、手練れ五名で逃亡を防ぐ」

「そうですか、つまり」

 ステイシアは意図を読み取り、頷いた。

 仕掛けるだけならば直接顔を見せる必要はない。

「失敗したとき、終わらせればよいのですね。すぐにとは参りませんが……二週間で準備は整えましょう」

「痛み入る」

 そう小さく頭を下げるオーチェは能面のような表情を崩さない。

 だが視線だけがステイシアの後ろに向かう。

 相も変わらず気力に乏しく、どこを見ているかも定かではないが、聞いてはいるはずだ。

 半月後、救えたはずの命までもその拳が叩き潰すようなことになるのか否か、分かるまでに朝日を待つ必要はないだろう。





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