せいくらべ・二






 天空の巨大庭園。

 白い雲の切れ端、その只中に浮かぶ緑の領域だ。

 円形。直径は2キロメートルにも及び、傍目には美しい公園と映る。

 いや、美しい公園であること自体に間違いはない。噴水もある、遊歩道もある、芝生は綺麗に刈り整えられ、豊かな葉をつける木々は木漏れ日とともに涼を与える。

 建物もある。少し古めかしい、欧州風の家屋だ。南中の太陽に正対した一つの巨大な屋敷に傅くかのように、ずらりと立ち並んでいる。

 人の姿もある。ほとんどが十代後半と思しき青少年だ。いずれも引き締まった表情をして、あるいは歩みながら言葉を交わし、あるいは剣を交えている。

 外壁はこれも欧州の古城めいた石造り。人に十倍する跳躍力を持つものであれば一足で上に立つことも可能だろう。

 しかしそこから外を見下ろせば恐怖に囚われずにはいられまい。

 まばらに散る雲が見える。

 それ以外には何もない。下には青から黒に移り行く奈落が開けているだけなのだ。

 此処は地球とは言えない。中天の太陽も、太陽のように見えて太陽のように移動し、この空間に昼と夜をもたらすだけの装飾品に過ぎない。

 作り手は魔神<吟遊>のハシュメール。

 この領域こそは<竪琴ライラ>騎士派の本拠、<空中庭園>である。






「無様だな」

 屋敷の一室、豪奢な装飾の施された窓から<空中庭園>の今を見下ろしながら徹は自責の声を上げた。

 さほど長身ではないもののがっしりとした体躯だ。人であったころと同じ体格にしてある。

 窓枠を掴む指に力が込められる。が、魔神の手による逸品は軋みもしない。

 ため息とともに会議室を振り返れば、徹が纏う以上に空気が重苦しい。窓に似合いの精緻さで描かれた壁の紋様が呪いのようにすら映った。

「済まん。奴はオレとやったとき、オレでも競り合える程度の砲撃戦能力しかなかったはず……だったんだが」

 部屋にいる他の二名の片割れ、疾駆方筆頭マスターダガー東山一輝ひがしやまかずきが小柄な身を更に縮めている。いつも切り裂くような鋭い口調をした少年が、今は力なく項垂れていた。

 そう、そのはずだった。彼を一回り強くした能力であるはずだった。それは、総合的に見れば徹のことも上回っていることを意味するが、分かっていればやりようがある程度だった。

 しかし徹が戦った<王者チャンプ>は、むしろ自分自身の一回り上であるように感じられた。前の仕合で見せていた縦横無尽の機動などまったく見せず、こちらと同じ戦い方で負かしてきた。

 相手に合わせることは分かっていた。身体能力や砲撃能力がその都度違って見えることも聞いていた。不可能ではない。要は手加減をすればいいだけだ。全ての分野に極めて高い実力を持ち、大きな力量差があれば為しえることだ。

「……奴は手加減なんかしてなかった」

「私にもそう見えたよ」

 一輝との仕合において<王者チャンプ>には、行動の選択は賢明に遠くとも行動の内容に手抜きはなかったはずだ。加減をすればやはり分かる。

 全力だったと思ったからこそ、その能力を元に徹は対策を立てたのだ。

「だが一筋縄ではいかなかった」

 最後の一人、白兵方筆頭マスタークラブの称号を拝する市中聡司いちなかさとしがぼそりと言う。

 ぼさぼさの前髪の奥の双眸は暗い。

「……噂は」

「まさか」

 最後まで言わせず、徹は否定する。

 否定してから、口先だけであることを自覚する。

「……まさか。本当にその、まさか……だというのか……?」

「財団派を抉った<魔人>も相当理不尽だそうだぜ。こっちのだって同等以上でおかしくない。してやられたな」

 聡司の言葉は、もはや<竪琴ライラ>すべてが知る事実だ。

 一月前のことである。

 財団派領域において何者かが大規模襲撃をかけてきた。そして連絡用拠点四つを制圧、一帯から<竪琴ライラ>を排除し、<帝国エンパイア>を打ち立てると宣言したのだ。その代表者は<夜魔リリス>と名乗った。

 何者か、とは言っても、その実体が<横笛フルート>であったのは間違いない。<闘争牙城>の実力者を何名か<横笛フルート>が抱え込んだという情報はその時点で既に入っていた。<夜魔リリス>はそのうちの一人だ。

 しかしそれだけでは終わらなかったのである。ほどなくして<帝国エンパイア>は<横笛フルート>に叛旗を翻した。

 以来、その地区では三つ巴の戦いが続いている。

 財団派にとっても<横笛フルート>にとっても、当初は<帝国エンパイア>などすぐに片付けられる存在であるはずだった。名前こそ大仰だが、自ら孤立無援となった彼女らは奇襲に成功しただけの弱小勢力に過ぎない。

 その考えを改める破目になったのは、元々その一帯を担当していた<竪琴ライラ>の<魔人>が敵として立ちふさがったときだ。

 <双剣ツインソード>と通称される相馬小五郎。財団派の中でも屈指の剛の者だ。消息不明となっていた彼が、仲間とともに<帝国エンパイア>の兵として現れた。

 理由は分からない。剣を使う者として財団派随一の地位を得られなかったことが鬱屈した思いを呼んだのか、または裏切るだけの報酬を示されたか、あるいは弱みでも握られたか。ともあれ、苦渋の色を浮かべながら、彼はかつての同胞にその双剣を振るった。

 それどころか、彼らに打ち倒されて連れて行かれた者たちも、その次には敵として刃を向けてきたのである。

 戦力を奪われてゆくことになると気づいたときにはもう、<帝国エンパイア>は自らの領域を守るのに充分な力を揃えてしまっていた。

 無論、総力を注ぎ込めば陥とすことはできるだろうが、決して衆目を集めるわけにはいかない以上は少数精鋭で臨むしかない。そして迂闊に仕掛ければ敵が増えるだけの結果に終わるのだ。

 今は<剣王ソードマスター>や、ここ一月で頭角を現してきた<三剣使いトライアド>が中心となって、<横笛フルート>と小競り合いを繰り広げながらも機を窺っている。

「……もう本当に、財団派を手助けするどころではないな」

 徹は右目を覆う。唇は苦々しく引き結ばれていた。

 <横笛フルート>と五分の状況にあると言われていても、その実騎士派には余裕がある。領域内の事件を捌きながらも常に予備要員は確保しており、いざというときには彼らを動員すればいいのだ。

 一時的に手を減らしてでも財団派の苦境を救うことは<竪琴ライラ>全体の益となる。<騎士姫>エリシエルと、徹たち幹部四名の意見は一致した。

 しかし結局動くことはできなかった。

 <帝国エンパイア>樹立宣言とほぼ時を同じくして、騎士派には招待状が送られてきた。

 <闘争牙城>の頂点である<王者チャンプ>より、我こそはと思う者あらば誰の挑戦でも受け入れる、と。臆病風に吹かれたならば皆して逃げるも自由、と。

 これが他の五派であったなら問題にもならなかっただろう。反応し、挑戦する誰かはいても、それはあくまでも個人に過ぎない。

 だが、此処は騎士派だったのだ。

「ケイの意見に従うべきだったんだろうか」

 騎士派はその名に従って騎士道を規範として結束している。

 正確には、過去に実在した本物ではなく現代日本人が騎士道であると思い込みがちな空想上の代物だ。

 だからこそ凄まじい。強きをくじき弱きを助け、常に正々堂々と障害を打ち崩してゆく。分かりやすく、どこまでも正しい正義が出来上がるのだ。

 ともすれば馬鹿にされがちだが、率先してその道を行く<騎士姫>の愚直な姿は斜に構えた少年たちの心を動かし、やがて一つにした。それが騎士派の強さの源となった。

 けれどもやはり弊害は生じるのだ。

 良くも悪くも人間である。気高くあれと己に課す心は、善き誇りとともに自尊心を過剰に肥えさせる。

 <王者チャンプ>の招待を、挑発であり侮辱であると受け取った者は多い。そして騎士たるもの己自身や大切なものへの侮辱を看過してはならないと考える。加えて、逃げたと見られれば非所属の<魔人>たちに侮られるのは必至だった。

 これを見過ごしては内外に示しがつかないと、あの日<空中庭園>は一つの言葉に震えた。

 徹たちはおろか、エリシエルも賛同した。財団派への援護はこちらを片付けてからでいい。ことによると半日で終わる。そんな風に間違えたのだ。

 あのときはまだ、ただ財団派が手痛い一撃を受けただけで今のような泥沼のような状態ではなかったため、さほど急がなくともいいと油断してしまったということもあった。

 当初は希望者が続出した。その中から、まず小手調べとして送り出したのは中堅の一人。

 彼が敗れ、それなりには強いが自分ほどではないと判断した者たちが次に手を挙げた。

 それも敗れ、少々見誤っていたかと思いつつもならば自分こそがと名乗り出た者が数名。

 あと少しで勝てるはずと錯覚しながら賭け事にのめりこんでしまうかのような流れが続き、前回は疾駆方筆頭マスターダガーが、そしてとうとう砲撃方筆頭マスターボウである徹まで敗北するに至ったのだ。

 見え透いた罠を踏み潰すつもりで、見事に引っかかってしまった。

「……わざわざ戦力を小出しにして貴重な時間を費やした。傍から見ればまったくの馬鹿だな、私たちは」

「もはや引くに引けんぞ。士気はほぼ底を這っている上、チンピラどもにも間違いなくなめられ始めている。奴ら、こそこそと隠れなくなった」

 試合の間に領域の様子を軽く見回りでもしていたのだろう。聡司が苦々しく告げる。

「なんとしてもあの<王者チャンプ>に勝たないと、碌でもない事態に陥るぞ」

「そうだな」

 『割れた窓理論』というものがある。

 窓が割れたまま放置されているような地域では犯罪が増える。秩序の根幹を成すのは抑止力だ。悪行を働けば制止されると思い知らせることで未然に防ぐのである。

 許されるのであればいっそ、今からでもなかったことにしてしまいたいくらいだ。徹はその言葉を心中に留める。騎士派最年長として、そこまでの泣き言は吐けない。

「次はお前が行く……というわけにも、もういかんか」

「あんたで勝てない以上、俺じゃあまず無理だな。奴はきっと、俺の一回り上として立ちはだかるんだろう」

「そうかもな」

 徹は苦々しく頷く。

 あの嘘くさい噂が本物であると仮定せざるをえない。

「<王者チャンプ>は対戦相手に合わせて、それを少し上回る力を得る。それで説明がついてしまう」

「……勝てるわけないだろ、そんなの! どうしろってんだ……」

 一輝が吐き捨てるように言う。拳を叩きつけられたテーブルが大きく鳴った。

 気持ちは三人とも同じだった。

 でたらめな異能だ。ありえるはずがないと判断するのが妥当だろう。

 しかし、そうだとしか考えようがなくなっていた。そのくらいに<王者チャンプ>は理不尽だった。

 空気が棘のようだった。

 虚空を睨む聡司、床を見つめたまま顔を上げない一輝。

 やらなければならないことはある。しかし次への意見のひとつも出ることはない。仕方がないと自分で言いたくはないが、状況がほぼ詰んでいる以上はどうにもならないと思える。

 気迫と活力に溢れていた騎士派の幹部が、今はこのざまだ。

「……無様だな」

 口の中だけでもう一度呟いた、まさにそのときだった。

 壊れそうな勢いでドアが開け放たれた。

 光とともに風が吹き込んできたように思えた。

 反射的にそちらを向いた三人の視線を一身に受けるのは、二十歳過ぎと見える女だ。

 美しい。

 碧眼とは異なる、最上級のエメラルドの如き瞳。長く波打つ髪は艶やかな白金。白い、しかしいずれの人種ともつかぬ凛々しい面立ちは一分の狂いもなく整っている。

 背丈は徹をわずかに上回り、その身は軽く武装されている。まず纏うのは飾り気ない、白いワンピース状の防護服クロスアーマー。その上には艶のない鉄色の胸甲、籠手、脚甲、長靴。細い腰から広がるスカートは幾重にも重なり、それもまたある種の装甲であることを感じさせる。

 そして右腕には少年、左腕に巨漢を抱え、あるいは引きずり、騎士派の奉じる絶世の美女たる<騎士姫>エリシエル=ミンストレルは、への字口でドアを蹴り開けた姿勢のまま大きくため息をついたのである。

「仮にも幹部が揃いも揃ってこの世の終わりが来たような顔をするな」

 薄赤いくちびるを割って出たのは低めの、心臓まで染みとおる声。張り上げているわけでもないのに覇気に満ち溢れている。

 部屋に踏み込む一歩ごとに鬱滞した空気が蹴り飛ばされてゆく。張り詰め、引き締まり、そして曙光が差したかのようにぬくもりが満ちてゆくのだ。

「行くぞお前たち、下を向いて愚痴を垂れている暇があるなら鍛錬だ!」

「……姫、両脇のは?」

 尋ねる徹の視線と、抱えられた二人の目とが合う。少年は最近目をかけている砲撃方ボウで、巨漢の方は徹よりも古株だ。

「死にそうな顔をしていたからな、鍛え直してやる。あと姫はやめろ」

「しかし姫、言いたいことは分かりますが……」

「やめろというのに」

「言いたいことは分かりますが、さすがに現在最優先ですべきなのは<王者チャンプ>への対策かと」

 エリシエルは実に真っ直ぐである。困った誰かがいたなら見捨てることなどできず、常に正面から突撃、罠があれば踏み潰し、勝てないなら鍛えればいいと言う。

 真っ直ぐ過ぎて困るのだ。猪突猛進ではどうにもならないことなどいくらでもあるというのに。

 だから誰かが手綱を握っておかなければならない。普段なら筆頭騎士マスターナイトがその役を担ってくれるのだが、不在にしている今は徹が務める必要がある。

 それでなお効率は悪い。要らぬ苦労を背負い込むのは毎度のことだ。

 しかし、である。

「頭など、身体が疲れ果てた後に使え。お前たちは無駄に怯えている。下らん堂々巡りをしているよりは剣を振れ。それであの男を倒せなかったとしても、自縄自縛で自滅するよりはましだ」

 エリシエルは惑わない。

 そして彼女を前にした者は自らの小賢しさを知るのだ。

「立派な男ではないか。あの男を倒すならば、より強く在り、死闘の果てに成し遂げねばならん」

 <騎士姫>は、あるいは騎士たちを戦の館ヴァルハラに送る戦乙女ワルキューレ、死神であるのかもしれない。

 だからこそ魅せられる。賢しらに生きるよりも誇りと信念のために死ね、と言わんばかりの彼女は少年たちには眩しく、憧れてしまう。

 彼女が間違おうと誰も恨みはしない。転げ落ちた底から問答無用で駆け上がってゆく背を追いかけるのみである。

 少なくとも、騎士派に在籍している者はそうだ。着いてゆけないならば、神官派に移籍している。

「それは……そうかもしれませんね」

 徹は一輝と聡司に目配せを送る。

 二人も既に表情へ精彩を取り戻していた。

 まずは聡司が、ぱんと自らの左掌に右拳を叩きつける。

「よし、今日こそ決着をつけましょうよ、姫」

「ふん……では今日こそ叩きのめしてやろう。あと姫は」

「もう無理だ。諦めは肝心だな、姫」

 そして一輝がくっくと、笑みを混じえながらもいつもの鋭い語調で言葉をかぶせる。

 これだ、と徹は思わずにいられなかった。本当に自分たちはどうして、こんなにもあっさりと乗せられてしまうのだろうか。

 無論、望ましいには違いないのだが、怖ろしくもある。

 それは恐怖ではなく、畏怖だ。

 究極的にはきっと、彼女さえいれば騎士派は大丈夫なのだろう。

「どうした徹、お前も来い」

 両脇に二人を抱え、後ろに二人を従え、部屋から足を踏み出したエリシエルがこちらを振り返る。

「了解です」

 徹は素直に頷いた。

 信じるもの三つのうちの一つ。だからこそ<凌駕解放オーバードライブ>の言葉は彼女に捧げられている。

 温かな思いで後に続こうとしたところで、脇に抱えられた二人とまた目が合った。

 そろそろ助けて欲しいと訴える視線に思わず吹き出した。





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