幾星霜の思いがありて(「石飛堂)」完結)

 市場の中で最も広い広場の真ん中に炎を据え、舞っている者たちがいた。

 見物客の視線を受けつつ九人が、三人一組で踊る。客へとその影を伸ばしながら悠然と、広場という舞台を行き来する。たまに上がる歓声に表情も変えず、ただ黙々と彼らは舞い続けていた。

 ある組は各々の持つ武器をくるくると回し、ある組は魔法で空間を彩り、残りは青々と茂る枝を手に軌跡を描く。ドンドン。カラカラ。どこからか鳴る軽快とは言い難い音楽に合わせた舞は、荒々しく伸びあがる炎によって、照らされ続けていた。

 クライマックスが過ぎ、音楽とともに舞が終われば、湧き上がる拍手喝采が彼らを包み込む。だが踊り手は感傷にひたる間もなく大衆に向け一礼して、そそくさと唯一の通路へとはけていく。

 しんと静まり返った大衆の耳に、パチ、パチ、パキ、と弾ける音だけが届く。オープニングの熱も冷めやらぬうちに新たに現れたのは兜を被る立脚類の二人。騎士の鎧と、模擬戦用のなまくらを身に着けた竜と人間の青年だ。

 心なしか激しくなった炎を背景に、適度な距離をとり向かい合う。そして、合図もなしに模擬戦が始まった。


 広場の真ん中で始まった戦いを、近くの家屋の中から見守る影があった。刃が竜の騎士の鎧を掠めるたびに、山飛竜である彼女の尻尾がぴくりと跳ね上がっては、そろそろと床に着地する。

「そんなに心配なら、止めれば良かったんじゃないですか」

 ぴりぴりと緊張しているように見える彼女の背中に声をかけたのは、たった今部屋に入ってきたインスである。滝のように流れる汗を手ぬぐいで拭きながら、ひたひたと肌気姿で窓辺の彼女に近づいた。

 ちらりと背後を確認したシェーシャは、彼であること知るとすぐに視線を戻す。

「やっぱり、慣れないな。ああやってギルが戦ってるの」

 そうですかね、と隣に並んだ彼も二人の演目を観戦する。

 人が踏み込んでは竜が絶妙な距離でかわす。そこに生まれた竜のわずかな隙を衝けば、剣が割り込みカンッと弾く。戦意がないのか、と思わせたところで竜は一歩、二歩と最小限の動きで相手の死角へ移動し、斬る。だがお見通しだと言わんばかりに籠手で防御した挑戦者はなお踏み込んでいく。

「どう見ても、兄さんの方が追い詰められてると思いますけれど……」

 この距離から観察しても、繊細さに欠けている人間側の消耗が多いのは明らかだ。

「救護班も待機させていますので、怪我の心配は不要でしょう」

 肩を小さくすくめた彼はちらりと彼女の表情を盗み見る。下の竜へとくぎ付けになっている視線。見逃すまいと限界まで開かれた目は乾こうとも瞬きもせず、翼を折りたたんで腰が引けている。だが逃げることもできずびくびくと小刻みに体が震えている。

 青年が口を開くが、一瞬ためらってから口にする。

「シェーシャさん、あの人が傭兵を辞めたのは、なぜなんですか? あんなに戦えるのに、稼げるかわからない宝石店なんてものをつづ……」

 青年のもっともな質問の途中で、イヤ、と甲高い悲鳴と共に巨体の目がかっと開かれ、あとずさるように同時に跳ねる。思わず一歩引いたインスも視線を戻してみると、人間の一太刀が竜の右肩の鎧めがけて命中したらしい光景が見て取れた。窓ごしに溢れる歓声を浴びようが、竜は止まることもなく反撃に転じる。すると隣の飛竜は、はあぁ、と深いため息をつきながら座り込んでしまう。

「ドラゴンの国の、戦争のこと、知ってる?」

 ぼそぼそと消え入りそうな言葉に、もちろん、とインスも床に座り込んだ。後ろに手をついて、じっと兄の防戦を眺める。逆鱗に触れたのか、ギルは先ほどと打って変わって手を緩めることなく攻めていく。

「荒れ地と草原の間の方向にあるという、ドラゴンの治める国。竜の傭兵がドラゴンの王相手に武器を取り、国王の代替わりを成功させた大戦争、ですか」

 炎の後ろに回ってしまった二人は、特等席からは見えなくなってしまった。

「ギルの、肩にね、傷跡があるの。どうして、生きているのか、わからないくらいの……」

 それで、と続けようとしたシェーシャは息を詰まらせる。大きく咳き込みながらうなだれ、目を見開き、空気を求めて牙を剥く。震えが大きくなり、喘ぐ。ヒュウヒュウと笛のような音が口から漏れ始めた。

 突然の出来事に、インスは立ち上がり、声を張り上げ救護班を呼ぶ。そして素早く近づき彼女の背に手を当ててなでてやる。落ち着いてください、と穏やかに声をかけてやる。

「大丈夫、ここは戦場ではありません。大丈夫、ギルさんは、生きていますよ」

 ドタバタと、どうした、という声と共に近づいてくる足音が聞こえる。彼らがやってくる頃には、山飛竜は暗い部屋の中で、ゆっくりと崩れ落ちた。

 呼吸が落ち着いたことを確認したインスは、救護班に彼女のことを任せる。視界に入った広場では、一回、二回、三回、ギルがデイルを逃すまいと仕掛けている。迫りくる最後の一撃に、デイルは武器を取りこぼしバランスを崩して派手に倒れた。敗者にとどめを刺すしぐさをすると同時に、また大衆の歓声が沸き上がった。


 いい加減覚えろ、と唸るように助言しつつギルは相手を見下ろした。

「冷静になれ。戦いに熱くなるな。消耗したら相手に攻め落とされるだけだ」

 喉元に突き付けられたなまくらと、兜からのぞく眼光を見比べ、デイルはパタンと力なく仰向けに倒れた。

「あー、分かっちゃ、いるんだけどなぁ」

 星の光に成り代わる遺産に照らされた景色を眺めてから、なまくらが収められたことを認めると勢いをつけて立ち上がる。地に足をつけてから面を露わにした彼は観客に向けて一礼する。ああ、と気が付いたらしいギルも、同様にして一礼した。

 こちらもまた、大盛り上がり。頭を上げた二人は跡を濁すことなく素早く撤退する。

 すれ違う次の組とすれ違いながら、控室として借り上げている住居へと戻ると、先の演目で槍を握っていたインスが二人を出迎えた。ギルが半ば押し付けるように不要となった兜と得物を渡すと、彼は受け取りつつ口を開く。

「先ほどシェーシャさんが気分を悪くされて、上で休まれています」

 そうか、とそっけない返事だが、心なしか装備を外す手のスピードが上がる。鎧を乱暴に脱ぎ捨て、普段着のしわを伸ばすこともなく身に着ける。

「迷惑かけたな、インス」

 口早に言い残し、あっという間に姿を消す土竜。バタバタバタと二階へとやかましく上がっていく騒音の中、取り残されたインスはのろのろと着替えている兄にすたすたと近づき、腰付近に向かって蹴りを入れる。ガンッと膝を机にぶつけ前につんのめったデイルはどうにか耐え、なんだよ、と勢いよく振り返る。

「兄さんがあの人ほど強ければなぁ、とか言ったら。怒りますか?」

 素っ頓狂な声を上げて目を丸くする彼はお返しと言わんばかりに、拳を弟の頭の上に置いた。


 息をつく間もなく行われている次の模擬戦を眼下に眺めながら、ギルは床に座り込んでいた。スゥスゥと寝息を立て丸まっている山飛竜の片翼に手を添えている。

 目の前の大窓から入ってくるわずかな明かりだけで、広い室内がぼんやりと照らされている。互いの姿が見えたかと思えば、すぐに隠れてしまうくらいの濃い暗闇に、二人だけがいる。彼がここへと息を巻いてやってきたとき、残っていた医療班の一人に、容態は落ち着いていることを伝えられた。二人きりにしてくれ、と彼の願いは聞き届けられ、今に至る。

 ここ最近彼は、二度と引き受けないと決めていた騎士の模擬戦に指導者としてたびたび参加している。というのもテロでの一悶着時、デイルに条件をもちかけたのだ。彼女のことを、騎士として守り抜いたのならば、また手伝ってやる、と。

 住居兼店舗にて戦乱の気配に怯えていた彼女に、最終的に何も起こることはなかった。そして約束通り、訓練に参加していたある日のこと、彼とデイルが今回の演目をするよう、竜の王が指名したのだった。しぶしぶ承諾したギルは、この後に彼女と祭を回ろうと約束しており、開催当日の今日に至る。

 そして、仕事を終え二人きりとなっても、眠ってしまった山飛竜を起こそうともせず、土竜はただ広場に視線を注いでいた。

 ふと、観衆の一点に目が留まる。人間の親子。裕福そうには見えないが、子は夢中で炎を見つめ、抱きかかえている母は笑みを浮かべながら人込みに埋もれている。前が見えていないのだろうが、そんなことお構いなしに、嬉しそうに我が子を持ち上げる。

 ギルの手からも、裕福な商人からも逃れた一つの家族が、不思議と温かい笑みを浮かべている。

「さっさと、邪魔者のいないトコに逃げときゃいいのにな」

 二つ目の決着に湧いたところで、ギルは視線を逸らす。静かに眠る彼女の顎にそろそろと指を伸ばし、つるつるとした鱗を撫でてやる。鱗同士が触れ合い、何度も、何度も甘やかすような手つきは、じとりと恨めしそうに見上げる視線を受けても止まらない。

「大丈夫か、シェーシャ?」

 おかしそうに尋ねる彼からゆっくりと、逃れるように体を起こすと彼女は短く肯定する。床に脚を寝かせくつろぐ姿勢をとって、改めて彼の手に甘える。無償かつ無言の答えに、グルグルと喉を鳴らす。緑の尻尾が揺れて、もう一方に寄り添う。

 クルグル、ゴロゴロ。何を言うでもなく、シェーシャの求めに答えるギル。三つ目の模擬戦が終わるころには、彼の胡坐の上で、後頭部を鱗に沿って撫でてもらう体勢となった。

「ねぇ、ギル」

 歓声にかき消されそうなほどの問いかけに、彼は短く答えた。

「どうして、リジールは帰ってこないの?」

 外に向けていた視線を、見上げてくる彼女へ移し、口をにやりと歪めて見せる。さみしいのか、と眉間に指を伸ばし、くすぐる。

「そうじゃ、ないけれど……じゃあ、ギルは、いてほしかったの?」

 くりくりとした眼差しが上を向く。静かな瞳が応えるようにうつむく。

「いや……別に」

 迷うことのない答えに、ぐいと長い首が持ち上げられる。思わず手を離した彼は、距離を詰めてくる双眸を静かに見返した。

「俺の勝手で宝石のこと教えてたんだ。あいつが親と一緒にいたいって言うんなら、止める理由なんて、ないだろ」

 鼻先が軽くぶつかる。

「まだ、何か隠してる、でしょ」

 互いの牙が、よく見える。

「なんも、ねえよ。気まぐれと、偶然が重なっただけだ」

 見透かそうとする目は角度を変えつつ、彼を見つめる。詰め寄る彼女から逃れるように、短い尻尾がそろそろと移動する。なおも止めない圧迫に、彼も負けじと見返す。

 また、外から爆発のような音が響いた。驚きに目を丸くする二人が広場に視線をやるが、新たに現れた演者が火花を散らす道具を持っていた。じっと凝視するシェーシャに、大丈夫だ、と声をかけつつ首筋に手がそえられる。

「はぁ、もういいっ! 遊びに行こ。おいしいもの、食べよ!」

 ため息をつきながら彼女が勢いよく立ち上がると尻尾で彼の背をぐいと押す。短く応じた彼も立ち上がり、演者の控室を後にする。途中、騎士の兄弟に声をかけられたが、仕事は終わりだ、と短く一蹴して祭へと繰り出した。


 裏口から抜け出した竜のカップルは人通りの少ない道に並ぶ屋台を物色した。ありふれたものから、高級そうなもの。他の国から持ち込まれたのだろうアクセサリから、置物まで。

 シェーシャは目についた適当な肉類を購入してもらったかと思えば、あっという間に飲み込み、買ってもらった可愛らしい模様の描かれた小瓶を首に下げ、ギルよりも半歩先を足取り軽く進む。ギルはというと、持ち運べる軽食を口にしつつ、安売りしている指輪やネックレスをちらちらと眺めながら彼女の後を追う。

 行きかう者たちなど気にすることもなく、二人は人目をはばからず振舞った。欲しいものを選び、欲しがる。不要だろうと、いずれ捨てることになるだろうと、そんなことは考えない。今に、酔う。

 やがて熱も冷めたのか、そろそろ帰ろう、という彼女の提案をギルは断った。はてなと首を傾げた飛竜だったが、少し休もう、と続ける彼に、そうだね、と深い笑み。同じ表情を浮かべた土竜が先に出て彼女をエスコートした先は、広い公園である。

 だだっぴろい空間には誰もいない。他にもカップルの一組や二組がいそうなものだが、遺産に照らされているだけの、ただ寂しい空き地だ。

 入口脇に、服が汚れることなど躊躇わずギルは座り込む。シェーシャは自分用に空けられた隣のスペースにそっと伏せた。二人の体が密着する。

 祭の喧騒を遠くに、いつもの夜が流れている。遠慮がちに体温を奪われ、息を吸い込めばほんのり煙くさい湿った空気が肉体の内側を満たす。遮るもののない夜空には薄い雲がゆっくりと流れており、元気のない星たちが輝いている。

 乾いた風が吹いて、ぶるりと震えたシェーシャの体がギルとより密着する。ぴくりと反応したギルは唇を舐め、口を開いた。

「シェーシャ。さっき言ったこと、まだ疑ってるか?」

 何のこと、と首をもたげる。

「……隠し事の話だ」

 ああ、と軽い反応を示す。飛竜は顔を合わせることを拒絶するようにぷいと再び夜空を見上げる。

「どうせ、教えてくれないんでしょ? ずるいよ。私には教えてくれっていうクセに、ギルは、何にも教えてくれない」

 山飛竜が尻尾を持ち上げ、土竜の肩をなでる。

「好きにしたらいい。もう何も聞かないし、何も言わないよ。だから、どこかに行かないで」

 土竜は星を見上げる彼女を見つめるだけだ。

「これくらいの、ワガママ、叶えてよ。お願いだから……」

 決して目線を合わせようとはしない彼女の首筋に、彼の指が触れる。

「……そう、だな。俺はわがままだ。お前が何を思っていても、傭兵として戦いに明け暮れて」

 するりと肩のあたりまで指が滑る。

「こっちに来たら、店のやりくり。ゆっくりとしたことなんて、なかったかもな」

 次は顎の下に触れ、軽くつかんだと思うとぐいと引き寄せる。虚を突かれ身を固くした彼女の視界に彼の真剣な眼差しが現れる。すなわち、射貫くような真剣な眼差しと、見つめあう形となった。

 彼は、ゆっくりと空気を吸い込む。

「……おまえとの、家族が欲しかった」

 一音一音、はっきりと。唐突な告白に、彼女はきょとんと眼を丸くする他なかった。

「……おまえと、幸せに暮らしたい。俺たちだけじゃなくて、子供が、そこにいるんだ」

 肩に置かれていた尻尾がすとんと滑り落ちて土ぼこりを上げる。

「嫌なら、そう言ってくれ。おまえの意見を、尊重する」

 淡々とした、力強い言葉。お互いの瞳に、自身が映る。止まっていた二人の時間を動かしたのは、くすりと零した彼女の笑み。

「それが、隠し事?」

 ああそうだ、といくらかの沈黙を置いた答えに、山飛竜はまた噴き出した。

「そんなっ、顔で言われたって、ははっ」

 それはもう愉快そうに笑った。彼の手から逃れ、宙を見上げ、体を揺らしながら悶える。当然、突然の反応に呆然とするギルは数回、背中と尻尾を蹴られ全身が揺れる。

 何度も空気を吸い込み、笑う。彼女が落ち着きを取り戻すまでに、そう時間はかからなかった。ふぅと一呼吸おいて、軽く俯いた。

「うん、私も、ギルと幸せになりたい」

 再び肺に空気を取り込む。

「……でも、欲しいかどうかは、ちょっと分からない、かな」

 しゅんと目尻を下げ、そうか、と土竜。そんな彼に緑の鱗に覆われた鼻先がゆっくりと近づく。軽く口内を見せ、触れ合う。だが止まらず、さらに、ぐいぐいと距離が詰められていく。

 とっさに首筋に手が伸び、ポンポンと叩かれたが、無駄なあがきに終わる。柔らかな光によって作り出された薄い影が重なり合い、動きを止めた。

 市場に祭のフィナーレを彩る明かりが、ゆらゆらと、規則正しく揺らめく。

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