星散る世界に歩む者(「巌の主」完結)

※拘束・拷問要素あり




 真っ暗な空間にギィと音が鳴り響く。わずかに遅れてパラパラという音の鳴る開かれた密室に、ぼんやりと光が差し込んだ。照らされるのは、玩具の転がる無機質な部屋である。生活の気配のない凍てついた空間には石でてきた台があり、ぴくりとも動かない膨らみのある布団が敷かれている。だが中に何があるのか、外からは判別不可能である。

 起きたか、と特徴的な訛りの問いかけが、部屋の外から覗き込む者から投げ込まれる。だが内側に答える者はいない。

「好きなときに、起きたらええよ。待っとるからな」

 穏やかな言葉が消え入ったことを確認した声の主は扉をゆっくりと閉じ、ザリ、ザリと変わった足音を立てながら部屋から遠ざかる。

 再び訪れた静寂では、時間だけが動いていた。


 荒地にそびえ立つ崖にぽっかりと穴が開いた。

 ただの岩壁だったはずのそこは泥のように溶け、地面に吸い込まれる。闇をたたえる内側より現れたのは、岩のようなゴツゴツとした鱗を持つ、すらりとした立脚類の竜。

 のんびりとした様子で外へと歩いていた。おそらく彼女だろう竜が外へと出ると、崖にあった穴がミシミシと音を立て、傷口を塞ぐかのように消えてしまう。

 だがテレアは振り向くことなどせず、満天の空の下を歩く。その視線の先にもまばゆいばかりの星が瞬いており、ともすれば宙に浮かんでいる感覚に酔いしれることができるだろう光景である。

 その星の世界の真ん中には、まるでそれらを食らわんと背を伸ばす、不気味に照らされている大樹がある。大地も天上も覆い隠さんとする世界の中心付近では今、祭がおこなわれている。

 復興にいそしむ人間と竜の王を尻目に、獣の王が提案したのだ。何を祝うのか、という人間の側近の問いに対して彼はこう答えたという。

 犠牲者の弔いと、ぼくたちが生きていけるように。

 情に訴えるような台詞に、ふざけているのか、と竜の王。復興を優先するべきだ、と人の王。しかしどう丸め込まれたかは知らされてはいないが、彼女が途中から賛成派にまわったらしい。いわく、外部の協力者へのお礼や、労働者の労いを執り行うことも必要でしょう、とのことだった。仲間二人の視線に竜の王は折れたらしい。

 市場を一望できる場所にあった岩に座り込んだテレアは、ぼんやりと眺め始めた。無機質な目はピクリとも動かず、その体の質感も相まって像のように見えなくもないだろう。

「あの子ぁ、元気かねぇ」

 ふと呟いた一言。石の欠片を頬からパラパラと落としながら、目が細められる。

 テロの際に現れた来客との一悶着の後、テレアは新しく体を形作り、気づかれぬよう親子の背中を見送った。追いかけることも、声をかけることもせず、去ったことを確認してダンジョン洞に取り残された負傷者の手当てを始めた。とはいっても、魔力をかき集めた部屋に放り込んだだけだ。

 その対象者は黒犬と、その付き添いであった竜と獣、そしてテラーの四人である。他の二人は特に目立った負傷もなく、テレアの言葉に従い市場へと帰還した。

 彼女がこうして市場を見下ろす今では、テラーだけが目を覚ましていない。

 たびたび強く吹く埃っぽい風が巻き上げる砂などものともせず、目を閉じて座り続ける。


 風の止んだ海の中で、元気かい、という気の強そうな女の声に、ぎこちなく目が開かれた。きょろきょろと声の主を探すまでもなく、闇に紛れて正面からやってくる存在を認めた。

「またぁ、喧嘩しよっちゅうんじゃ、ないよな?」

 明らかに不愉快をにじませる表情を浮かべたドラゴンに、違うよ、と近づいた黒い獣は即答する。

「祭なんてガラじゃ、ないからね。若いのに任せて逃げてきたんだ」

 岩の隣に寝そべったヴィークは、星の海を見つめながら前足に顎を置く。

「ところで、ドラゴンってのは、死なないのかい? あの娘っ子にはうちにあったのを、適当なのを渡しただけだったんだけど」

 悪かったね。そう付け加えた黒犬は体勢をそのままにテレアを見上げる。そうらしいなぁ、という生返事。左手を首に這わせつつも、相も変わらず遠くを望んでいるらしい眼差しは何も映っていないようだ。

「にしても、相手があたしでよかったなぁ。もし王様とか騎士団長やったら、間違いなく監獄送りやったやろ」

 無表情のテレアの指がガリガリとその身をひっかいた。だろうね、と黒く長い尻尾がふわりと揺れる。視線を市場の方へと戻してみると、点々とした灯りが規則正しく波打ち、揺れていた。宴が今、どういったことが行われているかは知る術はない。

 砂塵を舞いあげる風が吹いた。ヴィークはとっさに目を閉じ、わずかにうつむいて息を止める。ドラゴンは瞬きすらせず霞む世界をただ眺め続ける。

 やがて風が凪ごうとも、やりとりは途絶えたままとなる。いくらかして、沈黙に耐えかねたらしい獣が立ち上がり、ひらりと岩に飛び乗る。

「ああ、さっきの話なんだけどさ」

 鋭い双眸で覗き込む彼女の方へ、全く揺れない目がカクンと向いた。わずかに毛皮を逆立てた獣は頭をひとつ振って、腰を下ろす。生きているように言葉を発するそれはやはり、無機質な不気味さを帯びている。

「お詫びと言っちゃなんだけど、アートナたちのこと、分かっただけでも教えてあげようかい?」

 視線を軽く逸らしながらの提案に、別にええわ、と即答するドラゴン。あまりにも素っ気ない答えに、きょとんとする。まさしく言葉を失ったのか、再び訪れた沈黙に毛皮の尻尾がふわふわと落ち着きなさそうに揺れる。

「あっはは、気ぃ強そうに見えて、そうでもないんやなぁ。そんなもんを欲しがると思うてるんかいな」

 吹き出し、続けて愉快そうに口にしたテレアの一方で、視線を泳がせるヴィーク。

「あの子は、リーア、なんやろ」

 力強く、無理に浮かべたような笑み。

「自分から、あっちで、生きるて選んだんや。それに干渉しようと思うんは、こっちも、ワガママがすぎるやろ」

 尻すぼみになりながら、さらに口端が吊り上がる。テレアの尻尾がヴィークの目の前に移動する。

「あとは、テラーが起きれば、元通りになるだけや。もともと、そうやったんやから」

 視線を合わせようとしないドラゴンを睨みつけながら、いいんだね、と獣は低く口にする。

「アートナのやつ、市場を出るって話さ。丁寧に馬車のチケットを二枚、知り合いの店で買ったんだ」

 彼女は目頭ひとつも、ぴくりとも動かさない。語る獣を視界の隅に認めながら、ただ聞いている。

「今頃、荷造りでもしてるんだろうね。無一文のあいつらが何を持っていくつものなのかはわからないけど、いいのかい?」

 何がぁ、とおかしそうに、とぼけるように。

「あんたにとっては、長すぎる時間の暇つぶしかもしれない。けれどね、リーアにとっては、あんたはもう一人の親同然なんだろ?」

 そうかもしれへんな、と目元がほころぶ。

「二度と、会えなくたって、いいんだね?」

 鋭い視線に負けてか、ふと視線を星の海に戻して、ドラゴンは目を閉じた。大きく息を吸い込んで、ふぅぅ。長く、長く息を吐く。

「……ドラゴンってのは、そんな薄情なのかい。さみしいやつらだね」

 愛想が尽きた。そう言わんばかりに腰を上げたヴィークは岩から降りて市場の方へと歩き出す。もう会うこともないだろうさ、と言い残しふわりふわりと規則正しく尻尾を揺らす足取りは、どこか重そうである。

 とてとてとてとて。裏の主は荒地から離れていく。

 ふとヴィークは足を止め、振り返った。既に崖の中へと戻ったのか、テレアの姿はない。それを追う理由も義理もない彼女は再び市場へ向けて歩き出そうと、向き直って踏み出した。

 するとバランスを崩した。目の前に突如現れた急勾配をザザザと滑るようにして落ちてしまう。斜面に爪を立ててふんばろうとするものの、岩のような硬さに爪が割れ、血痕がきれいな線を描く。

 あまり長くは続かなかった勾配の下に到着すると同時に、ゴウと空を裂きながらその体めがけて何かが飛来する。突然のことに避けることもできずに衝突し、滑ってきた斜面へと叩きつけられた。彼女は起き上がれず、目だけをそれに向けていた。

「あんたが、それを言うんか」

 低い、ゆっくりとした言葉と共に、降り注いでいた夜のほのかな光が遮られた。

 地面から突如現れた、複数の触手のようなものを生やした岩山。不気味にうねる岩の塊が獣を襲ったのである。不気味な無機物の塊は石片を落としながら、頭部を作り出し、表情の現れぬ顔を獣に口先を近づけた。

 立脚類の姿を捨て、山のような身なりに変化したテレア。目のあるだろう部位を咳き込む獲物へと向け、

「あの子を売ったんは、あんたやろうがぁ!」

 くわりと開いた牙もないあぎとは無機質な闇をたたえ、奥からは冷たい吐息が噴き出す。

「今更、どのツラ下げてここへ来たんや! けだもののワガママに付き合うて詫びの一言もなしか! 薄情やって? あんたらに合わせとったらええ気になりよって!」

 腕が鞭のようにヴィークに襲い掛かるが、命中する直前で液体のようにその形を変え、その細い四肢を拘束し、固まる。

「あんたら全員、殺したら気ぃ済むんやろか。みんなみんな、指ぃ、一本ずつ食うてみてもええかもなぁ!」

 外観に似合わず、滑らかな岩の舌が毛皮を這い、不気味に笑う。

「ほら、命乞いでもしぃや。うちの子たち殺しておいて、それで済むんやで?」

 先ほどまでの穏やかさはどこへやら。無機質な岩に無数に走るヒビは、獲物を食らわんと全身を奮い立たせる怪物のようである。

「なんとか、言いや。もう、死んでもうたんか? 張り合いないわぁ。やったら次はあのけだものを、始末しよかぁ」

 メキメキと音を鳴らしながら、つるつるとしていた上下の顎から鋭い突起が無尽蔵に生えた。獲物を捕食するためではない。肉を削ぎ、骨を砕く、苦痛を与えるためだけの凶器をじりじりと近づけるドラゴンに、なおも抵抗の眼差しが向けられている。

 だが威嚇に実害はない。焦らすようにゆっくり、ゆっくりと舌で牙を撫でながら、まずは前足。腕でその一本だけを持ち上げ、下あごを斜面との間に滑り込ませる。

「声も出ぇへんか? でっかい口叩いてたくせになぁ」

 山の中から反響して響く声。あざわらい、いやらしく舌を脚に這わせ、唾液の代わりに、岩の破片をぬりたくる。なおも消えない被食者の意思に目をやってから、彼女はそれを捕食した。

 吐き気を催す音。砕ける音。絶叫。

 それが切り離され、使い物にならなくなるまで、そう時間はかからなかった。どうだ、と言わんばかりに目の前で見せつけながら、噛み砕く。新しくできた外傷から目を反らしながらヴィークは痛みに喘ぐ。

 テレアはそれを腑に収めた。涙を溜め始めた獲物の視界にずいと鼻先を割り込ませ、

「これで、勘弁したるわ。もう二度と、うちの子らに手ぇ、出すな」

 少し前までは自身のものだったものが残る口内を見せつけてくるドラゴンの、腹の底に響く言葉に黒犬は小さく頷くしかなかった。

 岩でできた山は、間もなくどろりと溶けた。目だった部分も、腕のような部分も、残らず地面に染みわたりその姿は見えなくなった。気づけばヴィークの滑り落ちた斜面も元の荒れ地へと戻り、彼女の大怪我以外は元通りとなってしまった。

 息を整え、呆然と横たわっていた彼女はしばらくのちに、どうにか立ち上がり、呟く。

「帰らないと……そろそろレノが起きちまう」

 がくがくと震える体にムチ打ちながら、彼女は一人起き上がり、闇をたたえる市場へと三本の足で歩いていく。

 ふらり、ふらり。

 その道筋に、足跡だけを残しながら。


 誰もいない、荒れ地にそびえる崖にある、ダンジョン洞。その入り口で彼女は空を見上げていた。市場の復興がある程度完了するまでは休業中である、騎士と傭兵の訓練所。呼吸もせずに、ただぼんやりとしていた。

 ようやく地上の海が消え、いつもの景色が戻ってくる。満天の空は、静かに星を輝かせている。

 薄ら雲がスピードを上げた。冷たい風が吹いた。微動だにしないドラゴンは目を閉じて、ようやく立ち上がる。そして闇ばかりが支配するダンジョンへと足を運んだ。深く、深くなっていく空間の途中で、立ち止まる。

 かと思えば息を呑んで、歩調を速める。

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