果てぬ夢で塗りつぶし
なんであんたがいるのよ。天井から吊るされているランプのほのかな明かりが照らす静かな店内で、さも機嫌を悪くしたらしい声が聞こえた。暴言が続くわけでも、爪で机をカツカツと叩くわけでもなく、若い紅竜は黙って鋭い視線を一人の人物に向けていた。
草原側の入り口から少し離れた場所に位置する、静けさを売りにしている食事処。いくらか前に入店した一人の紅竜は壁際の席に通された。尻尾を深い座席に乗せ、壁側に座って注文もせずに待っていた。やがて新たに来店した二人と合流し、テーブルを挟んで通路側に人間が座り、残りの一人は人間の斜め後ろに立った。店員に席を勧められても、首を横に振るばかりの男の紅竜だ。
もう一人の同族を睨む先客はラクリ、と人間に声をかけられた。
「ごめん。荷物持ちとかお願いできる人を探してたら、ジーダしかいなくて……」
眉尻を下げて微笑む黒髪の女性は、後ろの筋骨隆々の紅竜をちらりと見やる。
紫の外套を身に着けているラクリと比べると、二回りほど大きく、腕と脚は倍近く太い。今にも天井にぶつかってしまいそうな角はかなり大きく、代わりに側頭部に生えるトゲは小さい。そして、体に生える鱗は、彼女と比べると深紅に近い。安物の外套を身に着けた紅竜だ。
その図体故に客の視線を集めていたが、既に客として受け入れられているようだ。
「ラクリ……今はアリアからの仕事で来てる。こんなところで問題を起こすつもりはない」
翡翠色の目を閉じ、低く、静かな声音により威圧感の増す巨躯に向かって、じとりと見上げる彼女は軽く牙をむいて威嚇する。
「あ、そう。変なこと、考えないでよね」
もちろんだ、と小さな言葉がジーダから漏れたが、彼女は無視した。その代わりにアリアに向き直り、じゃ、と笑みを浮かべて会話を始めた。
「始めましょっか。本以外に、持ってきたものはある?」
うん、と答えるアリアが床に下ろしていた鞄を探り始めた、以前と同じものに加えて、ほぼ同じ大きさのカバンが二つ、床に並べられていた。しかしそれ以上に、ラクリの運んできた硬貨入りの袋の方が多い。
まずテーブルに出されたのは爪くらいの大きさしかない、黒い石。ほのかな明かりに照らされて、妖しく輝いた。ただの石のようだが、人工的に削られていることだけは明白だ。小さな音と共に転がったそれに、彼女は目を細める。
「石かぁ……宝石、でいいのかしら。知り合いに聞いてみないとね」
軽い笑いと共に、興味ないか、と次のものが出された。人間の手の平よりも一回りほど大きい、金属製らしい錆びた箱だ。継ぎ目のような線も見えるが、特に目を引くようなものではない。
「ああ、研究熱心なやつがいるから、そいつに聞きましょうか」
ぼんやりと眺め、爪でそれをつつくラクリに、ジーダがもっと触ってみたらどうだ、と提案するが、いいわ、と即答する。
「価値が分かんないもの触って壊しでもしたら、買い取ってもらえないでしょ? 図書館建てるなら、今度は燃えないようにしないといけないだろうし、ね」
手を引っ込めながら悪気も何もない、いつもの通りの言葉。次の商品を取り出そうと鞄を漁る手がピタリと止まる。その後ろでジーダが一度、大きく頷く。
「確かに。火事を防ぐために不燃性の資材を用意した方がいいだろうな。そのあたりも見ていくか、アリア」
ゆらゆらと揺れる火に、影も踊る。長い髪が目元を隠し、橙を黄色く、紅を白く照らす。数秒の沈黙に、どうした、と目を丸くするジーダ。はっとしたアリアは、かぶりを一つ。なんでもないと答え、次の商品を繰り出した。
結局、ラクリが購入を望んだものは、予約していた本と、他二冊であった。遺産でもなんでもないものだったが、見たことのないものだという好奇心から購入する。
袋一つを残して、全てがアリアの手に渡った。無論、ジーダの荷物行きだ。
それから食事をつまみながらおしゃべりに興じた。ラクリは市場で暮らしを語り、アリアは図書館の一件以降のことを口にした。ジーダはアリアに話を振られない限り決して口を開かず、ただ立っていた。さながら、雇われた傭兵だ。
やがて皿も空にして、先に立ち上がったのはアリアだった。先に会計を済ませてくる、と貴重品の入っている鞄を肩に下げて、入口正面に立っている店員のもとへと足取り軽く歩いていった。
友の後ろ姿をぼんやりと眺めるラクリは、左手で頬杖をついて最後のデザートのひとかけらを口に運んだ。アリアが離れても微動だにしないジーダは目の前にいる同族をちらちらと見やりながら、彼女の帰りを待つ。
明かりがまた、揺れた。
「ねぇ、アリアが図書館を建て直したいだなんて、いつ言い出したの?」
デザートを嚥下してから問いかける。視線は友に注がれたままだ。
「俺が知る限りでは、あいつが嫁いでから、だ。相手は隣の村から越してきていた男だ。けっこう前のことになるな」
静かな答えと共に、服と尻尾が揺れる。
「そ。子供を産むことになるのに、いきなりこんなことを言うっていうのも、おかしな話ね。だったら、前から考えていたって考えるのが自然かしら」
だろうな、と人ごとのような返事は、当人には届いていない。
「こんだけのものかき集めたんだから、大したもんね。どんだけ費用の足しになるやら」
すると、ジーダの目が大きく見開かれた。その視線はラクリへと注がれており、当の本人はにんまりと頬を吊り上げていた。だが、なによ、とすぐに消え去ってしまう。何でもない、と目を閉じる彼もまた薄く笑みを浮かべていた。
ただただ静かな店内に、ゴトン、と重く大きな音が店内に響いた。少し遅れて靴で床を踏みつける音。
客たちが視線をそちらにやる。わずかに遅れた二人の紅竜も例外ではない。
「王に至宝を!」
続けて狭い店内で高らかに叫ぶのは、商人でも騎士でもない、傭兵らしい身なり人間の男だった。
先ほどまで店員のいた位置で壁を背にし、一人の人間――アリアの二の腕を動かせぬように左腕を回して拘束。右手には抜き身の短刀があり、彼女の首につきつけている。
アリアは突然のことにきょとんと眼を開いていたが、短刀が向けられていることに気づくと、小刻みに震え始めた。目を見開き、男の腕をつかんで抵抗を試みるものの、村娘が傭兵にかなうはずがない。
男は拘束を緩めることなく店内を見渡し、もう一度、変わらぬ叫ぶ。
「王に至宝を!」
何事だ、と固まる客たち。目をぎらぎらと輝かせている彼に、最初に声をかけたのは、釣り銭を持って奥から戻った店員だった。刃物の届かないだろう位置から、弱腰気味に。
「あの、困ります! やめてさしあげてください!」
当たり障りのない言葉に、男は激昂も、解放もせずに答えた。
「断る。この場にいる全員、命令するまで動くな。この女の命が惜しければ、抵抗もするな。指示に従え!」
さまなくば、と店員に刃を見せつけ、アリアの首に近づける。はい、と諸手を上げて数歩下がる店員にアリアはただ、涙を浮かべるだけだ。
来い、と男が続けると、店の入口がバン、と乱暴に開かれる。二人の立脚類がずかずかと進入し、同じ言葉を叫んだ。一人は短剣を持つ人間で、入口を固める。もう一人の獣は長剣を持ち、十数人という客を一望してから、まずは紅竜二人に狙いを定める。
ブーツの音を規則正しく鳴らしつつ、店内でひときわ目立つ紅竜二人のもとにやってきた獣は、鏡のように照り返す刀身をちらつかせながら、竜たちに従うよう声をかけた。
「おまえたちも来い。抵抗するなら、竜とはいえど、目をつぶすだけだ」
短毛種らしい精悍な顔立ちの彼に、先に答えたのはラクリだった。
「ねぇ、あの子、私たちの連れなんだけど。殺す気?」
穏やかな言葉に、お前たち次第だ、と即答する獣は、自分よりも大きいジーダにも剣を向ける。
「恨むなら、勝手にするといい。もしあの娘が死んだとして、我らの知ったことではない」
目の前にちらつく銀色に動じないジーダは、まっすぐに見つめてくる獣に折れた。行くぞ、とラクリに目配せした彼は、男に従う。ラクリもふーん、と鼻を鳴らしながら立ち上がり、硬貨袋を置いてついていく。
遠くからじっと見つめてきているアリアに向け、口に一本の爪を当てる仕草を見せながら。
店内の入り口から一番離れたところに、屋内にいた者たちは集められた。店長らしい服装の細っこい竜もいて、いつも笑っているように見える目を吊り上げながら、どうしようどうしようと尻尾を体に巻いている。
彼いわく、裏口からも四脚類の獣と人間が入ってきて、ここに誘導されたとのことだ。また、非常時の武器なども保管しているが、鍵をなくしてしまっている。そういった情報が、ひそひそと人質の中で行きかう。
しかし聞こえているだろう実行犯たちは何もしなかった。剣や本など、一方的に行使できる力を持ちながら、誰一人として脅かすこともない。アリアとの距離のある状態で、やり取りされる情報を聞きながら、ラクリは突如現れた襲撃犯の一人一人の様子をじっと観察していた。
団子状態の客たちを近くでじっと見張るのは、客をここに集めた長剣の獣と、業務用出入口から現れた分厚い本を持つ人間の二人だ。出入口に立っているのは、短刀を持っている立脚類の獣。彼は入ってきてから、一度だけ外に出た以来動いていない。店員専用口を塞ぐのは四脚類の獣で、どちらも警戒を怠ることなく、気を張っているようだ。
残りの一人、アリアを人質にした人間は出入口近くで外の様子をうかがっていた。このような騒ぎがあったにも関わらず、外はいつもと変わらぬ時間が流れている。
一方のアリアは、ロープのようなもので腕を後ろに回した状態で拘束されており、短刀の人間の言葉に従い歩くしかできない状態だった。彼女は長い髪を垂らしてうつむいていた。ラクリたちのいる場所からどれだけ素早く駆け付けたとしても、男たちの刃が届くのが先であることは明らかである。
誰も警戒を怠る様子はない。
ラクリは錯綜していく情報の中、軽く顎を上げる。そこにはジーダの頭部があり、少し顎を上げれば、口先はちょうど彼の耳のあたりだ。
「こんだけひそひそしてて、警告も何もないの、あんたはどう思う?」
腕を組んでじっとアリアの方を見つめているジーダは、分からない、と答える。
「少なくとも、愉快犯ではないことは確かか。いくら俺でも、アリアが無傷なまま、全員を組み伏せるのは無理だな」
紅竜一族の、次期長老と噂されていたジーダは眉をひそめている。どうしたもんか、と続けた彼は太い尻尾をぴしゃり。
「そうね。ド素人ばかりの戦闘は分が悪すぎるし、もしかしたら、人質を増やされるかも。それに、魔法で何されるか分からないから、どうしようもないわよね」
本を持ってこちらを見つめている男をちらりと見やる。表紙しか見えない本に描かれている陣が分かったとしても、彼がどのような魔法を使うかは分からない。
舌打ちをするジーダは、それきり口を開かなくなった。男たちや客を一人ずつ見やっては、尻尾を動かしていた。
他の客は現状の打破をあきらめたのか、しんと静まり返っていた。店主も膝を抱え俯いて、それに倣うかのように他の者も。
ただ続く沈黙に動くのは外の景色と、揺れる明かりだけだ。
明かりの一つが、燃え尽きた。
続けて、ドォン、と腹に響く轟音が世界を揺らした。びりびりと空気が、建物が揺れ、誰もが顔を上げた。
なんだなんだ、と互いに顔を見合わせる客たちに対して、男たちは多少ふらつく程度で、涼し気な顔をしていた。だがその場にいた敵全員、状況を把握しようと彼らのことなど見てなどいなかった。
今のは、とラクリが呟けば、背筋を伸ばして窓の外を覗くジーダ。すると近くにいた客の一人が、爆弾か、とあらぬ方向を見上げながら目を見開いた。
ざわざわと混乱が見え始めた外では市民と騎士が駆けずり回っている様子が見て取れた。声などは聞こえないが、鬼気迫る表情は、事件か何かなのだと、店内にいる彼らにも十分に伝わる。
別の客が立ち上がり、今のは何、と男たちに声を張り上げる。だが答えるつもりもないらしい獣の男は静かに剣を突き付けて、彼女を無言で座らせた。
客たちに不安の色が見え隠れする中、いくらか時間が経った。男が外を眺めるのをやめ、人質の後ろに回り込んだ。そして、歩け、と命じられたアリアは歩きだす。人間の男に凶器をつきつけられたまま外へと消えてしまった。
カランカランと鳴る鈴と共に、バタンと閉まる扉。彼女の名前を呼びながらジーダは勢いよく立ち上がる。だが駆けだす直前の彼の体めがけて、蛇のようにうねる水が襲い掛かる。
どこから現れたかもわからない水は、瞬く間に巨躯の外套を濡らしながら、しゅるしゅると首と腕に絡みついた。それでもなお一歩踏み出そうとした彼は目を見開く。
息を詰まらせたらしい彼が跪くと、本から現れていた水は、二人の中ほどからみるみるうちに凍っていた。両手をついた彼は涎の滴る牙を剥きながら魔法の発動主を睨むものの、おとなしくしていてください、と丁寧かつ静かに人間が言う。
先ほどと比べて、外の喧騒は引いたように見える。市民の避難ができたのであろうか。代わりに、窓の外では争いが始まっていた。騎士と誰かが対峙しているようで、相手は、傭兵のような外見の者たちだ。
くそが。大声で悪態づいたジーダの隣で、すっくとラクリが立ち上がった。おまえも歯向かうか、と素早く剣を持ち上げる獣に、彼女は大きく振りかぶり、握っていた砂のようなものを投げつけた。さらに、もう片手にあった同じものを、ジーダを拘束する人間にも。
石の破片のようなものの混じる砂は彼女の手から離れ、二人に襲い掛かる。突然のことに一瞬だけ動きを止めた彼らに、でかした、とジーダが弾丸のように人間へ突進する。ミシミシと音を立てるものの、割れない氷をそのままに。いかにも軽そうだった男は巨体のタックルを受けて軽く拭きとび、店の入り口の人間の前に転がった。
続けて、貴様ら、と牙をむき出しにしながら剣を振りかぶろうとする獣に、一番近くにいた客の一人が襲い掛かった。一瞬で床を蹴って身体をバネのように伸び縮みさせた彼女は彼の両足に飛びつく。
「巻き込まれないでよ!」
それを見届けながら牙をむき叫んだラクリは、懐から本を掴み、引っ張り出した。同時に何かを呟いたかと思えば、男の身体に異変が起こる。
彼の衣服の上に、ぽつりぽつりと輝く水滴のようなものが現れた。それらは数多の種が芽吹くかのように、時間が早回しされているかのように、生長していく。足元の客に気を取られている獣の視界をみるみるうちに奪っていく。
粒が溶け合い、大きくなっていく。足を拘束していた客も、悲鳴を聞き上げた顔は驚愕の色。自身さえも押しつぶさんとする結晶から、ごろごろと転がって逃れた。
苦し紛れに振るった剣はカン、と軽い音を立てて結晶に弾かれ、床に落ちる。
残りの人間と獣は、何が起こったのか、と言わんばかりに呆然としていた。捕縛した人質が出て行ってから、数十秒の間に仲間の一人が吹き飛ばされ、もう一人は結晶に覆われてオブジェと化してしまったのだ。
敵を見据えている市場の民を前に、どうする、と離れた位置から獣が声を上げる。ここで押しとどめるぞ、と短剣を握りしめながら歯をむき出しにして前に出る。途中、足元に転がる仲間を思い切り蹴って、転がした。
外へ連れ出されたアリアは、店を出るなり目を見開いて立ち止まる。後ろで短剣を握ったままらしい男が舌打ちをして、歩けと命じる。
そこには死屍累々という言葉が似あう光景が広がっていた。何度か目にしたことのある騎士の鎧を着た者、そして一般的な服を着ている者たちがあちこちに倒れているのだ。石畳の上で、ぴくりとも動かない彼らは明らかな深手を負っている。
汚れている道に足を踏み入れたアリアは、左右の道を見渡した男に誘導されて歩かされる。
そこには悲惨な広場があり、二人の人物が武器を握り距離を詰めていた。ドォン、ドォンと遠くで空気の揺れる中、切り結んでいる。
一人は、白の長髪と衣を躍らせながら両手の武器を振るう人間の女性。右手の槍で相手を狙いながら、左手の斧で相手の斬撃をはじいている。
対するは身のこなしの軽い長身の立脚類。長毛種の獣だ。長剣一本を右手に、大きめの盾を左手に持って彼女の首を狙っている。
二人の周囲には騎士も、市民も倒れていた。まだ息のある者たちはいるようだが、アリアは息を飲み、二人の成り行きから視線を逸らすこともできず、ここに連れてきた男に従うしかない。
不意に背中を押され、つんのめる。男が隣に並び、大きく息を吸い込んだ。
「世界樹の王、抵抗をやめろ!」
彼の叫びは彼女に届いたらしく、人質たちの方に顔を向けた。獣も振りかぶっていた剣をぴたりと止めて、下ろした。だが視線は女性を捉えている。
「王に至宝を! なおも抵抗を続けるならば、どうなるか分かっているか!」
その言葉が聞こえたのか、人間の王フェリは相手と男を見比べ、武器を石畳に捨てた。これでいいのですか、と張り上げ問うた彼女はにぃと笑う男の、それでいい、という答えを受けとめた。フェリの隣の獣は肩をがっくりと落とし剣を納めた。
「どうした、オルストレ。世界樹の王をしとめろ!」
ふざけるな、と血筋を浮かべ、唾を飛ばす。フェリはちらりと相対していたオルストレを見やってから、アリアとの距離を改めて眺める。
いくら走ったとしても、男が先に人質を仕留めることのできる距離だ。だがこの広場を見渡しても王と獣以外に動けるような者はおらず、あちこちで黒い煙が上がっている、応援は期待できず、救出は絶望的だ。
さっさとしろ、と苛立ちを見せる男は短剣を人質に向け、近づけていく。止めてください、とフェリが叫んだとしても、爆発音の木霊す空に消えるばかりだ。
もう一度、名を呼ばれた獣はわめく男に答えなかった。垂れている耳をわずかに持ち上げて聞いてはいるようだが、今度は腕を組んで知らんぷりをしている。その隣でフェリはじっと男と人質を見つめるしかできない。
「もういい! 貴様には頼らん!」
とうとうしびれを切らしたか、男は人質の背後に素早く回り込み、今にも喉笛を裂かん格好となる。目を剥く王をよそに、焦りの色を見せている汚い男は、もう一度、叫んだ。
王に至宝を。宣言を終えるか終えないかの瞬間、彼の苛立ちの顔がゆがむ。
なんだ、と彼が振り返ろうとした瞬間には短剣を取りこぼし、目を大きく開く。足にめがけて落ちる短剣に目をつむるアリアの耳に、ミシミシと氷のうなりのような音が届く。
男の右肩に、結晶が寄生し、生長を始めていた。肩から二の腕、手と、次々に結晶に飲まれていく。奇病に侵されているかのような男は、その場から逃げ出そうと足を踏み出したものの、石畳にけつまずき、無様に転がった。
あっという間に顔面は覆いつくされ、唯一動かせる脚をばたつかせながら男は言葉にならない言葉を発する。
へなへなと座り込み、力なく俯いたアリアの背後に、無事か、と来た道からジーダが走ってきていた。少し遅れてラクリが広場に足を踏み入れる。
「よかった、巻き込まれないで。びっくりした? 私の、魔法」
楽しそうに言葉を述べつつ、地面に転がった短剣を拾い上げる。アリアを拘束するロープを手際よく切って、笑みを浮かべる。一方のジーダは抵抗に疲れたらしい犯人に近づき、担ぎ上げた。再び足をばたつかせるが、彼はものともしていなかった。
「大丈夫よ。死にはしないし、時間が経てば壊れるわ。あんたが、怖がることない」
青ざめた横顔を覗き込まないラクリは尻尾で親友の頬を撫でた。その正面には人間の王と獣がいて、胸をなでおろしている様子が見て取れる。
「アリア、あの店で、そいつらを見張ってて。こいつもいるし、大丈夫でしょ」
分かった、と念を押すように尋ねる紅竜に、問うのは紅竜。
「おまえも一緒に来い。こんなところにいたら死ぬぞ」
立ち上がらないアリアに寄り添いつつも、ジーダは紫の後姿を睨む。
「うるさいわね。こんな状態で、隠れてたって無駄でしょ。私は戦えるから、部外者は避難しててって言ってるの」
目に見えないどこかで爆発が起こった。また、びりびりと空間が揺れる。
「俺が行く! 俺はおまえより、強い!」
牙を剥いて、叫ぶジーダを無視する彼女は、振り向かずに歩き出す。
「あんたが、あぶれものの私にどうこう言ってどうすんの。ただの長老が、私に関わらないで!」
ギリギリと歯ぎしりするジーダ。王たちのもとへと足早に歩いていく樹海の魔女はもう二度と振り向くことはなかった。アリアの支えとなりながら、数回振り返る次期長老は、彼女との待ち合わせ場所へと戻っていった。
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