巌の守護者は潜みつつ

 露店の並ぶ道を歩いている人間の子供がいた。それなりの人混みに埋もれながら、ふらふらと歩いていく。金と茶のまじる長めの頭髪を持ち、不安の浮かぶ目は赤い。肩に下げているカバンの皮紐をぎゅっと両手で握りしめている。

 子供、テルは人混みに遮られる視界に四苦八苦しながらも、一つの露店へとたどり着いた。色鮮やかでみずみずしい果物が大量に並べられている店だ。恰幅のいい立脚類の獣の女性は見上げてくる小さな客に満面の笑みを向けた。

「おや、お使いかい? 何を買ってくれるんだい?」

 大きな笑みにテルは視線を泳がせながら、ひとつ、またひとつと果物を指さしていった。そのたびに、いくつだい、と店主は尋ねつつそれを手にとっては袋に詰めていく。最終的に、三種類の果物が三つずつ、カバンに納まった。テルは硬貨の入っている袋を開いて中身を眺めるが、軽く首を傾げた。

 それを見かねたのか、貸してごらん、と店主が手を差し出す。警戒することもなくテルは袋を差し出して、店主を見上げる。彼女はいくつかの硬貨を取り出して、ほら、と返す。特に何も言うことなく、ジャラと鳴るそれを受け取ったテルは懐にそれをしまい、人混みの中へと紛れ込んだ。

 右へ左へと、お使いは進んでいく。

 やがてテルは、最後にお菓子を買って、市場の中でも最も高い公園へと足を運んだ。そこにいたのは背丈が同じくらいの二人。人間と、四客類の獣の少年だった。両者、公園の入り口近くの段差付近に座っている。

 ずいぶんと遅かったな、とやんちゃそうな少年がテルに声をかければ、ごめん、と彼らに駆け寄る。同時にひとつずつお菓子を取り出して、配った。すべて同じ、棒状の駄菓子だ。

「またおばさんから使いっぱしり? そんなのやるかって言って逃げればいいのに」

 だよなぁ、と笑う人間の子供に、それもそっか、とテルが同意する。笑顔の灯る彼に、おう、と二人は笑う。

 獣は鼻先の短い草食獣で、金色の毛皮と、磨かれて小さくなってしまっている角を頭頂付近に持つ。一方の人間は、暗い茶髪と気の強い眼光が特徴的だ。

「うしっ、今日はどこ行く?」

 駄菓子を受け取りながら勢いよく立ち上がる子供に、何しよっか、と獣が尋ねた。

「リッキ、基地にべたべたするものが出る遺産、まだなかったっけ? あるならそれ使わない?」

 テルが少年に向けて言えば、どうだっけなぁ、と返す。早くも駄菓子の包みを剥がして、あっという間に平らげてしまう。

「じゃ、遺産取りに行って、今日は裏路地探検にすっか!」

 蹄と地面、そして前歯を使って器用に包みを破いた獣、ウェニーは駄菓子をもそもそと食べて、しゅっぱーつ、と二人よりも先んじて歩き始めた。テルも軽食を終え、包み紙をその場に捨てて追いかけた。

 雲一つない昼間だというのに暗い市場は、荒れ地から乾いた風が吹いていた。それでも活動を続ける者たちは、無邪気な彼らのことなどつゆ知らず、活動を続けている。

 三人の子供が基地と称している廃屋は樹海の中にあった。とはいってもテルが市場へ遊びに来る途中で見つけ出したもので、市場の近くに建っている。さらに暗い樹海の入り口で、彼らは必要なものを持ち出した。

 その遺産というのは、ボタンのついた手のひらサイズの、小さな穴のついた円筒。ボタンを押すと穴から色付きのべたつく液体が吹き出すというものだ。あったあった、と取り出したそれを床に向かって軽くボタンを押し、色つきの霧が吹き出ることを確認した彼らは持てるだけ持って市場へと繰り出した。

 市場の道はさながら、樹木のようである。草原へとつながる太い道以外は、枝葉が生い茂るかのように枝分かれしている。分岐し、細くなっていき、葉をつける。

 ただし、この枝どうしは合流することがある。限界ちかくまで細くなった枝の先や葉には家が建ち、各々が生活を営む。

 そして子供たちの好奇心という名の食欲を満たすのは細い枝だ。樹海の小屋から市場へと戻った彼らは、樹海に沿って草原の方向へ、貧困区を通り抜ける。樹海と草原の境目に差し掛かろうかというところで方向を変えて、市場へと入った。細い枝へと足を踏み入れる。

 三人は臆せず歩いていく。リッキを先頭に、テルを挟み、ウェニーがしんがりを務める。誰もいない、不気味で薄暗い建物に挟まれた細道。時折、建物から木霊する何かの音に全員がびくりと驚くが、それでも歩を緩めることはしない。

 右へ、左へ、歩き回る彼らは、深みへといざなわれていく。この市場のおよその構造を知っている者ならばともかく、下手に入り込めば何が待っているやらわからない道へと進む。

 ふと、リッキが立ち止まる。そこには真っ白な、見上げるほどの壁。そこらにある建物と高さなどに差はないが、子供から見ればすべてが巨大なことに変わりはない。彼らの興味を惹いたのは、その色は珍しかったからだ。石を積んだり、保温の性質のある塗料を塗って出来上がった、白一色の壁面は珍しい。

「お、ここにしようぜ。何描く?」

 明らかに表情を明るくしたリッキは遺産をいち早く取り出した。いいね、とテルも続き、すごいねー、とウェニーはあたりを見渡す。

 悪ガキ二人は遺産の煙を壁に吹き付け始めた。粗い線を描きながら水色とピンクの二色は二人の身振りに従い絵となっていく。手足ようなものができたところで、水色の色は出なくなった。あーあ、とリッキが遺産を交換して、次は明るい緑色を使う。

 テルはというと、ピンクで山のようなものを描いた。その隣には、リッキと同じような手足のある人らしいもの。そこで茶色に色を変えて、塗りつぶす。ふぅ、と一息ついたテルにウェニーが近づく。

「テルー、何描いたのー?」

 鼻先を耳元に近づけながら、二人でそれを眺める。テルはそれぞれを指さして、それが何なのかを口にする。するとリッキが口をはさみつつ近づいてくる。

「ん? おばさんはこんなカッコしてないだろ? こっちの奴は知らねぇけど」

 たしかに、と獣。しげしげと見つめ始める二人に、まあいいじゃん、とテルは笑ってはぐらかしながら、山の絵に遺産を吹き付けて塗りつぶしてしまう。獣と人間は首を傾げてから次いくか、とまた歩き始めた。

 だが、進もうとした先には獣と人間がゆたりと佇んでいた。

 一人はぼさぼさの赤毛のけだるさの見える白衣の人間で、一方、険しい顔を見せる獣は道幅を塞がんばかりのタテガミを持つ、獅子と呼ばれている者だ。

 先頭を進もうとした人の子の前に仁王立ちする人間は、じっと子供たちを見つめる。音もなく現れた二人に、彼らの足はぴたりと止まる。いつの間にかそこにいた彼らに反応できない子供たちに、あー、とけだるそうに赤毛の男の口が開いた。白い壁を指さして、そのラクガキ、おまえらがやったのか、と怒るでもなく嘆くでもなく、ただ、言った。後ろの獅子は威厳ある顔で、子供たちを見つめている。

 動かぬ獅子と男から一番離れているウェニーが、じりじりと下がる二人に耳打ちする。

「逃げよう……遺産でも投げて……」

 いいなそれ、とリッキがひそひそと。テルは答えこそしないものの、遺産を握る左手に自然と力が入った。やろう、と獣が囁けば、二人の人間が大きく振りかぶる。

 ん、と目を細めるだけの男に向かって、遺産が回転しながら弧を描いた。数秒後、静かな路地裏にカラン、ときれいな音が鳴る。一つは落ち、もう一つは彼の頭の上に落ちた。

 赤毛の男は痛がることもせずに首を傾げて、遺産を拾った。あーあ、とぼやく彼は既にいない子供たちを追うこともせずに、獅子と共に裏路地から立ち去った。


 テルとリッキは足の早いウェニーを追いかける。こっち、と誘導をしてくれる彼に従い、ひたすら走る。

 建物に挟まれた石畳がどこまでも続く。曲がりくねり、先の見えない回廊を、案内に従い抜けていく。背後を見る余裕もなければ、どこを走っているのかを確認する余裕もない三人はただ逃げ続けた。不思議と、大通りへと出ることはない。

 葉、枝、とたどっていけば幹へとたどり着くはずだか、市場はそうではない。無計画に建てられた迷路に、ウェニーは惑わされていた。分岐点に来るたびに先を見据えるが、どこもかしこも先の見えない枝ばかりだ。

 やがて一本の長い通路へと三人は出た。不安からか、獣の速度が緩み、二人との距離を縮めていた。そこから自然と歩調が合い、停止する。膝に手をつき呼吸を整えようとするテルの前で、リッキが後方、ウェニーが前方を見やる。直後、濁ったため息を吐き出すリッキは尻餅をつくようにして座り込んだ。遅れて、ウェニー、テルと震える膝で座り込んだ。

「ああー、危なかった。ま、逃げれたから成功だよなっ」

 意地悪くも、楽しそうに笑う友に、はは、と笑いかける二人。狭い路地の中で、三人は軽く休憩をとり、探検を再開した。ところが、行けども行けども路地ばかり。やがて彼らは空腹を抱えながら、扉のある行き止まりにたどり着いた。別の道に行こうとテルが提案するが、大通りへの行き方を教えてもらおう、とリッキが二人を置いて扉をたたいた。

 コンコンという音の後、のしのしという足音が聞こえ扉が開けられた。ギィ、と不気味に音を立てて顔を出したのは、縦横に大きく、長い口が特徴的な立脚類の竜だった。ワニ、と呼ばれもする者だ。誰だぁ、と声を荒げるワニはあたりを見渡して、つぶらな瞳で子供たちを見つける。だがそのいかつい姿に、テルとウェニーは距離が空いているにも関わらず、後ずさる。

 一方のリッキは目の前のそびえる巨体に固まっていた。彼の見つめる先は、赤く汚れているワニの腹の部分。はちきれんばかりの衣服には茶色く固まったものがべったりと付着していた。それは液体だったらしく、飛沫のようなものも見える。

「あんだぁ、いたずらかぁ? よそでやってくれよ、お子様よぉ」

 リッキには気が付いていないらしいワニは踵を返して屋内へと戻ろうとする。だがテルがワニを呼び止めた。大通りへの道を教えてください。その一言は、ちぃとまてぇ、と言わせるだけで彼の足を止めることはなかった。

 扉が閉められることもなく、ワニが屋内の闇に消えた。少しして、次は四客類の黒い獣がのそのそと現れる。リッキと同じくらいの犬と呼ばれている獣だ。すらりとした体躯に精悍な顔立ちをしているが、青の瞳が冷たく子供たちを見つめる。

 彼女は淡々と道を教えた。そこを曲がって、道をまっすぐ。そして左へ、と。

 ありがとうございます、とウェニーは答え、リッキに素早く近づく。そして襟を口で引いた。間抜けな声を上げた彼を無視して、再び礼を言い残す。足早に下がったウェニーに、獣は反応しない。

 妙に静かで、暗い路地裏。扉の前で見つめてくる獣と、道の真ん中にいる三人の子供。

 テルも間をおいて、礼を言いつつ頭を下げた。リッキも立ちあがったことを確認してから、踵を返し歩き出した。教えてもらった道はすぐそこだというのに、靴の音が長く妙に響いた。

 扉を閉めず、じっと子供たちを見つめる獣。彼女の視界から消えようという瞬間、リッキは獣の方をちらりと見た。だが相変わらず、彼らをじっと見つめるだけで動くことはない。

 リッキがテルの背中にぶつかるのはその直後のことであった。止まんなよ、といら立ちの囁きを口にすると、先にいたウェニーが後方の二人を顧みた。彼の言葉の後に、ドッという音が聞こえたからだ。するとどうだろう、人間の子供二人は石畳の上に倒れ、その上には先ほどの獣がいる。

「やっぱ、気づくよねぇ。あのアホには人前に出るなって再三言ってるんだけどさ」

 リッキの背中を前脚で押さえつけながら、耳元で囁く。

「ガキとはいえ、騎士に連絡でもされたら面倒だよ」

 その下にいるテルはケホケホと咳をしながら、石畳に全身を預けるほかなかった。

「……そうだね、もしお手伝いしてくれて、大人には何も言わない。約束を守ってくれるんなら……けど、そんな保障どこにもないしねぇ」

 ねっとりとした物言いの獣は視線を上げて、獲物を捕捉する。

「ああ、逃げたって無駄だよ。そっちはこっちの縄張りだからね。大通りになんて通じてないさ」

 あはは、と大声を上げて笑う獣。その下にいる子供は抵抗しようともがくが、おとなしくしなよ、と軽く笑う獣。リッキと同じくらいの体格だということは、ウェニー並みの体重があるということ。対照的な獣二人の間には一方的な笑いがあった。

 数分の間、あれやこれやと黒の獣が口にするも、ウェニーは答えなかった。リッキはこのやろう、と何度もつぶやきながら無意味な抵抗をしていた。テルは上にいるリッキを支えていた。

 事が動いたのは黒い獣が欠伸をしたときだった。子供たちをどう利用しようか考えるのに疲れたのか、大きな欠伸だ。大口を開ききった瞬間、彼女が横方向に吹き飛んだことと、彼女を蹴り上げた存在が現れたことに、子供たちが理解するには数秒かかった。

 壁に叩きつけられることはなかったものの、息を詰まらせた黒の獣はなんだい、と体勢を立て直して向き直れば、子供たちを挟んで向こう側にテラーがいた。紳士服を身に着た彼は折り目正しく、蹴り上げた脚をそろえてから口を開いた。

「子供に手を上げ、しかも利用しようともくろむとは……薄汚い殺し屋は、牢屋の方がお似合いですよ」

 いつもは笑っているように閉じている目を開き、じっと獣を見つめるテラー。だが少しだけ首を下げて、早くお逃げください、といつもの笑顔を子供に。

 リッキがまず立ち上がり、続いてテルも。ウェニーに追いついた二人は三人でさらに走り出す。

 数秒ばかり路地を駆け抜けると、先ほどの赤毛の男がいた。獅子はいない。一瞬進むことを躊躇したが、彼は怒るでも諭すでもなく、こっちだ、と大通りへと彼らを導いた。それから人混みへと消える。

 あまり多くは語らずに、子供たちは各々の帰路についた。

 市場から樹海に入りかけたときに、テラーがテルに追いついた。狐はこう言った。

「あまり元気がすぎますと、危険ですよ」

 冷たくなり始めた空気を吸い込みながら、二人がそれ以上言葉を交わすことはなかった。帰宅した先で、テルは会話もほどほどに、自室へと戻り身に着けている者を全て取っ払い、横になった。

 カバンに入っていた果物がすべてつぶれていることの弁明を求められることになるものの、テラーは怒らないでやってください、と説明するのだった。。

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