魔法は描かれ従うは

 樹海の広場に丸い模様が描かれていた。どうなっているのかといえば、円状に草が抜かれているのだ。その真ん中で、右手の爪で顎を撫でているのは紫の衣をまとう紅竜だった。その足元には雑草の小山ができている。

 ぐるりと一周見渡して、ラクリは再び動き出した。円付近の雑草を抜き始める。抜いては放ってを繰り返しながら、雑草の山は高くなる一方で、二重円ができた。

 さて、と声をあげた彼女は膝程度の高さの山に向き直り、投げる仕草をした。するといくつかの火の弾がボッと音を立てて現れて、雑草へと飛びかかった。拳の半分ほどのそれらは少し間をおいて山を焼き尽くす。

 次いで、空を叩きつけるような仕草。直後、パチパチと燃えている火の上に透明な球が現れて、バシャ、と音を立てて鎮火する。しぶきをあげたそれは、まだ燃えていない雑草を濡らす。

 うーん、と首を傾げたラクリは懐から棒状の加工肉を取り出して、かじった。指ほどの太さと腕ほどの長さがあるそれを握りながら、二重円の一角へと歩を進める。また、雑草むしり始めて。今度は小さめの、内側に接している小さな円ができた。

 最後の雑草を引き抜いたとほぼ同時に、ガサ、と茂みをかきわける音が聞こえた。ラクリの正面で音を鳴らした何かは、茂みをかきわけて広場に現れた。黄金色の毛皮で全身を包む、四つ足の獣だ。ラクリとは数歩離れた場所に出てきたそれは、狐と呼ばれている。

「ようやく見つけましたよー、樹海の魔女殿ー」

 だがただの獣というには、いささか違和感がある。ふわふわと振り回す尻尾は、二本。その声は子供のもののように高い。対峙したラクリはムッと狐を睨みつけながら、牙に咥えていた加工肉を右手に戻した。

「だぁーれが魔女よ。じゃああんたは、騎士の召使ってところよね?」

 白さはないものの、ぎらりと光る牙を見せつけられる。だが腰を下ろした狐は尻尾と上半身を揺らしながら笑う。

「はあぁー、召使、いいですねぇ。坊ちゃんに仕えてはや数年、家事に炊事になんでもこなす私は、さしずめ使用人……もっと連れまわしてくださってもいいのに……」

 はぅ、と甘い溜息をつく狐は、独り言を続ける。

「いつ帰られるのか分からぬ主を待つために、いつ帰ってくださってもいいように、毎日毎日家事をして、帰られぬときは、坊ちゃんにご用意した食事をデカブツに分け与える。それでも笑ってくださる坊ちゃんのお近くにいられるならば、ぜひ、召使になりたいものです」

 ところが虚空を見つめ始めている彼女に、ラクリは加工肉のすべてを飲み込んでから狐に声をかける。

「ちょっと、タマモ? インスについて語るのは勝手だけど、なんでここに来たのよ。それと、魔女って何よ」

 そうでした、と我に返ったらしい、脚くらいの高さの獣は彼女を真っすぐ見据えて、のんびりと答える。

「樹海には、赤と青の魔女がいて、樹海に入った子供は食べられちゃうっていう噂話が立ってましてね。あと、暇だったので」

 茶色の、真っすぐな目が向けられた。

「煙のないところに術者はいない。誰がそんな噂を?」

 不愉快そうな紅竜は尻尾をゆっくりと左右に振る。雑草がなぶられて、サラサラと音を立てている。

「知りませんよ、そんなこと。坊ちゃんが子供たちから聞いた、という話でしたので、嘘ではないですよ。たしか、商人たちの多い通りで警備していたときに聞いた、との話でしたが」

 まあいいわ、と紅竜は踵を返し、歩き出した。タマモは広場にある円を避けて、彼女の尻尾に従う。

「ところで、こんなところで何をされているんです? 焦げ臭かったので来てみたんですけれど」

 くるくるとあたりを見渡すタマモは、再び土いじりを始めるラクリを始めた隣で寝そべり始める。魔法の研究よ、と答えられると、狐は前脚を伸ばして身づくろいを始める。

「魔力を集めるのに簡単な方法は、陣を描くこと。なら、ここまで大きい陣なら、魔力はどう集まるのかって、思ってね」

 タマモはまるで興味がないようだ。三角形の耳をぴくぴくとさせている。

「まったくと言っていいほど、集まっていません。魔女ともあろう方が」

 嘲笑のような物言いに、ラクリは草むしりを続けながら答える。

「魔女じゃないって。集まっていないなら、それはなんでよ。本に書かれた陣には集まってくるのに」

 また一つ、小さな円と雑草の山ができた。のしのしと移動する巨体に、獣は従わない。

「魔力は陣に集まる、という性質は、未解明なことばかりですね。しかしある程度、魔法が扱えるのならば、あまり追及する必要性はないのでは?」

 二人以外誰もいない広場で、静かな風と共に時間が流れている。

「じゃあ、なんで泉の底には陣があるのよ。あれはいつできたの? 誰も魔力が集まるってことを知らなかったのに。おかしくない?」

 魔法を使うためには魔力が必要である。

 そして、その魔力を集め、現象を再現するには、素質と直感が必要だと言われてきた。種族問わず火や水などを意のままに操るさまは恐ろしく、そして崇高なるものだった。

 ところが陣という概念が現れた。

 それまで遺産として扱われていた書物の中に陣が描かれていて、それはなんだ、となったのが始まりだ。泉のものと見比べられもしたが、単なる絵だろう、という解釈から始まった。

 しかし、世界樹の市場の遺産にまぎれこんだそれを見つけた数代前の王が、陣は魔力を集めている、という性質を発見した。理由は不明だが、それを使って魔法を、小規模ながらも扱えることが話題となり、市場の外へも広まった。

 ラクリの持つ本も、その際に模写された陣が描かれている本だ。模写の職人が多数いるのか、彼女の稼ぎの一部で購入できるほどだ。

 また一つ、円ができた。

「知ってるからこそ、あそこに泉が作られた。けれど、陣の性質を知っている者は誰もいない。そして遺産の本からは陣の存在が見つかっている……おかしいとは思わない?」

 そうですね、とタマモ。

「しかし、それが解明できたとして、どうするんですか? どの道、魔法を扱えるかどうかは別問題でしょう」

 そうだけど、とラクリが雑草の一つを投げつけた。ペチ、と音を立てて黄金色の体を土で汚す。

「もっと魔法を知りたいの。もしかしたら、魔力をもっと集められる陣があるかもしれないでしょ」

 それが最後の雑草だった。二重円の中に接する、四つの小さな円。これはラクリの持ち歩いている本の、冒頭にある陣だ。土の色で描かれたそれは、少しばかり歪んでいる。

 黄色い蛇腹が大きく上下した。ふぅ、と長い吐息を吐き出しながら、ラクリは目を閉じた。タマモもじっと、彼女の姿を見つめる。やわらかな日差しとざわざわと鳴る木々がやけにうるさく広場を包んでいる。そこを眺める雲はちぎれ、薄い青に浮かんでいる。

 だめか、と呟く目を開いたラクリは自らの顎を撫でる。自明のことですよ、とタマモは鼻を鳴らしながら立ち上がる。ぱらぱらとゴミが落ちたが、さらに彼女は身を振るって土をまき散らす。

「魔力が集まるには陣以外にも……?」

 だが狐のことなど眼中にないといわんばかりに、竜は衣の裏から本を取り出して、表紙をめくった。そこにはこの広場に描かれた、二重丸の内側の円に、接している四つの円が描かれた陣がある。それは不思議と美しい円であり、どうやって描いたのだろうと思わせるほどきれいな円だ。

 紅竜自身、紙にありとあらゆる陣を描いたことがある。それらはすべて、この本の模写などだ。手本ほどではないが、魔力を集めることのできた陣で魔法を使えたこともある。

 この差は一体、どこか来るのだろうか。

 ラクリは一人、物思いにふける。右手で本の背表紙を支え、左手の爪で陣をなぞる。本に集まり始めた魔力は、ふわふわとただよっている。もちろん目に見える物ではないが、この広場にいる二人は魔力が集まっていることを感じている。

「魔女様ー、まだやりますー? もしよければお茶の一つでもくださいな」

 タマモが竜の足にすり寄ってきた。見上げてくるその姿は笑っているようにも見える。はあ、と本ごしにそれを見ていたラクリはわかったわ、と陣の形を適当に崩して、広場を後にした。

 小屋に戻ったラクリは昼寝をしているリエードを無視して、タマモを招き入れた。台所でお湯を沸かしたラクリは、手近にあった葉っぱを入れ煮出した。それから葉っぱをこし、自身と来客用のカップへと注いだ。一階の中央にあるテーブルに、少々雑に置いた。

「さ、飲みなさいよ。お望み通りのお茶よ」

 席に着きながら意地悪そうに笑う紅は、爪で熱くなっているカップを掴んで口へと運ぶ。平然と飲み始める彼女に、意地悪ですね、とリエードの特等席で湯気立つカップに鼻を近づけて香りを楽しみ始める。

「お茶は熱いのが好みなの。あんたん家行ったとき、出されたのは、冷たいやつだったわね」

 そうでしたねぇ、と穏やかに答えるタマモ。

「それで、あんたはどう思う? あの陣に魔力が集まらなかった理由。魔法使いの意見を聞きたいんだけど」

 保温の性質があるカップの水面を警戒しながら舌でつつくタマモは、しかし一服もできない。座っている体に尻尾を巻きつけて、おとなしい。

「そうですねー。パッと思いつくのは、雑草を抜いたことによる陣の再現そのものが、不適切なものだったのでは」

 お茶を飲み干したラクリがぺろりと唇を舐める。その舌には赤い跡がぽつぽつと垣間見えた。

「じゃあ、陣は紙に描かないといけないってこと? 製紙所にでも頼んででっかい紙もらって、陣を同じように描けばいいわけ?」

 ラクリがテーブルに右ひじをつき、爪の一本を立ててくるくると回した。すると魔力が形を得始めた。次第に大きくなっていったそれは拳よりも一回り大きな水の球となって、空中に浮かぶ。そして指示をするようについと爪を、奇妙な寝相をしているリエードの方へ差し向けた。

「どのような陣に魔力が集まるのか、私は知りませんからねぇ、ものは試し、やってみればいいじゃないですか、魔女様」

 水は、仰向けのリエードの鼻先で静止した。ふふ、と笑うタマモが尻尾を一振りすれば、水がはじけて彼に襲い掛かる。パシャ、と短い音と共に、びくんと彼の体が跳ね、悲鳴が上がる。目を大きく開き、彼は笑っている二人を見つめた。

「まあ、試してみるわ、タマモ。何かわかれば、教えてあげる」

 分かるといいですね。狐はお茶を半分まで減らしてから立ち去った。代わって、サンバイザーを被りながらリエードが不満げに席についた。まだ濡れたままの鼻を舐めながら。

「あんた、買い出し行ってないでしょ? 陽が落ちるまでに行ってきなさいよ」

 既に昼間は過ぎ、間もなく冷えてくる頃だろう。紅竜がテーブルについたまま、台所に魔法の火を投げた。ただよいながら鍋の下に着火し、また水を沸かし始めた。

「水汲みとかはやったの? 珍しく今朝してなかったと思うけど」

 唾液に濡れてしまった鼻先をそのままに、腰を上げた青蜥蜴はカバンを首にかけて出ていく間際、そう言い残した。残された竜は次第に勢いを増していく火の音を聞きながら固まっていた。その赤い目は、軽く見開かれている。

 言ってきまーす、と立ち去る同居人が樹海に消えたことを確認して、紅竜はいそいそと火を消して、小屋から出ていった。

 静まりかえる小屋の中、まだわずかに残っている熱気は、やがて空気と混ざり合って冷めていくのだった。

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