湧き出る場所に集う者

 朝早くに目を覚ましたリエードがむくりと起き上がると、ゴン、と鈍い音を立てて天井、もとい階段の裏に頭をぶつけた。サンバイザーもいつの間にか脱げてしまっており、少しの間彼の動きが止まった。

 痛みをこらえている様子もないのだが、同時に立ち上がろうともしない。新調したばかりの寝床の藁は少し散らかっており、それなりに荒れていた。寝相の有無はさておき、竜が動き始めたのは、二階からも生活の音が聞こえ始めてからである。

 焦点の会い始めた彼がまずやったことは、尻尾で散らかっていた藁をかき集めることであった。ぴんと尻尾を伸ばして、地面につけて、砂ごとかきあつめる。まだまだ新しい藁はカサカサと軽い音を立てながら引き寄せていく。

 次に、寝床から立ち上がる。藁を四か所で踏みしめ、帽子と共に這い出す。愛用の品をテーブルに置き、小屋の出入り口近くにある棚から布を一枚、引っ張り出す。首に結び付ければ外套のような使い方もできるだろう大きな風呂敷を地面に引きずりながら、テーブルの横に敷く。

 包み込むものは、遺産だった。これまでため込んだ遺産の山から、ありやこれやと選別し、風呂敷の上に置いていく。大小さまざまな箱と、棒に、丸い物。最終的に十ほど選び出され、包まれた。満足げにうん、と頷くリエード。

 どこかに行くの、と背後からの同居人の声に、首をくるりと回して、もう一度頷く。ラクリもいつもの紫の衣に、肩に下げるタイプのカバンを持っていた。ラクリも、と問えば、ええ、と答える。

「ちょっと、泉まで行ってこようかなって、ね。あんたは?」

 するとリエードの目が大きく開いた。軽くラクリが首をかしげてみれば、

「ああ、うん。僕もそこに行くんだ。偶然だね」

 と返事が返る。

 リエードが首に、遺産の入った風呂敷といつものカバンをかけて、二人は出発する。どんよりとした重い雲の中、何も口にせず向かった先は、樹海の中に流れる川である。

 二人の住む小屋の生活用水にも使っている川は、数分歩けばたどり着く距離である。バケツを持って、いつも通っている道をたどる。川へと着けば、ひとまず喉を潤して、川上へと歩き出す。

 その途中、ラクリが川端をひたすら歩くのに対し、リエードはザブザブと川に足をつっこんで歩く。小魚がたやすく逃げられるほど深めの川であるが、リエードの体躯にとっては大した問題ではない。水が体を撫でていく感触を確かめるかのように、彼は進んでいく。

「ねぇ、ラクリは泉に何しに行くの?」

 大小さまざまな岩が転がる場所で、岩の下から、頭上にいる彼女に尋ねる。川のせせらぎに耳を傾けていたラクリは、足を止めない。

「ただの観光……じゃなくて、魔法の研究よ。そういうあんたは?」

 首を軽く伸ばし、ずり落ちそうになる荷物を背負いなおして、川を進む青が小石を蹴とばす。

「ちょっと、手紙が来てね。遺産の取引ができそうなんだ」

 石だらけの道に、顔をしかめる赤が一歩下がる。そこには尖った石。

「泉で取引……そんなもの好きいたかしら。あそこには魔法研究者ばかり來ると思ってたけど」

 やがて、木々がまばらになり草原に出る。少しだけ温度の下がった空気を胸いっぱいに吸い込みながら、川の上に建っているように見える小屋を目指す。

 尻尾を揺らし、他愛ない言葉を投げ合い、荷物を背負いなおしていると、いつの間にか泉へとたどり着く。

 湖のようにも見えるほど広い泉のほとりには、すでに者々が集まっていた。人間も、獣もいる。竜は少数派のようだが、ちらほらと見受けられる。彼らは思い思いのスタイルで話し合ったり、魔法で作り出した火や水を見せ合ったりしている。

 草原にある泉の周囲には、一つの建物以外には草ばかりが生えているだけである。そこから見渡せば歩いてきた樹海と、市場が小さく見える程度で、他にあるとすれば、どこまでも続く草原と、樹海と、市場へと続く川くらいだろう。

 そしてこんこんと湧き出る水は、市場の中で貯水池に流れ込み、生活用水となっている。天候により水位の増減はあるものの、枯れることもなければ、淀むこともない泉。なんとも奇妙な話だが、これも市場ができる以前からあるという。治水によって流れが変えられていたりはするが、この泉に手が加えられたという記録はないという噂だ。

 二人は建物へと向かい、適当な外の席に着いた。彼らの住む小屋よりも大きい木造の建物は、泉唯一の食堂だ。内も外も広めの造りになっているが、まだ昼には早いため、今はわずかな客がいるばかりでがらんとしている。

 市場がある程度形を成した頃に建てられたらしいここは、今日もここにやってくる者たちの腹を満たすために、厨房の方では少し騒がしい掛け声が聞こえる気がする。そんな店内から二人に気が付いた店員らしい服装の人間が歩いてきた。注文は決まっているか、という問いに、ラクリは飲み物とそれに合うもの、リエードは肉と水と答える。はいよ、と踵を返す店員は数秒後、店内で注文を復唱した。

「ねぇ、もしさ、注文したものが高級品で出てきたらどうするの? なんでもいいっていうのはやめた方がいいと思うんだけど」

 テーブルをはさんで向かいあう二人は草の上に座っている。

「面倒じゃないの。何か食べたいっていうのもないし、だったら、ここの料理とかを知り尽くした誰かにお願いした方が、おいしいものが食べられる可能性も上がるでしょ」

 何も置かれていないテーブルに右手で頬杖をつく赤と、体勢を低くして顎を置く青。その視線はなぜか、ほぼ等しくなる。

「じゃあさ、ラクリが苦手なものがくるのにアイス二つ」

 なぜかといえば、彼の尻尾がテーブルと顎の間に置かれているためである。彼の鼻先が長いこともあって、食器が並ぶにはいささか狭くなるテーブル。

「バケツアイスをそんなに食べる気? じゃ、私は結晶を、それで買えるだけ」

 口端を軽く釣り上げるラクリに、分かった、と賭けに臨むリエードだが、相も変わらず客は来ない。代わりに泉にやってきている者が増えていた。とはいっても観光地でもないため、魔法使いらしい者ばかりだが。

 飲み物が二人の元へと届けられた。先ほどと同じ店員が、お先にどうぞ、と狭いテーブルに置く。だが二人は見つめあう形のまま、食事が届くのを待った。

「で、目的の取引相手はいたの? 遺産の研究者はいないみたいなんだけどさ」

 頬杖をついたまま、泉に視線をやり始めたラクリに、

「まだいないみたい。たぶん、お昼頃じゃないかなぁ」

 探そうともしないリエードは水に興味を示し、長く太い舌を伸ばして、すくいとる。滴を垂らしながら口内へとひっこむ。その瞳も目の前の水面に映る自分を見ているだけだ。

「そう。私はこれ食べたら、そこらへんにいるわ。用が済んだら帰るつもりだから」

 のんびりとした時間が流れている中で、彼らの食事がようやく運ばれてきた。大きめの真っ赤な肉と、小さな丸いものだった。生地をサクサクとするまで焼き上げた、よくあるお菓子だ。

「ほい、新鮮生肉と、紅茶によく合うクッキーですよっと」

 客二人は背筋を伸ばして、テーブルにそれらを乗せてもらう。注文を取ってくれた青年がゆっくりどうぞー、と言い残して店内へと戻っていった。ラクリがクッキーを一枚つまんでから、飲み物を口にする。勝ち誇った笑みをわずかに浮かべながら、遅めの食事が始まった。


 先に食事を終えた紅竜は一人、代金を置いて泉のほとりで座り込んだ。人と軽く距離をとり、座り込む。鞄を開けて、小袋を取り出す。

 中にあるのはいくつかの魔結晶の欠片である。そのうちの一つを取り出して、右手に転がす。針のようにも見えるほど細い石のような、魔力の欠片。まるで宝石のようなそれは、だが宝石ほどの価値はない。

 魔法使いからすれば単なる石よりも、この欠片程度の結晶の方が価値のあるものだ。空気などよりも、非常に密度が高い魔力の塊。これを使えば、魔法であらゆる現象を再現するのも難しいことではない。

 とはいっても、魔力を思うように操ることができれば、の話だが。

 ラクリは目を閉じて、左手を腰のあたりに手を当てる。硬い感触のあるそこには、衣の下に入れられた本がある。何かを呟きながら右手を握る。

 呟きが途絶えてから、握る力が強くなる。それから目と手が開かれると、砂が握られていた。握力で砕かれたわけではないだろうそれは、さらさらとしたきめ細かさで、吹いていた風によりふわりと舞い上がる。

 次の結晶を取り出す。首をかしげて固まる彼女の背後から近づいたのは、ようやく食事を終えたリエードだ。

「まだ客は来ないの? ずいぶんとのんびりなやつなのね」

 そうだね、と返す彼は彼女の隣で横になりながら、取り出された結晶を見つめた。

「ねぇ、暇だから、魔法について教えてくれない? ラクリの知ってることだけでもいいから」

 すると彼女は結晶を針をつまむように持ち、草の生い茂る地面に突き刺した。結晶は独り立ちする。

「魔法ってよくわからない……そんなこと言ってたのはどの口かしら? まぁいいわ」

 次に本を取り出す。先ほど衣の上から触っていたものだ。

「まず、魔法っていうのは、魔力で現象を再現すること。どうやって操るかは、コレといった決まった方法はなくて、人によってはしゃべり方一つで火を起こしたり、水を大量に作り出すことができるらしいけれど……」

 本を適当な位置で開いて、指さす。リエードに見せるわけでもない。

「で、魔力自体は肉体や木、岩から水まで構築していって言われてる。だから魔法に巻き込まれて分解されてしまったっていう伝記はちょくちょくあるし、それによる事故も少なからず起きているらしいわ」

 そこに書かれているのは文字と、図形だ。

「そういうことを聞きたいんじゃないんだけど」

 リエードは抗議をよそに、ラクリは何かを呟く。

 するとどうだろうか。地面に突き刺さっていた結晶がふくらんだ。たとえるならば、風船に空気が吹き込まれているかのようだ。

「私の場合、本で魔力の感知と、引き寄せをして、魔法にしてるの」

 針ほどだった結晶が拳ほどの大きさになると、それは破裂した。正しくは、液体になってしまった。あっという間にふくれあがり、水となってしまった結晶は地面へと消えていく。見開いた目でまじまじと眺めていた青と、さも自然な光景であるかのように見つめていた紅。

「問題点として、魔力がどうあれば再現できるのか。これを理解……というか把握する方法が具体的にないのよね。指南書はあっても、それが当人に合った扱い方なのかが分からないのよ。そりゃ、訓練すればある程度は扱えるでしょうけど」

 ラクリが立ち上がって、また取り出した結晶を浅瀬に突き立てる。

「そんなものなのよね、魔法って」

 それからもとの位置に戻って、本を開く。次はページを選び、ラクリの言葉ならぬ言葉に、結晶は応えた。それは、燃え上がった。先端からボッと燃えて、チリチリと音を立てて結晶を溶かしていき、最後は水面に消えた。

「こんなところね。あ、あといいもの見せてあげるわ」

 次の結晶を取り出した彼女は、手のひらに乗せたまま、リエードに突き出す。突然の行動に、目を丸くして、思わず鼻を動かす。

 開いた手に乗った結晶がパキパキと音を立てていた。針が布のように広がり、形を変えていく。淵が持ち上がり、透明な器を形成する。目を丸くするしかないリエードは、目の前で起きている結晶の成長を見届ける。

 音が止んだころ、結晶は透明なカップのようなものになった。ラクリは泉の水をそれで汲んで、飲んだ。

「あんたに見せてなかったって思ってさ。私の得意魔法」

 それは泉から湧き出たただの水だ。さもうまそうに飲み干した彼女は、パキパキと音を立てて割れていく器を泉へと投げた。沈んだのか、分解されたのか、器は見えなくなる。

「どうやったのさ、今の。火を起こすとか、そういった類のものじゃない、よね」

 そうね、と答える赤は、泉を覗き込む。水の湧き出ているのだろう奥底では、模様のようなものが微かに見える。泉の水の発生源だ。

「そうね。結晶の魔力をそのまま、広げてみたら思いのほかうまくいっちゃったのよ。誰かに説明するとき、何かいい言葉ある?」

 誰がどういう目的で、そこに作ったのかはわからない。市場ができる前からそれはあるのだから、なおのこと、謎だらけだ。

「魔力を広げる? ……意味わかんない。あえて言うなら、展性、かなぁ?」

 それが魔法であり、この世界の、理の一つである。泉の周りで、研究者たちは泉の底を覗き込んでいる。

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