第4話
熱く明滅する暗闇。ひどく息苦しいのに、不思議とその闇は温かく、私は母に抱かれているような心地よさに浸っていた。
今、私はどこかに寝かされているようだった。がさがさとした硬い敷物の感触が、背中と臀部に伝わってくる。香でも焚いているのだろうか、熟んだ果実のような濃密な芳香に、脳の髄までとろけてしまいそうだった。
胸の上に、誰かが手を触れた。しっとりとした柔らかな、微熱を持った女の手。その指先が、胸毛の群を横切り、鳩尾まで流れていく時、甘美な痺れが背骨を駆けのぼった。
――梨香。
その慈愛に満ちた愛撫の主は、日本に残してきた妻に違いなかった。久しく触れていない彼女の肌を思い出し、鼻の奥がツンと沁みた。
梨香。いつも出張ばかりで家を空けて、すまなかった。
仕事、仕事とつれなくしていた私に、妻はこんなにも優しくしてくれている。今度こそ、何よりも彼女を大事にしようと、心の底で固く誓った――
「梨香……」私は彼女の手を掴み、目蓋を開いた。
しかし、そこにいたのは妻ではなく、見知らぬ女だった。
女は驚いたように私を凝視し、ぼんやりと口を開けている。赤々と燃えるたき火が、彼女の輪郭を柔らかく浮き立たせていた。
うるうるとしたあどけない瞳に、ほのかな色香を漂わせる厚みのある唇。艶のある黒髪を縄のように丹念に編み込み、粗末なワンピースを纏っている。少女とも女ともつかない危うい肢体が、ぴちぴちと引き締まった魚を思わせた。
そして何より、私をひきつけたのは、彼女が身に宿す青だった。健康的な小麦色の肌を彩る、青い花弁の群。それはむき出しの腕から広い額に至るまで、全身に舞い散り、炎の光を浴びてゆらゆらとあやしく浮かんでいた。
「ここは……」
身を起こそうとした瞬間、鈍い痛みが頭部と左足に襲いかかった。堪らず、私は情けない呻き声を漏らす。
「だめよ、まだ寝てなきゃ。足が折れているの」
私を押しとどめる彼女が口にしたのは、久しく耳にしていない日本語だった。なぜ、未開の島に住む女が、そんな言葉を知っているのか。
「かわいそうに、あなたは穴の中に落ちたのよ。痛かったでしょう……」
そう言って、彼女は包帯を巻いた私の頭に手のひらを当てた。そうすると、痛みが波のように過ぎ去り、代わりにじんわりとした温かさが身を包んだ。柔らかな女の手と聖母のような微笑に、私はすっかり安堵していた。
「さあ、これを飲んで。そして眠るの。そうすれば、すっかり良くなるから」
女は私の頭を抱きかかえ、口元に木の器をあてがった。中身はどろりとした、青黒い液体だった。今まで嗅いだことのない強烈な臭いが、針のように鼻腔を突き刺した。
私は必死で拒もうとしたが、その恐ろしい液体は容赦なく唇の間に流れ込んできた。それは動物の生き血を煮詰めたように生臭く、まるで悪夢のようだった。たちまち舌の感覚が蒸発し、脳の神経が焼き切れた。
すさまじい悪寒と吐き気の中で、私は再び意識を手放した。
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