初デート

キヨ

夫の優しき言葉

時久のとある一言に、吉乃の目が見開いた。

 「と……時久様。冗談ですよね?」

吉乃が首を傾げると、時久は吉乃の小さな手をとった。

 「冗談じゃ無い。……吉乃」

時久が吉乃を見据えた。少しだけ時久が怖くなってしまった吉乃は、

 「は、はい」

 「今度の休みにデートでもしないか。俺も休日は仕事が入っていない。さっきも言っただろう?」

 「わ……私なんかでいいのですか?」

若干だが遠慮するように吉乃は言った。が、

 「吉乃だからいいんだ。じゃ、休みの日、楽しみにしているよ。さて、俺は仕事に行ってくる」

時久はビジネスバッグを持つと、玄関を出て行った。

 九条時久と一条院吉乃は夫婦である。だが、吉乃が幼いため、時久とは兄と妹のような関係であった。お互いに好き合って結婚したわけではないが、時久と吉乃は仲がよかった。

 「時久様……。私なんかとデートして何が楽しいのかな?」

誰にも聞こえないような小さな声で吉乃が呟いた。だが、それは時久の実母、吉乃から見れば義母が聞いていた。

 「吉乃さん。時久は吉乃さんを大事にしているのよ。だから、あまり自分を責めないで。それが、私からのお願いよ」

吉乃は義母を見上げ、

 「ですが、時久様は九条家当主のお方です。私などとデートしたって楽しくないでしょう」

 「そんなことない。時久は私によく言うわ。”俺には過ぎたる妻だ”と。だから吉乃さん」

そこで名前を呼ばれた吉乃ははっと我に返った。

 「はっ、はい!」

 「時久を楽しませてあげて。あの子は仕事が仕事だから殺伐としちゃうのよ」

義母は小さく微笑んだ。そう、九条家当主、九条時久の仕事はボディーガードである。怪我をすることは日常茶飯事なのである。

 「分かりました。時久様の妻である私の役目ですね。どうにかお役目を果たします」

そう言って、吉乃は義母に頭を下げた。そんな吉乃の肩を優しくぽんぽん、と叩くと、

 「じゃあ、よろしく頼むわね。吉乃さん」

居間の方へと歩いて行ってしまった。吉乃は廊下に一人、残された。

 「私も部屋に戻ろう」

踵を返し、吉乃は自室へと戻った。

 日にちが経つのは早いもので、時久と約束したデートの日がやってきた。吉乃はと言えば、明け方に目が覚めてしまった。

 「何だ……、まだ四時なんだ」

はあ、と吉乃はため息をついた。

 「もう、起きよう」

ざっと着替えを済ませ、キッチンへと行くと、夫、時久と出会ってしまった。なんとなくバツが悪い。

 「と……時久様。おはようございます」

深く、吉乃は時久に頭を下げた。

 「吉乃、おはよう。それより、頭を上げてくれないか?」

 「すっ、すみません!」

吉乃の瞳を、時久の切れ長の瞳がじっと見つめてきた。

 「私の顔に何かついていますか?」

きょとんとする吉乃に、時久は、

 「いや。吉乃の顔が見たかった」

それだけを言って、時久は小さく笑った。

 「デート、楽しみにしているよ。今日の朝九時、玄関に集合な」

ひらひらと手を振ると、時久はキッチンを去って行った。

 キッチンで一人食事をした吉乃は、素早く自室へと戻った。

 「何の服がいいかな……?」

鏡台を目の前にして、吉乃は悩み始めた。まずはクローゼットからワンピース数着を取り出し、着てみた。

 「これじゃ、子供みたいね」

そして、次の服へと挑戦する。

 「うーん。時久様、こういう服好きかな?」

吉乃はどんどん迷っていく。そして、決めたのが少しレトロな花柄のワンピースだった。

 「これで決まり」

小さく吉乃は鏡台に微笑んだ。髪を整え、薄くメイクを施し、時計を見る。時刻はもうじき午前九時を迎えようとしていた。

 「大変! 遅刻しちゃう!」

小さなハンドバッグを持つと、吉乃は急いで自室を出た。

 玄関にはすでに、時久が腕時計を見つめながら待っていた。黒いジャケットを羽織った時久は、どこかコウモリを連想させた。

 「時久様! 遅れてしまい申し訳ありません!」

吉乃は深く時久に頭を下げた。だが、時久は吉乃の肩を軽く叩く。

 「遅刻なんてしていないよ、吉乃。今が午前九時ジャストだ」

 「え……?」

 「ほら、見てごらん」

時久は吉乃に腕を突き出した。

 「今が九時なんですね。私てっきり遅刻しちゃったのかと……」

はにかんだような笑みを吉乃は浮かべた。

 「じゃあ、行こうか。吉乃」

ぶっきらぼうに時久は吉乃に手を差し出した。若干時久の顔が赤い。そんな時久を見た吉乃は小さく笑ってしまう。

 「時久様らしくないですね」

そう言って、吉乃は時久の手を取った。

~~~

 時久と吉乃は公園の中を歩いていた。おそらく他人から見れば、仲のよい兄妹に見えるだろう。だが、この二人はれっきとした夫婦である。

 「時久様が私を誘ってくれるとは思いませんでした」

周りの木々を見ながら、吉乃が微笑んだ。

 「吉乃は俺の大事な妻。デートくらいしたって普通だろ?」

”妻”という言葉に吉乃は反応してしまう。そう、一条院吉乃はまだ十六歳だが、九条時久の妻である。まぁ、幼妻ともいう。

 「皆がいるところで言わないで下さい。私、恥ずかしいです……」

吉乃は顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。そんな吉乃の顎をくい、と時久は上げた。

 「な、何ですか。時久様?」

緊張してしまい、吉乃の視線は時久を見ることがまったくできない。そして、目を閉じてしまった。

 「まあ、吉乃らしいな」

そう言って、吉乃の顎を下げた。

 「それにしても、休みって言うものはいいものだな。久しぶりに羽を伸ばせたよ」

大きく、時久は腕を広げた。大胆にも吉乃は時久の胸に飛び込んだ。

 「いきなりどうした!? 吉乃?」

大人げなく時久はたじろいでしまった。小さな吉乃を見下ろせば、吉乃は目に涙をためていた。

 「時久様。九条家現当主なのは私も充分知っています。ですが、お体だけは大事にして下さい」

吉乃の瞳から、涙が一筋零れた。

 「吉乃。俺のことは心配するな。現当主として、そしてボディーガードとして俺は働いている。だから、吉乃の心配することじゃないんだよ」

優しげに時久は言うのだが、吉乃はワンピースの袖で目を拭っている。

 「ああ、そうだ。アイスでも食べないか? そこにアイス屋がある。俺が買ってくるよ。吉乃は何を食べる?」

 「私はストロベリーがいいです」

小さな声で吉乃が言った。その言葉を聞いた時久はアイス屋へと走って行った。そんな時久を、ベンチに座りながら吉乃は見ていた。数分経ったころ、時久がアイスを持ってやってきた。

 「ありがとうございます、時久様」

時久からアイスを吉乃は受け取った。そして、ぺろりとアイスを舐めた。

 「おいしい……」

 「なぁ、吉乃」

アイスをほおばりながら、時久が吉乃を見つめた。

 「何ですか?」

 「その敬語使い、やめてくれないか? 俺達は夫婦だろ?」

にっこりと笑いながら時久は言うのだが、吉乃は、

 「何を言っているんです、時久様。私の実家、一条院家と時久様の九条家とは、家柄が違います。……それに」

そこで吉乃は言葉を切った。

 「私の方が時久様よりもうんと年下の子供です。本来ならば私よりも時久様に似合った女性がいます」

幼妻、吉乃にそこまで言われてしまうとは時久は思わなかった。

 「吉乃、よく聞いてくれ」

すでにアイスを食べ終わっていた時久は、吉乃の細い肩をぐい、と掴んだ。

 「な、何ですか?」

 「俺に似合った妻は、吉乃、お前だけだ。俺は吉乃が俺よりもうんと年下だからって嫌いになったりしない。誰が何と言っても、俺の最愛なる妻は吉乃、お前だけなんだ」

その言葉に、吉乃は持っていたアイスを落としてしまった。そのアイスは、時久のジャケットにもこびりついた。

 「すみませんっ!」

慌てて吉乃はポケットからハンカチを取り出すと、時久のジャケットを拭きはじめた。が、

 「吉乃。このジャケットは安い店で買ったものだ。だから気にするな」

時久はそう言うと、ジャケットを脱いだ。中に着ていたのはジャケットと同じ色のシャツだった。

 「さ……、寒くないのですか? 時久様?」

心配そうに吉乃は言うが、時久は首を横に振った。

 汚れてしまったジャケットを脇に置くと、時久はベンチに深く腰掛けた。

 「吉乃は、俺なんかと結婚してよかったと、本当に思っているか? 吉乃から見れば俺なんてただの”おじさん”に過ぎない」

 「何てことを仰るのですか。私などを妻に迎えていただいただけで幸せです」

頬を少しだけ赤くすると、吉乃は時久を見上げた。

 「そうか。吉乃はそう思っているんだな。俺はそれだけで嬉しいよ。だがな、吉乃」

いったん言葉を切ると、時久は吉乃の瞳を見つめた。

 「何か嫌なことがあったら、俺に話せ。俺にできることなら、俺が解決する」

その言葉を聞いた吉乃は、時久の肩にもたれた。

 「今日の吉乃は大胆だな……」

少しだけため息をつきつつ、時久は笑った。

 と、そのときだった。時久と吉乃が座っているベンチの周りに、男が一人、銃を構えていた。

 「一条院吉乃! 貴様をここで殺す!」

その声は吉乃の表情を絶望へと落とし込んだ。時久は、

 「貴様は一体どこの人間だ?」

 「俺は一条院吉乃を殺せ、と頼まれただけだ!」

運の悪いことに、時久は銃を持っていなかった。

 「要するに雇われ屋、か。貴様に吉乃は殺させない」

時久と男のやりとりを聞いている吉乃は小さく震えていた。ふいに、誰かが吉乃の腕を引っ張った。その人物は、時久だった。

 「逃げるぞ、吉乃!」

思い切り時久は吉乃の腕を引っ張り、走った。

 「どうやら撒いたようだな……」

時久が肩で息をしていた。それは吉乃も同じだった。

 「時久様! 私のせいでご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません!」

吉乃が泣きながら時久に頭を下げていた。

 「私のせいでいつも時久様は命の危険にさらされています……!」

そう、一条院吉乃はいつも命を狙われているのだ。だから、ボディーガードである時久と結婚したといっても過言ではない。理由があってこそ、の”結婚”なのだ。そんな吉乃を見た時久は、ぽんぽんと優しく吉乃の頭を触る。ふんわりとしたシャンプーの香りがした。

 「吉乃。よく聞いてくれ。俺はボディーガード。だから、吉乃の命は絶対に守る。今、ここで誓う」

そう言った時久の瞳は、決意の表情を固めていた。

 「で、でも……。私なんかと結婚したせいで、時久様は命の危険にさらされているのですよ?」

 「いいんだ。たとえ好き合って結婚したわけでは無いが、俺はお前のことが好きだ」

その言葉を聞いた吉乃は、自分の頬に手をやった。

 「本当、ですか?」

 「ああ。誓って。吉乃は俺だけの妻だ。そして、吉乃がいなければ、俺の存在価値がなくなってしまう」

さらに吉乃の頬が赤くなる。そして、吉乃は時久の腕にそっと触れた。

 「ありがとうございます……! 時久様!」

 「よかった。吉乃の機嫌がなおった。ほっとしたよ、俺は。じゃあ、そろそろ帰ろうか。命をこれ以上狙われたら大変だもんな」

なんと時久は、吉乃をお姫様抱っこした。

 「と、時久様! 歩けますから!」

吉乃は顔を伏せてしまう。

 「たまにはいいじゃないか。俺達は”夫婦”だぞ?」

にこりと時久は吉乃に笑いかける。

 「さて、帰ろうか。吉乃」

ゆったりとした声で時久は言うと、九条邸へと向かって行った。


END

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