第19話 最終回

「しかり。われらは全ての細胞セルをすべるものである」

 創造主クリエーター――城塞都市カロン全体を包む、あの透明な膜がついに話しかけてきた。ウィルムも、それと似た球体に包まれて波間を漂っていた。『われら』と複数形なのには疑問を感じた。

 クリエーターが続ける。

「われらはいま病んでいる。セルのひとつが勝手な行動を起こし、外部から騎士を連れ込んだ。さらに病気は進行し、レムやイシスのセルへと広がった」

 市民の全ては複製レプリカだとレムは言っていた。その1人ひとりの単位がセルなのだろう。ウィルムはそう理解した。

「ウィルムよ。おまえはわれらの体内で暴れまわっているのだ。騎士とは戦闘の専門家だという。串刺しにされたり、首をはねられたり、爆死させられたりと、われらのセルはひどい目にあった」

 それはこっちのセリフだと言いたいが、

「そなたを傷つけたのはあやまる。レムから説明されるまで、そんな事情とは知らなかった。そなたはいったい何者なんだ」

「われらは、おまえたちが地球と呼ぶ天体の民ではない。宇宙のかなたには多くの星が存在する。われらはそのひとつからやってきた」

 とほうもない話であり、ウィルムには信じられないものだった。

「だが、どうやって空を渡ってこれたのだ?」

「おまえたちが船で大海原を渡るように、われらには宇宙を航海する船がある。そして、われらの体は宇宙船そのものでもあるのだ」

 ウィルムの知識の範囲では、にわかに理解できないことばかりだ。

「では、どうして地球にやってきた。その目的はなんだ?」

「この星を研究する学術調査のためだ。深海には、船やその積み荷など、たくさんのものが沈んでいる。それらを調査し、再現するのが主な活動だ。例えばおまえの剣だが、それも海底に落ちていたのを複製した」

 ――どおりで、拝領した剣とそっくりだった。

「それで城塞都市カロンの複製もつくりあげたのだな」

「しかり。われらは、深海に沈んだカロンの遺跡を発見した。そのかつての姿を再現するのは、学術的に大きな意味があると判断したのだ。だが、都市のレプリカをまるまる創るとなると大仕事だ。数々の困難が予想された。そんなおり、カロンに関して多くの知識をもった人形を拾った」

 それがレムなんだ、とウィルムは納得した。

「こうしてカロンの再現が始まった。まずはわれらが腰をすえる場所を決めなければならない。遺跡のあった場所は深く、水圧が高すぎた。そこでおまえがケルト海と呼ぶ海底に、あまり深すぎない、平らな地盤を見つけた。そこに落ち着くと、われらは体内に城塞都市を複製しはじめた」

 そのさい、レムの記憶にあった600年前のカロンの様子は、非常に参考になったという。木造家屋は現物がのこっていなかったので、なおさら貴重な知識だった。レムはすでに動けなくなっていたが、口は利けた、都市の再現にあたり、様々なアドバイスをもらったらしい。

「さらにレムは都市に住む多くの人々も覚えていた。市民を複製するさい、われらのセルにその1人ひとりをわりあてた。とはいえ、レムが住人のすべてを見知っているわけではない。そこで市民の20人の1人のわりあいで同じ顔を混ぜた。何百人といる兵士は面倒なので全員同じ顔にした」

 ウィルムはいくつかの疑問がわきあがった。

「櫛などの小物や日用品、さらには服飾品にいたるまで全て複製したというのか」

「可能なかぎりそうした。われらが学術調査を始めてから1世紀がたつ。その間にあらゆるレプリカを作ってきた。カロンの再現を決めたとき、すでにそうしたノウハウをもっていたのだ」

「では、大気もそうなのか。太陽や月も、水や食物まで再現したのはなぜだ」

 もちろん、それらがあったから、ウィルムはカロンで生活できた。だが、外部からの侵入者である自分のため、そこまでしたとは思えない。

「われらのセルにとっても必要だからだ。海水にとけこんだ酸素をとりこみ、塩を抜いて川にそそいだ。膜の内側に空をえがき、発光させて太陽や月を表現した。食物は海中の微生物から合成した」

 どおりでまずいと思った。ウィルムはその味のひどさに魚の餌かと思ったほどだが、本当にそうだったらしい。

 クリエーターが話を続ける。

「都市をつくり、そこに市民を配置するだけでは、ただの箱庭だ。そこであるストーリーを進行させることにした。レムの記憶でもっとも鮮明だったネルの物語がそれだ。それぞれのセルに配役し、人物を複製しようとした矢先、セルのひとつが役割を放棄して勝手にふるまいだした」

「それがネルになるはずだったものか」

「しかり。われらはセルの1つひとつからなり、それらが集まって全体を構成している。あらゆる決定は全体の意思によってなされる。セルのひとつが自分の意思をもって行動するなど決して許されないのだ」

 かれらに、『個人』の概念はないのだろう。クリエーターが、自分を『われら』と呼ぶのはそういうわけなんだ、と理解した。

「カロンが完成し、市民を配置する前に、体内の空気の入れ替えを行なった。すみやかにそれを実行するため、海上から酸素を取り込んだが、それがうず潮を引き起こし、おまえの侵入を許す結果となった」

 ネルの物語にウィルムがまぎれこみ、セルたちは混乱しただろう。出会う人物の全てが困ったような表情をしていた。さらにネルを演じるはずだったセルが、アミリアになったのだから、なおさらだ。

「おまえがカロン城に乗り込んだとき、その排除も考えたが、騎士を相手に戦えば、どんな目にあわされるか知れたものではない。そこで土牢に閉じ込めたのだ。その後のなりゆきは、おまえの知るとおりだ。ネルの物語は何度も修正をよぎなくされた。途中でレムの容態が悪化し、後半は駆け足になったのがかえすがえすも残念だが――。われらにそむいたセルよ」

 クリエーターの呼びかけに、ウィルムを包む膜がふるえた。

「ラストシーンだけはきちんと演じてくれたのには、われらも満足している。しかし、悪性セルを放っておくわけにはいかない。われらは、おまえとその騎士とを切り捨てる決定をした。これで終幕だ」

 周囲の海水が白く泡立ちはじめた。

 それは細かい泡となって舞い上がり、揺らめく空へ吸い込まれていく。

「最後にたずねる。そなたはなぜ記憶の再現にこだわる」

 ウィルムは空に向かって声をはりあげた。

「記憶は誰かが残そうとしなければ、いずれは消えてしまう。それを保存するのがわれらの人生のいとなみでもあるのだよ」

 海面が白いあぶくとなって上昇するにつれ、水位は下がる。神殿があらわれ、その向こうに、主塔とそれを囲む城壁が見えはじめる。

 ウィルムを包んだ球体は、中央広場を漂っていた。

 前方から大きな帆船が近づいてくる。高いマストの上半分はすでに泡となり、船体は輪郭がくずれかけていた。高くそびえる船べりから、たくさんの市民がのぞく。なかにはウィルムの知った顔もあった。

 修道院長や修道女たち、施療院の職員がいる。王妃や王子、ゲルダーや兵士たちがいる。その姿が色をうしない、輪郭がくずれ、透明な球体になって浮き上がる。それぞれのセルが役目を終え、もとの姿に戻ったんだ。

 レプリカだとわかっていても、不思議とさみしい気持ちになる。

 だが、あれはまぼろしじゃない。はるか600年も昔に、城塞都市カロンで生き、笑い、怒り、泣いた人々なんだ――。

 ウィルムの胸に熱いものがこみあげてきた。

 巨大帆船に乗った市民のすべてが、透明な球体になり、上空にたまった泡と合流しはじめる。イシスが手を振って、泡立つ空へ吸い込まれていく。イシスのセルは悪性と判断されなかったらしい。

 水位はずいぶん下がっていた。メインストリートの向こうに、都市を囲む壁が見えてきた。その輪郭が白く泡立ち、ぼやけている。市壁の上部がくずれ、細かい泡となって、いっせいに舞い上がった。

 ひときわ高い城の主塔が上部からくずれる。さらに都市の全ての建物が、上から下に向かって、白いあぶくになり、空高くのぼっていく。

 ウィルムを包んだ膜が回転する。

 海はますます泡立ち、水位の低下にしたがって、上空は立ちのぼる記憶のかけらでいっぱいになった。雲のように膜の内側をおおっている。

「これはお返しします」

 アミリアの声が言い、小さなきらめきが、ウィルムの腹の上に落ちた。

 金色の結婚指輪だ。

「アミリアさんのものです」

 左手のひらに指輪を乗せる。ウィルムはぎゅっと握りしめた。

「これから、カロンをおおっていた空がくずれます。全てのセルがいったんばらばらになり、再びひとつにまとまるのです。そうなると本物の海中に投げ出されます。わたしたちも浮上しましょう」

 ――本物の海中? そうだ。ぼくはいま海底にいるんだ。

 上空をおおう記憶のかけらが白く発光しはじめた。まばゆいきらめきのなか、ウィルムを包んだ球体も浮き上がりだす。体が回転し、光が乱反射する。

「きみには感謝しなければならない」

 ゆっくり上昇しながら、ウィルムは口を開いた。

「どうして。わたしは自分がアミリアさんだと、あなたをあざむいてきた」

「ぼくは、きみがアミリアの記憶を選んでくれて、心から感謝している。はじめから彼女の死を突きつけられていたら、とても生きていられなかった。その死の責任から、あとを追っていたかもしれない」

「アミリアさんが、かけがえのない存在だったからですね」

「アミリアと過ごした時間は短かったけれど、その記憶は他に代わりのないものだから、それだけ彼女を大切に思った」

「ごめんなさい。そんなアミリアさんをわたしは……」

「それを言いたいんじゃない。かけがえなくても、その思い出はもう発展しない。それにしがみついていたら、そこから1歩も前進できなくなる。新しい記憶をつくりあげていく必要があるんだ。きみがアミリアの複製でも、きみと過ごした日々まで、にせものだったことにはならない」

「――そう言ってくれて、うれしい」

 ウィルムを包む膜が震えたようだ。

「きみは津波に立ち向かう前に、ぼくが贈った櫛を施療院に取りに戻った。兵士に追われ、置き忘れてきてしまったものだ」

「わたしにとっては、大切な思い出の品だから」

「その話を修道院長から聞くと、ぼくは施療院を飛び出していた。きみが津波に挑むと考えると、いてもたってもいられなくなった」

「あの波にのまれていたら、あなたは死んでいたかもしれない。イシスの船に乗れば助かると、レムから聞かなかったんですか」

「おれは伝えたぜ」

 レムの抗議が聞こえた。

「知っていた。きみがアミリアじゃないとわかっていても、ぼくが命を賭してきみを守りたいと思ったのは、ぼくがきみの騎士だからだ」

「ありがとう。わたしの騎士さん」

 その言葉は喜びにあふれているようだ。

「礼を言うのはぼくのほうだ。きみのおかげで、新しい1歩を踏み出せそうだ」

 白く発光する、記憶の泡のなかに突入した。そのとたん、ウィルムを包む球体がはねあがった。くるくる回転する。

 眼下に、巨大な泡ができていた。カロンをおおっていた膜が破れ、内部を満たしていた酸素が、シャボン玉のようにふくらんだのだろう。

 ウィルムを包む球体が押し上げられ、急激に浮上しはじめる。かつてレムの記憶であったかけらが、白くきらめきながら周囲を漂う。

「このまま、あなたを海上にお連れします」

「きみはこれからどうする」

「わたしは仲間から切り離されました。いったんばらばらになったセルは再びひとつになり、新たな記憶を求めて海中をめぐります。わたしはもうそこには戻れません。深い海の底で暮らすつもりです」

「そうか。ぼくは、きみのためになにができただろう」

「わたしをかけがえのない『記憶』にしてくれました。それは深海に沈みます。これからは新しい記憶をつくっていってください」

「わかった。かならずそうする」

 下方から衝撃がきた。

 カロンのあった場所でふくらんだ泡が弾け、空気のかたまりが、無数の泡となって舞い上がった。その勢いで、ウィルムの入った球体も旋回する。周囲を舞っていた白いきらめきも、いっしょに吹き上がる。

 600年前、レムはカロンの画集を作ろうとして描かずじまいだったという。だが、海底にあんな立派な都市を完成させていたんだ――。

 そのときウィルムは、はっと目を見開いた。

「きみに櫛を贈った夜を覚えている? きみはいっしょに雪が見たいと言い、ぼくはかならず見せると約束した。見てごらん」

 周囲で粉雪が舞っている。頭上で記憶のかけらが発する光に照らされ、白い粒が、あるものは跳ね、あるものは旋回し、海底に降りそそいでいる。

 そのひとひらが、目の前の膜に触れる。

「きれい。冷たくない雪ですね」

「これが、ぼくの最後の魔法だ」

 雪がとけるように目頭がにじんだ。


 小型帆船に救助されたのは、ケルト海に浮上した、翌日の朝だった。

 それまでウィルムは〈記憶〉の膜に包まれ、大海原を漂っていた。船影が見えると、球体は細かい泡となってはじけ、ウィルムは海に投げ出された。水泳は得意で、船までいっきに泳ぎきった。

 その帆船はコート伯のものだった。ウィルムがアミリアとともにコートアイランドを出帆して、何日もブリテン島に着かないので、それを心配した叔父が、ケルト海を捜索させていたという。

 ウィルムはさっそく船長のもとに通され、ともに食事をした。

 ビスケットと塩漬け肉は、最高にうまかった。ウィルムはがつがつと食べた。カロンでは魚のえさばかり食べてきたので、なおさらそう感じた。

 船長から捜索の経緯を聞いた。

 ウィルムの乗っていた帆船は、まだ見つかっていないらしい。アイルランドの岸に、板材が流れついたということだ。もちろん従者や船員、それにアミリアの消息はわからなかった。

 食事のあと、船長といっしょに甲板に出た。

 ウィルムは船べりによりかかり、遠く、ブリテン島の島影を眺めた。背中に風を受け、うしろ髪が舞い上がる。船長はなにか言いたそうだった。

「アミリアさんの捜索をもう少し続けましょうか」

 船長が言いにくそうに口を開いた。

「何日、探している?」

 ウィルムは、船長に顔を向けずに訊いた。

「かれこれ5日になりますか。もちろん、まだ希望はあります」

 ウィルムの左手で、薬指と小指に並んだリングがきらめく。

 アミリアはもはや戻ってこないだろう。ならば答えは決まっていた。問題はいつ、その決断に向かって足を踏みだすかだ。そのタイミングは、相手との距離や関わり方などにより、人それぞれだろう――。

「その指輪は?」

 船長が、ためらいがちに尋ねてきた。

「これか。この小指にはまっているほうは、妻の形見だ」

 船長の顔に広がる困惑は無視して、

「追い風だ。帆を上げろ。ブリテン島に向かって出発だ」

 ウィルムは力強く命じた。

 船長が指示を出し、にわかに甲板は慌ただしくなった。白い帆が上げられ、順風を受けて大きくふくらむのが、その音でわかった。

 ウィルムの視線はまっすぐ前方に向けられていた。強い海風が背中を押し、船はブリテン島を目指して進みはじめる。

 ふと、イシスたちが避難した帆船は、あの大津波を乗り切れただろうか、と懸念した。船内にいれば安全だとレムは言っていたが、現実にどうだったかはわからない。そこまで記憶が残っていないからだ。

 ウィルムは、イシスとともにした冒険を思い出した。その行動から、イシスのオリジナルのほうも、勇猛果敢な少年だったと想像できる。

 彼ならきっとカロンの人々を救出しただろう――。

 ウィルムは心からそう信じた。


                * * *


 ウィルムが海中で見た無数の白い粒子は、プランクトンなどの遺骸だったと思われる。それが舞い降りる様子が、雪に見えたのだろう。クリエーターは、海中の微生物を食物にしていると言っていた。カロンのレプリカがあった海域では、プランクトンが多く生息していたのだろう。

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