第11話 レム
ネルを乗せた馬車がメインストリートを走る。
おれは、流れいく街の景観を目にきざみこんだ。あとで絵に描こう。記憶力には自信がある。おれは顔は悪いが、頭はいいんだ。
神殿のわきを抜けてT字路を曲がると、道の片側が開けた。都市を囲む壁の向こうに、岩山が連なる。岩山を背景に、城の主塔があらわれた。掘りにかかった吊り橋を渡り、馬車は城門の前で止まった。
そびえる城壁はなかなか立派で、おれの気に入った。
門が開き、馬車は城壁をつらぬく細い通路を進む。通路を抜けると、大きな中庭が広がった。その中央に、ずいぶん高い塔が立っていた。来る途中、まっさきに見えてきたのが、これだろう。
おれたちは中庭の手前で馬車を降りた。
兵士に連れられて、主塔の奥の3階建ての建物に向かう。2階にある両開きの扉を通り、縦に長い大広間に足を踏みいれた。両側には、たくさんの兵士がたむろしていた。鎖で編んだ頭巾の下から、鋭い目をのぞかせる。
兵士に背中を押され、ネルが板の間を進んだ。
両側の壁には、刺繍のほどこされた色鮮やかな敷物がかかっている。大広間の奥は一段高く、ひさしのついた椅子に、えらそうな中年男と繊細そうな少年が座っていた。ネルはその前で止められた。
中年のほうは、王冠をかぶり、顔中ひげだらけだった。少年は白い顔をして、ひどくやせている。まるで白アスパラのようだ。
壇の片側に机がおかれ、兵士とは雰囲気の違う、芸術家っぽい男がいた。羊皮紙を前に羽根ペンを持ってひかえている。画家だろうか?
背後から、ゲルダーと名乗った男が進み出てきた。
「陛下。マナンのまつえいにございます」
マナン――の言葉に、ネルの体がびくりと動く。
大広間のあちこちから、押し殺したような声があがり、室内に満ちていった。おれは、その場の空気を和ませるため、ダンスをする気にもならなかった。
陛下と呼ばれた男が、壇上からじろじろ見下ろしてくる。
白アスパラは、なぜかひどく怯えていた。
「そのあかしは?」
陛下が、低い声で訊く。
「わたくしの、この目でございます。この者はあやしの力により、空中に舞った丸太を止め、自在に操ったのです。それは兵たちも見ており、そのとき船着場にいた全員が証人でございます」
ゲルダーが、肩をそびやかして証言した。
「申し開きはあるか?」
陛下が大きな体を乗り出し、ネルに問いかけた。
ネルは、なにも答えなかった。
これはいったいなんなんだ? まるで裁判じゃないか。
「申し開きはないようです。マナンの所業はこれだけではございません」
ゲルダーが、ネルのかたわらの兵士に合図を送った。
「夜警。マルメロ」
うしろで扉の開く音がし、おぼつかない足音が近づいてきた。
ネルのわきを通り、陛下の前に出てきた男は、ひょろりと背が高く、態度に落ち着きがなかった。間違いない。塔の男だ。ネルのまねをして川に落ち、心臓発作を起こした。――まずい展開になったな。
「わたしはマルメロと言います」
男が頭を下げてから、話しだした。
芸術家が机の上でペンを走らせる。
「その日は夜警の当番でした。市門が閉まったあと、わたしは塔に上がり、勤務についておりました。その少女は、外で門番となにか話していたようです。やがて川岸に向かい、草むらでなにかを作りだしたんです。草船でした。それを川に浮かべると、なんと少女はその船に乗って、川を渡りはじめたんです」
そう見えたんだろうな。ネルは船には乗っていない。その航跡をたどったんだ。
「草舟で川を渡ったと」
陛下はおおいに興味を示したようだ。
「人間の所業ではございません。まさにマナンの恐るべき力です」
マルメロが証言を結んだ。
「おまえもマナンのまつえいだそうだな」
国王の言葉に、マルメロが、ぶるぶると首を振った。
「めっそうもございません」
「おまえの友人のひとりが、おまえがマナンのまつえいであり、その力を見せてやると言ったのを聞いている」
「とんでもございません。あれは酒のうえの冗談でして」
「酒が入っていようといまいと、マナンというのは、この島で軽がるしく口に出せる言葉ではないぞ。おまえも言い伝えは聞いておるだろう」
そう言って、ゲルダーがにらみつけた。
「申し訳ございません」
おれは嫌な気分がしてきた。この陛下という男は、報告を受けていながら、すっとぼけている。こんなの茶番だ。
「なるほど。よくわかった。証人はこの男だけか」
「もうひとり、おります」
ゲルダーの合図で、再び、ネルのそばの兵士が動いた。
「修道女。エリス」
おれは心臓がひっくり返りそうになった。まずい。ぜったいにまずい。
扉が開くや、慌ただしい足音がした。
「この女は魔女です。神の敵です。こんな女を生かしておいたらいけません」
エリスの声が室内に響き渡った。
その目はつりあがり、憎悪に満ちあふれていた。
「無礼であるぞ」
ゲルダーのきつい声が、エリスの訴えをさえぎった。
「陛下の御前である。謹んで進みいで、証言にのぞむのだ」
エリスがきっとネルをにらむ。
エリスの足音が近づき、ネルの横を通り抜ける。すれちがいざま、おれはにらみつけてやった。エリスが、おぞましげに目をそむけた。
「わたしは
エリスが証言をはじめた。
「エーリヒという患者が入院しておりました。1週間ほど前でしょうか、彼の病気が悪化し、激しい腹痛におそわれました。先生は予断を許さないと申します。その晩、わたしは心配になり、宿舎を離れて病室に向かいました。月の明るい晩で、あの女がなかにいるのが窓から見えました。女は患者の上にかがみこみ、その腹に手を突っ込んで、なにかを取り出したんです」
大広間がざわついた。兵士たちが顔をしかめる。
陛下はつまらなそうだ。椅子に深く腰かけ、ひじかけに乗せた手で、ひげ面を支える。反対に白アスパラは、がたがたと震えていた。
「それでエーリヒは死んだのか」
陛下が退屈そうに訊いた。
「いえ、病気は治り、退院しました」
「それがどうした」
陛下はあまり興味がないらしい。
ゲルダーの表情がくもる。どうもゲルダーが証明しようとしている内容と、陛下の思惑とは食い違いがありそうだ。
「この女は魔女なんです。施療院の患者を殺しました。ワインに毒をもって……」
エリスが声を荒げる。
「ゲルダー。この女はなにを言っておるんだ。魔女など、この裁判に関係ないぞ」
「そうではありません。おい、女」
ゲルダーが、エリスをうながした。
エリスが振り返り、ネルの腰を指さす。見ているのは、おれだった。
「あれは悪魔の人形です」
なんだって。おれは、のけぞりそうになるのを必死でこらえた。
「わたしはあの呪われた人形を川に捨てようと考えました。それで女のすきをみて奪うと、船着場に向かったんです。わたしが川に投げ込もうとしたときでした。あの人形が指にかみついたんです」
嘘だ。おれに歯はないぞ。指にしがみついただけだ。
「その人形をこれへ」
陛下が命令し、かたわらの兵士が近づいてきた。
ネルは、おれをかばおうとしたが、兵士の力にはかなわなかった。腰ひもから引き離され、おれは、兵士のごつい手に握られた。
ネルが飛びかかる。それを見計らったように、兵士がネルの体をかわしつつ足をかける。前のめりに倒れたネルが、床に手をついた。兵士が剣を抜き放ち、その切っ先をネルのうなじにあてる。
おれはたまらず動いていた。
「レム。だめ」
ネルの声など耳に入らなかった。
おれは、握られた手にかみつき、兵士の力がゆるんだすきに、ネルの背中に飛び下りた。襟もとまで猛然と走り、剣の切っ先を思いきり蹴飛ばしてやった。
「レム。お願い」
ネルが立ち上がろうとして、おれは床に跳んだ。
陛下が愉快そうに、おれを見下ろしている。はっと周囲をみまわした。兵士たちの驚愕に見開いた目がある。――はめられたんだ。
ネルが立ち上がり、足もとのおれを、悲しそうに見つめた。
「ごらんのとおりでございます」
ゲルダーは得意そうだった。
おれはバカだ。大バカだ。顔だけでなく、頭も悪かった。
おれはくやしくてしかたない。突っ立っていると体をつかまれたが、抵抗する気力もなかった。おれは失敗した。――くそ。くそ。くそ。
「アーサーに味方するマーリンはドルイドでございます。そしてドルイドの魔術とマナンのそれとは決定的な違いがあります」
ゲルダーの弁論が続いている。
「魔法の源はマナと呼ばれています。ドルイドは呪文としぐさによってそれを体内に集め、魔術を使います。しかし、マナンはみずからマナを有しており、それで魔力を発揮できるのです。このネルという女は、呪文やしぐさの助けもなく、落下してきた丸太を止め、操りました。まさに恐ろしきマナンのまつえいである、あかしであります。そっこく処刑すべきと」
「つまり、マーリンの魔法よりも強力なのだな」
陛下の顔がにやけた。
「それはそうでしょうが、いったいなにをおっしゃって……」
ゲルダーが、うろたえはじめた。
「おい、娘。顔を上げろ」
ネルがまっすぐ陛下を見た。その表情は凛々しく、とてもきれいに見えた。
「おまえをわが息子、カロンの妃にむかえよう」
「陛下」
あの冷静なゲルダーが大声をあげる。
「この娘はマナンのまつえいですぞ。マナンはかつて人類を支配していた
「黙れ。わしを誰だと思っておる。わしは誰だ? 答えろ、ゲルダー」
「バロメル陛下。城塞都市カロンの国王にございます」
「つまり、わしが法だ」
ゲルダーは一歩下がり、自分の顔色の変化を隠すように、頭を下げた。
バロメルがネルに顔を戻し、
「カロン王子との結婚を承諾するか、さもなくば、魔女として火刑に処する」
魔女なんて裁判に関係ないって、さっき言ったはずだろ。おれは怒りのあまり、兵士の手のなかで体が震えた。
ネルは応えなかった。しだいに頭が下がる。
「とつぜん言われても困るであろう。考える時間をやる。おい、兵士。花嫁候補を塔に案内してさしあげろ。娘よ、そこでじっくり考えるんだな。わしの言うとおりにするか、いなか。時間はたっぷりある。連れていけ」
命令された兵士は、おれをどうしたものか、と考えている。
「その人形を寄こせ」
おれはバロメルの手に渡り、国王の疑り深い目で、じろじろ見られた。おれは不快だったが、身じろぎひとつせず、じっと我慢した。
「ジルのいいおもちゃになるな」
ジルって誰だ?
おれは国王に握られ、ネルが引き立てられるのを、なすすべもなく見つめていた。
裁判が終わると、バロメルはおれを布袋に入れ、どこかに運んだ。上下に動くので、階段を上がっているのだろう。
扉の開く音がし、目的の場所についたようだ。
「あなた。やはりマナンでしたの?」
女の声が近寄ってきた。
「ああ、そうだ。ジル」
おれを入れた布越しに、柔らかいものが押しつけられ、床を踏む音が聞こえた。バロメルと女は室内に入ったようだ。
おれは床に投げ出され、ベッドがきしむ音がした。
衣擦れの音がし、粘着質の音につづいて、荒い息遣いが聞こえてきた。ベッドがひっきりなしにきしみ、動物めいたが声がする。なにをしているかは知らないが、おれは袋のなかでもがいていた。脱出のチャンスだ。
しばらく暴れているうちに、袋の口を縛ったひもがゆるんできた。おれはそこを頭でじわじわと押し広げる。ようやく首まで通った。
獣のような、ほえ声があがった。
荒い息遣いが静まっていく。おれは動きを止め、様子をうかがった。おれの転がっている位置からでは、ベッドの横板しか見えない。ジルという女の囁きが聞こえる。おれは、じっと聞き耳をたてた。
「マナンの血筋は手に入りそうなの」
「時間の問題だ。あの牢獄に入れられれば、どんな騎士でも根をあげる。明日にでも、おれたちの一粒種との結婚を承諾するに決まっている」
「マナンとバロメルの血が交われば、それは素晴らしい子が生まれるわね」
「そうとも。神の子だ」
ふたりのふくみ笑いが聞こえてくる。
「アーサーはどうするの? 孫の誕生を待っている時間はないわ」
「あんな青二才、恐くもない。問題はマーリンだ。超自然の力にはかなわないからな。しかし、いまやマナンのまつえいを手に入れた。勝機はある」
「その女、協力するかしら」
「エーリヒとかいう恋人がいるようだ。そいつを人質に捕らえよう」
ベッドがきしみ、バロメルの足が下りてきた。おれのそばを横切り、肌の上から上着をまとい、出入り口に向かう。
ドアが開いた。
部屋から脱出するチャンスだ。おれは猛然と飛び出そうとし、袋の口に引っかかって、つんのめった。ドアの閉まる音がし、足音が遠ざかる。
もがいていると、袋が取り上げられ、おれは袋の底に沈んだ。指が一本突っ込まれ、おれの鼻をくすぐる。おれは思い切りかみついてやった。
ものすごい悲鳴があがり、床に叩きつけられた。
おれはもがきにもがき、袋ごと転がって、出口らしき方向に向かった。壁に突き当たり、そこでようやく頭が出た。見上げて驚いた。
すっぱだかの女が、
猛烈な勢いで、行李がふり下ろされた。
おれは、自分の首が折れる音を聞いた。
……。
おれとおれの胴体は、袋に入れて運ばれた。板を引きずる音がして、またもや放り投げられた。心臓が浮かび上がりそうになる。
落下の衝撃で、おれの頭が転がり出た。
逆さになったネルが、膝を抱えて座っている。むきだしの土に投じた光りの筋が縮まっていく。頭上の揚げ戸が閉められようとしていた。
闇に包まれる前に、ネルがおれの頭に飛びついた。
そのせつな、真の闇となった。
おれはぎゅっと抱きしめられた。かつてネルに、こんなに強く抱かれた覚えはない。
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