孤独なダンサー

こう

第1話

※ぜひこちらの尾崎豊の原曲を聴いてから読んで頂けると嬉しいです。

 https://www.youtube.com/watch?v=Jfj7nt_ASSk&ab_channel=KetuGoetz




 あの夜、俺は彼女に対してなにをすべきだったのだろうか。できることなどなかったのかもしれないが、少なくとも彼女の想いに、もっと真剣に向き合うべきだった。


 街中の人々が白い息を吐きはじめた十一月の夜、俺はいつものように三人の友人と煙草をふかしながら歩いていた。それぞれが退屈で説教臭い家から逃げ出してきては、つかの間の自由を感じていた。

 その時ふっと、秋風が頬をやさしく撫でるように吹き抜けた。俺はこの雑多な街そのものが、ある種の生命体であるかのような感覚を覚えていた。どこにでもいるような都内の高校生にすぎない俺たちは、切れかけた街灯の不規則な点滅にさえ苛立っていた。そんな俺たちにとって、アルコールはすべてを吹き飛ばしてくれる魔法そのものだった。

「なあ、俺たちいつも安いディスコばっかり行ってるだろう? 実はな、この近くに洒落た店があんだよ。大人が集まるような場所みたいだったけどさ。値踏みがてら覗いていこうぜ!」

 のぼるが、周囲に聞こえるくらいの大きな声で遊び場の提案をはじめた。

「お、いいな。たまには冒険してみないとな」

 のぼるの提案に、俺はほぼ反射的に応答した。


 のぼるとは、同級生の中でも割りと早い段階で親しくなった。坊主頭の巨漢で、いわゆる口より先に手が出るタイプだ。すぐ喧嘩になるから、あいつの身体には青アザや擦り傷が絶えない。持ち前の好奇心と行動力を活かして、常に他人を驚かせるような情報を披露するのが好きな奴だった。今回の店も、どこかから仕入れた情報だろう。俺はのぼるとたけるが意気揚々と歓談している少し後ろに立ち、くわえ煙草で夜空を見上げてみた。狭くて曇りきった空に光り輝く星など見えるはずもなく、すぐに顎を引いた。

「都会の空ってのはどうも好きになれん」

 俺の視線をひそかに追っていたみつるが、言い古した台詞を発した。


 九州の片田舎から東京の高校に転校してきた当初は、方言と特徴的なリアクションのせいで、いじめられていた時期もあった。当時の俺は、その哀れな転校生を助けようとしたわけでもないが、なんとなく無視もできなかったのでイジメっ子グループを挑発して喧嘩を仕掛けた。のぼるを含めた俺の仲間たちも喧嘩慣れした連中ばかりで、腕っ節には自信があった。結果、俺たちのグループは圧勝し、それ以降みつるへのイジメもなくなったようだった。その頃から、自然とみつるともつるむようになった。


 俺はふと、世間の高校生は酒も煙草もやらないのだろうかと率直な疑問を抱いた。彼らはなぜ正気を保ったまま、学校や家で生活していけるのだろうか。優等生と呼ばれる連中のことは俺にはさっぱりわからない。おそらく彼らはこんなことを考えすらしないから優等生なんだろうなと、自己解決した。

 他の三人は、先日V9以来の日本一を手にした巨人について、ひときわ大きな声で唾を飛ばし合いながら話していた。俺も生粋の巨人ファンだったが、あえて話には加わらず、誰かに問うわけでもないふわふわとした考え事に耽っていた。俺たちは、こうして毎晩のように欲望と悲哀に支配された夜の街を歩き続けていた。


 十分ほど歩くと、周囲の地味な店に対して、一段と際立った円形の大きな建物が見えてきた。

「あれだよあれ! すげえなあ、あの外観! いかにもって感じだな。俺たちをガキ扱いしねえいい女もきっとたくさんいるだろうよ」

 まるで、自分に言い聞かせるかような口振りののぼるを見て、俺はおもわず笑ってしまった。周りを見ると俺だけじゃなく、みつるもたけるも笑っていた。

 この頃の俺たちは、気の利いた酒と女に夢中だった。窮屈な学校や家に帰るくらいなら、非行の方がずいぶん楽だった。本当は、若いからなんとでもなると、高をくくっていたんだと思う。少なくとも俺はそうだった。


 ネオンサインに彩られた、絢爛豪華な外観が接近するにつれ、ホール内からダンスミュージックが漏れ聴こえてきた。ずいぶんな音量で流すもんだな、と少し驚いた。入口付近にいる二名の男が、近づく俺たちを品定めするような目線で見てきた。俺たちはいつも夜の街へ出かけるときには、きちんと着飾ることにしていた。もちろんたいした服は買えないが、それでも毎回それぞれがイカした格好をして現れた。オシャレと奇抜がほぼイコールだったから、互いに突っ込み合うのもまた一興だった。

 無事、ドレスコードとボディチェックのようなものが済んだ。

「ずいぶん厳重なんだなあ。値段高そうだけど大丈夫かな」

 みつるの独り言のような言葉を、俺以外の連中は誰も聞いちゃいなかった。

のぼるとたけるは湧き出る好奇心を抑えられず、子どものように駆け出していった。そして、ホールへと続く大きな扉を勢い良く開けた。扉の向こうに現れた空間は、日常のしみったれた生活空間とはまったく異なった様相を呈していた。

「へへっ、お前らダンスホールなんて来たことないだろ? 主に目当ての女と踊るとこなんだよ。まあ、適当にいい女見つけて楽しくやろうぜ! あとで報告会な!」

「こんなとこ……すげえ高いんじゃないのか?」

 俺は率直な疑問を口にした。普通の高校生が大金なんてもっているはずがなかった。

「大丈夫大丈夫。最初にちょちょっと取られるけど、中でバカみたいに飲み食いしなけりゃなんてことない」

 のぼるの返答の半分以上は俺の意識からすり抜け、俺の五感は眼前に広がる広大な空間に集中していた。


 のぼるとたけるに続き、数歩だけ足を踏み入れてみた。これまで生きてきた中で見てきたどの空間よりも広く感じた。満員電車さながらのディスコとは違い、人間の数はそれほど多くなかった。それでも数百人はいたと思う。せわしなく周囲を照らすミラーボールもなければ、天井や床がリズムに合わせて光り出すわけでもなかった。清潔感に満ちた紳士淑女たちが、ヒューマントラックのリズムに合わせて控えめに踊っていた。ほんの数分前まで、夜の鬱々とした静けさの中にいたのが遠い昔のことのように思えた。こういう落ち着いた場所も悪くない、と俺は素直に思った。


 友人たちは、無垢な少年時代に戻ったように瞳を輝かせながら、酒や女に目星をつけて動き始めていた。たけるに至っては、休憩用ソファでバーボンソーダを飲みながらくつろぐ、二十代前後らしき女性に早速言い寄っていた。もちろん、あっさりあしらわれていた。

 俺はしばらくホールの隅に立ち尽くし、いちばん安い酒を注文して喉を潤しながら周囲を観察していた。客層は幅広く、二十代から六十代までが一様に分布している様子だった。派手な服や化粧でごまかしてはいるが、俺たちくらいの女の子もいくらかいるようだった。

 目に映るものすべてが新鮮で、日常の義務や責任のことなど頭から吹き飛んでいた。ふと、十メートルほど先で踊る女性に目が止まった。遠目からでも、十代であることは直感的にわかった。華奢で小柄な身体にまとった赤いドレスと肩まで伸びた髪がふわふわと揺れていた。踊りは全体的にぎこちなく、パートナーの男性の助力がなければすぐにでも倒れてしまいそうだった。決して人目を引くようなダンスではなかったが、そのたどたどしい小さなステップには独特の魅力があった。俺はすでに、彼女から目を離すことができなくなっていた。どうやら酩酊状態であった彼女は終始笑顔を絶やさず、まるでこの世界への悩みや不安などひとつもないかのように振る舞っていた。

 酔いが回るにはまだ少し早かったが、俺にはまるでこの広大なホール内に俺と彼女しか存在しないかのように感じられた。彼女以外はたんなる風景にすぎなかった。

 数分後、彼女は熱狂的で荒削りなダンスを終えると、今度は近くにいた別の男のもとへパタパタと駆けて行き、男のグラスを強引に奪って飲み干すと、満面の笑みを浮かべてみせた。しばらく会話を楽しんだ後、再びふわふわと踊りはじめた。またもや、赤いドレスと肩まで伸びた髪が楽しそうに揺れはじめた。


 俺はあいかわらず隅っこで安酒を飲み続け、アルコールで日常のもやもやを洗い流そうと必死だった。何人かの女性が話しかけてきたが、俺がガキだとわかると去っていくか、俺の方から遠慮してしまった。友人たちの傍らには、すでに数名の女性がいて、思い思いの時間を楽しんでいるようだった。俺は周囲から、ひとり寂しく佇む哀れな男だと思われていただろうが、不思議と居心地は悪くなかった。その理由は明白だったからだ。


 カクテルを五、六杯飲みほすと、一旦ホールを後にした。気持ち悪さはまだなかったが、強烈な尿意に襲われてトイレに駆け込んだ。たいてい、飲むときはとことん飲んでしまい、吐くのはもちろん、喧嘩をすることもたびたびあった。警察沙汰に発展したこともあったように記憶している。友人たちも同じような感じだったし、特に矯正しようなどと考えたことはなかった。


 張りつめた膀胱を楽にしてホールに戻ると、彼女の姿はどこにもなかった。俺は露骨に失望の顔を浮かべてしまった。そして、酒をつぎ足そうとした次の瞬間、背後から幼い声が自分に発せられたのを知覚した。とっさに振り向くと、それまでずっと見ていたあの娘が目の前に立っていた。

「あんた、ずっとあたいのこと見てたでしょう? 案外わかんのよ。見られてるって感覚。夜遊び覚えたての学生さんがこんなとこに紛れ込んじゃっていいのかしら? しかもずいぶん飲んでるみたい」

 彼女の力強い視線が俺に注がれている。酔ってはいるようだったが、滑舌はしっかりしていて、透き通った聞き取りやすい声の持ち主だった。間近で見る赤いドレスは思ったより迫力があった。彼女の顔をまじまじと見ると、その切れ長でするどい瞳に飲み込まれてしまいそうだった。遠目でも薄々わかっていたが、周囲の目を引くほどの美人というわけではなかった。目元は整っているが、化粧がなければ地味な方だろうと思った。

「今日は友人の付き添いで来たんだ。それに、俺はもう二十歳だよ」

「あたいの前でくだらない嘘はやめて」

 彼女の眼光が一段と鋭さを増した。

「……ごめん、本当は十八」

「それも嘘ね」

 しらばっくれることは出来たが、これ以上彼女の前でうそを重ねることに耐える自信がなかった。

「まったく……十六だよ。そっちも同じくらいだろう?」

 ホッとした表情を浮かべた彼女は、表情を緩めて迷いなく答えた。

「あたいはもうすぐ十七になるわ。つまり同い年ね。ねえあんた、ちょっとここ出て二人で飲みなおさない? すぐ近くにいい店あるから歩いて行きましょうよ」

 彼女からの急な提案にあれこれ逡巡するわけでもなく、俺は首肯していた。

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