吸血鬼のすゝめ

風流

第1話 死者と管理者

あれ、俺どうしてこんなところにいるんだろう?

さっきまでの狂ってしまいそうなほどの激痛はもう感じない。死ぬという恐怖も、絶望も何も感じなくなっていた。

不思議なほど穏やかになった気持ちで周りを見渡すが、うん、何もない。

真っ白だ。無の空間が永遠と広がっていた。あまりのも非現実的であり、これではまるで−−

『死後の世界みたい、か?うん、半分くらい正解だな青年』

声がした。女の声だ。そう感じた途端、俺の眼前に女がいた。事務仕事にピッタリなデスクに肘をつき、女はこっちを見ている。日本人じゃない、かといって外国人でもない。人間離れした、美しい女だ。金色に輝く髪を後ろで纏め上げ、白いシャツと黒のパンツでその透き通るほどの白い肌を覆っていた。髪と同じ色をした瞳を俺を観察するかの様に向けてくる、

目を合わせているだけで、吐き気を催すほどの美しさ。それはもはや毒だ。

『それは褒めているのか?』

「人の心が読めるのか?アンタ一体誰なんだ?」

『一体誰、か。私達は管理者、まぁ、君らで言うところの神様みたいなものだな』

「その神様が俺に一体何の用だよ?」

『仕事だよ。私の仕事。死者の道先を判定する仕事だ』

宝石の様な瞳を細め、何が面白いのか女はほくそ笑む。ん?ちょっと待て、今なんて言った?

『死者の道先だ。天国か、地獄か、あるいはそれ以外の場所へ案内する。青年、お前の生前の行いを判定し、次を行き先を決めるんだ』

「俺が死んだ?嘘だ。だって––だって、こうしてこの足で立って、感じて、アンタと会話してる!俺は生きてる!」

『生きてる?いや、青年、お前はもう死んでいる。故にここは死後の世界の入り口だ。信じられんか?覚えているはずだぞ、死の痛みを、その恐怖を、絶望を』

女は俺を哀れむように、慈しむように、そして、その死に様をさぞ楽しむようにして、笑みを深める。

視界が赤く、紅く、朱く染まる。最期のソレがフラッシュバックする。すでにないはずの傷が開き、血が溢れる。感じないはずの痛みが気を狂わせる。

死にたくないと泣き叫ぶ。止まらない出血。悪寒。

襲ってきた男はもういない。

助けた女はすでにいない。

青年はただ独りでその生を終える。

もう何も感じない。恐怖も、絶望も、もう何も––。


『自分が死んだことをようやく理解したか?』

あぁ、と俺が頷いて見せると女はつまらなさそうに鼻を鳴らす。おい、何だその反応、それでも本当に神様か。

『本当だとも、これでも管理者の中でも優秀だと言われている。我儘もある程度は許されるしな』

「だったら、その優秀な神様の俺への評価はどうなんだよ?」

さすがに地獄行きになるほど悪いことはしていないはずだ、多分。

女はデスクの上に置かれている黒いファイルをペラペラとめくり始めた。そして、あるページを俺に見せてきた。

「……何だよ、このファイル。履歴書か?」

『お前らの世界では走馬灯と呼ばれるものだ。これに書かれていることに間違いはなく、記載後の修正は絶対にできない。お前の誰にも言えないあんなことやこんなことまでバッチリと書かれてある。この内容を総合的に評価して死者の行き先を決める』

「プライバシーもクソあったもんじゃないな」

『何ともつまらん人生だ、読んでいるとあくびが出る。まぁ、お前の最期の自己犠牲は管理者達の間でも高く評価されている。順当に行けば間違いなく天国行きだ、良かったな』

面と向かって、そう言われると何だか恥ずかしい。

「天国か、生きてた時よりはマシな場所であることを願うよ」

俺が少し照れ臭そうに笑うと、女も可笑しそうに笑う。

だがな––、と女は言葉を続ける。

『こんなつまらん幕切れに私はしたくない。そこで、お前には私の我儘に付き合ってもらうことにした』

仮にも神様を名乗る女が爆弾発言をした。

何を言っているんだ、この女は。

『この私にも一応生まれた故郷というものがあってな。ここで管理者なんかをする前はそれなりに有名人というか、まぁ、敬われる偉い立場にいたわけだ』

「はぁ……」

だから、何だというのだ。

『そんな偉い立場のやつが欠けると色々と揉めることが多い。後釜は育たず、世界中で争いが続き、疲弊する。さすがに、そんな状態の故郷を放っておくのも目覚めが悪い。そこでだ、お前、私の後継者として人生やり直せ』

「おい、ふざけんな!何で天国を棒に振ってまた苦労し直さなきゃいけないんだ!俺はMじゃねぇ!つか、職権乱用も甚だしいわ!」

『だから、我儘だと言っているだろう。決定権は私にある!』

「綺麗なツラしてドヤ顔やめろ、腹立つ!おい、上司だせ、上司!」

『運営者の許可はもう取ってある。残念だったな』

おい、まじかよ。どうなってんだよ、神様ってそんなに適当でいいのか?

『まぁ、さすがにその身体のまま向こうの世界に送ると即死だろうから、以前の私の力を少し渡してやる。もう死にたくはないだろう?』

「…………」

女はデスクの引き出しを開けゴソゴソと何かを探し始めた。何か怪しげなものが次々と出てきているんだが、大丈夫なのか?その剣なんだよ、明らかに引き出しに収まらないだろ。

『これかな?うん、多分これだろう。期限はギリギリ大丈夫か、匂い的に……』

女が手にしているのは小瓶。中には真紅の液体が波打っている。まさか、血じゃないだろうな、そう思うと吐き気が込み上げてくる。

『ほら、これを一気に飲め。そうすればお前はそう簡単に死ぬことはなくなる。病には罹らず、傷はたちまち癒える、歳も取らない』

『そして、私に代わって務めを果たせ、拒否権はない』

嫌だと、首を振ろうとした俺に女は椅子から立ち上がり近く。そして––

「––ッ!?」

『ん、––ちゅ……ぷはっ、良かったな童貞。ファーストキスだ』

ど、童貞ちゃうわ!つか、キスでもなんでもねぇ、無理やり小瓶の中身を口移しで飲ませただけじゃねえか!

女は俺の言葉など聞き流して、顎に手を当て何やら険しい顔をしている。

『やっぱり少し痛んでたか?いや、まぁ、瑣末な問題だろう』

「今、痛んでるって言った?言ったよね?」

『私のキスでイーブンだ。これでお前への力の譲渡は済んだ、後は私の故郷に送るだけだ』

女がパチンと指を鳴らすと俺の足元に光り輝く幾何学的な文様が現れた。

「いきなりすぎるだろ!ちょって待って、どうすんの!?俺はどうすればいいの!?」

訳も分からず、泣きつくように俺は女に手を伸ばすが––

『すまないが、そろそろ約束の時間だ。まぁ、安心しろ、向こうには然るべき場所に送ってやる。後は後継者として励め』

女は酷く歪な笑顔で俺に手を降っている。足元の文様の輝きがどんどんと強くなっている。そのせいで、女の影が強くなっていることに気付いた。そして、俺は確信する、この女は絶対に神様なんかじゃない、別のものだ。

そのことを糾弾しようにも、突然、女の姿が遠くなる。

まるで、落下しているかのようだ。

そして、次第に何も見えなくなる。

俺は真っ暗な世界を永遠とも思える時間を落ち続けた。



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吸血鬼のすゝめ 風流 @gohead00

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