或る即売会の記憶

峰野白音

『闇』即売会の作り方

「今の即売会は、画一化していて面白く無い!」

 ある日突然、彼はそう言い出した。

「同人とはもっとワクワクしているものであり、イベントという『場』はもっとワンダフルで意外性を求めるべきなのだ!」

 場にいる全員が、同時にため息をついた。またか、である。彼がそんなことを言い出すのは。正直何度目の話か、指を折るのも面倒になってきた。

「はいはい、そうですね」

「言うだけならば、何度でもできますね」

 皆が口々に投げかける言葉には、感情の欠片もありゃしない。

 これは同意ではない、諦めなのだ。

 何故なら、こんなおかしなこと(と僕は思っている)を言い出す彼こそが『即売会』というものをこの場所に持ち込んだ張本人なのだから。持ち込んだだけで彼のものであるかどうか は非常に怪しいのだが、そこは皆気づかないふりをしているのであろう。そもそも、持ち込んだのが誰なのかということについて、今更問いただすつもりなどない。誰が持ち込もうとしたものであっても、いつか何処かでやることは決まっていたのではないかと、皆そう感じてはいたのだから。

 だが、そんな皆が抱えている、ある種の優しさに似た感情というものに、彼は気づくことはない。本来は諦めの意であった、これら意味のない言葉を、彼は『興味』と『同意』と受け取ってしまったのだ。

 これも実はいつものことである。

 もっとも、誰もそのことにツッコミを入れるものはいない。

 理由は簡単である。


「だから、即売会を、夜に開催するのである!」

「運営側が配置を決めるのも、画一化のもとである! だから、出店者が来た順に好きな座席を選んで売ればいいのだ! なんだったら当日受付で!」

「夜開催なら、そもそも日曜日や祝日でなくてもいい。夜から朝まで生で販売!」

「真っ暗にしたナイトステージを設けて、そこで一晩で作品が出来るかライブで行う! もしくは同人討論会!」

「酒を呑みながら同人を語り合い、同人誌を販売する! 闇夜の同人誌即売会!」


 ……出来るわけがないからである。

 いや、正確にいうと、やってやれないことはないであろう。飲酒OKで夜中まで開けてくれる会場さえあれば、夜開催も難しくはない。こんな酔狂なイベントを開いて集まる数などたかが知れているから、そこまで広い会場である必要もない。

 だが、そんなものに集まる人達は、どう良いように言っても『酔狂』であると言わざるをえない。ゼロではないが、この片田舎でどれだけの集客があるのか。

「こんなイベント、考える人など俺以外にいないだろう。誰もやったことのないイベントを作り上げてこそ、同人であるのだ!」

 ほー、そうかいそうかい。寝言も寝てからいえ。

 そろそろ付き合いきれない。僕達とて手伝いをすると言った手前はあるものの、それでもモノには限度がある。言うのは簡単だが、具体性のない話に付き合ってる無駄な時間などないのだ。

 どうしたら良いかとほとほと困り果てた、そのとき。

「誰もやったことのないイベント、ねえ……」

 一人の女が口を開いた。彼女もまた、即売会と言うものの運営に関わった経験を持っていた。

「貴女なら、俺の言ってる凄さがわかるだろ?」

「凄さ、ねえ……」

 彼の言葉に、彼女はため息をついた。

 僕は、なんでもいいからこいつを止めろ、もうこんな妄想聞きたくないんだと念じる。他の人もそんな気持ちだったようで、皆じっと彼女の一挙手一投足に注目している。

 気持ちが通じたのか、通じなかったのか。彼女はもう一度ため息をつくと。


「『誰もやったことのないイベント』という意味なら、0点ですね」


 彼は烈火のごとく怒りだす。

「お前は俺のことを馬鹿にするのか!?」

「別に、馬鹿にはしてませんよ」

「全否定すればマウント取れると思いやがって」

「マウントとか面倒なんで、むしろいらないです」

「じゃあこのアイデアのどこに不満があるのだ!」

「不満、っていうか……」

 彼女はふうと息を吐き出すと。


「貴方が言った内容のイベント、すでに存在するんですよね」


 ポツリと吐き捨てたのは、どこまでも冷たく研ぎ澄まされた氷の刃。


「例えば、夜開催・出店者が好きな席を決めて同人誌を売る・事実上の当日受付となると、 東京は蒲田Pioにて開催の『眼鏡時空』というイベントが存在します」

「眼鏡時空……?」

「ええ。眼鏡 is 鯖江」

「さ、ばえ……」

「眼鏡は顔の一部です」

「顔の一部……」

「眼鏡時空さんは、ツイッターによる事前表明をまとめたリストこそ存在していますが、実際の受付は当日のみ。眼鏡関連の同人誌即売会というニッチなジャンルで、すでに15回開催済、一回あたり大体60サークルほど集めております」

 彼女の言葉は、事務的に読み上げているかのごとく。

「お、おう……」

「また、討論会や飲酒可能な即売会といいますと、その昔は『コミッククリエイション』というイベントがありましたが……」

「そう! そういうのをやりたいんだ!」

「……他にも『酒っと』さんや『グルメコミックコンベンション』さん、最近開催が途切れております『博麗神社の縁側』さんもあります。これらは都内開催ですね」 「……」

「なお、東京以外でとおっしゃるようでしたら、高知の『つるかめざっか』さんを挙げておきます。こちらは前日合宿当日合宿ありで即売会そのものは昼開催、当然飲酒も可能です。だいたいみんなホットケーキとたこ焼きとポップコーンを自分たちで作りながら、うどんを打ち、酒を呑んで同人誌の売買を行っておりますが」

「ちょっと待って」

 焦る彼に、彼女の目の奥が光る。

「初めての形式とか、誰もやったことのないイベントとか言い出すなら、もう少し独自性を持ち込んできてください。このいんたぁねっとが発達した世の中において、しれっとパクリがばれないとでも思ったのですか?」

「パクリじゃない!」

 彼の悲鳴がその場に響く。

「俺は知らなかったんだ! だから……」

「知らなかったはずなのに、コミクリさんの名前を出したら『それ!』って言いましたよね? ものっすごく! 嬉しそうに」

「それは、その……」

  そのまま、彼はすっかり意気消沈をし、黙りこんでしまった。

 これがきっかけとなり、新しい同人誌即売会なるものを作る独演会は終了したのであった。


 このことが原因というわけでは決してないのだが、しばらくして『彼』はこの場に来なくなった。しかし、彼が来なくなろうとも、即売会を開催することは決定していた。持ち込まれて、やることだけ決めて、そのまま放り出されたこの悲しきイベントは、残った者が血反吐を吐くことで、ごくごく普通の展示即売会として成立した。

 細かい問題は数あれど、大きな問題もなく、無事平穏に。


 普通はそれでハッピーエンドである、筈である。

 いや、ハッピーエンドのはずなのだ。

 残された者の心の中さえ見なければ。


 彼は言いたいことだけ言って去っていった。だが、彼以外にも言いたいことはあるはずだ。こんなイベントをやりたいとか、夢とか、あれこれ語りたいんだ! という気持ちなど、止めようがないし止める気もない。

 ただ、前向きなそんなこと以上に、少なくとも一部の心の中に広がるのは『闇』としか言いようがないもやもや感であって。その闇を吐き出そう、いや、闇じゃなくてもいいけど、思ってることを吐き出そうではないかとして、新たに生まれた何かがあった。

 それは、きっと『彼』の意思とは無関係であろうけど、まごうことなく『彼』が生み出したものである。と、僕は考えている。

 『同人誌即売会』という本来はただのイベントであるはずのものに持たされた、新たな概念。


 同人誌は、闇である。


 この功績は、僕の心の中でだけ讃えたい所存である。

 永遠に作られることのない『闇』即売会のノウハウと、それに携わったものが皆ことごとく闇堕ちしていく絶望とともに。


 そして、同人誌という形で吐き出された闇は、多種多様な人々の手に渡ることとなった。その先々で何が起きたのか、闇は浄化されたのか、はたまたさらに濃い闇へと塗り替えられたのか。


 同人誌即売会でしか手に入らない闇の行方は、僕にはもうわからない。

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