挿話8 彼氏(?)よりも男前!? 古賀夏姫の疾走


「春樹! ちょっと出かけてくるから、お母さん帰ってきたらそう言っといてね!」

 せっかくの日曜日だというのに、リビングの大型テレビの前に朝から陣取って、魂を抜かれたようにゲームを続けている弟の背中に、とりあえず声をかけた。


 絶対に聞こえていないことはわかっているので、返事も待たずに玄関へ急ぐ。

 なのにちょうどデータをセーブ中だったのか、思いがけず春樹がこちらをふり返った。

「どこ行くんだよ? ……デート?」


 脱ぎかけていたスリッパを、思わず力いっぱい投げつけてしまった。

「違うわよ!!」


「知ってるよ……瀬川さん、今日は練習試合だろ? 見学に行くぞってウチの監督が大張り切りして、ほとんどの連中がそれに乗っかったから、俺は今日、部活が休みになったんだよ」

 中学二年の春樹は、サッカー部に所属している。

 毎日夜遅くまで、土日も関係なく練習があるのに、今日は珍しく家にいると思ったらそういうことだったのか。

 しかし――。


「なんであんたは行かなかったのよ?」

 するどく指摘してやったら、意味深に笑われた。

「別に……俺だったらいつだって瀬川さんのプレーは近くで見れるし、部活の奴らと姉ちゃんの彼氏応援に行くってのも、なんか恥ずかしいし……」


 残るもう片方のスリッパも、春樹に投げつけてやった。

 一個目はかわされたが、今度は不意打ちだったからか、上手く頭にヒットしてちょっとスッキリする。


「いてっ! なにすんだよ強暴だな! 夏姫! お前、そんな調子じゃいつか絶対瀬川さんにフラレるからな!」

 私と同じで結構短気な春樹は、気に入らないことがあるとすぐに怒りだす。

 三つも年上の私を呼び捨てするばかりか、お前呼ばわりするのでほんと、頭にくる。


「うるさい! バカ!」

 これ以上一緒にいたら気分が悪くなるだけだと思って、私は再び玄関に向かって歩き始める。

「瀬川さん、結構もてるんだからな! ウチの学校にだってファンクラブあるんだからな!」


(知ってるわよ! バカ!)

 春樹の挑発にはもう乗らず、私はバタンと大きな音をさせて玄関の扉を閉めた。

 


 

 中学は別だったけど、その頃からちょっとした顔見知りで、高校に入ったら同じクラスで生徒会でも一緒で、自然と行動を共にすることが多くなった「瀬川玲二」を、私はみんなには「見かけほどは頼りにならない男」と言っていた。


 だってあんなに一生懸命うちこんでた陸上を、高校入学と同時に辞めてしまったし、赤面性で女の子とは上手く話せないし、体のわりに声も小さいし、見るからに情けなかったのだ。


(ダメだ、こりゃ……中学の頃は、少なくとも走ってる姿だけはかっこよかったのにな……)

 そんなことを考えては、誰に聞かれたわけでもないのに一人で大慌てしていた。

(か、か、かっこよくなんかないわよ! 別に!)


 「かっこいい」――その言葉はどちらかといえば、私自身にかけられることが多い。


「きゃあああ! 古賀先輩かっこいい!!」

 いつも応援してくれる下級生の子も、毎日欠かさずさし入れしてくれるクラスメートも、校門で待ち伏せしている中学生も、みんな私を「かっこいい」と言う。


(ファンクラブだったら……私なんて中学生の頃からあったんだから!)

 こんなことで玲二とはりあってどうするんだろう。


 メンバー全員女の子のファンクラブ。

 男よりも男らしいと私を賛美してくれる彼女たちが、だけど最近、私だけではなく玲二も応援しているから心境は複雑だ。

 


 

 ことの発端は、文化祭の劇で玲二が王子様役をやったことだと思う。

 足を怪我していたお姫様役の私を庇って、うまく劇を成功させた姿は、確かに私の目から見てもかっこよかった。


 私目的であの劇を見に来ていた女の子たちが、あとになって玲二を「ほんとに王子様みたいだった!」と評す声を、私は嬉しいような悲しいような気持ちで聞いていた。


(なんだか、やだな……)

 胸がチクチクする。

 頭が痛い。


 普段は全然頼りにならなくても、いざという時は頑として譲らない。

 強い意志を持っている。

 そのくせ際限なく優しい玲二が、「かっこいい」ことぐらい、私は本当はずっと前から知っていた。

 私だけが知ってるつもりだった。

 なのに――。


(なんか悔しい……)

 意地っ張りで、自分の気持ちになんか全然素直になれない私が、つまらない意地を張っているうちに、『HEAVEN』でもクラスでも目立たない存在だったはずの玲二が、女の子の注目を浴びている。


 ところが、らしくもなく悶々とする私とはまるで真逆に、玲二は好きな相手に好意を示すことに迷いがなかった。

 ――つまり私に。


 クリスマスのラブプレートを書いてほしいと言った時、玲二はてらいもなく「好きだよ夏姫」と私に告げた。

 嬉しくて嬉しくて、ほんとは飛び上がりたいくらいだったのに、私はと言えば、「そんなに言うんだったらしょうがないから、書いてあげる」と実に嫌そうな顔でプレートを受け取っただけ。


「好き」の言葉には、実は何も反応を返していない。


(だから本当は、玲二は私の「彼氏」なんかじゃないのかも……?)

 そんなふうにしか思えない自分は、なんて素直じゃないんだろう。

 可愛げがなくって、自分でも呆れてしまう。


「そんな調子じゃいつか絶対瀬川さんにフラレるからな!」

 春樹の罵倒も、


「サッカー部のエースで、成績は中の上で、身長も無駄に高い……顔はまあ、すっきりと爽やか系ではあるし、笑うとなかなか可愛い……その上、女の子が苦手なくせに、不器用な優しさを示すことには照れがない……マズイわ、冷静に分析したら玲二君ってかなりポイント高いわよ? 夏姫ちゃん」

 恋愛マスターの可憐の評価も、胸に突き刺さるばかりだ。


 しかも冗談では済まされない。

 玲二を好意の目で見ている女の子は、半年前とは比べものにならないくらい多いのだから。

 

 

 だから私は決意した。

 今度のバレンタイン。

 ――去年まではチョコを貰う側で参加し、結果一人勝ち状態で、男子の反感を一身に浴びていたその女の子の一大イベントに、今年は私はチョコを渡す側で参加する。

 


 

 そのためにさっさとみんなを巻き沿いにした。


「えっ? バレンタインって、女の子がプレゼント貰う行事でしょ?」

 どれだけ恋人に甘やかされてるんだかと呆れてしまう可憐も。


「お前……! 私が年末に失恋したって知ってて言ってるのか?」

 思わず受話器を耳から放してしまうくらい大激怒した繭香も。


「うん。わかった」

 淡々と同意したうららも。


「ちょ、ちょっと待って! 私……どうしていいんだか、まだ決心がつかなくて……」

 傍から見てれば結論はもう出てるのに、あいかわらず往生際の悪い琴美も。


 みんなみんな――。


「ええ。いいわよ。じゃあ、その前の日曜日に私の家に集合ね」

 手作りチョコ作成の先生として、私がアポイントを取った美千瑠の家に召集をかけた。


(料理なんて全然しないんだけど……ほんとにできんのかな?)

 マフラーを首に巻き直しながら、いつもロードワークで走り慣れた道を急ぐ。


 吐く息は白く、指先だってかじかんでるから、とてもゆっくり歩いてなんていられない。

(嘘……ほんとは気持ちが焦って走らずにいられない……!)


 長い距離を走る時、一定のペースを保とうと努力するように、どうしようもなくドキドキと跳ねる心臓に、私はくり返し言い聞かせる。

(落ち着け、落ち着け、大丈夫!)


 例え多少出来が悪くたって、玲二ならきっと受け取ってくれる。

 ゆでタコみたいに真っ赤になって、それでもちゃんと「ありがとう」と言ってくれる。

 私は玲二のそんな誠実さが好きなんだから。

 他のみんなよりずっと前にそれに気がついて、好きになったんだから。


(そんなこと、絶対本人には言えないけど……)

 心の中で顔をしかめた次の瞬間、私はやっぱり首を横に振った。


(ううん……言えないじゃなく……言えるようにがんばらなくちゃ!)

 そうでなければ、とりあえず今は私の「王子様」でいてくれる玲二が、他のお姫様のところへ行ってしまっても、私には文句も言えない。


(いきなりは無理だけど、ちょっとずつ……玲二が変わったみたいに私も変わらなくちゃ!)

 いきり立つ気持ちは、やっぱりたおやかな「姫」にはほど遠くて、自分でも苦笑してしまうけれど、私は顔を上げたまま、走るスピードをもう少し上げた。


(いいの。だってこれが私だから!)

 約束の時間のかなり前に、誰よりも早く私が美千瑠の家に着くことはまちがいなかった。

 ――それは今度のバレンタインにかける、私の意気ごみ。


(玲二……喜んでくれるかな?)

 でもドキドキと胸を高鳴らせる心境は、全力で駆ける姿とは裏腹に、すでに乙女モード全開だった。

 

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