挿話2 お腹の中は白くない『白姫』 松山智史の本音
今朝は珍しく寝坊した。
何がいけなかったのかは、自分でもよくわかっている。
昨夜、日付も変わり、そろそろ休もうかと思っていた時に、僕が半年の歳月をかけて築き上げた王国に、隣国が侵攻してきたのだ。
圧倒的な兵力で、迎え撃つのは簡単だったが、ついでだから二度とそんな気がおきないように完膚なきまでに叩き潰し、相手の財産を根こそぎいただいておいた。
――もちろん現実の話ではない。ネットゲームの中での話。
ついつい熱が入り、気がつけば三時を過ぎていた。
寝不足の頭に、連続でかけられる甲高い声の挨拶は正直きつい。
「おっはよー!」
「おはよう! 松山君!」
「あ、おはようございます」
それでもきちんと返事をし、笑顔で応待することを僕は忘れない。
ここで嫌な顔をしたら、非難を浴びるのは僕ではなく、隣を歩いているうららなのだ。
僕らはれっきとした恋人同士なんだから、そっとしておいてくれればいいのに、いまだに僕に声をかけてくる女の子はあとを絶たない。
彼女らはたいてい、うららのことを目の敵にしている。
女というのは本当に嫉妬深い生き物で、こと色恋沙汰が絡むと、びっくりするほど残虐になる。
これまでにもさんざん、僕のせいで辛い目にあってきたうららが、これ以上女子の反感を買わないためなら、笑顔の大安売りだってなんだって、僕は喜んでやる。
「ねえねえ……次の『HEAVEN』のイベントはどんなことをやるの……?」
「あ、それはまだ聞いてないです。発表になったら教えますね」
まるで魂が抜けたように僕の隣をボーッと歩いていたうららが、一人の女の子が投げかけた質問に、過剰に反応して立ち止まった。
「智史……」
ガラス玉みたいに薄い色の綺麗な瞳で、僕の顔を真っ直ぐに見つめるから、僕は笑顔を返す。
――そう。うららだけに向けるこの笑顔こそが、作り物なんかじゃない僕の本物の笑顔。
「うん。今日の放課後、『HEAVEN』に行ったら貴人に聞いてみようね」
「うん……」
他のことには何一つ興味のないうららが、強い興味と執着を見せるのは、今のところ僕に関して以外には、『HEAVEN』に関してと、ある人物に関してだけだ。
その『ある人物』の声が、その時、第一校舎の二階の窓から、僕らがいるところにまで響き渡った。
「冗談じゃないわよ!! なんでそうなるのよ!」
クスリと隣で、小さく笑う気配がする。
綺麗な瞳を少し細めて、瞳と同じような薄い色の髪を揺らして、うららが窓を見上げて笑う。
「また怒ってる……琴美……」
こんなに嬉しそうな顔を見せられると、煩わしい声をかけてくる女の子たちの数は多くなったけれど、『HEAVEN』に参加してやっぱりよかったと思う。
「どうしたんだろうね。また諒と喧嘩でもしてるのかな……」
「うん……」
再び歩きだしたうららにあわせて、僕も歩きだす。
ある日、フッといなくなってしまっても全然おかしくないくらい、現実離れした雰囲気のうららが、この学園内に居場所を見つけたというだけでも、僕は『HEAVEN』と琴美の存在に深く感謝していた。
――しかし、だからといってかなり無理を強いられるのには、さすがに疲れる。
放課後。
『HEAVEN』についた早々、問いかけるまでもなく貴人から聞かされた次のイベントは、『クリスマスパーティー』だった。
時期的にそうだろうと予想していたので、別に驚きはしなかったが、いろんな具体案を聞いているうちに、だんだん頭が痛くなってきた。
「どうせやるなら、思いっきり本格的なほうがいいだろ? せっかく本物のもみの木のツリーが手に入ったんだから、北欧の夜みたいに、空にオーロラを浮かべたいんだ!」
それがどんなに荒唐無稽なものであっても、堂々と胸を張ってアイデアを述べる貴人には、毎度のことながら感心せずにはいられない。
「どうやって?」
他の人間になら、「そんなの無理だろ!」とつっこむところだが、相手は貴人。
何かいい案があるんだろうかと、少しの希望をこめて問いかけてみたら、逆に問いかけられた。
「さあ……? 俺にはわからないけど、きっと智史ならなんとかしてくれると思ってるんだけど……?」
(そんなの無理! 僕は何でも屋じゃないんだぞ!)
口に出して叫びたいところを、グッと我慢した。
代わりに慎重な答えを返す。
「なんらかのスクリーンを準備するんならできないことはないだろうけど……きっとそんな物は使いたくないんでしょ?」
これまでの貴人のやり方から、きっとそう言われるだろうと予想したことを聞いてみたら、貴人は嬉しそうに頷いた。
「ああ。できれば何もない夜空に浮かべたい! そのほうが本物っぽいだろ?」
(いや……そんなの無理……)
なんと言って断わったら角が立たないだろうかと考えているうちに、だんだん雲行きが怪しくなってきた。
「すごい! そんなことできたら、すごいね!」
成績はすこぶる良いくせに、少し常識から外れている琴美が、目をキラキラさせながら叫ぶ。
その声につられて、いつものように僕の肩でスヤスヤと眠っていたうららが目を覚ました。
――その絶好の機会を見逃すような貴人ではない。
「どう? 今回は告知のポスターなんかは写真を使うから、うららも智史を手伝ってもいいよ? 星颯学園の空に、二人の力でオーロラを描きだす?」
上手く、大好きな絵を例えに使われて、うららはちょっと嬉しそうに頬を染めてコックリと頷いた。
これでもう、僕に拒否権はない――。
パソコンに向かう時だけ愛用している眼鏡を、鞄から取り出して、心の中だけでため息をつきながら、ノートパソコンを開く。
(まったく無茶を言うよなぁ……)
上目遣いに貴人の顔を見上げたら、まるで僕のその行動まで予想していたかのように、パチリと目を瞑られた。
「大事なノースポール王国のことだったら、俺も気をつけてフォローするから。昨日登録したばっかりなんだけど、昨夜の智史との攻防で、だいたいのコツとやり方はわかったよ」
「…………!」
(昨夜の侵略者は貴人だったのか! しかも……あの容赦ない攻めが、ネトゲを始めたばっかりの初心者!?)
三時間に及ぶ僕の迎撃の一部始終を、全部情報として自分の糧にしてしまうなんて、そんなこときっと貴人にしかできはしない。
そしてまた、きっと貴人ならできるだろうと思えるところが凄い。
「うん……こっちで忙しい間は、よろしく頼むよ」
『一から自分で作り上げた王国の安寧を、他の人間に委ねるなんて!』と無駄なプライドをふりかざすのは、愚かな人間のすることだ。
上手く利用できるのなら、僕はなんだって利用する。
――それが、IQ200と噂されるうちの生徒会長の、正しい使い方だと僕は思う。
「じゃあ僕は安心して……なんとかオーロラを作るとするか……」
改めて真剣にパソコン画面へ向かったら、うららがその前にスッと顔を出した。
僕を見上げるようにして、ちょっと上向きに注がれるのは、信頼感に満ちた真っ直ぐなまなざし。
「智史……きっとできる……がんばって……」
彼女の言葉こそが、僕を動かすたった一つの原動力。
「うん。やってみる」
僕の視界からはもう消えてしまった部屋の奥では、何もかも予定どおりにいった貴人が嬉しそうに笑ってるんだろうけど、それはもうどうでもいい。
引き受けた仕事を完璧にやり遂げるためと、うららを喜ばすためなら僕はなんだってやる。
パソコンのキーボードを叩く速度を、僕は本気モードに、ほんの少し上げた。
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