地獄★中学の日々

脚は二本でいいや

「た、たすけておくんなまし、たすけておくんなまし!」


「うひ?」


 柳が海老反りで川沿いの土手を歩いている時のことでした。


 何やら土手にかかる低い橋の丁度真下あたりで水飛沫があがっています。


「な、何だろう」


 柳はかさかさと橋の中央まで行って海老反ったまま、頭を突き出して川の水面を見上げました。


 すると小さな子供が水面をバシャバシャと叩いて遊んでいます。


「た、たた、たすけておくんなましぃ!」


 しかしよく見ると様子が少し変です。

 柳は首をひねりました。


「な、なな、何で君、脚が三本あるの?」

「た、たすけて、たすけて!」


 会話が成立していません。


 柳はよく自分の話している言葉が相手に伝わらない、ということがあり、そのことにも良い加減気付き始めていました。


 しかし、今回は“何故脚が三本あるのか”と聞いただけ、自分の伝え方が不味かったとは思えないのです。


「ふひ、そ、そうか」


 柳は自分の声が届いていないのかも知れない、と思いました。そして大きく息を吸いこみます。


「何でっ! 脚が三本あるのーっ!!」

「た、たすけておくんなまし、たすけておくんなまし! げばぁ、ぶくぶく」


 男の子は川のそこに沈んでいってしまいました。


 水面に泡がぶくぶくと浮き上がってきます。


「………」


 次の瞬間でした。水面がざばっと割れ、男の子が飛び上がり、橋から垂れていた柳の長い髪の毛を引っ掴んだのです。


 髪の毛の何本かがぶちぶちと切れて、頭から血が少し出ました。


「ひぃ、痛いっ! 重いよ!」


 男の子は柳の髪の毛をむんず!むんず!と掴み、登って来ます。


 脚が三本ある男の子は橋の上まで登ると、汚水をぽたぽたと落としながら柳を見ました。

 足元には何匹か海老がぴちぴちと跳ねています。


 柳は首をくりっと回して「ふひ、な、何で。脚が三本あるの?」ともう一度聞いてみました。


「…その方が、蹴りやすいからさ」


 そう言うと男の子は足の一本を使って柳を橋から蹴り落としました。


 ざばん!


「ひ、ひぃ! あわわあわわ!」

 柳は川の流れに流されていきます。

「溺れるっ! 溺れるっ!」

「おねぇちゃん、何で、何で脚が二本しかないの!ねぇっ!」

「溺れるっ! 溺れる〜っ!」


 水面をバタバタと弾きながら、柳はたまたま周囲に流れていた黒い塊を見つけました。

「ひぃっ、ひぃぃっ」

 流されながらそこまでジタバタと近づき、何とかそれにしがみ付きました。


 見るとそれは仰向けの巨大な蜚蠊のようでした。


「ひぃ…、ひぃ…、うへ?」


 見ると蜚蠊には脚が6本あります。


「な、何で脚が6本もあるの?」


 蜚蠊の頭についている触覚の生えたおじさんの頭が「それはね」とニコリと微笑みました。


「大好きなお前を抱きしめて逃さない為さ」

「ぎゃひぃ!」


 ——私は今、大学から巣に帰るところでね、たまにこうして流れているのです。一緒に私の巣へ帰りませんか、これも何かの縁ですから。


「放して、は、放して!」


 柳は御器ノ介の脚にしっかりと掴み込まれ、そのまま川を流れていきます。


「あっはっはっは」

「ひぃいい!」


「あっはっはっは」


 暫く流れるとまた土手に橋がかかっています。

 御器ノ介の脚の中で暴れる柳はその橋の上にある一人の人影に気付きました。


 見ると橋の上をゴムの前掛けを腰に巻いた大将が手に持った蛸を見つめながら首をかしげて歩いています。


「た、大将さん!」


「! お、おうっ、そう! 俺は大将ってんだ!…おや」


 大将は声のした方を見ました。

 巨大な蜚蠊に抱かれた薄汚い少女が流れてきます。


 魚屋『原宿』の大将は手に持った蛸を突き出して、


「何で蛸は脚が8本あるんだいっ!」


 と威勢良く柳に絶叫しました。


 柳は流されながら、“そんなもん知るか”と思いました。

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