第13話 海老やーめた

「やあ、お嬢さん」


 身をよじると枝と身体に巻きついた麻縄がギシギシと音を立てます。

 逆海老に沿って木に吊られたまま、柳は前にTVで見た番組【蟲ワアルド】のことを思い出していました。

 芋虫が集まって海老になり、中から大きな翼を付けた綺麗な人の背中が出てきた映像のことを。


「お嬢さん!」


「ひ、ひいッ、はい!」


 見るとそこには地獄中学校の“焼却炉の木偶の坊”こと用務員の佐藤さんの姿がありました。


「私はとある紳士です。“焼却炉の木偶の坊”では決してないのだ。ところでお嬢さんは何をしているんだい」


「ふひ、で、木偶の坊さんですね。わ、わたし、辛いことが無くなるのを、待っています」


 佐藤さんは「ふああ」と欠伸をしました。


「ん? うん、それは凄いね、そこで一つ相談なのだがね、このあたりでマッチを見ませんでしたか?」


「マッチ? マッチ・・、マッチ売りの少女が売っています」


「その少女はどこにいるのだね」


「あの、えっと、うーん」


 時間がかかると見て佐藤さんはズボンに丸めて挟んである猥褻な本を抜き出し、読み始めました。


「マッチ売りの少女・・」


 マッチ売りの少女は雪の中でマッチを売っているイメージでした。


「北」


「北、か」


 佐藤さんは猥褻な本を握りしめると、くるりと身体の向きを変え、遠くを睨むように見ました。

 しかし厳密に言えばそっちは真南でした。


「あの、木偶の坊さん、何故マッチを探すですか、ふ、ふへへ」


 佐藤さんの背中は柳の声にピクッと揺れ、止まりました。


「私が本当に探しているのは・・、ただのマッチじゃない」


 柳は何故かギクリとしました。

 佐藤さんの後ろ姿は一時停止を押したかのようにピタリと止まって動きません。

 柳は渋々「ど、どんなマッチですか」と小さく言いました。


 佐藤さんは振り向くと歯を出して「マッチですらない、言うなれば求めているのはそれを探す、意味・・、かな」と笑いました。


 柳はここのところ変なおじさんにたくさん遭遇して、少し面倒くさかったので「そうですか」と一言だけ言って口を固く閉じるとうつむきました。


「君もそんな所でぶら下がっていないでもっと自分自身を探したらどうだい」

 佐藤さんは満面の笑みで言いました。

 柳は少し顔を逸らして「ん」と曖昧な返事をしました。

 佐藤さんは「じゃ」と言って南の方へと走り去って行きました。




 暗い空がもっと暗くなって夜になり、また僅かに明るい昼になる、そんなことが何度か繰り返して、変な草花が伸びて、枯れ、また伸びます。


「ふひ、さびしい」


 柳はぽつりと呟いて海老吊りの身体を揺らしてみました、麻縄がギィギィと音を出しました。もう首から上の感覚しか残っていません。


 寝ても真っ暗、起きても真っ暗、過去の思い出も真っ暗、そんな訳で未来も真っ暗な柳は、木に吊られて自分が見ている「真っ暗」が夢なのか現実なのか妄想なのかが分からなくなっていきました。


 雪が降ってそれが溶けて、また雪が降って溶けたころのことです。

 夢と現実の丁度真ん中あたりへ来客がありました。


 女の人でした。


 彼女は自分を「使いの者」と名乗りました。


 女の人の姿は天女のように見えたり、鬼のように見えたりしました。

「・・が逢いたがって・・なので・・」

 柳はぼんやりとした意識の中に女の人の声が響いてきます。どうやら女の人は柳をここから降ろして誰かに引き合わせたい様子でした。


「ほ、放っておいて、意地悪しないで、私は今海老なので。そのうち脱皮して嫌なことが無い世界に自分でここから飛んでいくので」


 そんな柳に対して女の人は暫く粘り、“そんなところに吊られて無意味に苦しむことは無い”とか“私の言うことを聞けばお風呂に入れて綺麗な服を着せて暖かく美味しいご飯を食べさせてあげる”という意味のことを言って柳を説得しました。


 ごくり。


 柳は本当はすごくお腹が減っていました。もう長いこと空から降る雨や雪しか口にしていません。

 でもお腹がいっぱいになったらまたお腹が減ってしまう、と思いました。



 それはひとつのくるしみです。

 もう苦しいのは嫌なのです。



「あの、もう、本当に、結構ですので。へへ・・、放って・・おいて」


 女の人は三日三晩そこで説得しましたが遂に諦め「あなたに会いたがっている人をここへ連れてくる」と言って来た道を帰って行きました。


 また静寂が暫く続き、柳は眠りの中で眠り夢に落ちる夢を見ました。

 色々な夢を見ました。


 柳が知るお父さんとお母さんとは別のお父さんとお母さんがとても優しく柳を抱きしめてくれる夢、違う人間としてどこかの温かいベッドで目覚めることもありました。


 そんなことが百回以上も続いた頃のことです。


「おい、醜女ぶす


 懐かしい声に柳はハッと目が覚めました。

 声のした方を見ると鎮太郎くんが小さな鬼を連れてそこに立っていました。

 鬼は鎮太郎くんの耳元で何かを耳打ちしています。


「じ、じんだろぉおッ!!」


「お前、何年も経つのに未だ生きてたのかい。来て損したよ。やっぱり化け物だな」

 何やら二人は柳が生きていることが不服そうな様子で柳を棒でつついたり殴ったりしました。

「い、痛い! 痛いいッ! ひひひ!」

 柳は鎮太郎くんに会えた喜びに発狂したように身を捩じらせました。

「もっと、もっと構ってえぇッ」

 柳がそう叫ぶと二人は顔を見合わせました。

「本当に気味悪い奴だな君は、殴るのすら癪だ」

「ぶ、醜女ぶすだから、私、へへっ」

 そして「次までには死んでおけよ」と言って二人は来た方へ引き返して行きました。


「え? 待って! げへへ! 待って、待って!」


 二人の姿は夢の向こうへ消えて行きます。

 遠くで小鬼が振り返りニヤリと笑いました。


 うあああああーッ!


 柳の絶叫が山小屋のガラスの窓や壁をビリビリと揺らしました。


 ああああああああああああああああああああああああああああッ!!


 柳の目にはそれまでと全く違う光景が映っていましたが、そんなことよりも鎮太郎くんが訪ねて来てくれたことが夢だったということに絶望し、頭をがくりと垂れました。


 もう、何が夢で何が夢じゃ無いことなのかもよく分かりません。


「ふぃいい。ふ、ふい、ふええええっ」


 梁に引っかかった麻縄がギシギシと鳴ります。


 視界に映る床に鼻水なのかよだれなのか何かの体液がボタボタと落ち、染みになり、それは何日も渇くことはありませんでした。


「もう、死にたい。ひひ、嫌だ、何で私は死なない、の」


 もう、何も考えたくない、辛いことしか無いなら、何も感じたくない。


 もし神様がいるとしたら何故私を作ったのだろう。私が苦しむのが楽しいのだろうか。そんなことを思いました。


 ふと正面の窓の向こうに光を放つ人が立っていることに気がつきました。


「やなぎ」


 それは柳がTVで見た翼を持つ光り輝く人でした。

 その光は一気に光を増し、外から山小屋の中を照らしました。


「ひ、眩しい!!」


 ぜんぶやめたい?


 それはそれまで一度も聞いたことが無いような優しい声でした。


「う、うん」

 うつむいた柳は上目遣いで光る人をチラッと見ました。


 じぶんがきらいなのね


「気持ち悪いもの」


 そうなのね、でもね、ほんとうのあなたは、やくそくをはたしたいの


「・・う?」


 じぶんとのやくそく


「わ、分からない、何ですか、それは」


 ほんとうはわかっているの、あなたがなにをしにここにきたか


「本当は分かってる・・?」


 光る人は優しい声で「がんばっておもいだして」と目を細めました。


「分からない、お、思い出せません」


 じゃあしたいことはぜんぶおわったの?


 柳はギクリとしました。何か一番大切なことをしていない気がしているのです。


「・・いいえ」


「やめる? つづける?」


「でも、動けないんです。縛られて」


 光る人は微笑んで頷きました。


 それはまぼろしなのよ。やめたい? つづけたい?


「したいことが残ってるなら、つづけ、ようかな、それが何かはわからな・・、」


「“つづけ、ようかな”、確かに聞いたぞ、堕ちろ醜女ぶす


 柔らかな光で満たされた真っ白な世界がぐるんと回って、混乱の内に柳の全身に衝撃が走りました。


「ギャッ!」


 周囲は知らない小屋から自殺の郷の樹海へと戻っており、真っ暗な闇が包んでいます。

 何があったのか、柳は枝に架かる麻縄からずるりと抜け、地面に落ちていました。


“貴様は産まれる前からそうだったように永遠の苦しみを無限の無現乗回、繰り返す”


 ぶぅ〜んぶぅ〜ん。


 樹海中の死体の口の中から蝿の大群がやってきて周囲を飛び回り、柳を歓迎しました。

 おかえり、ぶす。おかえり、ぶす。

 どこもかしこも変な形に変な臭いに、変な手触りがするものがズルズルと蠢いています。


「ふひ、ふひひひ、海老、や、や〜めた」


 柳は立ち上がり、鎮太郎くん達が姿を消した方へと頭をぐりんと向けました。




 丁度その頃、樹海の闇を照らす光が二つありました。

「坊ちゃん、そこ、苔で滑らないようにお気をつけ下さい」

「う、うむ」

 ヘッドライトをつけた寺地くんと羽識さんでした。

 寺地くんは指先で額を持つと憂鬱そうに小さく溜息をしました。

「羽識、間違い無いのか、この先にあの女がいるのだな?」

「ええ、間違いありません」

 羽識さんは物憂げに闇を眺めました。

「何度言っても木に吊られた状態のままが良い、と」

「ふむ、こんなに分からん女は初めてだ、おや」


 ぶぅ〜ん、ぶぅ〜ん。


「急に蟲が増えたな・・」

 突如周囲の草がざわざわと膝丈まで伸び始め、奇妙な花が咲き始めました。悪臭が漂い、首吊り死体、野ざらしの腐乱死体の陰がぼうっ、ぼうっ、と浮かび上がります。


「何か・・、来る」


 それは本能的な第六感からくる強烈な確信でした。

 闇の向こうから大量の蝿を引き連れて走ってくる人影があります。


 柳 醜女ぶすです。


「じ、じんだろぉおおおお!?」

「う、うあああああーッ!!」


 柳の視線は寺地くんと羽識の遥か向こう、凡ゆる物理的、霊的な障壁を超えた先に在る鎮太郎くんを一心に見つめています。


「ま、待て! 柳・・、さん!!」


 寺地くんは両手を広げ、柳の行く道を塞ぎました。

「な、何! じゃ、邪魔しないでよぉッ!!」


「好きだーッ!!」


 周囲を蝿がぶんぶんと飛び交い、羽識さんの顔が引き攣っています。

「そ、そなたは、美しい」


 ぶぅ〜ん、ぶぅ〜ん。


「ど、どいてよおおおおッ!!」

「げふっ」

「ぼ、坊ちゃああん!?」


(ちゃんと、好きって言わなくちゃ)


 柳は寺地くんに体当たりして吹っ飛ばすと樹海の出口の方へと走り去って行きました。

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