アカツキに花咲き開く ――明月強制執行代理所お仕事帳

しかも・かくの

第一話 好きじゃなくても信じられる

第1話 その1

「はふぅー」

 終礼が済み、教室の中にふわりとした空気が流れると、つられて鈴蘭すずらんも力の抜けた息を吐き出した。


 初等学校での六年間を終え、この四月から中等学校での六年間が始まって既に一ヶ月が過ぎている。

 新しい生活にも少しずつ馴れてきてはいるものの、授業から解放されればやはりほっとしてしまう。しかも週末で明日はお休みとなればなおさらだ。


「やっほー、終わった終わった! スズ、帰ろっ。どっか寄ってこーよっ」


 前の席ののぞみが勢いよく振り返った。適当に伸ばしただけといった感じの黒髪が、つむじ風にあったみたいにひらりと舞う。

 授業中はうつむきがちでおとなしいのに、それ以外の時間となると途端に元気になる大変素直な子である。鈴蘭とは、最初の数学の授業で出た宿題をクラスで二人だけ忘れて、一緒に立たされて以来の仲だ。


「うん、行こうねノゾちゃん……って言いたいんだけど。わたし今日掃除当番なの。ごめんね」

「えー、スズにそんなこと押し付けるなんてひどすぎっ。そういう面倒なことは男子がやればいいんだよ。やって、ってスズがお願いすればさ、代わりに誰かやるよ、絶対」


 希はチューできそうなぐらいに顔を近付けてきた。鈴蘭が反射的に身を引くと、頭の上で結んだ桜色のリボンが小さく揺れる。


「なんでわたし女王様みたいになってるの? 全然違うよね? どうせ家とかで慣れてるからへいき。自分でやるよ」

「ぶー、この真面目っ子ちゃんめ。あたし手伝わないからね。先に帰っちゃうんだから。他の子と寄り道しちゃうよ。それでもいいの? スズのあたしへの気持ちってそんなものだったの?」

「大丈夫だよ、ノゾちゃん。わたし達の仲はそんなことぐらいじゃ揺るがない。だからまた今度行こうね」

「わかったよーだ。じゃあねスズ、あたしを振った以上はしっかりお掃除するように!」


 希は少し丈を詰めたスカートをひるがえして席を立った。カバンを軽々と肩に掛ける。本当に軽いのだ。机の中には教科書がごっそりと置き去りになっている。


「またね、ノゾちゃん」

 鈴蘭は希に手を振った。自分も帰り支度を始めようとして、そうじゃないと気付く。

「だから掃除当番だってば」

 それ以外の人はもう少ししたら大体帰るだろうから、そしたら机を後ろに片して、などと考えていると、ある男子生徒の姿が目に入った。


「三澤も今日当番だよ。わたしと掃除の班同じでしょ」

 脇を通り過ぎようとしていた手を咄嗟に掴む。いきなりなことに驚いたのか、三澤は鋭く肩を震わせて振り返った。


 相手は鈴蘭より十センチ以上背が高い。そして目元がきついので、見下ろされるとまるで睨まれているような気分になってくる。

 というか実際に睨まれている。

 握ったままだった三澤の手を鈴蘭はおずおずと離した。


「ごめんなさい。つい」

 まさか痛かったわけではないだろう。きっとなれなれしいのが嫌だったのだ。

「えっと三澤、くん。わたし達の班、教室のお掃除なんだけど」

 控えめに指摘すると、三澤はますます仏頂面になった。その反応で鈴蘭は確信する。


 三澤は自分が当番なのを忘れていたわけではない。なのに帰ろうとした。

 そういえば、これまで三澤が掃除をしている姿を見た憶えがない。

 おかしい。同じ班なのに。


「用事があるの? でもせめて他の人に断るとか……あっ」

 三澤は鈴蘭から顔を背けた。結局一言も喋らないまま歩き出す。


 そういうのって、ずるいと思う。

 みんな仲良くなんて無理だけど、どうせ同じクラスになったんだから、なるべく上手くやっていけるようにする方がいいに決まってる。


「待ってよ」

 鈴蘭は三澤を追い掛けた。廊下に出たところで学生服の袖を捕まえる。


「手伝えない理由があるなら、ちゃんと言ってほしい。いつも勝手にサボってたら、

そのうち仲間外れになっちゃうかもよ。そんなのやでしょ?」

「うざい。知るかよ」

 三澤は乱暴に袖を振り払った。勉強が苦手な鈴蘭だが、実は運動神経も余り良くなかったりする。


「きゃっ」

 あっさりとバランスを崩し、硬い廊下にへたり込む。

「……痛い。お尻打った」

 不平がましく呟く。へそ曲がりの男子になんて構うんじゃなかった。


 三澤は鈴蘭を放って帰ってしまうに決っている。

 てっきりそう思ったのだが、鈴蘭が顔を上げても三澤はまだその場に突っ立ったままだった。

 なぜかうろうろと視線をさまよわせている。まるで見てはいけないものが目の前にあるみたいな――。


「あ」

 鈴蘭は急いで膝を閉じた。ちらりとしてしまっていたのは確実だった。全開ではなかったのが、せめてもの救いである。

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