透明人間のためのオブリガード
成澤 柊真
第1話 名刺代わりのプロローグ
寒々しい。何が、と訊かれると、気温がだ。
今日は二十八度らしい。二十八度。今私が立っているこの場所にて、手元のスマホで測ったところ、三十二度だった。
この結果が寒々しい。どこで測っているのか知らないが、気象庁の発表する気温は、普段生活している私たちからしたらまったくもって当てにならないものだ。アスファルトもなく、車も、人もいない場所で測った気温を発表して、一体何になるというのか。私達はそれを参考にして『あ、今日はいつもより涼しいのだな』と考え、上着を持って行ったらいいのだろうか。そうしてその上着を荷物にして一日過ごせばいいのだろうか。何が悲しくてそんな不毛なことしなくてはならないのだろう。
「じゃあ、自分で測って、それを参考にしたらいいんじゃないの?」
その通りだ。しかし、論点はそこではない。何故に気象庁は当てにもならない気温を発表するのかという点だ。先のような事実に気付いているのは私だけではないはずだ。気象庁のえらい人の中にも気付いている人は当然いる筈で、にも関わらず発表している。これに何の意図があるのか、そこが私の疑問なのだ。
「ひねくれ者め。伝統だろう、そりゃ」
確かに、伝統を大切にする文化は日本に深く根付いている。しかしながら、それだけで説明を付けてしまうには早計である。無駄なものは無駄なのだ。例えば、髷を結う習慣がなくなったのは何故か。現代に生きる私からすれば、文化といえども歴史上の文化であって海外の文化とさほど変わらない程の感覚だが、当時の日本人からすれば当然且つ誇り高い文化だったはずだ。それなのに何故無くなったのか。簡単である。無駄で、面倒だからだ。
そのことを踏まえて気象庁の気温のことを考えると、無駄で、面倒なことを何故続けているのかという問題に帰着する。何故淘汰されないのか。それほどの価値のあるものなのか。
「結局、君はどうしたいのかな?」
それは勿論、理由を知りたい。
「気象庁に問い合わせればいいのでは?」
それでは面白味がないのだ。聞いて解る問題ではあるだろうが、最終的にそうするにしたところで、一通り自分で推測しないと気が済まない。
人生に、張りがない。
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