第3話 一人目接近中 2

 連れて行かれた会社近くのありきたりな居酒屋で、私と矢野は向かい合っていた。目の前には、いい感じに冷えたビールがグラスに汗をかかせている。

 なので、とりあえず。

「かんぱーい」

 有無も言わさずグラスを持ち上げ言うと、矢野も慌てたようにグラスを持ってカチリと合わせてくる。

「ここんところ、こまっかい仕事ばかり任されててしんどかったから。実は、飲みに行きたかったんだよねぇ」

 一気に半分以上を煽ってそういうと、それはよかったと目の前の矢野が笑う。

 矢野って男は、大抵ヘラヘラと笑っている。だけれど今日の笑顔は、なんだかちょっといつもと違う気がした。

 なんていうのか、う~ん。よく判らないけれど、ヘラヘラはしていないかも。

「で? 私との意味って何よ」

 まるで脅しのように強気な態度で攻め込むと、グッと矢野が僅かに身を引いた。

「なんか、そんな風に言われると。僕、とっても悪いことをしている気分になるのは、気のせいでしょうか?」

 少しばかりオドオドとした態度で、矢野はちびりとビールを飲みこんだ。

 この矢野一という男。入社した当日に、部署を間違い私のいるフロァに紛れ込んでいたという、なんともおっちょこちょいな奴なのだ。

 探しに来た国澤に、首根っこを掴まれて連れて行かれたわけだけれど。それまでは、あまりにも当たり前のような顔をしてそこにいるので、私も勘違いして新しい社員だと思っていたくらいだった。

 しかし、国澤に頭をひっぱたかれ、ズリズリと引き摺られるように連れて行かれた後も。なんやかんやとどやされつつ、今も辞めることなくこうしてめげすにこの会社に残っていることに対しては、褒めてやってもいいかな。

 国澤の話だと、お昼行ってきます。なんて言って、そのまま戻ってこない奴もいたらしいからね。

 まったく、ゆとり世代か? 困った話だ。

 まぁ、それはさておき。

「矢野さー。国澤をあんまり困らせないでよ」

 お通しに箸をつけながら、ぶちぶち言う私を矢野が真っ直ぐ見る。

「国澤さんが困ると、咲子さんも困るんですか?」

「ん? そりゃ、困るでしょうよ。他部署からの苦情なんて、冗談じゃないわよ」

 それでなくても神経質なうちの課長相手に、毎日気を遣ってるっていうのに。こんなことがその課長の耳に入るたびに、私の査定は下がっていく一方だわ。

「責任取りなさいよ」

 冗談混じりに言うと。少しの間思い詰めたような顔をした矢野が、徐に、解りましたっ。と真面目腐った顔をした。

「僕、ちゃんと責任とりますっ。咲子さんのために、男として責任を取りますからっ」

 鼻息も高からかに興奮した矢野が、きっぱりと宣言した。それがあまりにも思い詰め過ぎていて、私の方が尻込みしてしまう。

「あ。いや。別にそんな。うん。今のはちょっと大袈裟だったかな」

 あんまり思い詰めた顔をして言うもんだから、このまま仕事を辞められそうで思わず焦ってフォローした。

「うん。大丈夫よ。そんな、ね。変に真面目に取らないで。ちゃんと国澤の指示に従って仕事すればいいんだし」

 苦笑いの私とは対照的に、矢野の真面目顔は一向に治らない。

 参ったなぁ。ちょっと、きついこというと、若い連中はすぐこれだもん。明日、国澤に退職届とか提出しないでよぉ。

 結局、普段あんなに人懐っこくヘラヘラとしている矢野の顔は、飲みの席がお開きになっても変にまじめ腐ったままだった。

 あれ? そういえば、私と飲む意味って、なんだったんだろ?

 しっかし、周りが浮き足立ったこんな日に、なんで私は矢野の思い詰めた顔を前にビールを飲まなきゃなんなかったのか。あーあ。







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