TREE TREE

琴野 音

side 雪舟

「さぶ.....」


寝ている間に布団を蹴り落としていたのか、ベッドの上で震えながら目を覚ました。寒すぎる。

手を伸ばして布団を取ろうとしたが、遠すぎて届かない。このままでは風邪を引きかねないのでもう起きる事にした。

薄暗い部屋の中で手探りにクローゼットを開けて、綺麗に掛けてある青いボーダーのセーター、黒いシャカシャカのズボンを履いた。これで少しは暖まるだろう。

冬は苦手だ。末端冷え性気味だから。


携帯片手に、自室から一階の居間へ降りる。冷えきった部屋の暖房を入れ、電子ポットで水を沸かし、お気に入りのマグカップにコーンスープの元を入れてお湯を注いだ。湯気の白いのと、寒さで白くなった息が重なる。この瞬間がすごく落ち着く。冷え性じゃなければ冬が好きになっていたのかもしれないな。

温かいコーンスープで動きの悪い指を暖めながらカーテンを開けた。窓から見える庭の景色は、すでに雪が地面を白く染め上げて、まるで高級絨毯が敷き詰められたような美しさだった。

踏み締めても後悔するので、ソファに座って携帯をタップした。何を見るでもない。強いていえば天気予報ぐらい。

ちょっと休憩して携帯を膝の上に置いた瞬間。ブルルっと控えめに震えた。


「誰だ?」


まだ六時過ぎ。こんな朝早くから通知がくるなら、メルマガとかだろうか。

暗転する画面をもう一度タップすると、そこには『上杉さん』と書かれていた。

上杉さんは最近付き合い始めた女の子だ。どうしたのだろう。


雪舟せっしゅうくん! 明日! クリスマスだからデートしよう!』


元気いっぱいのLINE。上杉さんの笑顔が頭に浮かんで、自然と頬がゆるんでしまう。

俺は彼女が好きだ。好きにさせられてしまったのだ。

上杉さんと出会ったのは、大学入試の試験会場。らしい。ちゃんと覚えてないのだが、彼女が言うにはそこで出会ったみたいだ。

彼女とは初めての講義の日にまた出会い、いきなり告白された。女性と付き合う事がどういうことかわからなかった俺はその場で断った。それからもしつこく詰め寄って来たもんだから彼女の気持ちが余計にわからなくなって、終いには遊びの誘いも断るようになってしまった。

でも、彼女は諦めなかった。


それは、ある日の放課後の話。

講義で使っていた資料を教室に忘れてしまった俺は、輪郭が見えやすくなった太陽を直視しながら教室に向かっていた。

視界を曇らせ、どうにか扉の前までたどり着いたのだが、教室からは人の気配。いきなり開けたら驚かれるので、少しだけ隙間を作って中を確認することにした。

そこには、誰もいない教室で佇む一人の女の子。

もう顔が見えなくてもわかる。上杉 琴里ことりさんだ。入学以来毎日のように話しかけてきたからさすがに覚えた。

何しているんだ。絡まれたら長いから帰るのを待つか。

そうやって探偵の張り込みの真似事をしていると、彼女は何度か深呼吸をして、意を決したように口を開いた。


「住吉くん、今日一緒に...違うな。す、住吉!...いやいやいや。今日空いてるだろ? ちょっと付き合ってよ! こ、これだ.....『俺様』でいってみよう。住吉!」


ぎこちないテンションで、音量調節に失敗した上ずりで、彼女は俺に話しかけていた。

まさか、練習してたのか? あんなに活発で物怖じしなさそうなのに.....いつも?

信じられない姿を見てしまった俺は、気が付いたら扉を開けていた。ガララっと音が鳴り、何回目かわからない練習をしようとしていた彼女がビクっと振り向く。


時間が止まった。

いや、止まったのは彼女だけど。上杉さんはすぐに持ち直すと、真っ赤な顔はそのままに、腕を組んでニヤリと笑った。


「よう住吉! 今日空いてるだろ? 付き合ってくれよ」


その恥ずかしそうなドヤ顔に、俺は堪えきれず盛大に笑ってしまった。上杉さんが涙目でおろおろしだしているのはわかった。でも、色んな気持ちが抑えられなかったんだ。

そっか。練習通りだな。


「あぁ。付き合うよ」

「つっ! 付き合っ.....違う違う。私が誘ったのに勘違いするとこだった.....」


勝手に肩を落とす彼女に、俺は手を伸ばした。


「勘違いじゃない。今日じゃなくて、これからも。その.....俺と付き合ってください」


上手く出来ただろうか。ちゃんと伝わっただろうか。もしかしたら、声が変だったか.....告白って緊張するんだな。

すごいな、上杉さんは。

顔をあげると、彼女は声も出さずボロボロと泣き出していた。顔を見られたくなかったのか、隠す場所を探して俺の胸に飛び込んできた。

その壊れそうなほど頼りない身体を慎重に抱きしめて、頭を撫でた。


そして、住吉 雪舟と上杉 琴里の恋は始まった。



でも...。

クリスマス?

携帯のカレンダー機能を開いて日付を確認すると、今日は12月23日。明日がクリスマスだったのか。こういうイベントとは無縁だったからすっかり忘れていた。しまったな。やっぱり男から誘うべきだったよな。


「あっ、プレゼント買ってない」


いるよな。たぶん。何がいいんだ。

二階から階段を降りる足音が聞こえてきた。この足音はみぞれだ。アイツの足音はトントンと軽くて速い。

眠そうな顔でのそのそと現れたハムスターの着ぐるみパジャマを着た妹は、流れるようにコタツに潜り込んで「あぁ〜」と渋い声をあげている。いつも気になっているのだが、数多くの着ぐるみパジャマを持っているみぞれは、なぜか絶対にフードは被らない。


「なぁ」

「なに〜?」


机の上に顔を置いてだらしなく答えるみぞれは、今にも眠ってしまいそうだった。


「みぞれは.....クリスマスに何が欲しい?」

「え!? 何かくれんの兄ちゃん!!」

「いや、そうじゃなくて.....」

「ん〜? なーんだ。誰かにあげるのね。彼女でもできたの?」


急に元気になるみぞれは、俺の短くて何も言ってないような返答からすべてを察したのか、再び机に突っ伏して拗ねた顔をしている。

もちろん。お前にもやるけどさ。


「あぁ」

「.........は、え? 嘘、嘘...本当!? 兄ちゃん彼女出来たんだ! 良かったぁ朴念仁のお兄ちゃんを好きって言ってくれる人がいるなんて! .....だっ、騙されてない?」

「みぞれ。言い過ぎだ」


大袈裟に心配するが、ニヤニヤ顔が隠しきれてない。たぶん、言ってみたかっただけなのだろう。

みぞれ。いくら兄ちゃんでも少しくらい傷付くんだ。


「へへっ、冗談ですよ〜だ。まぁ彼女くらい出来るよね。それで、プレゼントに何買えばいいのか悩んでるの? そういうのはもっと前に買っておくんだよ。前日なんてチューの練習しかやることないじゃん?」


コイツ。彼氏いたことないクセによく言ったな。


「さっき誘われたんだ」

「さっき、誘われた? 兄ちゃん.....本当ダメ男だねあんた。とりあえず、今すぐ買いに行きなさい! みぞれは忙しいから行けないけど、アドバイスだけしてあげる!」


立ち上がったハムスターは、くるりと回って可愛くポージング。舌をペロッと出した。俺は兄貴だから可愛いと思うが、絶対に外でやって欲しくないな。

みぞれは指を立てて自信満々に言う。


「相手の好きな物をちゃんとしたブランドで買ってあげること。ブランドさえ踏まえてれば値段は低いのでも大丈夫だよ」

「何でブランドは大事なんだ? 質が良ければ知らないとこでも気に入ると思うんだが.....」

「わかってないね〜。気に入るだろうけど、女は貰った後に自慢しなきゃイケナインダヨ〜」

「わからん」

「わかんなくていいからさっさと買ってこい!」


居間から蹴り出され、俺は逃げるように自室に戻った。まだ八時前だ。店なんて開いてないだろう。

とりあえず着替えだけは済ませて、何を買うか考えてみよう。



開店に合わせて、ちょっと遠くの大型ショッピング施設を訪れていたのだが、驚いたことにかなりの人が並んでいた。女性物を扱う店が多いこの施設で男が並んでいるということは、みんな俺と同じなのだろうか。

入口を過ぎると、巨大なクリスマスツリーが設置され、辺りには色彩豊かな装飾がこれでもかと散りばめられていた。

とりあえず近かったアクセサリーショップで、控えめなピンクゴールドのヘアバックルを見つけた。彼女は髪が長いわけではない。髪留めは違うかな。


「それ、いまウチで一番人気なんですよ〜!」

「.....どうも」


出来るだけ目を合わさないように店から離れた。これが嫌だから、いつもはイオンやデパートなどで買い物をする。普段からこんな店で買い物をしている女の子は本当にすごいと思う。

八階建てのちょうど真ん中。四階を端から周っていると、ピンクのフリフリしか目に入らないような店で白い犬のヌイグルミを見つけた。

確か、上杉さんはサモエドを飼っている(飼っていた?)はずだ。喜ぶかもしれない。


「あの、これいくらですか」

「ちょっと待っててくださいね。税込8000円です。そちらはサンプルなので、新品はまだありますよ」


買えない値段ではないな。


「ください」

「ありがとうございます。それではお会計は奥でしていただきますので。こちらへどうぞ」


レジに向かいながら財布の中身を数えていると、ちらっと正面の帽子屋が目に入った。

一瞬。光が目の前を通り過ぎるように、あの日のことを思い出した。


『住吉くんの帽子。いいなぁ』


「待ってください」

「はい?」

「あ、やっぱり.....こっちの小さいほうをお願いします」


ここまで来て買わないとは言えず、レジの横にあった同じ犬のキーホルダーを指差した。


「かしこまりました!」

「あ、ありがとうございます.....」


お会計を済ませ足早に店から出ると、そのまま帽子屋に入った。『Kaku Yomu One』というブランド。品定めをしながらネットで調べたが、どうやら有名なストリートブランドらしい。彼女はスポーツが得意だから、このブランドなら大丈夫だろう。

あの日、俺が被っていたのはたった一つしかないダークグリーンのニット帽。

ニット帽が並ぶコーナーを見つけると、さっそく物色を始めた。赤い物を手に取って、記憶の中にある『上杉琴里辞典』からプロフィール欄を捲る。

彼女は背が高く見られる事を嫌う。そこまで大きいとは思えないのだが、彼女なりに色々あるのだろう。

だとすると、赤は膨張色だし目立つからダメか。すぐ横のモスグリーンのニット帽を掴んで、彼女が被った姿を想像してみる。うん。これなら似合うかもしれない。緑は好きかな?

ほとんど迷わずに決めてしまった俺はレジに向かった。綺麗な黒箱を用意してくれたので、ついでにキーホルダーも横に添えてもらうことにした。


「ラッピングはどうされますか?」

「自分で包みたいので、包装用紙だけください」


紙袋にプレゼントの黒箱と包装用紙を数枚入れてもらい、早々に施設から出ることにした。帰るだけなのだが、自然と足が速まる。ガラにもなく、ワクワクしてしまっているらしい。

その日の夜。包装用紙を片手に黒箱に挑んだのだが、これがどうにも難しい。ネットで調べながらやっているのに上手くいかないのだ。

何度目かの挑戦でやっと形になった。所々変な折れ目が入り、店頭で包んでもらった方が圧倒的に綺麗だ。

でも、気持ちは込めた。好きだって気持ちを。

これで、伝わればいいが。

明日は寝坊したくないので、少し速まる鼓動を抑えつつ、今日は早めに寝ることにした。






当日の朝は、昨日と同じく雪が降っていた。これがホワイトクリスマスというやつか。よく知らないが縁起が良いものなのだろう。

精一杯のオシャレをして、普段は履かないブーツを履いた。玄関にある姿鏡で最終チェック。変なところはないと思う。

念のため、鞄の中にお気に入りのニット帽を入れた。後で気付いたが、色がお揃いになってしまった。それが恥ずかしいかもしれないので鞄に忍ばせているのだけど、寒くなったら問答無用で被るしかない。許してくれ。


「そろそろ出るか」


ふと、昨日みぞれが言っていたことを思い出す。

チ、チューの練習.....いるのか?

素早く辺りを見回し、誰もいないこと確認する。絶対にすると決まっている訳では無いが、やっぱり上手くできないと彼女を悲しませてしまう。

イメージを高め、彼女の肩に手を置いた。

そして、ゆっくり目をつぶる.....。


「.....ん〜」

「何してんの兄ちゃん.....」

「みぞれ.....っ!」


誰もいないはずの場所に、ドン引きしたみぞれが後頭部を掻きながら立っていた。

なんでいるんだ.....足音を消してたのか?


「そんなことしてないで早く出なよ。あと、男が目つぶってどうすんのさ」

「.........い、行ってきます」


め、目はつぶらないのか。知らなかった。恥はかいたが、これで失敗しなくて済む。

いても立ってもいられず、俺は外へ出た。しかし、重大な忘れ物に気付いてすぐに引き返す。


「みぞれ! 俺の部屋の青っぽい袋取ってくれ!」


一番大事なプレゼントを忘れるなんてどうかしている。

もう隠すことも出来ない。俺は、今日という日を彼女と過ごせることが、嬉しくて仕方ないのだ。

そして、緊張も増すばかり。

彼女に素敵なクリスマスプレゼントを贈れるだろうか。不安が募る。




神様。もし見ているのなら。




俺に、一握りの勇気をください。

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