第6章 ターニング・ポイント(前編)

1.


 暗い。明かりがないわけではないにもかかわらず、その部屋は暗い。それは、部屋の主の性格ゆえであろうか。すべてのものがキチンと片付けられているにもかかわらず、どうにも拭いきれない闇。その闇の中で、彼女は声を荒げていた。

「なぜ援軍などと回りくどいことを! 要は私の仕事を認めぬということではないか!」

 バルディオール・フレイムは、電話の向こうにいるガントレット――今は変身前の姿である――に、叩きつけるように言葉を紡いだ。

「伯爵様は、あのお方はなんと言っておられるのだ! 教えろ! いや、電話を繋げ!」

「その伯爵様の仰せなのだ。お前には援軍が必要だと、ね」

 見えなくとも、ガントレットのあざ笑う顔が目に浮かぶような声色だ。

「そっちの、チュウゴクチホウとやらいうところの担当がいるだろう? そいつがそちらに向かう。ま、せいぜい仲良くするのだぞ。すべては我等の伯爵様のために」

「くっ!」

 伯爵の名を持ち出されては、返す言葉もない。フレイムは唇をかみ締めると、電話をせめて叩き切ることで憂さを晴らすことしかできなかった。

 いや、こんなものでは到底晴れぬ。どうしてくれようか……


2.


 5月15日金曜日。講義を終えてぐっと伸びをした美紀は、隼人の所へ近づき、肩をゆすった。

「隼人君、講義終わったで?」

 ん、と声がして、隼人が上体を起こした。まだ眠たげに眼をしばたかせている。

「大丈夫なん? このところ、一般教養は寝っぱなしやで?」

 美紀の心配そうな声に、ようやく眼が覚めたらしい隼人が笑顔を見せた。

「大丈夫だよ、出席さえしてれば単位くれる講義ばっかりだし」

 せやけど、となおも心配な美紀。さすがに、ゼミの時は隼人も起きているだけに説得力もなくはないのだが。

 最近、隼人の様子がおかしい。以前より、明らかになにかに気を取られている。なにより、お疲れ気味なのだ。元気がないとかそういうわけではなく、単に寝不足なだけなのだろうか。

「隼人君、最近、夜更かし気味なん?」

 そういうわけでもないよ。隼人にそうきっぱり言われては、返す言葉もない。

 でも、分かる。

 隼人は何かを隠してる。たぶん、あのボランティアのことだろう。

(なんとかしなきゃ。じゃないと、あの子たちに……)


 

 美紀が唇をかみ締める姿を、階段式教室の、少し離れた上の席から真紀は見つめた。

(暖簾に腕押し、やな。せやから、あきらめいって言うてるのに)

 いっそ美紀を焚きつけて、玉砕させるか。そう、姉としては考えないでもない。

(もったないがな。せっかくうちそっくりのプリチーな外見してんのに)

 さっさと諦めて、ほかの男に移りなはれ。そう、何度アドバイスしたことか。

(一途なのも大概やで。まあ、そこが美紀のええところなんやけど)

 真紀は美紀を泥沼から救い出すべく、階段を下りていった。


3.


 16日。土曜日の昼下がり。入院病棟は、何組かの退院する患者とその家族、運び出される荷物で、常ならぬ喧騒が生まれていた。

 神谷くるみはそれを他人事として聞くことに、もう慣れていた。自分の病気は一進一退を繰り返し、医者も看護師も実に淡々と検査をし、くるみの着替えを手伝い、病院食を配る。この病室のほかの患者は老人が多く、見舞い客はくるみと同様に少ないか、いない。

 騒がしいのは外、わたしには関係ない、はずだった。

 だが今日は違った。その外からゲストがやってきていた。その子は、先月この病棟に入院してきた、同い年の女の子。たまに調子のいいとき、くるみは車椅子に乗せられて病院内を散歩することがある。そのときに知り合った子だった。そして、その子が今日退院するから挨拶に来た、と言って入ってきた。

「くるみちゃん、がんばってね。わたしは先に出ちゃうけど、くるみちゃんもすぐ良くなるから」

 悲しかった。病気のせいであまりしゃべる気力もなく、同室の老人たちともさほど会話はない。そんな中、彼女は時々自分の病室を抜け出して来てくれた。

 彼女の姿を見ると、気力が湧く。その気力をフルに使っていろんなおしゃべりをして、でも結局看護師に見つかって怒られて。そのときの、彼女のペロッと舌を出した顔がかわいくて、くるみはそれだけで楽しい気分になれたのだ。

 でも、それももう終わり。

「これ、くるみちゃんにあげる」

 彼女が差し出したのは、小ぶりな熊のぬいぐるみだった。自分がいつも添い寝していたと言い、

「この熊がわたしの病気を治してくれたのよ。だから、くるみちゃんもがんばって」

 と言って、ついに彼女は涙ぐみ始めた。つられて自分も涙ぐむ。

「ほら、くるみ、泣いちゃダメよ。笑顔で見送ってあげて。そうすれば、あなたも笑顔で見送られる側になれるわ」

 傍らのなごみが励ます。そのなごみに、彼女は小さな包みを差し出した。

「これは、お姉さんに」

 それから、急にもじもじしだす。物問いたげな顔のなごみに、やっと意を決し彼女は問うた。

「あの、お兄さんは、今日は来ないんですか?」

「ああ、兄は今バイトよ。塾の講師だから、今日は来られないって言ってたわ」

 とたんに沈んだ表情を見せ、うつむく彼女。しかしすぐに面を上げると、もう一つ持ってきていた小さな包みを差し出した。

「これ、お兄さんに渡してください。お兄さんに励ましてもらって元気になりました、って香苗が言ってたって」

 承った証拠にうなずくなごみに笑顔で返して、彼女はもう一度くるみの手をとり、がんばってと繰り返すと、ポニーテールを振って踵を返し病室を出て行った。

「……まったく、お兄ちゃんったら、香苗ちゃんにまで……」

 くるみは苦々しげにつぶやいた。

「ぜんっぜんそんな気はないんだろうけどね。お兄ちゃん、無自覚だから」

 ま、危険物や呪詛の類でもなさそうだし、コメント付きで渡してあげようかしら。なごみは、病室に似つかわしくない言葉でこの場を締めくくった。



「渡してきたよ……って、あれぇ?」

 待ち合わせの場所に戻ってきた香苗は、素っ頓狂な声を上げる。隼人にあの包みを届ける約束をした、あの少女がいない。すると、香苗の母親が声を聞きつけて来た。

「香苗? そこにいた子なら、言付かってるわよ。ちょっと急な用事で帰らなきゃいけなくなったから、香苗にこれを渡してくれって」

 母親が取り出した袋を、香苗は目を輝かせて受け取り、中を確認する。そこには、香苗が入院している間できなかったアーケード用少女向けカードゲームの第5弾カードが全種類、専用ホルダに収められて入っていた。

 無邪気に喜ぶ娘を見て母親は、

「やれやれ、私にとってはただの紙切れなんだけど……」とため息をつく。

「もういい加減古い奴は捨てなさい。あなたの部屋にどれだけ溜まってると思ってるの」

「いやよ。まだ使えるんだもん」

 母子はなんやかんやと言い争いをしながら、荷物の番をする父親のところへ向かった。


4.


 日曜日の夜。授業を終え、生徒の個別質問もこなした隼人は、ボランティアへと向かっていた。明日朝一で入っていたバイトが、先方のドタキャンでなくなってしまい、代わりの斡旋もなかったからだ。ちょっと痛いが、無いものは仕方ない。

 2階に上がっていつもの挨拶をすると、スタッフのみんなが、唇に指を当てた。無言で永田が支部長室を指差す。支部長室は結構な壁の厚さのため、中の声は普通聞こえない。だが、その声はその壁さえ突き抜けるほど鋭く、かつ一方的だった。

「いったいいつになったら、あたしはエンデュミオールになれるんですか! 会長を呼んでください! 今すぐ! 携帯、知ってるんですよね支部長!」

 長谷川が声を荒げて、支部長に迫っていた。月に1回の、ほかのスタッフ曰く『発情期』だ。そのネーミングが、既にして長谷川の置かれている立場を物語っていた。

(控え室にフロントの子達がいるから。そっち行ってくればいいよ)

 と、永田が中に聞こえるはずもないのに小声で教えてくれたので、隼人は素直にそれに従うことにした。

 控え室を訪れると、優菜とるいが、びくっとして隼人を迎えた。怪訝な顔をする隼人に、優菜が慌てる。

「よ、よう。珍しいじゃん、日曜日に来るなんて」

「俺、まずかったか? 入ってきちゃって」

「今ちょうど隼人君の噂をしてたところだったから。ね、優菜?」

 るいのからかうような言葉に、優菜の顔が真っ赤になる。それで、仔細を尋ねる隼人に、るいが眼を細めながら答えた。

「隼人君は、理佐、優菜、美紀ちゃん。誰に行く予定なの?」

 あたしを混ぜるな、と優菜がどこかで聞いたようなセリフを叫ぶ。

「いやいやいや、理佐ちゃんと美紀ちゃんも混ぜるなよ」

「……ちょっと待て」

 突然冷静になった優菜が、あきれ果てたようににらんでくる。

「お前、非道くね? 理佐はともかく、美紀ちゃんも対象外って」

「ということは、るい目当て? いやあ参ったな」

「るい。ちょっと黙ってろ」

 と言い、優菜は隼人を改めてにらんできたが、隼人には状況が呑み込めない。

「あのさ、なんで美紀ちゃんがそこで出てくるんだ?」

 その発言を聞いた優菜は心底呆れた様子だ。

「お前、気付いてないの? 美紀ちゃん、お前のこと好きなんだぜ?」

 隼人の眼が丸くなり、優菜とるいは、本当に隼人が気づいていなかったことをようやく悟った。

「マジかよ……」

「あはは、どうも話がかみ合わないと思ったら、天然さんだったんだ」

 押し黙って下を向き、隼人は考える。

(そっか、そうだったんだ……)

 正直な話、隼人は美紀を恋愛の対象と考えてなかった。なついてくる双子の妹、という認識だったから。そのことを、隼人は素直に2人に話した。

「そうか、まあ、それならそれでいいさ。でだ、理佐はどーすんのさ?」

 優菜の発言が飛びすぎていて、隼人は付いていけない。

「あのさ、なぜに俺が理佐ちゃん狙いってことになってるんだ?」

「お前のことは、正直分かんない。でもさ、それなりに、悪くは思ってないだろ? 理佐のこと」

 隼人はあいまいにうなずく。実際、自分でもどうなのか分からないのだから。

「でな、理佐は、正直お前のこと気にし始めてる」

 優菜の言葉に、隼人の表情に困惑が広がる。なぜそんなことが分かるんだ、と。

「あの子は分かりやすいんだよ。わたしらが隼人君の話題を振ると、そりゃあもう必死で話をそらそうとするの」

 しまいに、ぷい、って横向いちゃって。るいが笑いながら説明してくれたことで、隼人にもようやく理解できる。

「だからな、お前がその気なら――」

「はやとくーん」

 控え室の扉が開いて、永田が顔をのぞかせた。

「ごめん、ちょっと手伝ってくれないかな?」

 隼人は了解しましたと返すと、永田と連れ立って倉庫へ行った。

「ちぇ、逃げられたか」

「ふふ、助かったぜ、って顔してたね。それにしても」

 るいが笑って優菜の顔を覗き込む。

「お前のことは正直分かんない、か。優菜も大変だね」

「……うるさい」



 そのころ理佐は、月明かりの中で体を起こした。もうこれで3夜連続で彼の部屋に呼ばれている。その執拗さを愛だというのなら、彼、利次は確かに理佐を愛してくれていた。電話が再々かかってくるのだって、最初はうれしかった。でも。

 理佐は、横で眠る利次を見やる。その寝顔は安らかとは言いがたく、まるで怒っているかのようだ。

 彼は何かに苛立ち、それを直接相手にぶつけるのではなく、代わりに理佐を責めたてた。理佐はなぜ、とも聞かず、ひたすら彼の成すがままにさせ、受け入れた。

 彼を、愛しているから。

 理佐はペンダントのトップを玩びながら思う。私は、こんなに束縛されるのが好きではなかったはずなのに。でもこんな、束縛の象徴のようなものを贈られて、喜んで毎日首に着けている。

 そのとき突然、理佐は、ある人を思い出す。

(彼となら、もっと穏やかな日々になるのかな)

 理佐は"彼"を思い浮かべる。つい先月知り合ったばかりの、彼。

 余裕がない生活をしているはずなのに、でもいつも笑ってる。優菜やるいと掛け合いをやって。バイトの後で疲れているはずなのに、時々ボランティアにやってくる。そして、綺麗だね、って褒めてくれる。

(エロ猿だけど、ね)

 理佐は最後の感想にくすりとして、ベッドから出ようとした。だが、それは利次によって阻まれた。彼の手が、理佐のパジャマのすそをしっかりと掴んでいる。

 仕方のない人ね。理佐は微笑むと、彼を起こさないようにそっと寄り添った。


5.


 隼人は、困惑していた。

 まず、なごみがつれなかった、店の前で掃き掃除をしていたのに、隼人の接近を察知するや脱兎のごとく店内に駆け込み、呼んでも出てこない。携帯にも出ない。しばらく待った末に、遅れるのもなんだからと隼人は、毎週火曜日恒例の見舞いへと見切り発車をしたのだ。

 ところが、今度はくるみまで。

「おい、そんなことしてると息苦しいだろ」

 くるみは、掛け布団をひっかぶっていた。呼んでも返事はないし、もちろん出てこない。いや、か細い右手だけ、するすると出てきたぞ。その手の人差し指が指すものを見て、隼人は絶句した。

『あなたに励ましてもらって元気になりました。香苗』

「……なごみの字、だよな」

 いささか殴り書き感のある張り紙付の包みを窓辺のカーテンレールから取り外そうとして、隼人は右ふとももに痛みを感じた。見れば、くるみの右手がボールペンで彼の太ももを突いている。

「それに触れてはなりません」

 くるみが布団の中から厳かにのたまう。

「お兄ちゃん、妹は失望しました。よりにもよって、香苗ちゃんに手を出すなんて」

 出してない。隼人は即答する。

「妹は、謝罪と賠償を要求します。とりあえず、『フラワードリーム』の最新号が読みたいです。お姉ちゃんは、この参考書が欲しいそうです。その包みは、本と引き換えです」

「なぜに?」

 隼人の質問は、無言でもって拒絶された。

 1階の売店には、漫画雑誌はともかく参考書など売っているはずもなく、隼人は妹所望のブツを近くの書店まで買いに行くはめになった。くるみに所望の品々を渡すと、ようやく顔をのぞかせる。今日は体調が良いようだ。

「ほんとにもう。お兄ちゃんは、わたしが予約済みなのに、誰も分かってくれない」

 そう勝手なことを言って1人でむくれるくるみを、隼人は頭をなでてやることで懐柔しようとするが、まだまだ追求し足りないようだ。

「お兄ちゃん、女の子たちが尾行してきてたみたいだけど」

 くるみが、ジト目で隼人をにらんでくる。最近よく女の子ににらまれるな俺、と内心苦笑する。

「いつから一夫多妻制に宗旨替えしたの?」

「してない。あの子らはボランティアの仲間3人と、ゼミ仲間2人だ」

「お兄ちゃんも含めて、ボランティアを志す人たちには見えないって、なごみ姉ちゃんが言ってたけど」

「いろんなボランティアがあるんだよ」

 パシリをしたせいで、病院を出たときにはもう3時を回っていた。思わぬ出費を強いられてしまったが、それで妹2人の気が済むならまあ良しとしよう、と隼人は自分を慰める。

 こりゃ当分駅と病院の間は歩きだな。実際はたいした金額ではないのだが、時間はあるのだし、そう思うともったいない。

 我ながら貧乏性だな、と隼人は苦笑しながら、香苗からもらった包みを開ける。包みの外から探った感じ、何かのアクセサリーみたいだ。きっと大事にしていた――

 隼人はその正体に、愕然として立ちすくむ。包みの中に入っていたのは、全く予想だにしなかった代物。

 白水晶だった。



 もうすぐ17時。飲み会の時間まであと30分なのだが、隼人は居酒屋とはまるで方角の違う、支部のビルの前まで来ていた。

 目的は一つ。この白水晶を、長谷川に渡すこと。それが、1時間ほど駅前のベンチで考えた、隼人の結論だった。

 この石を長谷川に渡せば、エンデュミオールが1人増える。たとえ才能が無くても、敵の攻撃を分散させ、こちらの攻撃の選択肢を増やせる。せめて、治癒スキルを会得してくれれば、もうあんな傷だらけの理佐や優奈を見なくても済むのだ。

 なにより、長谷川に喜んでもらえるし、サポートスタッフのあの妙な雰囲気も消えるだろう。隼人は様々な理由を並べ立て、高揚感に満ちてビルを2階へ上がった。

「おはようございます」

「あれ? 隼人君、今日は飲み会って言ってなかったっけ?」

 出迎えた永田に言い訳を余儀なくされる。

「いや、まだ時間があったもんだから、ちょっと」

 ふーん、といぶかしげな永田に尋ねた。

「そういえば、今日、長谷川さんって、出勤してますか?」

「休みだよ。お腹が痛いんだってさ」

 その何気ない一言は、隼人の勢いを明らかに削いだ。ほんの5分ほど前まであった高揚感がみるみる消えていく。

「あれ? でも、シフト表には確か出勤、って書いてありましたよね」

「まあしょうがないでしょ。生理痛だよ。あの子、毎回重いみたいだし」

 そういえば、そんな話を誰かから聞いた気がする。お休みじゃしょうがないな。

「何か明美ちゃんに用だった?」

 永田がいまさら聞いてきたが、なぜか話す気にならず、いや別にと答えた隼人はビルを後にした。

 しょうがない、また明日にしよう。やっぱ本人に直接渡したほうがいいよな。



 『まだ独り会?』の会場には、5分ほど遅れた。で、いきなり吊るし上げかよ。

「この野郎、遅れてくるとは、美紀ちゃんと乳繰り合ってたな?」

「この野郎、駆け付け三杯だ。自供の内容によってはさらに杯が嵩むと思えよ」

「この野郎、で、どこまでやったんだ? 吐け、吐くんだジョー!」

「やかましいわ!!」

 隼人は群がるアホどもをとりあえず蹴散らし、律儀に3杯飲んだ。そして目の前に並んだ料理をぱくつきながら、今日の本来の趣旨をみんなに思い出させようとする。

「斉藤が撃沈された話はどうなったんだよ」

「もう終わったよ」

「早すぎるだろ、おい」

 ある日ある時ある場所で、目の前を通り過ぎた女子学生に一目ぼれしてアタック! して見事撃沈されました、とさ。

 それが要約するまでもない、斉藤の戦闘詳報だった。合掌。

「お前、もう少し時間かけて、相手との距離を縮める努力しろよ」

「なに言ってんだよ隼人。一目惚れにそんな悠長な余裕があるかよ」

 と斉藤が目を真っ赤にして反論する。

「で、そもそも、何学部の誰ちゃんなんだよ、その子」

「お前は何を言ってるんだ?」

「それはこっちのセリフだ!」

 名前も調べてなかったのかよ、と隼人は呆れた。

「名前を調べろ。所属と、入ってるサークルもだ。で、お前がそのサークルに入る。話はそれからだ」

「出たよ隼人のモテ男アドバイスが」

「ちくしょう、何カ月前だかしらねぇが、1回モテたくらいで調子に乗りやがって」

「お前のアドバイスを聞くくらいなら、妹に理想の男性を聞く方がマシだぜ」

 みんな、寄ってたかって隼人をくさす。隼人も、別に過去をわざわざ披瀝する気もないので、どうもすいませんね、と鼻で笑って飲み食いに専念する。ここで栄養を取っておかなきゃ。

 隼人が沈黙したのを機に、みんなはゼミやサークルの女子評を始めた。正直興味がない、というか栄養摂取に専念するにはもってこいの環境に、隼人の飲食は加速度を増した。女子評は次第に軌道をそれ、だれそれはサークルのだれそれに片想いだの、だれそれはああ見えて男漁りがすごいらしいがキープがちゃんといるだの、といった暴露会へと流れ始めた。

(みんな、意外とよく見聞きしてるもんだな)

 毎回の感想を隼人は心の中でつぶやく。その観察眼がなぜに生かされないのか。自分のことは、周囲も含めて見えないから、だろうな。

(俺も人のことは言えないか)

 のどに詰まりかけた鳥唐揚げをビールで無理やり流しこみながら、隼人は表情は変えず自嘲する。

 そう、見えていたなら、千早とあんな別れ方をするわけがない。あんな――

「なあ隼人」

 松木が話しかけてきた。

「ん? なんだ?」

 意識を過去から引き戻されて、眼の焦点を友人に合わせる。

「お前、美紀ちゃん、どうすんら?」

 松木は微妙にろれつが回っていない。

「どうするって、別になにもしないぞ?」

「それれ? そっから?」

「松木、お前酔ってるな」

「ふん、なんらよ、俺が酔ってるから、彼女が出来ないと、そうおっしゃる」

「そうだ」

 敢えて言おう、そのとおりだと。隼人はサムアップサインまでしてやる。

 ちなみに、年齢イコール彼女いない歴な松木(20)なので飲酒はさほど関係ないのだが、こいつが酔ったときのだらしなさは我がゼミ女子連中及びバスケサークルのお墨付きで、にもかかわらずまるで懲りてない。

 そこがいいんだけどな。男友達としては、な。

「よし、お前も飲め」

 松木が弛緩しきった顔で、熱燗を勧めてくる。

「飲んでるよ」

「いいから飲め、そして俺たちに紹介しろ」

 隼人はいつのまにか、酔ったやつらに周りを囲まれていた。

「何をだよ」

「美紀ちゃん経由で、かわいいオニャノコたちをだよ」

「真紀ちゃんに頼んだほうが早いと思うぞ」

 まだ酔っていない隼人が冷静な反論を試みるが、このアホども、聴く耳持っちゃいねぇ。

「だめだ、あんな貧乳経由では、連れもまた貧乳なること疑いなし、だ!」

「いやそれ、美紀ちゃん経由でも一緒だろ、同じ肢体だし」

「きっさまぁ! やっぱり乳繰り合ったんだな? 見たんだな触ったんだな舐めたんだなぁぁぁぁ!」

「するかボケ!!」

 絶叫する松木を右フックで沈めたが、生ビールと熱燗で生成されたアホどもの群れはもはや止まるところを知らず、ひたすらくだらない飲み会は、二次会、三次会と続いたのであった。


6.


 あと10分で日付が変わるころ、ようやく隼人は自分の部屋へとたどり着いた。

 酔いが回ってくらくらする。

 5月中旬の締め切った部屋は、真夏ほどではないにしろ、もわっとした空気を部屋の主に提供するにやぶさかではない。クーラーの装備されていないこの部屋の環境を改善するべく、隼人はふらつく足で床の障害物を避けながら、窓を開けて回ったが、カーテンを閉めてしまうと空気の入れ替えはスムーズではなく、早々にあきらめて扇風機を回した。

「ふう、さすがに飲みすぎだな」

 シャワーを浴びて、さっさと寝よう。そう思い脱いだジーパンのポケットに隼人は異物を認めた。

 とりいだしたるは、かの白水晶。

「ボランティアの子を紹介しろ、とか言ってたな。冗談じゃないぜ」

 独り言をつぶやいていることに気づき、隼人は苦笑する。

「本当に酔ってるな。それが自覚できるだけ頭はまだ回っているってことか。やれやれだな、おい」

 また独り言をつぶやき、隼人は酔眼で、手に持ったそのアイテムをぼんやりと見る。

「みんなきれいだよな、変身シークエンス。えーと、こうやって……」

 白水晶を親指と人差し指でつまみ、額に持っていく。

「へん、しん。なんて――」

 隼人の部屋は、光で満たされた。

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