彼女が誰かと問われても彼は、サンタである彼女の本当の名前を知らない

木船田ヒロマル

流れよ、我が涙

 クリスマスイブの夜、唸りを上げて号泣しながら街を駆け抜ける若い男がいた。


 ネイビーブルーのピーコート。洒落たブランドのボタンダウンのシャツ。程よくこなれた風合いのジーンズ。有名メーカーのスニーカーを履いて、カップルを掻き分けるように走ってゆく。


 やがて彼の背景を流れる景色は煌びやかな街並みから暗い郊外の住宅地へと変わり、それをも突き抜けて人気の少ない山野にまで差し掛かった。


 大きな河をまたぐ橋に差し掛かった彼はようやく立ち止まり、その真ん中で夜の河に向かって獣のような雄叫びを上げた。


「うおおおぉぉーーーッッッ‼︎」


 彼はポケットから小さな包みを取り出す。掌に乗る程のリボンの掛かった四角い包みだ。彼はそれを握りしめると、思い切り振りかぶって真っ暗な河に向かい遠投として理想的な投擲角度で、力一杯放り投げた。


「畜生おおおぉぉーーーッッッ‼︎」


 彼はもう一度叫んだ。両目からは滝のように涙が流れる。魂を吐き出すような、心の叫びだった。


 包みは緩やかに回転しながら、最高点に達すると放物線を描いて落下し始めると思われた。


 ひゅぼっ!


 激しく空気を吸い込むような音とともに包みが闇に掻き消えた。

 それが河に沈むのを見届けようと、包みの軌道を眼で追っていた彼は、えっ、と驚いた顔を作ろうとした。


 ぼむっっ!


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの彼の顔を、爆炎の灯が照らす。


 それが合図だったように、眼前の虚空に突然何かのマシンが現れた。大型の自動車程の大きさの、黒く滑らかな機体。両側面に付いている同じ質感の円筒がエンジンであるようだった。その片方が炎と煙を上げている。どうやらそのエンジンは機能を失ったようで、機体は火を噴くエンジン側を下に沈めながら身を捩るように降下していた。

 機体の下にぱっ、と明かりが差した。

 機体の下の河面が暴れ、草と埃が激しく舞い上がる。パイロットはなんとか姿勢を制御し、墜落を避けようとしているようだった。

 しかしその試みは失敗した。

 多少速度は落ちたものの、重力の軛は謎の飛行物体を捉えて離さず、結局大音響と共に河原に不時着した。


 余りの事に涙は引っ込み、彼は呆然と落ちた飛行物体をただただ見つめていた。

 きっかり三秒そうした後、彼は我に帰るとパイロットを助ける為に駆け出した。


 これが彼、相馬恭太郎そうまきょうたろうの、長いクリスマスの夜の始まりだった。

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