第ニ話 犬破れて山河あり

「……え?」


 俺の宣言を聞いていた二人。気づいていたことではあるが、声を発していたのは円香の方だった。


「な、なに、どう言うこと……ハサ次郎に転生って何?」

「円香、どうしたの? 何があったの?」


 そして理解できないと言いたそうな、呆然とした声色で言葉を発する妹。対照的に理解すらできていない状況を問い詰める夏野。


『……円香……俺の声が聞こえているんだな?』


 俺は再び円香に声をかけて確認する。


「う、うん、聞こえているよ? と言うより、和兄なんだよね? ……生きて、いたん、だね?」

「……」


 俺の問いかけに、しっかりとした返答の言葉を紡ぐ円香。そして、感極まって涙ぐみながら生きていたのかと訊ねてきたのだった。


 そう、俺がクロとしての犬生を歩むことになった直後――。

 夏野と円香。そして俺も含めた二人と一匹は、とある通り魔事件をキッカケに衝突したことがある。

 通り魔と円香は、結局別の話だったけど、円香は俺の死と向き合えずに『犬』である俺を拉致していた。

 そこで俺は円香と再会を果たすことになるのだった。

 円香はクロに『春海和人』の面影を重ねていた。何度か俺に言葉を送ってくれていた。何度も犬である俺を『和兄』と呼んでいた。だけど、実際には円香へ俺の声は届いていなかった。

 ただ、俺の死を受け止めきれずにいただけ。俺の言葉なんて聞こえていなかったのだ。

 ……だからこそ『エターナル和兄プロジェクト』なる珍妙な代物を持っていたんだろうけどな。


 つまり犬生を歩いてきていた俺を、本当の意味で『和兄』だと認識していた訳ではなかった。

 実際に円香もそれは理解していたのだと思う。春海和人は、もう『この世にはいない』のだと。

 そんな時、こうして俺の声が聞こえてきた。俺と会話ができた。

 前へ歩み始めていた円香には申し訳ないのかも知れないが、こうして再び言葉を交わせることに俺は喜びを感じていた。きっと、円香も同じ想いを抱いているのだろう。

 妹の声を聞いて、そう感じていたのだった。


>8 >8 >8 >8 >8


 だけど、残念ながら俺は感傷に浸っている場合じゃない。するべきことが残っているのだから。

 今の現状を鑑みて、俺は一つの結論と、するべきことを見出していた。

 

『……円香、今からお前に、これまでのことを話す』

「……これまでのこと?」

「――ッ!」


 俺は円香に、あの強盗事件からクロとしての犬生に至った経緯。そして夏野に飼われていた話。

 そして、今回の経緯について話をしようと声をかけた。

 円香が聞き返した瞬間。俺の身体が微かに震えた。正確にはホルスター越しに夏野が強張っていた。

 夏野だってバカじゃない。すこし凶暴で、慈悲がなくて、ついでに胸もないけど――やべっ!

 円香に聞こえているのを忘れて口走っていた俺は円香に慌てて否定しようとしていた。だけど。


『――い、いまのは他意はないから! 別にそんなこと思っていないんですよ!』

「……? これまでのことに、他意はないって何? そんなことって、どんなこと?」


 疑問の言葉を返されてしまっていた。

 あれ? 聞こえていないの?

 俺は不思議に思い、円香に訊ねることにした。


『俺、何て言った?』

「え? ……『円香、今からお前に、これまでのことを話す』って」

『そのあとは?』

「そのあと? ……『い、いまのは他意はないから! 別にそんなこと思っていないんですよ!』って」

「……へぇ~?」

『……』


 どうやら、円香には俺の『心の声まで』は聞こえていないらしい。だけど円香の発言を聞いた瞬間に、背筋が凍るような冷たい夏野の声が響いた。

 付き合い長いからね。心の声まで筒抜けだったからね。作家だからね。

 言葉だけで何を考えているのか理解できちゃうのですね。エスパーかよ!


『……』


 俺は少しの間だけ沈黙して、取り乱した心を落ち着かせていた。

 夏野だってバカじゃない。俺の言葉を理解できていなくとも、円香の言葉で少しは勘づいていることだろう。

 何しろ、夏野には俺の心の声が聞こえていた事実がある。

 円香の言っていること。今目の前で起きていることが何となく理解しているのかも知れない。

 だけど、円香は以前から聞こえていない俺に話しかけてきたり、会話をしているような素振りを夏野の前でもしてきていた。

 だから、もしかしたら夏野は『いつものこと』だと思っているのかも知れない。

 それでは俺のこれからが何も始まらないのだと思っていたのだった。


 こうして円香と会話ができるようになった以上、俺は今までのことを、すべて円香に伝えなければいけないのだと思う。

 たぶん言わなくても聞いてくるのだろうとも考えている。

 謎を抱えたまま、俺達が普通に向き合えるような、そんな状況ではないのだから。

 だから俺は、すべてを話すつもりだ。

 もちろん、俺が死んだ直接的な原因だとか。夏野個人の話はしない。拷問もお仕置きの話もしない。今回の転生についても誤魔化すつもりだ。

 だいぶ温厚になっている二人の間柄に、水を差すようなことは言わない。俺がそれを望んでいないからだけどな。

 

『それで、円香?』

「なぁに、和兄?」

「……」


 俺は落ち着いた声で円香に語りかける。その言葉に落ち着いた声色で聞き返す円香と、沈黙の夏野。

 俺は一呼吸をすると言葉を繋げた。


『悪いんだけどさ? 今から話すことを夏野にも聞かせてやってほしいんだけど?』

「……夏野さんに?」

「――え?」


 円香の言葉に驚きの声を上げる夏野。

 とは言え、信用を得ないことには始まらないことは百も承知だ。

 だから話を始める前に俺は円香に。いや夏野に向けて言葉を発していた。


『そう、俺との出会い……「――待たせたわね。主人公の登場よ」って台詞をな?』


 たぶん俺と夏野しか知らない台詞。俺が犬生を歩み始めたアフロのペットショップ。

 そこに颯爽と登場した夏野の第一声。忘れもしない夏野との出会いなのである。

 これを円香の口から俺の言葉として送れば、夏野にも円香の言葉の重みが理解してもらえると思っていた。


「……そ、そう……生き返って、これた、のね……良かった、本当に、良かった……」


 円香の口から伝えられた俺の言葉を聞いた瞬間、夏野の身体が微かに震える。

 聞き取れないほどの小さな声で何かを呟いていた。そして。

 そっと優しくコートの上から俺にふれる感触を覚えた。と言うか、何で室内でコート着てるの? どうでもいいんだけどさ。

 ひとまず、これで円香の言葉が『俺からの言葉』だと信じてもらえることが確信できた。

 一安心した俺は言葉を繋げる。


『それじゃあ、話す。悪いが夏野に通訳頼む』

「うん! わかったよ、和兄」


 妹の返事を聞いて安堵を覚えていた俺。


『あっ、それで先に――えっ?』

「……ハサ次郎に転生しているのよね? だったら、はい……」


 話す前に二人の顔が見たかった俺は円香に頼んで、夏野にハサ次郎――つまり、俺をホルスターから外してくれと言おうとしていた。

 だけど言い終わる前に、夏野はホルスターから俺を取り出して、俺を二人の顔がよく見えるようにテーブルの上に置いてくれたのだった。

 その行為に、夏野も円香のことを信用してくれたのだと嬉しく思うのと同時に、その時の夏野が今までよりも優しい微笑みをしていたことに胸が高鳴っていた。

 ……は? いや、おかしいだろ。何その笑顔は。綺麗な夏野さん再来なのか? 俺が大変なのに酒飲んでいたのか? 祝杯でも上げていたって言うのか。

 なんて思ってみたけど、この表情はハサ次郎に対して送っている笑顔なのだろうと冷静に思い直していた。

 俺ではなくてハサ次郎。自分の相棒に送っている笑顔なのだろう。俺が勝手に間借りをしているだけ。

 今回ばかりは俺が文句を言うのは筋違いなのだろう。

 俺は改めて、今までのこと。クロとしての犬生について円香に話すのだった。 

 

「……そう、だったんだ……」

「……ええ」


 円香は俺の言葉を聞いて、夏野へ通訳していた。これまでの経緯をすべて話し終えると円香は夏野の方へ顔を向けながら辛そうに、それでも無理に笑顔を含ませた表情で訊ねる。

 その言葉を受けて夏野も目を閉じて、少し辛そうに、それでも笑顔を含んだ表情で肯定していた。

 そのあと二人は少し黙っていた。別に険悪なムードにはなっていない。会うと何故か険悪なムードになりがちな二人だけど今回は珍しくなっていない。今のところは、ですけどね。


 それに、あの頃だったら「和兄のことを黙っていたなんて許せない!」なんて言い出して、鮪喰を掴んで夏野に食ってかかっていたかも知れないが、そんな雰囲気も感じられない。

 俺の声が聞こえているからなのだと思いたい。

 姿は見えなくても『俺がいる』ことに安心しているからだと思いたい。

 そもそも、あの頃に夏野が「春海和人は生きている。この犬に転生しているの」と、円香に伝えたところで、妹は信じていなかっただろう。

 自分が聞こえないのに信じられる訳がないだろう。

 夏野が嘘をついているとしか思えないのだろう。 

 第一、あの頃の円香は誰の言葉も受け入れられなかったのだから。それは円香自身も理解しているのだろう。

 円香は特に何も言わずに優しく俺達を見ているのだった。

 

『……それで今回の転生についてなんだが……』

「――ッ!」


 俺は再び言葉を紡ぎ始めることにした。今回の経緯について。

 別に五度の転生と、試練の話はする必要はないだろう。

 今回の試練が夏野と円香の前で起こるのなら、それを話すのはフェアではない気がする。

 何が試練クリアの条件かが不明の状態で話をすれば、その場で失格になる恐れだってあるからな。

 あくまでも、今回の転生だけ伝えておけば問題ないだろう。

 そう思って伝えようとして、円香が夏野に伝えた瞬間。夏野は顔を青ざめた。表情が強張った。何かに恐れるように身体を震わしている。

 普段はあんな感じだから忘れがちなんだけど、最初に俺が死んだ強盗事件。

 夏野を庇って死んだ俺に対して、夏野は負い目を感じていた。犯人を追い詰めた時、普段見せないくらいの動揺と弱音を吐いていた。

 だから今回のことだって負い目を感じているんだと思う。まして、それを妹の口から伝えられる。

 それは夏野にとって、どれだけ辛いことなのかを俺は知っている。だから。


『俺がテーブルの上で本を読んでいたらバランス崩して落っこちちまって……たまたまハサ次郎の上に乗っかっちまってさ?』

「――え? 何やってんのさ、和兄? それで夏野さんに迷惑かけているんじゃ読書バカとは言えないよ……笑えないよ……」

『……ごめんなさい。以後気をつけます』

「もう、和兄ったら。ごめんなさい、夏野さん。和兄が迷惑かけたみたいで。――」

「……え?」


 俺は笑いながら、わざと嘘をついたのだった。

 円香は驚きながら俺に怒った表情で注意してきた。そして最後に泣きそうになりながら言葉を繋いでいた。

 夏野を庇う為の嘘とは言え、妹を悲しませてしまったこと。そして。

 あながち嘘で済まない読書バカな俺は深く反省して謝罪するのだった。

 俺の謝罪を聞き終えた円香は夏野の方へ顔を向けて申し訳なさそうに謝罪をしてから俺の通訳をする。

 円香の言葉を聞いた夏野は目を見開いて俺の方へと顔を向けていた。

 その顔は、しっかりと「どうして? なんで?」と物語っていた。だけど俺の言葉は通じないから、俺は次の言葉を夏野へ伝える為に円香へと話すのだった。


『それで、たぶんなんだけどな? ハサ次郎と接触したことによって、きっと俺はハサ次郎に転生したんだと思う』

「うん……。――」

「……」

「夏野さん?」

「――えっ? あ、ああ……そうよね。それしか考えられないわね」


 俺の考えに頷く円香。それを伝えたけど夏野は何か考え事をしていた。返事のない夏野に円香が声をかけると慌てたように言葉を返していた。聞いてはいるようだが、強盗事件の時のように何かに追い詰められているような気がしなくもないのだった。


>8 >8 >8 >8 >8


 正直、この先がとても不安だ。だって言葉の通じない夏野さんと一緒なんだもん。

 まぁ、言葉が通じ合っていたクロの時だって、俺の言葉が通じていないことが多かったけどさ。聞く耳持ってくれない飼い主のせいで!

 しかも今の俺ってハサ次郎なんだよな。つまり夏野さんの相棒なのです。

 通り魔チックなシザーウーマンの悪行の片棒を担う存在なんですよね。

 今までは襲われる立場だったけど、今度は襲う立場な訳で。

 鮪喰とか穢殺刃とかと平気で渡り歩く強靭なハサミとは言え、それ自体がどう考えても重労働ですよね。

 俺の身体が心配です。

 あとは単純に、俺がハサ次郎ってことは……常に夏野さんの太もものホルスターに入るってことで。

 本が読めないじゃん! 読みたくてもページ捲れないじゃん! ぬぬぬぬぬ……。

 おっ、意志で刃が動いた。人間死ぬ気になれば何でもできるんだな。まぁ、死んでいるんですけど。

 って、ハサミが動いても本を斬っちゃうからダメじゃん!


『本が読めないー!』

「和兄、うるさい!」

『ごめんなさい』


 思わず声にしてしまって、円香に怒られました。するとサッと新聞を目の前に差し出してくれた夏野さん。さすが夏野様、よくわかっていらっしゃる。

 ……だけど、弱冠文字がにじんでいますね。モノクロの記事なのに赤黒く彩色されていますね。シワクチャですし。

 なるほど、クロの止血するまで下に敷いていた新聞でしたか。

 新聞を無駄死にさせないように誠心誠意を込めて読ませていただきます!


 現状が理解できた二人は視線をクロへと戻していた。まだ止血が済んでいるだけで衰弱している状態だ。

 看病が必要なのだろう。

 そんな二人の心配そうな表情を眺めてから、俺は新聞へと視線を移す。

 いや、俺……ハサミだし。自分だった犬に攻撃はできないから。と言うより、攻撃なんてしたくないんですけどね! 

 できることがないので新聞を読むのだった。久方ぶりの新稲葉の活字。じっくりと堪能したいと思います。あっ、読み終わってから今後のことは考えます。

 読素が減っては戦はできぬ! ですからね。それでは読むとしましょうかね。


 そう意気込んで活字の一文字目に焦点を合わせた瞬間、夏野宅の玄関のチャイムがけたたましく鳴る。

 そして、ドアを壊す勢いで叩く音。その音に紛れて呪いの呪文のように「ごめんなさい」を連呼する声が室内に響いてくるのだった。

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