借金型天童広重(しゃっきんのかたてんどうひろしげ)

若狭屋 真夏(九代目)

当代 若狭屋真夏

緞帳幕がゆっくりと開く。会場には客がたくさんおり弁当を広げほおばる客や、おしゃべりする客。たまに居眠りをしている常連がいたりもする。

曲が流れてくる。もちろん「金毘羅ふねふね」である。気のせいかいつもより景気が良い。

舞台に茶髪の男性が上手から現れる。紋付を羽織っており、「丸に立ちおもだか」の紋がはっきりと見えた。

会場は一斉に拍手に包まれる。その拍手で居眠りをしていた客が目を覚ました。


ゆっくりと座布団の上に座ると彼は話し始めた。


「えー、ご無沙汰をしております。若狭屋真夏でございます。本日はお足音の悪い中わざわざ、つたない私の話を聞きに来ていただいてありがとうございます。」

今日は秋雨で外はひどい雨が降っている。

「作者がなかなか私を出さないもので、、よっぽど嫌われてるんですかね?仕方ないんで私の方から新作落語を作って持っていきましてね。

しぶしぶ書き始めました。どうも作者は「スランプ」らしいですね。書く気が起きないんだそうで、それでも生きていけるんだからよっぽどいい御身分なんでしょうね。

まあ、作者の情報は聞いても皆さま面白くないと思いますので、私の話をはじめますが。

昔は、といっても江戸時代、庶民の娯楽というのは数々ございました。江戸や名古屋大阪では歌舞伎の座が立っておりましたし、我々噺家のご先祖様もおりました。

浮世絵、美人画なんてものも今の価値で500円くらいで手に入る。

小説、、当時は戯作なんて言われてましたけどそれも「貸本屋」という今の漫画レンタルみたいなものがございまして、安く読める。

食べ物だって寿司、天ぷら、ウナギなんて今ではなかなかの高級品ではありますが、それも屋台で出しておりました。

ただ江戸の悩みは「蚊」だったそうです。最近は見なくなりましたが、、とは言っても、言っている私ですら見たことがございませんが「蚊帳」というネットで蚊が入らない道具を作ってその網の中で寝ていたと申します。

しかし、庶民と言っても毎日歌舞伎や落語を見て過ごすのもお金がかかるということで長屋なぞでは囲碁将棋が盛んにおこなわれていたそうですな。

夏になりますと家の外で将棋を指すおじさんなんかが昭和40年くらいまではおりました。

囲碁将棋と申しますのは幕府でも公認のゲームでしてそれぞれ幕府の中に専用の役職があったそうで。。。


将棋といっても長屋のおじさん同士が指すのと「名人戦」なんかで指すのは「駒」や「盤」が違います。

盤は本格的な物ですと日本刀に漆をつけ線を引くそうでして、駒も職人が木材からこだわるという事ですからお金はかかります。

昔から駒の名産地は「出羽の国の天童」が一流と言われています。

私もいっぺんは触ってみたいと思いますが私の雀の涙ほどのお小遣いではなんともなりませんもので。。。。。」


真夏はゆっくりと紋付を脱いだ。

「昔出羽の国天童には天童藩という藩がございまして織田という殿さまが治めておりました。織田といえばお察しのよろしい方ならわかると思いますが織田信長の系譜を継いでおります。

織田で思い出しましたが、フィギアスケートの織田信成さんが交通違反をしたとき捕まえた警察官の苗字が明智だったそうですが、、因果は巡るものですな。


その織田家、信長の血を引く名門ではございますが、石高としては2万石。たったの2万石しかなかった。しかし「信長」というブランドは並じゃあございません。石高は2万石ですが幕府の方は10万石相当の待遇をしてくる。

それならばと、10万石の大名並みに行列も派手にして、屋敷も豪華にする。

当然8万石足りないことになりまして、不足分は借金という形になります。

それが代々続きましてもう借金の山。もう鍋をたたいても「金っ気」もない音がするというわけでして。

「うーん」と重臣、殿様が集まって借金返済の相談をしております。

唸ったところでお金が出てくるわけじゃない。しかしうならずにはいられないというものでして。

「今度の返済はどうするつもりじゃ」と殿さまは家来に相談する。

「殿にはさようなことをお考えなさらずにて結構でございます」って家老とかが言いますな。

「しかし、余の御飯が三度三度めざしでは余も力が入らぬ」

借金というものは「返してくれる」から貸してくださるものでして、織田家は「ブラックリスト」の中で赤い字で三重丸が書かれた超不良債権企業。

貸してもくれないし、もう売るものもない。

そこに「お恐れながら」と申し上げたのが代々家老をつとめます吉田専佐衛門というお方。

このお方家老ではございましたが、江戸詰留守居役といういわば「東京支店長」みたいなお方で天童よりも江戸暮らしの方が長い。

それでいて「狂歌」の才能がございました。

「殿、私の狂歌仲間に「歌川広重」と申します絵師がおります。そのものに金子を与え絵を描かせ、それを藩に出資してくれるあきんどたちに与えたらいかがでしょう?」

まあほかの人間にはさほどの知恵もございませんから

「左様せい」と殿さまの許可が下りる。


しかし専左衛門、殿さまの許可が下りたものの広重の許可は取っていなかった。

ちょうど年も押し迫ってきておりトボトボあるく専左衛門の足元に雪がちらついてまいります。

とりあえず歌川広重の自宅に参ります。

広重は当時最高の浮世絵師、現代ならトップクリエーターですからお願いするのにいくらかを渡さないといけない。

藩にはそのお金すらない。悲しい現実でごさいます。

年の瀬と申しますのは今も昔も忙しい。

専左衛門とはちがい、周囲は勢いよく走っていくものも少なくございません。

広重の自宅は日本橋にございましたから、なおのこと活気がございます。

次第に広重の家に近づいていきます。


家の前で行ったり来たりしておりますと丁度仕事から終わって広重が弟子と一緒に戻ってまいります。

家の前に行ったり来たりする男がいるものですから広重も不安になりましてちょいと顔を見てみると友達の専左衛門ですから声をかける。

「やあ、真名富さん」文歌堂真名富と申しますのが専左衛門の雅号になります。

「あ、ああ」

「どうしたんですか?家の前で行ったり来たりして。何か困ったことでもありましたか?」

「は、はい」専左衛門は全く元気がない。

専左衛門がいつもテンションが高かったかは存じ上げませんが、元気がない友達がたずねてきた。こりゃあなんかあるなって思うのが人間でございます。

とりあえず、専左衛門を家に入れて酒でも呑ませ、話を聞いて元気をださせようってわけで、弟子にいいお酒を買ってこさせて、料理も料理屋から取り寄せる。

いつもだったらこれで上機嫌になるのですが、酒も進まず、料理にも箸を付けない。

こうなると「ひょっとして心の病では?」と現代なら病院に連れていきますが、当時はそんな病院は無いですし。

そうしているうちに専左衛門が蚊の鳴く声で今回のありさまをゆっくりと話し始めます。

それを広重は目を閉じて耳に神経を集中して聞きまして、一通り話が終わった。

「それにしても。。。」と専左衛門は得意の狂歌を一ひねりいたします。

「我が名には富という字はありねども 藩には無かり 富の一文字」

とひねりました。

「はっはっはっは」と広重は大笑いしまして

「貧乏の棒も次第に長くなり振り回されぬ年の暮れかな」と返します。

専左衛門もすこし笑顔になります。

「わかりました。そのお話お受けいたしましょう」

といって専左衛門の手を握りました。

こののち広重は天童藩のために二百点以上の肉筆画を書きまして、それを借金の返済として、また藩に出資してくれた商人豪商のプレゼントとして配られ、それらは現在でも「天童広重」として我々の目を楽しませてくれるという「借金型天童広重」の一席この辺でお開きとなります。」


ゆっくりと若狭屋真夏は頭を下げる。同時に「金毘羅ふねふね」が流れてくる。

客は拍手をしている。

真夏はゆっくり立ち上がり、紋付をもって下手にはける。

朝から降っていた秋雨はもう止んでいた。







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借金型天童広重(しゃっきんのかたてんどうひろしげ) 若狭屋 真夏(九代目) @wakasaya

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