第12話 異世界求職者-8
洗濯機の中に入ったらこんな感じなんだろうか。グルグルグルグルグールグル。染みついた負け犬根性が洗濯されるなら喜こばしいことだけど、その代償が死ではさすがに納得できない。
渦の中心ーー件の光源の引力に抗って懸命に水を掻く。少しづつだけど前進する。おっかなびっくり息継ぎをする。しばらくして、体力が尽きる。お得意のあきらめモードに突入。為すすべもなく中心に引き寄せられる。寸前の所で思い直してまた水を掻く。
そのサイクルの繰り返し。記念すべき二十一回目、さすがに体力は底をつきかけている。やれてあと二回。ふと、空(正確には水面)を見上げる。勿論、そんな余裕は一ミリもないのだが……。
無視できない程の違和感の正体は、水位だ。最初に比べるとあからさまに水深は浅くなっている。今の水深は二メートル程度。もう少し踏ん張れば足がつくじゃないか。少し希望が見えてきた。
そんな矢先、目下の水底に矢が突き刺さった。だめだ相当消耗しているらしい。今の今まで全く気付かなかった。先程の一射は偶然あたらなかっただけだ。感知ができていない以上、回避行動を取りようがない。
水が曲がりなりにも俺の姿を隠し、防御として機能しているため相手方の攻撃力は半減しているが、その恩恵がなくなった瞬間、無数の矢が俺の体に突き刺さる可能性は高い。
こういう状況を何て言うだっけな。四面楚歌、でも、今の状態だと二面楚歌か。前門の虎、後門の狼。俺はイヌ派だから迷わず狼に突進するけど、それで狼を手懐けて虎を狩る。……ちょっと、待て。これは確か俺の黒歴史の一頁に刻まれた問答ではなかった。まだ就職活動を始めて間もない頃、筆記試験で故事に関する設問があった。その後に行われた一次面接で、面接官に聞かれた。
『前門の虎、後門の狼のような状態に当社が陥った場合に、神代さんはどう対処しますか?』
『狼を手懐かせ、虎を狩ります』
『具体的にはどのような方法で行いますか?』
『簡単ですよ。己の力を信じて全力で対処するだけです』
『一人で全てを解決するということですか?』
『後方支援があるのであれば勝率が上りますが、下手をすれば仲間を失う可能性があると考えます』
『つまり助力は必要ないと?』
『狼や虎を一人で倒せないようでは、職務は全うできません』
面接官が眉間に皺を寄せた。
後に、就職活動対策本で前虎後狼は、一難去ってまた一難という意味の故事だと知った。ベッドの上で赤面して頭を抱えたことを鮮明に覚えている。
どうして、あの時の俺はガチで狼や虎と戦うこと想定していたのだろう。中二病に蝕まれた求職者。あああっ、俺って本当にイタイ奴だな……。
それにしてもそん勘違いをしていたなんて、誰かに吹き込まれたとしか考えられない。
知り合いでそんなことをするのはドSな姉ちゃんくらいだろう。あれ、俺の姉はドSだったんだっけ?
長いウェーブのかかった金髪が風で靡いている。緑色の瞳が俺を見つめている。その視線は冷たくて幼い俺は恐怖で地面にへたり込んで、ブルブルと震えている。
そんな光景が脳裏に浮かんだ。俺の姉ちゃんて外人さんだったっけ、それにすげぇ睨まれていたし、もしかして、家庭内暴力? だから記憶がないのかな。
きっとこの世界に俺を導いた神様が不要な記憶を抜き取った、そう考えれば辻褄が合う。でも、不思議なことに姉ちゃんを嫌悪する感情は一切ないんだよな。
数本の矢が水底に突き刺さった。走馬燈チックな現実逃避はこれくらいにして。そろそろ選択しなければ事態は好転しない。ここはやはり狼を選択するべきだろう。つまりは、後門に下る。
今を浴槽の栓が抜かれた状態だと仮定する。水が流れ落ちる先はわからないが、中心に到達=死にはならないかもしれない。あとは、でたとこ勝負だけど、射撃の的になるよりはましだろう。
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