希望の光が闇を照らす時

碧居満月

第1話 恐怖の始まり

 この地球に人類は必要ない。

 1人残らず抹消してやろう。

 偉大な科学者と呼ばれた、この私の手で。




 季節は夏。小学校に通う子供と夫の3人で、私は近所の市民プールを訪れた。

 施設内に設けられた室内プールには、赤い水泳帽に紺色のスクール水着姿の小学生が殆どで大人はあまり見かけない。

 子供たちが遊ぶプールの隅っこで大好きな戦隊物のウキワでぷかぷかと水面を漂う6歳の我が子の姿を、夫と少し離れたところから見ていた時だった。

 突如として、プールの水面が大きく裂け、怪物の口のような形になり、次々と子供たちを襲ったのだ。

 辺りは騒然となった。水の怪物に頭から呑み込まれて行く子供たちや逃げ惑う大人たちの悲鳴が室内中に溢れ、地獄絵図と化している。

「こどもは......私のこどもはどこ......?!」

 眼前に広がる光景に衝撃を受け、パニクった私は必死で我が子の名を叫んだ。

「駄目だ、もう手遅れだ!あんたたちだけでも先に逃げろ!」

 必死の形相で叫んだ見ず知らずの男性(50歳くらい)に促され、背中を強く押し出された私は顔面蒼白で夫と一緒に出口へと走った。

 あの怪物から私を庇い、水の触手を伸ばしたそれにプールの中へ引きずり込まれ、右腕を喰いちぎられた男性の断末魔が後ろから嫌でも耳に入った。

 咄嗟に助けてくれた男性への感謝、そして我が子を助けられなかった無念さが一気に押し寄せ、大粒の涙を流しながら、私は一心不乱に出口を目指した。

 それからどのくらい走っただろう。

 ふと気付くと私は、プールが設けられている施設の外に出ていた。

 爽やかな風が木々を揺らし、夏の匂いを運んで来る。

 だが、顔面蒼白でその場に立ち竦む私は、頭の上から足の指先まで冷水を浴びたように震え上がった。

 耳にかかるくらいの黒髪ショートに銀縁眼鏡をかけた、すらっと背の高い、容姿端麗な白衣姿の青年が対面する形でこちらを見据えている。それも『見られたからには生かしておけない』とでも言うように、非常に冷たい目をして。

 恐怖で怯える私の目を見て、彼はゾッとするような笑みを浮かべた。

 悪魔の笑みと言っても過言じゃない。彼は、心底怯える私の心を読み取り、もっと怖がらせてやろうかと面白がっている。

 それを悟った瞬間、私はもうマイナスなことは考えないと硬く決意した。


 「ここは俺に任せて、おまえは先に逃げろ」

 不気味な人に出くわし、渾身のポーカーフェースで恐怖を隠す私に、夫は静かにそう言った。

「ダメよ!あなたを置いて逃げるなんて!」

 私は必死に抵抗したが、きゃしゃな私の身体を抱いて無理やりキスをした夫に遮られてしまった。

「最期にお前の顔を見れて良かった。遠くに離れてもずっとずっと愛してるよ、満月みつき

 私にふっと優しく微笑んだ夫は、きっと相手を睨みつけると特攻隊よろしく突進して行った。

 嫌だ!こんなところで、別れの言葉を聞きたくない!

 行かないで!お願い!!

 そう、声に出して叫びたかった。言葉をぐっと呑み込み、私は後ろ髪を引かれる思いで足早にその場を去った。勇ましく相手に立ち向かう夫の気持ちを汲み取って。

 マイナスのことを考えては駄目だ。絶望的なことを考えれば考える程、彼はつけあがる。

 そしてここから、生き残りを懸けて逃げる私と、なにがなんでも殺そうと追跡する彼との、壮絶な戦いが幕を開けたのだった。

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