(26)対抗策
「ちょっと美子! この日程、正気なの? 普通、有り得ないわよね? 結婚披露宴の招待状に『誠に申し訳ありませんが、日程が差し迫っておりますので、到着後一両日中にご返送下さい』の一文が付けられて、速達で送りつけられたのは初めてなんだけど!?」
着信を知らせた自分の携帯電話を取り上げ、耳に当てるなり飛び込んできた高校以来の友人の声に、美子はそれを持ったまま、思わず遠い目をしてしまった。
「そうね……。一生に一度、有るか無いかの経験だと思うわ……」
「何を他人事みたいに言ってるの! 聞いてないわよ、デキ婚なの!? 確かに美子は一見誰よりもまともに見えて、誰よりもぶっ飛んだ思考回路と行動力の持ち主だったけど、こんな事でそれを発揮しなくても良いじゃない!」
その訴えに、美子は座ったまま机に突っ伏したくなったが、なんとか堪えつつ言葉を返した。
「その類の事を言われたのは、久美で何人目かしらね」
「その類って?」
「デキ婚云々」
「そりゃあ、疑うわよ。来月披露宴って、普通なら有り得ないから。で、本当の所はどうなの?」
最初に笑い飛ばしてから、すぐに真剣な口調で確認を入れてきた友人に、美子は若干素っ気なく言い返す。
「お生憎様。影も形もありません」
「何だ、残念。でもどうしてそんなに急に挙式と披露宴をする事になったの? 旦那さんになる人の仕事の都合?」
完全に好奇心から尋ねてきた彼女に、美子は思わず愚痴めいた呟きを漏らした。
「仕事の都合ではないの。父に軽くいびられて拗ねまくった挙げ句、プライドを捨ててあっさり妖怪に縋ったのよ。あの馬鹿は」
「は? 何を言ってるの?」
当然話の見えない彼女が当惑した声を上げた為、美子は笑って誤魔化した。
「色々あってね。急に決まってしまったし、もう用事で埋まってたら欠席でも構わないわ」
「何言ってるのよ! 何としてでも出席するわ。久々に皆の顔を見たいし。あ、そうだ。チームの皆で集合するのは久々だし、服装は昔のユニフォームで良い? どうせなら美子も、お色直しの一着はそれで」
「是非とも、ドレスコード遵守の方向でお願いします」
美子が切実に頭を下げると、電話越しにもその雰囲気を察した相手は、カラカラと笑ってから詫びてきた。
「今のは勿論、冗談ですからね? ごめん、驚いた勢いで電話しちゃって。披露宴を楽しみにしてるわ」
「私も、顔を見るのを楽しみにしてるわ。それじゃあね」
そして通話を終わらせた美子は、今度こそ机に突っ伏した。
「疲れた……」
小さな呻き声を漏らしながらそのままダラダラしていると、ノックをして部屋に入ってきた美恵が常にはない姉の姿を見て、訝しげに声をかけてきた。
「姉さん、ちょっと良い? ……何をやってるの?」
「披露宴の招待状が届いたって、ひっきりなしに確認やら冷やかしの電話が、かかってきてるのよ」
ゆっくりと身体を起こし、椅子に座ったまま背後を振り返って愚痴った美子に、美恵は苦笑いで応じる。
「あれじゃあ無理ないわよ。私だって何事かと思うし。ところで、後で話があるって言ってたけど、何?」
そう問われた美子は、電話に出る直前まで自分がしていた事を思い出した。
「そうそう。美恵に頼みたい事があるの。本来なら私がするべきなんだけど、挙式と披露宴当日は、どう考えても身動きが取れないと思うから」
「そんな日に、一体何をする気だったのよ?」
美恵が呆れながら立ったまま詳細を尋ねると、美子は美恵を見上げながら、思わせぶりに言い出した。
「とある筋からの情報によると、披露宴に、招かれざる客が押し掛ける可能性があるの」
それを聞いた美恵は、軽く眉根を寄せてから短く尋ねる。
「こっち? あっち?」
「向こうね」
「女? 男?」
「どうやら、夫婦で出向く気らしいの」
そこで美恵は、益々渋面になりながら確認を入れた。
「……当然、父方でしょうね」
「話が早くて助かるわ」
冷静に美子が頷いたのを見た美恵は、苛立たしげに吐き捨てた。
「ふざけてるわね。以前、姉さんの事を『たかが食い物屋の娘』呼ばわりした事位、耳にしているわよ。それを綺麗さっぱり棚に上げて、今更何をしようって言うわけ? それで? 姉さんはどうしたいの?」
怒りの形相で立て続けに言ってのけた美恵に向かって、美子は先程まで机で書き込んでいた用紙を、微笑みながら手渡した。
「できれば当日、この方向でやって貰えないかしら。金輪際、我が家に関わりたくないと思わせるか、我が家が先方と友好関係を結ぶつもりは皆無な事を、嫌でも理解させたいの。話して納得してくれるタイプでは無いと思うし」
そう説明された美恵は、渡された用紙に目を走らせ、面白く無さそうに一言感想を述べた。
「生温いわ」
「そう? 基本的に藤宮家の意向だと相手にしっかり分からせつつ、第三者には私達が関係していると、分からない様にしたいんだけど」
「細かい所に、幾つかアレンジを加えても構わない?」
「勿論よ。私は当日手が出せないし、やり方は全面的にあなた達に任せるわ」
そんな風に全権委任された美恵は顔を上げ、美子に向かって力強く頷いてみせた。
「分かったわ。これに関しては私と美実で準備しておくから、心配しないで」
「良かった。必要なスタッフとかをホテルに頼んで手配して貰うから、最終的な計画が固まったら、早目に教えてね」
「了解。ところで姉さん。結婚前に早くも愛想を尽かされたわけ?」
「急に何を言い出すの?」
いきなりの話題転換に、美子がさすがに面食らうと、美恵は面白く無さそうな顔で話を続けた。
「江原さん。あ、もうお父さんと養子縁組済みだから、秀明義兄さんか。今週に入ってから、全然顔を見せないじゃない。先週までは、連日の様にご飯を食べに来ていたのに」
「そう言えば、そうね……」
思い返してそれを認めた美子に、美恵が若干厳しい目を向ける。
「何か心当たりは?」
「さあ……、特には。色々忙しいんじゃないの?」
危機感など微塵も感じさせず、のんびりとした口調で応じた姉に、美恵は若干苛つきながら尚も続けた。
「本当に大丈夫? 急に結婚が決まった上に急に破談になったりしたら、笑い話にもならないわ。しっかり手綱を握っておきなさいよ? 結婚前の最後の女遊びだって、羽目を外しているかもしれないし」
「本当ね。気を付けるわ」
にこりと笑って頷いた美子を見て、美恵は心底嫌そうな表情になる。
「全然、本気にして無いわね……。姉さんの、そう言う所が嫌いなのよ」
全く悪気は無かったのだが、結果的に密かに気を揉ませていたらしい美恵を怒らせてしまったのが分かった美子は、すぐに謝って用紙を持って部屋を出て行く彼女を見送った。それから携帯電話を再度取り上げて、今話題になったばかりの人物に電話をかけてみる。
「もしもし、私だけど、今大丈夫?」
「ああ、構わないが。どうした?」
「ひょっとして、結婚前の最後の女遊びを満喫中なの?」
「いきなり何を言い出すんだ?」
さすがに困惑した声を返してきた秀明に、美子は笑いながら事情を説明した。
「あなたが急にパタリと家に来なくなったから、美恵に心配されたのよ。『しっかり手綱を握っておけ』って怒られたわ」
それを聞いた秀明は、楽しそうに笑った。
「それは悪かった。ちょっとバタバタしていて、そっちに出向く余裕が無かったんだ。そうだな……、週明けの火曜日には顔を出すから、勘弁してくれ」
「了解。それじゃあ、その日はあなたの好物で、お父さんがそれほど好きじゃない物を準備しておく?」
「本気で社長に睨まれるから、それだけは止めてくれ」
「あら、もう『社長』じゃなくて、『お義父さん』じゃないの?」
「そうだったな。あまり生意気な事は言わない様に、気を付けよう。今度は早々に勘当されたくは無い」
「そうね」
鋭く突っ込んだ美子に苦笑いで返してから、秀明は思い付いた様に言い出した。
「それじゃあ、美恵ちゃん達に疑われない様に、今度の日曜にデートでもするか?」
しかしそれは、美子にあっさりと言い返される。
「当然、ホテルで披露宴の打ち合わせを済ませたついでよね? あまり手を抜いていると、却って怒られるんじゃない?」
「相変わらず手厳しいな」
そこで秀明は本気で笑い出し、週末の予定を確認して話を終わらせた。
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