(7)秀明の思案

 同じ頃、外で夕食を済ませて自宅マンションに帰り着いた秀明は、エントランスの集合ポストの中を確認して、手の動きを止めた。

「深美さん?」

 手にした封筒を裏返した瞬間に目に入って来た名前に、秀明は少しの間だけ固まってから、軽く首を振って苦笑いする。


「そうか……。一瞬、幽霊からかと思って驚いた。彼女あたりが預かっていて、落ち着いてから投函したんだな」

 すぐに真相を悟った秀明が、一緒に入っていたダイレクトメールやチラシの類と纏めて封筒を掴み、自宅に向かって何事も無かったかの様に歩き始めた。


「しかし幽霊からって、何だそれは。俺らしくも無い。……本当に深美さんは、最後まで意外性の塊だったな」

 そんな自嘲気味の台詞を吐きながら自宅に帰り着いた秀明は、コートを着たままソファーに座り、早速封筒に手を伸ばす。


「さて、それでは何が書いてあるのか、読ませて貰おうか」

 そして目の前のコーヒーテーブルに設置してある引き出しから鋏を取り出し、封筒の上部を水平に切って開封した。そして中を覗き込んで、怪訝な顔になる。


「うん? 私信が入っているだけにしては、やけに封筒が大きいと思ったら、他にも何か入ってるのか?」

 そう呟きながら、取り敢えず秀明は折り畳まれた便箋を取り出し、それに目を通し始めた。そして全て読み終えた彼は、深い溜め息を吐いて項垂れる。


「深美さん、なんて無茶ぶりをしてくれるんですか……。俺にこんな事を言いつけられる人間は、あなた位ですよ。『それ位はしてね』って事だとは思いますし、気持ちも分かりますが……」

 思わず愚痴をこぼしてから、秀明は再び送りつけられた封筒を覗き込み、それよりは一回り小さい封筒を取り出した。その白一色で表に「美子へ」としか書いていない封筒を目の高さまで持ち上げて、自問自答を始めた。


「さて……、あっさり渡すのは簡単だが、できる限り深美さんの希望通りにしたいしな。どう話を持っていくか……。人目も考えないといけないし」

 そこで携帯の着信音が鳴り響いた為、秀明はそれを手にしたが、発信者名を見て怪訝な顔になった。しかし(こんな時間に珍しいな)と思いつつ応答する。


「やあ、美幸ちゃん、こんばんは」

「えっと……、遅くにすみません、江原さん」

 かなり恐縮気味に挨拶してきた美幸に、秀明は笑いを堪える様に言い聞かせた。


「確かにちょっと中学生には遅い時間だが、大切な用事があったから電話してきたんだろう? 構わないから、遠慮しないで言ってごらん?」

「はい……、その、ですね……」

「うん、何かな?」

 何故かそのまま美幸は黙り込んでしまったが、秀明は催促する事無く、そのまま美幸の話を待った。すると少ししてから、美幸が思い切った様に話し出す。


「あの……、お母さんのお葬式の前後もそうなんですけど、あれからずっと美子姉さん、人前で泣いてないんです。勿論、私達の前でも」

「……そうか」

 彼女の性格ならそうだろうなと納得しながら、秀明はそのまま美幸の話に耳を傾けた。


「こっそり一人で泣いてるのかとも思ったんですけど、注意して見ていても、そんな様子は無いし……」

「妹としては心配かな?」

「それもそうだけど……」

 そこで段々小声になって黙り込んだと思ったら、美幸が涙声で訴えてきた。


「あのね? 美子姉さんはこの間全然泣いて無いけど、それは美子姉さんが薄情だからとか、感情の起伏に乏しいとか、可愛気が無いからとかじゃ無いから。そこの所は、江原さんに誤解して欲しくは無いんだけど」

「ああ、それは分かっているから、大丈夫だよ? そんなつまらない事を、美幸ちゃんの耳に入れた馬鹿がいたのかい?」

 口調は穏やかながらも(もしそうなら放置できんな)と物騒な考えを頭の中で巡らせていた秀明に、美幸が否定の言葉を返してきた。


「ううん。さすがにはっきり言ってくる様な人はいなかったけど……。だけど私達の中で、美子姉さんが一番先に生まれて、一番長くお母さんと一緒に過ごしてるんだから、美子姉さんが一番悲しい筈だもの!」

「ああ、そうだね」

 きっぱりと断言した美幸に、秀明は無意識に目元を緩めたが、それから美幸は急に勢いを無くした暗い声で、話を続けた。


「それなのに、私……、そういう事すっかり忘れて、お母さんが死んだ時とか、その後とか、美子姉さんに八つ当たりしちゃって、色々きつい事言っちゃったしっ……。それにっ……、わ、私がずっと大泣きしちゃってたから、よ、美子姉さん、泣けなくなっちゃったのっ……」

 そこで「ふえぇぇっ……」とむせび泣きし始めてしまった美幸を、秀明は慌てて宥めた。


「美幸ちゃん、ちょっと落ち着こうか。それは美幸ちゃんのせいじゃ無いと思うよ?」

「そ、それにっ……、お母さんも酷いようぅ~。皆に書いた手紙、美子姉さんの分だけっ、なくってっ! お、お母さんの馬鹿ぁぁぁ――――っ!」

 そんな事を絶叫してから「うわあぁぁ――ん!」と本格的に泣き出してしまった美幸に、秀明は本気で困惑した。


「あの、美幸ちゃん。頼むから、ちょっと落ち着いて俺の話を聞いて欲しいんだが。その手紙の事なんだが、実は」

「そんな、大変困った状況なので」

「え?」

「ちょっと美野姉さん!」

 そこでいきなり通話に違う人物の声が割り込んできた為、秀明は当惑したが、電話の向こうで何が起こったのか、落ち着き払った美野の声が聞こえてきた。


「ここは一つ、美子姉さんに求婚している江原さんに骨を折って貰えればなと、大変身勝手で、こちらに都合の良い事を考えているんです」

「江原さんと、何勝手に話してるのよ! それに私の携帯、返して!」

「美野ちゃん?」

 美幸の怒声で、どうやら美野が妹から携帯を奪い取って話しているのが秀明には分かったが、電話の向こうで美野はすこぶる冷静に妹に言い返した。


「何言ってるのよ、美幸。私は江原さんと話なんかしていないわ。偶々廊下を歩きながら独り言を言っていたら、それが偶々江原さんと話していた美幸の携帯越しに、相手に伝わっただけじゃない」

「ここ私の部屋だし! 勝手に部屋に入って来た挙げ句に、人の携帯を取り上げて何世迷い言を言ってるわけ!?」

「だから美幸と江原さんの会話によって何らかの問題が生じたとしても、私には全く責任は無いわ。不可抗力よ」

「ちょっと! 美子姉さんに怒られたら、そう言って無関係を決め込む気!? それでも姉なの!?」

 姉妹のやり取りを聞いて事情が分かった秀明は、片手で口元を押さえて必死に笑いを堪えたが、ここで新たな声が会話に割り込んだ。


「美野~。こっちにパス!」

「はい」

「あ、ちょっと! 美実姉さんまで、何やってるのよ!」

 どうやら携帯争奪戦に美実まで乱入したらしいと思っていると、予想通り今度は皮肉げな彼女の声が聞こえてくる。


「と言うわけで、美子姉さんを何とかして。出来ないって言うなら、甲斐性無しのレッテルを貼るわよ? あ、言っておくけど、これもあくまで独り言だから。はい、美野、パス!」

「ちょっと! いい加減に返してったら!」

「私は、江原さんの事は甲斐性無しだとは思ってません。これも独り言ですが」

「もう! 本当にいい加減に返してよ!」

 そうして漸く自分の手に携帯を取り戻したらしい美幸が、先程までの泣き声は封印し、申し訳無さそうに詫びを入れてきた。


「うぅ……、江原さん。本当に傍若無人な姉ばかりですみません」

「それをあんたが言うわけ?」

「美幸だけには言われたくないわ!」

「いやはや……、本当に藤宮家は賑やかだね」

 美幸の台詞にすかさず入った突っ込みに、とうとう我慢できずに吹き出してから、秀明は正直な感想を述べた。そして相手を安心させる様に言い聞かせる。


「分かったよ。彼女については何とかするから。安心して」

「本当ですか? ありがとう、江原さん!」

 嬉しさと安堵感を滲ませたその声音に、秀明の顔も自然と緩む。


「ああ。だからもうお姉さん達と喧嘩しないで、遅いから今日はもう寝るんだよ?」

「はい、おやすみなさ」

「あなた達、さっきからこんな時間に何を騒いでるの! 自分の部屋でさっさと寝なさい!!」

「はい!」

「すみません!」

 そして挨拶の途中でプツッと通話が切られた事に気を悪くしたりはせず、秀明は「彼女から大目玉を食らったか」と小さく笑いながら通話を終わらせた。すると絶妙のタイミングで携帯が鳴り響き、秀明は軽く目を見開く。


「今度は美恵ちゃんか」

 そう言えば、さっきは混ざって無かったなと思いながら応答すると、「こんばんは。少し時間を貰って良いかしら?」と言う、平坦な声が伝わってきた。


「やあ、こんばんは。勿論、構わないよ。ついさっき君の可愛い妹達から、ラブコールを貰った所だし」

「姉さんからじゃなくて、申し訳ないわね」

「それは気にしてない。それで? 用件は?」

 早速電話してきた用向きを尋ねてみた秀明だったが、美恵の話を聞いて意外そうな顔になり、次いで面白そうに感想を述べた。


「……それはそれは。社長の仏頂面が、目に見える様だ」

「一応、信用はしてるわ」

「一応、ね。君も正直だな。用件は分かった。こちらに任せてくれ」

「宜しく」

 その会話を終わらせるなり、秀明はスケジュール帳を取り出して、日程を確認し始めた。


「さて、年末だからな。どこか空いているか? まあ、詰まってたら空ければ良いだけの話だが」

 そして該当ページの一部に目を留めて、不気味な笑みを零す。


「……そう言えば、あれの始末もあったな。この際、纏めて済ませるか」

 良くも悪くも思い立ったら即実行の秀明は、素早く頭の中で組み上げた物騒な計画に悪友達を引きずり込むべく、すぐに文章を打ち込んでメールを一括送信した。

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