(4)非常識な申し出
翌日の深美の葬儀と告別式の朝。滞りなく準備を進めていたにも係わらず、美子にとって予想外の事態が発生してしまった。
「すみません、田野倉さん。今から都合は付きますか?」
藤宮家はこれまで何度も法事などで同じ料亭から料理人と仲居を派遣して貰っており、美子がすっかり顔馴染みになっていたベテランの田野倉に、廊下の隅で人目を憚る様にしながら事情を説明すると、きちんと着物を着こなした彼女は、全く動じずに笑顔を返した。
「大丈夫ですよ、美子さん。多少の人数の増減など、想定のうちです。こちらはプロですから」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
「お任せ下さい」
安堵して頭を下げた美子だったが、田野倉は笑顔で請け負ってから不思議そうに問い返した。
「朝になって急に、遠方にお住まいの方が連絡も無くお見えになったのですか?」
「いえ、都内在住の方ですが、普段それほど親しくしていないのに、何故か息子さんを二人同伴して来まして。骨上げにも参加させると言い出したものですから」
苦々しげに口にした彼女に、田野倉が益々怪訝な顔付きになる。
「平日に、ですか? 何かで学校がお休みだから、連れていらしたんでしょうか?」
「二人とも社会人です」
「まあ……」
そこで田野倉が何とも言い難き顔付きで黙り込むと、廊下を制服姿の美野が小走りにやって来た。
「美子姉さん。ご住職と副住職がいらしたわ。今お父さんが挨拶してるの」
「分かったわ。今行くから」
「お膳の方はお任せ下さい。調理師に伝えておきます。器類も予備がありますから大丈夫です」
「お願いします」
田野倉がすぐに了承してくれた事で取り敢えず安堵した美子は、葬儀会場である部屋に向かった。
それから定刻通り、通夜と同様に菩提寺の住職と彼より若い副住職によって、つつがなく深美の葬儀が執り行われた。その後無事出棺し、斎場での骨上げも済ませてから再び家に戻り、近親者だけで還骨法要と繰り上げ初七日法要が営まれる。
その後、藤宮家側で人数分の膳を整え、下座の昌典が喪主として列席者に挨拶して精進落としが開催されると、喪主自ら上座の二人の僧侶の元に進み、御礼言上がてら酌を始める。
未成年である美野や美幸は、食欲の無さそうな顔で大人しく膳をつついていたが、美子、美恵、美実は手分けして親族や会社の重役達の席を回り、参列して貰った事に対する感謝の言葉を述べながら酌をしつつ、歓談を始めた。そしてここに至って朝からずっと気を張りつめていた美子も、漸く気持ちに余裕を取り戻してきた。
(幾つかの小さなトラブルは有ったけど、取り敢えず大きな問題はなく進められたわね。後はこの精進落としだけ終わらせれば良いし、気が楽だわ)
そう考えて密かに安堵の溜め息を吐いた美子だったが、その一連の儀式の最後の最後で、最大級の揉め事が勃発する事になった。
「まあまあ、美子ちゃん。本当に大変だったわね。急な事でおばさん、本当に驚いちゃったわ」
何組かの参列者の席を回って、美子が母とは従姉妹に当たる橋田珠子の席にやって来ると、相手がやや大げさに馴れ馴れしく声をかけてきた。それに内心嫌気が差しながらも、それは面には出さずに丁重に礼を述べる。
「この度は一家揃ってお出で頂き、ありがとうございます」
その台詞には若干の嫌味も含まれていたが、生憎な事にそれは相手には通じなかった。
「それは藤宮家の一族としては、当然の事よ。深美も娘を五人も残して、さぞ心残りだったでしょうねぇ」
「そうですね」
(何よ、病院に一度も見舞いに来なかったくせに、如何にも親しげなふりをして、馴れ馴れしくお母さんの名前を呼び捨てにするなんて。しかも年始にも息子連れで来た事なんか無い癖に、急に一家揃って来るなんて、どういう了見よ)
厚かましい物言いの上、朝から余計な手間をかけさせられた事もあって、美子の機嫌は急激に悪化していったが、珠子の猫撫で声での会話が続いた。
「今後藤宮家は、色々と大変よねぇ。伯父様はとっくにお亡くなりになっているし、残っているのは婿養子で入った方と、お嬢さんだけだなんて」
「会社の事も家の事も、特に支障はないかと思いますわ。父は今の所、健康に不安もありませんし」
さらりと流そうとした美子だったが、珠子はさも当然の様に横柄に言い放った。
「それはそうでしょうよ。婿養子になった位ですから、しっかり会社を守って貰わないとね。そうじゃないと、後が困るわ」
「後と仰いますと?」
(本当に以前から思っていたし、お母さんも良い顔をしていなかったけど、お父さんに対して馬鹿にした態度を隠そうともしないわね、この人。何様のつもりよ? お父さんは……、いない? 会社から何か仕事に関しての電話でも来て、抜けたのかしら?)
全く悪びれずに会話を続けている為、珠子の言っている内容を耳にした周囲の何人かは、この時点で無言で彼女に咎める様な視線を送り始めた。美子もさり気なく父親の姿を探したが、取り敢えず席を外しており、不愉快な物言いを耳に入れていなかった事が分かって安堵したが、珠子の傲岸不遜な物言いは更に続いた。
「あら、取り敢えずあの人に旭日食品の社長職は任せるけど、あくまで次に繋ぐまでの処置よ。やっぱり藤宮家の血を継いでいる人間が、その座に就かなくてはね」
(何訳知り顔で言ってるのよ。勘違いも甚だしいわ)
完全に呆れかえった美子は、素っ気なく話を終わらせる事にした。
「勿論社内には、藤宮家と関わりの有る方が何人もいらっしゃいますので、会社の将来に不安はありませんから」
「美子ちゃんはそんな風に控えめ過ぎるから、門外漢に良い様に付け込まれそうで、おばさん心配なのよね。だから私の息子と結婚しない?」
「……はい?」
(何、この人。今、何て言ったの?)
話は終わったとばかりに腰を上げかけた美子だったが、さらっと言われた内容を聞いて、己の耳を疑った。しかし珠子は全く悪びれずに、笑顔を振り撒きながら言ってのける。
「うちの息子二人、どちらもまだ決まった相手はいないのよ。それなりに見た目も良いし、美子ちゃんとなかなかお似合いよ? 藤宮家の事も良く分かっているし、何でもそつなくこなせるから、結婚したら美子ちゃんはつまらない事に煩わされる心配は要らないから」
(仮にも葬儀の席で、何非常識な事を言ってるのよこの人。第一、どうして自分の息子を、そこまで恥ずかしげも無く売り込めるわけ? 頭がおかしいんじゃない!?)
美子はもはや呆れるのを通り越して、怒りしか湧いてこなかったが、表情を消して必死でそれを抑え込んでいる美子を見てどう思ったのか、珠子は一層熱を入れて喋り続けた。
「やはり家の中に若い男性がいれば、他から舐められたりしないものよ? 対外的にも後継者がいると分かって、安心して貰えるわ。息子達もね? 藤宮家の為ならすぐにでも今の職場を辞めて、旭日食品に入社して構わないと言ってるのよ?」
あまりにも非常識過ぎる申し出に、完全に静まり返った室内のあちこちから非難や怒りの視線が向けられているのを察した橋田が妻の袖を引いて小声で窘めた。
「お、おい、珠子。幾らなんでもこんな場で、そんな事を」
「五月蠅いわね、大事な所なんだから、あなたは黙ってて! ほら、正輝も剛史も顔を合わせるのは久しぶりでしょう? 美子ちゃんに挨拶して」
「母の言う通りですよ。安心して下さい、美子さん」
「俺達で立派に、旭日食品を支えていって見せますから」
(へえぇ……、こんな三文芝居の当事者になるとは、夢にも思って無かったわね)
どうやら空気の読めなさっぷりは母親並みだったらしい息子二人は、調子の良い事を言いながら美子に向かって愛想笑いを繰り出したが、当然美子は微塵も感銘を受けなかった。
「そうなると、お二人ともすぐに旭日食品に入社して頂けると?」
「ええ、勿論よ」
「ですが、来年度の採用試験は既に終了していますから、再来年度の採用試験をお受けになって下さいね。優秀な人材なら、旭日食品は適正な入社試験を受けて頂ければ、いつでも採用する筈ですから」
「そ、そこは、藤宮家の方で何とか上手く」
さらりと正論を述べた美子に、珠子が焦りと媚びを同居させた様な表情で何かを言いかけたが、美子はそれを遮りながら涼しい顔で話を続けた。
「確かに旭日食品には、藤宮家の縁戚の方が何人も入社しておりますが、皆さんきちんと入社試験を受けて選抜を通った、優秀な方ばかりです。それに間違ってもコネ入社などと陰口を叩かれない様に、仕事で人一倍実績を出している方ばかりですわ。正輝さんも剛史さんも、無事入社されたら頑張って下さい。お母様が自信を持ってお勧めする位ですから、さぞかしご優秀なんでしょうし」
「あ、あのね美子ちゃん、それは」
尚も何か言いかけた珠子の台詞を尚も遮り、美子は些かわざとらしく思い返す素振りをしながら、問題の二人に目を向けた。
「ああ、でも……。確かお二人とも以前旭日食品の採用試験を受けて、不採用になったのでしたか? 今更採用になるとは思えませんが」
美子がそう口にした途端、室内のあちこちで失笑が漏れ、はっきり言われた二人は途端に愛想笑いを消して睨んできた。そして珠子は怒りを露わにして、美子を怒鳴りつける。
「なんですって? あの時息子達が採用されなかったのは、あの婿養子のせいよ!! 社内で自分の影響力が少なくなるのを心配して、裏で手を回して採用させないようにしたんじゃない!」
「よせ、何を言い出すんだ!!」
完全に難癖を付けているとしか思えないその訴えにも、美子は憐れみさえ感じさせる眼差しで、全く動じずに言い返した。
「自分に都合の良い様に妄想するのは勝手ですが、能力の有る無し以前に、自分の仕事に責任や誇りを持っている方は、軽々しく『職場をいつでも辞めても良い』とか口にされないですし、普段全く行き来のない人間の葬儀に出向く為に有休を取得した挙げ句、就職斡旋を依頼するような真似はしないと思います」
「ふざけるんじゃないわよ!! こっちは会社や家の跡取りにもならない、生意気な娘ばかり五人も産んだ挙句に、婿養子の言いなりになって会社を好き放題にさせた上、早死にする様な間抜け女の尻拭いをしてやろうと、親切心で言ってるのよ!?」
「珠子、止めろ!!」
珠子が暴言を吐いた途端、静まり返っていた室内の空気が完全に凍り付いた。と同時に周囲から一斉に非難する視線が突き刺さったのを感じた橋田が狼狽しながら妻を窘めたが、彼が謝罪の言葉を口にする前に、美子が淡々とした口調で言い出した。
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