(5)容赦ない反撃

「そうですか。母が間抜け女ですか」

「あ、いや、美子君。今のはだな」

「それでは、誰でも入れるような三流大学に何とか押し込んだものの、元々大した能力も無い為に就活に悉く失敗し、唯一コネを利かせられる父親の会社に就職させれば、社内で社長令息の肩書を使って経費を誤魔化して自分の懐に入れたり、社内の女性に二股三股かけていたのがばれて到底庇い切れず、会社に居づらくなる様な息子しか産めなかったあなたは、恥知らずの殻潰しとでもお呼びすれば宜しいですか?」

「なっ!!」

「なんでそれを!?」

「お前! こそこそ調べてやがったのかよ!?」

 そう言って酷薄な笑みを向けた美子に、珠子は怒りで益々顔を赤くし、正輝と剛史は狼狽えて怒鳴り返した。しかし美子は白けた様な表情で言い返す。


「あら、図星でしたか。あなた方の様などうでも良い人達のどうでも良い事を調べる為に、時間やお金を使うのは無駄と言う物です。ただ普段付き合いの無い家の葬式に、平日仕事を休んで来るなんてよほど再就職先に困っていらっしゃるのかと。自身の父親の会社にも居づらくなるなんて、余程のろくでもない事情かと思っただけですわ。勿論、今私が口にした内容だけでも無いのでしょう?」

「……っ!!」

「あの、美子君。これは」

 もはやぐうの音も出ない連中と、狼狽えるばかりの小者を冷たく見やった美子は、感情を感じさせない声で言い放った。


「即刻、お引き取り下さい。これは藤宮家の総意です」

「は?」

「金輪際、我が家はあなた方を親族として遇するつもりはありませんし、訪ねてきても客として遇しないと、申しております」

「何を言っているの?」

 すこぶる冷静、かつ冷め切った声での美子の宣言に、咄嗟に橋田家の人間は反応できなかったが、美子はわざとらしく溜め息を吐き、相手を真正面から見据えたまま、背後の妹達に呼びかけた。


「どうやらごく初歩的な日本語も理解できない、残念極まりない方々の様ですね……。美恵」

「はい」

「美実」

「当然よね」

「美野」

「分かりました」

「美幸」

「おっまかせ~!」

「あ、ちょっと美幸! お膳を飛び越えるなんて、何事よっ!!」

 美子の呼びかけに答えたのも、腰を上げたのも年の順だったが、一番先に橋田家の席まで到達したのは、迷わず最短距離を選択した美幸だった。そして問答無用で剛史のお膳を持ち上げ、さっさと廊下に向かって歩き出す。


「よっと!」

「あ、おい! 何をする!」

 慌てて引き止めようとした剛史の横で、美野が正輝のお膳を持ち上げながら、淡々と説明を加える。


「美子姉さんが今後一切、あなた達を客として遇しないと言いましたから。あ、ちょっと美幸! 足で襖を開けるのは止めなさい!!」

「は? ちょっと待て!」

 驚いた正輝を丸無視して、美野が美幸を叱責しつつお膳を抱えて後を追うと、美恵と美実も当然の如く夫婦の膳に手をかける。


「親族でも客でもない人間に、饗する膳はありません」

「そういう事。……あら? 往生際が悪いわね」

「あなた達! こんな事をして良いと思ってるの!?」

 橋田は呆然としていたが、珠子は憤怒の形相で美実に渡すかと自身の膳に手をかけて抵抗した。しかしその上から、料理の上に徳利の中の酒が降りかかる。


「お酒まみれのお料理が、そんなにお好みですか。そんな恥ずかしい酒乱の方は、藤宮家の親族にこれまで一人たりとも存在しておりませんが」

 横から手を伸ばした美子が、徳利の中身を全て珠子の膳の中に流し終えてから侮蔑的な視線を投げかけると、珠子は顔を赤黒く染めて勢い良く立ち上がった。


「……っ!! 覚えてらっしゃい!!」

 そして捨て台詞を吐いて足音荒く一家が出て行くのと入れ違いに戻って来た妹達に、美子が言葉少なに言いつける。


「美野、美幸。塩」

「はい!」

「行って来ます!」

 嬉々として再び台所に戻って行く二人と、何事も無かった様に二つの膳を運び去る美恵と美実を見送ってから、美子はこの間唖然として事の成り行きを見守っていた参列者に向き直って、頭を下げて謝罪した。


「お騒がせ致しました。できれば先程の醜態はお気になさらず、ご歓談下さい」

 そう口にしてから美子は静かに上座に進み、住職達に向かって改めて詫びを入れた。


「ご住職、大変見苦しい物をお見せ致しまして、誠に面目ございません」

 そう言って深々と頭を下げた美子に、長年の付き合いのある老僧侶は鷹揚に頷いた。


「いやいや、法要の席とは故人を悼み、安らかに逝ける様に残された者が想いを馳せるもの。あの様な者が居たならば、成仏の妨げ以外の何物でも無い。宜しい様に」

 そう言って合掌した住職の横で、副住職も苦笑いで頷く。


「正直、私共の方から説教しようかと思っていた位ですから、お気になさらず。しかしあの様な方が拙僧の様な若輩者に意見されたとて、素直に心根を改めるとは思えませんので、年長者に丸投げするつもりでおりましたが」

「何だと? 全く近頃の若い者は、年長者を敬うどころか、隙あらばこき使う気満々でけしからん」

「いえいえ、ご住職の徳の深さを身にしみて存じ上げている故の物言いですので、ご容赦下さい」

 そんな気安いやり取りで漸くその場の雰囲気が解れ、室内がざわめきを取り戻した為、美子は改めて住職達に感謝して軽く頭を下げてから、父方の親族達が固まっている席に向かった。


「和典叔父さん。会期末のお忙しい中わざわざ足を運んで下さったのに、見苦しい所をお見せしまして、本当に申し訳ありませんでした」

「気にするな美子ちゃん。住職の言うとおりあまりの暴言ぶりに、私も怒鳴りつけるつもりでいたからな。唖然としているうちに、先を越されてしまったが」

「本当に、美子ちゃんがピシャリと言ってくれて、胸がスッとしたわ。ところであの方は、どんな方なの? 藤宮家と関係がある方よね?」

 神妙に頭を下げた姪を夫婦揃って宥めてから、義理の叔母である照江が眉を顰めて小声で尋ねてきた為、美子は疲れた様にそれに答えた。


「母の父と、あの人の母親が兄妹で、母の従姉妹の一人に当たります。ご主人が旭日食品の関連会社の社長をしておりますが、普段は殆ど行き来していませんのに、急に一家揃って出向いて来たので、朝からおかしいとは思っていたのですが……」

 その苦々しげな顔付きを見て、自身も様々な冠婚葬祭を取り仕切らなければ立場である照江は、すぐにピンときた。


「ひょっとして……、朝に急いでお膳の数を増やしたとか?」

「はい。お分かりになりましたか」

「なるほど、良く分かったわ。あれだけの暴言を吐いても、向こうの親戚が傍観しているわけが」

 些かわざとらしく、声量を通常レベルに戻しながら発言した照江に、美子は少し慌てた。


「声が大きいぞ、照江」

「叔母さん。決して傍観していたわけではありませんから」

 慌てて和典も窘めたが、昌典の姉で美子の実の伯母に当たる優子と恵子も、同情する顔付きになって横から声をかけてくる。


「でも、やっぱり色々大変そうね」

「なまじ血縁があると言いにくい事があるでしょうし、何か困った事があったら、いつでもこちらの方に声をかけてね?」

「私も相談に乗るわ。愚痴を零すだけでも、気が楽になるでしょうし」

「ありがとうございます。優子伯母さん、恵子伯母さん」

 そこで少し父方の親戚と和やかに話をしていると、漸く用事を済ませたらしい昌典が部屋に戻って来たが、膳が四つとそこに居る筈の人間の姿が見えなくなっている事にすぐ気が付き、周囲の者に訝しげな声をかけた。


「……何かありましたか?」

 しかし流石に口にするのは憚られる内容であった為、皆が口を噤む中、自分で説明しようと美子が声を上げたが、それを大叔父に当たる人の声が遮る。


「お父さん、それが」

「昌典君、話がある。鴫原君と守田君と土井君も少し時間を貰えるか?」

 険しい表情の義理の叔父の顔を見て、昌典は瞬時に真顔で応じ、指名された者達も、おおよその用件を悟って素早く立ち上がる。


「はい」

「分かりました」

 そこで美子は、冷静に父に向かって申し出た。

「お父さん、それなら南西の座敷を。座卓と座布団を揃えてあるわ。誰か具合が悪くなったり、休憩する可能性もあるかと思ったから。美恵、そちらに人数分のお茶をお出しして」

「準備してくるわ」

 そうして旭日食品上層部だけでの密談が開始された後は、室内では和やかな雰囲気で会話が交わされ、無事にお開きの時間を迎える事となった。



「今日は本当に疲れたわ……」

 何とかその日の予定を全て終わらせた美子は、居間で睡眠導入剤を飲んでから自室に入り、寝支度を整えて自分のベッドに転がった。そして先程飲んだ物を思い出して、枕元の携帯を引き寄せる。

「役に立ったし、一応お礼のメールを送っておこうかしら?」

 殊勝な事を呟きながら片手で操作していた美子だったが、すぐに眠気に抗えずに、深い眠りに落ちていった。


 その直後、美子からのメールを受け取った秀明は、『無事終わりました』と記載された件名から本文に視線を移して、軽く首を傾げた。

「『ありがとうございまし』? 最後の『す』を打ち間違えたのか、『ました』と打つところを力尽きたのか……」

 真顔で自問自答したのは数秒だけで、秀明は「どちらにしても、ぐっすり眠れそうだな。お疲れ様」と苦笑を浮かべ、次にやるべき事を思い出して、早速行動に移した。


 ※※※


「……と言う事が、昨日の精進落としの席であったのよ。姉さんが追い払わなかったら、私がやっていたわ」

「全くろくでもないわよね、あの一家!! それ相応の報いは受けたけど!」

「美子さんが本当に容赦ないって事と、君達姉妹の結束が予想以上に強固だって事が、今の話で良く分かったな。それで、『それ相応の報い』って?」

 翌日の夕食の時間帯。密かに前日のうちに秀明から呼び出しを受けていた美恵と美実は、最寄り駅近くの中華料理店の個室で、丸テーブルを挟んで秀明と淳に向かって前日のトラブルについて洗いざらいぶちまけた。

 美恵は料理に見向きもせず据わった目で紹興酒を舐めながら、美実は大皿から直に料理をかき込みながらの訴えに、淳が若干引きながらも尋ねてみると、彼女達が交互に解説を加えてくる。


「その場で母の叔父、つまり私達から見ると母方の大叔父が、その場にいた旭日食品を含む旭日グループの重役達を招集して、旭日ホールディングス社長の座を、父に譲り渡す宣言をしたの」

「と言うと?」

「五年前に祖父が亡くなった時、婿養子の父が旭日食品の社長職をそのまま務めるのはともかく、旭日グループを束ねるホールディングス社長も兼任させるのはどうかと難癖を付ける抵抗勢力があってね。内紛を避ける為に、その大叔父が就任した経緯があったのよ」

「確かに社内に、反社長派は存在しているな」

 ひんやりとした秀明の声に、淳は本気で肝を冷やしたが、怒り心頭の二人は平然と話を続けた。


「だけど大叔父さんが『婿養子だろうが何だろうが、昌典君以上に旭日食品社長職を務められる人物はいないし、ホールディングス社長職も然り。深美の死去でまた下らん事を言い出しかねん輩を、この機会に徹底的に排除する』と宣言して、大幅な経営陣入れ替えとグループ再編に着手したわけ。この五年の間に、その準備は着々と進めていたらしいけど」

「元々、あの女の亭主の会社、グループの名前で仕事取ってる様な所だしね。グループ内での発言力が徐々に低下していた事に焦って、この機会にうちにすり寄ろうとしてこのざまよ。その会社が旭日グループから排除されると同時に、今日ホールディングスが所有していたその会社株を一斉に放出したから、株価と信用がガタ落ちで、年明けには青息吐息でしょうね」

「年明けどころか、年内に経営が傾くんじゃないの?」

 全く同情しない口調で美実が肩を竦めると、ここで美恵が秀明を見据えながら詰問した。


「それで? わざわざ私達を呼び出した上に、『昨日今日で何か変わった事は無かったか』なんて聞いてきたって事は、お通夜で何か見聞きしたわけ?」

「君達の耳に入れる事じゃない」

「…………」

 秀明の即答っぷりに、美恵と美実は無言で顔を見合わせてから、再び彼に視線を戻した。


「私、男の価値って、どれだけ使えてナンボだと思うの」

「私のモットーは、使えるものは何でも使う、なのよね」

「だろうな」

「納得だ」

 互いに真面目な顔でやり取りをしてから、美恵が目線で美実を促した。心得た美実が持参したショルダーバッグの中から大きめの封筒を取り出し、秀明に差し出しながら念を押す。


「くれぐれも、藤宮の名前は出さないでよ?」

「勿論。そこの所は信用してくれ。因みにどの程度が希望だ?」

「本音を言えば綺麗さっぱり消して欲しいけど、大事になると困るから、関東から追い出せれば良しとするわ」

 封筒を受け取りながら発した問いに、美恵が淡々と答えた内容を聞きながら、秀明は中に入っていた書類をよけて、何枚かの写真を取り出して淳に見せる。


「……淳?」

「ビンゴ」

「決まりだな。手間が省けて助かった」

「宜しく」

 淳が一瞥して短く答えると、秀明が満足そうに薄笑いを漏らす。それを見た美恵と美実も、不穏な気配を醸し出しながら深く頷いた。

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