(17)攻防

 なけなしのプライドを守る為、美子が公園から遁走した翌日の月曜日。昼下がりの時間帯に、インターフォンの呼び出しの音がリビングに響いた為、美子は受話器を取り上げて玄関にいる来訪者に向かって声をかけた。


「お待たせしました。どちら様でしょうか?」

「カエル急便ですが、藤宮さんにお届け物です」

「はい、少々お待ち下さい」

 受話器を元に戻して早速玄関に向かった美子は鍵を開け、自分とそれほど年齢が変わらない様に見える配送員を労った。


「ご苦労様です。お待たせしました」

「いえ、それではこちらにサインか押印をお願いします」

「分かりま……」

 配送品の箱に張り付けてある伝票を見下ろした美子は、不自然に言葉を途切れさせて黙り込んだ。そして配達票にサインを貰おうと差し出してきた配達員が、不思議そうに声をかける。


「あの……、どうかされましたか?」

 その声で我に返った美子は、送り主欄に《江原秀明》と記載してある伝票から目を逸らし、送られてきた箱を配達員に向かって押しやった。


「誠に申し訳ありませんが、こちらは受け取れません。送り主に返送して下さい」

「はい? あの、藤宮さん? それは困るんですが……」

 予想外の展開に、相手が何回か目を瞬きしてから控え目に申し出て来たが、美子は語気強く宣言した。


「とにかく、これは受け取りを拒否します! ご苦労様でした!」

 そう言うなり美子が勢い良く引き戸を閉めた上、しっかり鍵をかけてしまった為、配送員の男は明らかに狼狽した。

「え? あの、ちょっと! 藤宮さん! それは困るんですよ! すみません、藤宮さん!?」

「しつこいわね! あいつからの物なんて、誰が受け取るものですか!」

「分かりました! 分かりましたから、せめて配達をしたという記録の為に、裏判だけお願いします!」

「裏判?」

 必死に懇願してくる男の声に、奥に戻ろうとした美子が怪訝な顔になって振り返った。


「はい。配達票の裏に、サインか押印を頂ければ良いので。そうしないと、きちんと配達をしたのかと疑われるんです」

「……分かりました。今、開けます」

 しぶしぶ美子は鍵を開け、仏頂面のまま配達票の裏にサインをして押し付けると、彼は悄然と肩を落とし、箱と配達票を抱えて門から出て行った。昨日の一件の後、秀明から頼まれてバッグを持参して帰宅した美実のおかずを、一品減らす程度に八つ当たりしていた美子の怒りは、その時点では全く和らいでいなかった。

 しかし秀明からの贈り物攻勢が、この日から始まった。


「あの……、藤宮さん。カエル急便ですが、藤宮美子さんにお届け物が」

 インターフォン越しに聞こえて来た、どこか怯えた様子の声を遮って、美子が淡々と尋ねた。


「送り主は、どちら様でしょうか?」

「……江原秀明様です」

 蚊の鳴く様な声で、配送員が送り主欄に記載された名前を読み上げると、美子が無情に言い放つ。

「ご苦労様でした。今日も裏判だけはしますので、それが済み次第お引き取り下さい」

「そんな! 藤宮さ」

「ガタガタ言うなら裏判もしないわよっ!!」

 必死に訴える配送員の声を無視して通話を強制的に終わらせると、美子は憤然としながら玄関に向かった。


「全く……、毎日しつこいったら!」

 そんな風に当初は美子がきっぱりと受け取り拒否の姿勢を貫いていたのだが、ある日を境に状況が変化した。


「ただいま、美子姉さん」

「お帰りなさい。あら、その箱は?」

 美野の声がした為、美子が笑顔で振り返って出迎えると、彼女が鞄の他に見慣れない箱を抱えているのに気が付いて尋ねた。すると美野が、事もなげに説明する。


「門の前で配送員の方に渡されたから、サインして受け取ったの。はい、姉さん。江原さんからよ?」

 全く悪気のない笑顔で箱を差し出された美子は、一瞬固まってから唸る様に妹の名前を呼んだ。


「……美野」

「え? ……な、何?」

「今後は一切、あいつからの物は受け取らなくて良いから。というか、どうして本人に断りなく受け取るわけ?」

 常には無い迫力の長姉に、美野は怖気づきながらも困惑顔で答える。


「え? でも……、配達の人に、なんだか地獄に仏みたいな顔で見られたし…」

「とにかく、受け取っちゃ駄目! 分かった!?」

「……分かりました」

 きつく言い聞かされて、美野は顔色を悪くしながら頷いた。


(全く最近の若いのは、楽な方法ばかり選ぶんだから!)

 自分とそう年齢が変わらない男を心の中で若造呼ばわりした美子だったが、敵はそれで藤宮家の攻略方法を察したらしく、配送時間を夕方から夜にかけての時間帯に変更してきた。


「あら、誰かしら?」

「あ、私出るね」

 夕飯時、インターフォンの呼び出し音が鳴り響いた為、一番端末に近い所に座っていた美幸が立ち上がって駆けて行った。そして受話器を取り上げて応答する。


「もしもし? …………はい、分かりました。今出ます」

 そしてすぐに通話を終わらせた美幸が、受話器を元に戻すと同時に、廊下に向かって走り出す。


「宅配便の人が来たから、受け取って来る!」

「あ、ちょっと待ちなさい、美幸!」

 そこで一瞬遅れて、また秀明からの物かもしれないと思い至った美子は、慌てて椅子から立ち上がって自身も玄関に向かって駆け出した。同席していた美実と美野が驚いた様に目を見張ったが、美子はそんな事には構わずに一直線に玄関を目指す。そして美幸がまさに玄関の戸を開けて、外にいる人物に声をかけている所で追いついた。


「ご苦労様です!」

「あ、藤宮美子さんにお届け物で」

「待ちなさい、美幸!」

「きゃあっ! ちょっと、美子姉さん!!」

 ギリギリのタイミングで乱入した美子は、背後から美幸の左手を掴んで配送員から引き離しつつ、大きな花束を抱えている彼に向かって言い放った。


「それの送り主は、江原秀明よね!? とっととそれを持って帰りなさい! 絶対、受け取りませんからね!!」

「もう! 美子姉さん強情!!」

「何とでも言いなさい! 私宛の物を私が拒否して、何が悪いのよ!?」

「あの、藤宮さん……」

 心底困った様な情けない表情になった配送員を見て、美幸は溜め息を吐きつつ、美子の隙を狙って右手を自分のフレアスカートのポケット中に入れた。そしてそこに入れておいた物を掴みだすと、配送員に向かって軽く放り上げる。


「本当に素直じゃ無いんだから……。じゃあ、お兄さん。パス!」

「え? あの、これは……」

「さっさと使って!」

 片手で咄嗟に受け取ったものの、小さな円筒状の黒い物を見下ろして当惑した配送員は、すぐにその意図を察して美幸に頭を下げた。


「え? まさか美幸」

「ご協力、ありがとうございます! 荷物はこちらに置いておきますので。お邪魔しました!」

「ちょっと! 待ちなさい!!」

 美子が顔色を変えて詰め寄る前に、彼は素早くシャチハタで受け取りの欄に押印し、花束を慎重に玄関の上がり口に置くやいなや、勢い良く踵を返して駆け去って行った。そして美子は門まで追いかけたものの、素早く配送用のバンに飛び乗った男が勢い良く走り去って行くのを見送って、歯軋りしながら玄関まで戻って来る。


「うおぅ、ゴージャス花束。江原さん、随分気合い入れてるよね? 美野姉さんから話を聞いて、シャチハタ常備が役に立ったわ」

 花束を見下ろして感心している美幸を見て、美子は完全にムキになって呟いた。


「送り返してやる……、美幸。それ、そのままにしていて。触っちゃだめよ」

「え? 美子姉さん?」

 そのまま肩を怒らせて、恐らく集荷を頼む為の電話をするであろう姉の姿を見送った美幸は、「こんなに綺麗なのに…」と呆れ気味の呟きを漏らしたのだった。


 そんな攻防が、日常の風景となってからの初めての日曜日。美子はまだ若干腹を立てながら、深美の入院先へと向かった。


(全くあの子達は、私の言う事なんて聞かないんだから……。今度お母さんから、不用意に物を受け取らない様に、言い聞かせて貰おうかしら?)

 そんな事を考えながら病棟の廊下を歩き、深美の病室まで到達した美子は、結局(くだらない事を耳に入れて、変に心配させる事も無いわね)と自分自身に言い聞かせながらドアを開けた。


「お母さん、調子はどう……」

 しかし美子は個室に一歩足を踏み入れた所で、目の前に広がる光景を見て口と足の動きを止めた。


「あら美子、いらっしゃい。秀明君も来てたのよ?」

「お邪魔しています、美子さん」

 平然と、そしてにこやかに声をかけてくる母と、最近憎々しさ倍増の男の姿に美子は一瞬呆然とし、次いで猛烈な怒りを露わにした。


「何であんたがここに居るのよっ!?」

「未来の姑の見舞いに来るのは、婿として当然だろう?」

「過去も未来も、我が家はあんたとは微塵も関係が無いわよっ!!」

「そんな、つれない事を言わないで欲しいな」

 声高に美子が主張する内容を、秀明が余裕の笑みで受け流したが、そんな二人のやり取りを傾斜させたベッドに横たわったまま眺めていた深美は、感心した声を漏らした。


「……まあ、凄い」

「何、母さん」

「美子が美恵達以外の人間に青筋を立てて怒る所なんて、初めて見たかもしれないわ」

 おっとりとした口調でそんな事を母親が述べた為、美子は憮然とした顔になって黙り込み、秀明は笑いを噛み殺した。そんな中、深美が何でもない事の様に言い出す。


「秀明君は、美子を口説いている最中だと言っていたけど、この様子だとまだ口説き落とせていないみたいね。結構手が早そうだと思ったのに、見かけ倒しって言っても良い?」

「なっ!?」

 無邪気とも言える笑みを浮かべながらとんでもない事を言い出した母親に、美子は唖然としたが、秀明は笑って応じた。


「そんな事はありませんと否定したい所ですが、その批判は甘んじて受けましょう。確かに俺は見かけ倒しで、甲斐性無しです」

「そこまで悲観する事は無いわよ? 単にうちの娘達は、揃いも揃って色々問題があるから」

「……あのね、お母さん」

 くすっと笑いながらの身も蓋も無い台詞に、流石に美子が顔を引き攣らせながら会話に割って入ろうとしたが、二人は彼女に全く構う事無く、楽しげに話を続けた。


「そんな事はありません。タイプは見事に異なりますが、深美さんの娘さんなだけあって、五人とも魅力的なお嬢さんばかりですよ?」

「あら、御世辞でも嬉しいわ」

「魅力的なご婦人の前では、世辞など口にするだけ無駄です」

「もう、本当に秀明君ったら、守備範囲が広いのね。こんなおばさんでもよろめきそうになっちゃうわ」

「社長には内密にお願いします。嫉妬されたら困りますので」

「あら、どうしようかしら?」

 そんな風に、如何にも楽しげに話している二人に、美子は早くも我慢の限界を覚えた。


「お母さん!」

「あら、そんなに怖い顔をしてどうしたの?」

「いつからそんなに、そいつと仲が良いわけ?」

 そう問い詰められた深美は、秀明と顔を見合わせて事も無げに答えた。


「いつからって……、最近よ?」

「改めて社長にご挨拶にいった直後に、深美さんにもご挨拶に来てからのおつきあいだが」

(そう言う事にしておくのよね?)

(そうして下さい)

 咄嗟に口裏を合わせた上でアイコンタクトを交わした二人は、秘密を共有する関係独特の意味深な笑みを浮かべた。それを目にした美子が、訳も無く苛つく。


「あんたね……。美恵達を懐柔しただけでは飽き足らず、お母さんにまで色目使うなんて、一体何を考えてるのよ!?」

「色目なんか使っていないが? 俺は君一筋のつもりだし」

「白々しいわね!」

「そう言えば、深美さん。この前から彼女に贈っている品物が、なかなか受け取って貰えないんです。彼女が喜んで受け取ってくれる様な品物や気に入っているブランドとかを、教えて貰えませんか?」

 急に神妙な顔付きで秀明が母親に訴え出した為、美子は焦ってベッドの反対側に回って訴えた。


「お母さん、だってこいつったら、連日なにかしら送り付けてくるのよ? 非常識にも程があるでしょうが!?」

「あら、そんなに手当たり次第に送り付けているの?」

 ベッドの両サイドを交互に見やってから、深美は不思議そうに問いかけた。それに秀明は苦笑気味に答える。


「手当たり次第というか……、取り敢えず一般的な女性には好んで貰える様な物を、厳選しているつもりですが」

 しかしそれを聞いた深美は、笑って応じた。


「ごめんなさいね。うちは質素倹約な家風の上、美子は一見そうは見えないけど、姉妹で一番こだわりが強い子だから。基本的に使ったり身に着ける物は、自分自身で選ばないと気が済まないタチなのよ」

「はぁ、なるほど……」

 取り敢えず納得した様な顔付きになった秀明を見て、美子は一瞬安堵したが、それは長くは続かなかった。


「それなら、美子さんに贈りたい物は、基本的に彼女自身に選んで貰えば良いんですね?」

「そういう事になるわね」

「どうしてそうなるのよ!?」

 真顔で頷き合う深美と秀明を見て、美子は病室である事を忘れて思わず声を荒げた。しかし彼女を半ば無視しての、二人の会話が続く。


「でも、どうしてそんなにプレゼントしたいの?」

「実はこの前、彼女を怒らせてしまいまして。そのお詫びも兼ねているんです」

「怒らせたって、どうして?」

「彼女の意見を聞かずに、サプライズのつもりで婚約指輪を作って贈ったら、庭に投げ捨てられてしまいました。どうやらその指輪が、彼女のお気に召さなかった様です」

「……まあ」

 神妙に申し出た秀明の話を聞いて、深美は少し驚いた表情になってから、微妙に咎める様な顔つきで美子を見遣った。そんな母親からの視線を受けて、美子は慌てて弁解しようとする。


「ちょっと! 勝手に話を作らないでよ!?」

「作ってはいないが? 俺が勝手に指輪を作ったのも、君がそれを問答無用で庭に投げ捨てたのも事実だろう? 現に君は公園で、それを認めて謝ってきたし」

「そ、それはそうだけど!?」

 確かに事実ではあるが、微妙に真実を捻じ曲げられている気がして、美子は納得しかねる表情で抵抗した。しかしそんな彼女を半ば無視して、深美と秀明が話を進める。


「でも謝ったのが美子の方なら、美子の方が秀明君にお詫びの品を贈らないといけないんじゃないの?」

「確かにそうですが、美恵さん達が拾って届けてくれた指輪を、俺が一週間隠していたもので」

 怪訝な顔で首を傾げた深美だったが、秀明の話を聞いて苦笑した。


「あら……、それじゃあ、美子が怒るのも無理ないわね」

「そう思って色々お詫びの品を考えていたのですが、なかなか気に入って頂けないみたいで」

「……ふぅん? 秀明君、ちょっと耳を貸して」

「はい、どうかしましたか?」

 そして深美が何やらぼそぼそと囁いてから身体を離すと、秀明は面白い事を思いついた様にニヤリと嫌らしく笑った。それを見た美子の背に、悪寒が走る。


(何? なんだかもの凄く、嫌な予感しかしないんだけど?)

 戦々恐々としている美子に、深美はのんびりと裁定を下した。


「取り敢えず二人の話を聞いてみたけど、どちらにも非はあるわね」

「ちょっと、お母さん!」

「だから美子は、一度秀明君に付き合って、好きな物を選んで買って貰って手打ちにしなさい。秀明君は美子が気に入る様な、ブランド品とかじゃない実用品を贈る事。分かった?」

 真面目な顔で交互に目をやりながら尋ねると、秀明は真顔で頷いた。


「分かりました。その後はむやみやたらに、美子さんに物を押し付ける様な真似はしません。深美さんに誓います」

「美子も。そんな毛嫌いする様な顔をしないで。いい大人なんだから」

「……はい」

 笑顔で窘められた美子は不承不承頷き、それから三人で談笑するという、良く分からない状況のまま三十分を過ごす事になった。その結果、かなり精神的に疲労して帰宅する事になったのだが、その日を境に美子宛てに藤宮家に贈り物が送り付けられる事はなくなり、取り敢えず良かったと自分自身を納得させた。

 しかし病室で美子がふと感じた嫌な予感は、次に秀明と顔を合わせた時に現実となった。

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