(14)ろくでもない求婚

「それでは、君がここに来た理由は大体分かっているつもりだが、一応君の口から、きちんと聞かせて貰おうか」

「はい、それでは……」

 そこで秀明は軽く居住まいを正してから、真正面から昌典を見据えつつ口上を述べた。


「この度、過日申し渡された条件が整いましたので、美子さんと結婚を前提としたお付き合いをさせて頂きたく、お願いに参りました」

 そうして軽く頭を下げた彼から、自分の横に座る娘に視線を向けた昌典は、淡々と尋ねてくる。


「さて、どうする? 美子。特に断る理由は無い様に思えるが。お前には今現在話が進んでいる縁談は無いし、交際している人間もいないしな」

「…………」

 全く反論できずに黙り込んだ美子だったが、その反応は予測できていた為、昌典は再び秀明に視線を戻した。


「ただ、江原君」

「はい、何でしょうか?」

「以前、君から同様の話を受けた時、美子の結婚については美子の判断に任せているので、特に私が制限を加えるつもりは無いと言った筈だが、本気で話を進める気なら一応君に言っておく事がある。改めて聞いておきたい事もあるしな」

「……拝聴します」

 何となく有無を言わさぬ気配を察した秀明が大人しく従うと、昌典は唐突に美子に言いつけた。


「美子、お前は少し席を外してくれ。そうだな……、十五分位で良い」

「え? ええ、分かりました。それならその頃に、お茶を持ってくるから」

「ああ、頼む」

 動揺していたのか、案内してきてお茶を出すのをすっかり忘れていた事を思い出した美子が、ついでにそれを言ってみると昌典が頷いた為、そのまま下がって台所に向かった。そして頃合いを見計らってお茶を持って行くと、予想に反して襖の向こうは静まり返っていた。


「お父さん、お茶を淹れてきました」

「ああ、入ってくれ」

 声をかけてみると応答があった為、美子は襖を開けて中に入った。すると先程と同様、二人が微動だにせず向かい合って座っているのが目に入る。


「どうぞ」

「ありがとうございます。頂きます」

 そして両者の前に茶碗を置くと、二人は静かにお茶を飲み始めたが、何故だか無言で含み笑いをしながら、両者が微妙なオーラを醸し出している事に気が付いた。


(何なの? 二人揃って、この不気味な笑みは?)

 しかしわざわざ突っ込んで聞いてみる気にはなれなかった美子が傍観していると、茶を飲み終えた昌典が徐に立ち上がった。


「さて、私の話は終わったから、後は当事者同士で話をしてくれ」

「お父さん……」

「分かりました」

 美子は恨みがましく、秀明は笑いを堪える様な表情で昌典を見送ると、室内に少しだけ沈黙が漂ってから、秀明が言い出した。


「こちらは久しぶりなので、ご迷惑でなければ、お庭を拝見したいのですが」

「構いません。どうぞ」

 そこで美子が立ち上がり、襖とは逆の障子の方に移動した。そして静かに障子を左右に引き開けると、縁側の向こうにガラス越しに、記憶にある景色が広がっている事に、秀明が気が付く。


「ああ、こちらから見えたんですか。気が付きませんでした。懐かしいですね」

 そして秀明は美子に断りを入れて庭に面した窓を左右に開け、気持ち良さそうに深呼吸した。そのまま微笑んで庭を眺めている彼に、美子が皮肉っぽく問いかける。


「どうして、またいらしたんですか? あれから二年以上経ってるのに、良いお話が全く無かったわけじゃ無いでしょう?」

「確かに女を切らした事は無かったが、その中に君以上に面白い女はいなかったからな」

(相変わらず、ろくでもない奴ね)

 庭の方を眺めたまま、口調を変えて淡々と言い返してきた秀明に、美子は舌打ちをしそうになったが、次の台詞で小さく歯軋りした。


「俺の事より、君の方はどうして未だに独り身なんだ? 良い話が全く無かったわけじゃ無いだろう?」

(いっ、嫌味な奴っ!! 絶対美恵達から、この間の事を聞いてる癖に!)

 色々と思うところはあったものの、美子は辛うじて平常心をかき集め、傍目には冷静に答えた。


「生憎と、これまでの方とは、ご縁が無かったもので」

 すると秀明は美子の方に向き直り、明るく笑いながら申し出た。

「じゃあ、俺もそういう事で。この際残り物同士、結婚しないか? 俗に『残り物には福がある』とも言うし」

「お断りします」

 無表情での即答に、秀明は思わず笑い出しそうになる。


「どうして? 自分で言うのも面映ゆいが、俺は結構優良物件だ」

「自分で自分を売り込む輩に、ろくなのは居ないわ」

「確かにそうだな。……ああ、ちょっと失礼」

 どうやら携帯が電話かメールの着信を振動で知らせて来たらしく、秀明はポケットを押さえて断りを入れた。それに美子が頷くと、予想通り携帯を取り出した秀明が素早く何かを操作してから、再び元通りしまい込む。


「お待たせ」

 そこでつい美子は、嫌味っぽく言ってみた。

「女? 仕事?」

「男」

「ああそう。ところで携帯に付けているストラップ、外してくれないかしら?」

 心底うんざりしながら申し出たが、秀明は心外そうに問い返してきた。


「どうして?」

「同じ様な物を使っているのがムカつくのよ」

「それなら自分が外せば良いだけの話だろう」

 淡々と正論で返された美子は、少し苛ついた。


「姉妹揃って美幸から貰った物なのに、私だけ使わなかったら美幸に悪いでしょうが!」

「悪いが、俺も外す気は無いな。仲間に入れて貰ったみたいで、嬉しかったから」

「はぁ?」

 意外な台詞を聞いて呆気に取られた美子の目の前で、秀明はどこか子供が照れくさそうにしている様な表情で、先程携帯をしまったポケットを上から手で軽く押さえた。


(何、この人……。どうしてこんな顔してるわけ? 何がそんなに嬉しいのよ)

 訳が分からない美子が、思わずまじまじと相手の顔を見上げていると、秀明はその視線と自分がどんな表情をしていたのかを漸く察したかの様に、素早く庭の方に顔を向けて、いつも通りの感情が読めない表情に戻る。


「世の中には同じ物が何千何万と流通している筈だし、偶々その中の幾つかが、俺と君達の手に渡っただけだから、そう気にする事でも無いだろう」

「確かに、それはそうかもしれないけど……」

 思わず眉根を寄せた美子だったが、ここで秀明は彼女に向き直り、これまで通りの不敵な笑みを見せた。


「それとも……、変に意識しているとか?」

「そんなわけ無いでしょう!?」

「じゃあこのまま持っていても、全く問題は無いな」

「…………っ」

(やられた……。本当に口が達者だわ、こいつ)

 反論を封じられて美子は歯噛みする思いだったが、ここで予想外に秀明が別れの言葉を口にした。


「さて、それではそろそろお暇するか。社長とは必要な話を済ませたし、これ以上長居して、君の好感度を下げたくは無い」

 それにすっかり安堵した美子は、思わず軽口を叩く。


「安心して。これ以上下がる筈は無いわ」

「零点か。そんな点数、未だかつて取った事は無いな。この際、マイナス点を狙ってみるか」

「マイナスなんて、そんなの有り得ないでしょうが」

「中学の時に、見た事がある」

「どうしてそんな事になるの?」

 縁側の窓を閉めてロックをかけながら、美子は困惑を隠せずに問い返したが、それに秀明は笑いを堪えながら説明してきた。


「英語がからきしな同級生が記述式の解答欄を幾つか埋めたんだが、答えが全部間違ってた上にSを左右反転して書いてしまって、マイナス5点になったんだ。本人曰わく『選択制だったら勘で三割は当たるのに』と悔しがっていたが」

 苦笑いで秀明がそう告げた為、美子は思わず項垂れた。


「……本人より、先生に同情するわ」

「同感だ。意見が合って嬉しいよ」

「こんな事で意見が合っても、嬉しくもなんとも無いわよっ!!」

 怒鳴りつけた美子に秀明は再度小さく笑ってから、急に真顔に戻って礼儀正しく頭を下げた。


「それでは美子さん、ここで失礼させて頂きます。社長に宜しくお伝え下さい」

 いきなり態度を変えた事に戸惑いつつも、美子はこれ幸いと調子を合わせた。


「はい、伝えておきます。本日は結構な物を頂戴しまして、ありがとうございました」

(はぁ、せいせいする。さっさと帰ってくれて良かった)

 心の底から安堵しながら相槌を打った美子に向かって、ここで秀明が左手を差し出してくる。


「今日はお時間を頂き、ありがとうございました」

(え? 握手? それにこの人、左利きだったかしら?)

 それに深い疑問を覚える事も無く、美子も素直に左手を差し出して握手しようとした。


「いえ、こちらこそ大してお構いもできませんで……って、何?」

 しかし握手しようとした秀明の左手で自身の左手首を掴まれ、美子が戸惑っているうちにいつの間にか彼の右手に握られていた指輪が、美子の左手の薬指に収まる。それを確認した途端、秀明は彼女の手から手を離し、あっさりと別れの言葉を口にした。


「じゃあ、失礼。また連絡する」

「え? あの……、ちょっと、これ……」

 そして全く現状認識が追いつかず、美子が呆然としたまま立ち去る秀明を見送っていると、隣の部屋の障子が勢い良く引き開けられ、縁側に妹達が殺到してきた。


「ちょっとちょっと姉さん、それ見せて!?」

「うっわ、早々と張り込んだわね~、江原さん」

「大きいダイヤ! 1カラットは有るわよね!?」

「サイズもぴったり……、流石に侮れないわ……」

「嫌だ美幸。姉さんの指のサイズなんて、私が教えたのに決まってるでしょう?」

「そうよ。指にぴったりのリング贈ってくれた位で、コロッと騙されちゃ駄目よ?」

「そうだったの? 江原さんだから、目で見ただけでサイズが分かったのかと思ってた」

 自分を取り囲み、手を握り締めて好き勝手な事を騒ぎ立てている妹達に向かって、美子は地を這う様な声で確認を入れた。


「あなた達……、どこまでもあの男の肩を持つのね」

「別に姉さんの事を、蔑ろにしているつもりはないわよ?」

「そうそう。長年美子姉さんに想いを寄せている人に対する、ささやかな応援をしているだけで」

「余計な事はしないで! こんなのも要らないわよ!!」

 ここでいきなりブチ切れた美子は、勢い良く薬指から指輪を抜き取り、まだ開けてあった窓からそれを庭に向かって放り投げた。その途端、美恵達の悲鳴が上がる。


「きゃあっ!! ちょっと姉さん!」

「どこ? どこに落ちた!?」

「ちょっと分からない! 池の中か、岩の隙間に落ちたかも!」

「靴を履いてくる!」

 そうして四人がバタバタと大騒ぎしながら玄関に向かって駆け出して行くのを尻目に、美子は一人自室に戻った。すると否応なく窓際の棚に、秀明が持参した色とりどりの花束が活けてある花瓶が目に入り、勢い良く顔を背ける。

 さすがに自分が褒められない事をしたとの自覚はあったものの、それを素直に認められないまま、美子はベッドの端に腰かけながら弁解がましく呟いた。


「だって……、あんなのと結婚するつもりなんて、無いんだもの。確かに見た目は良いし、それなりに有能みたいだけど、あんな性格が悪い、何を考えているか分からない奴なんて……」

 そしてそのままごろりとベッドに転がって身体を捻ると、ホルダーに嵌っている自分の携帯と、そこについているストラップが視界に入り、思わず溜め息を吐く。


「それに、何かやっぱり違うし……」

 自分でも何を言っているのか良く分からないまま、美子は奇しくも秀明と色違いで持つ事になってしまったストラップを、暫く無表情で見詰めていた。その静まり返っている美子の部屋とは対照的に、庭では彼女の妹達が悪戦苦闘の末、池の縁石の隙間に嵌ってしまった指輪を漸く取り出して、歓喜の叫びを上げていた。


「はぁ、無事取り出せて良かった~!!」

「本当に良かったわ。一時はどうなる事かと。でも美幸、割れていないかしら?」

「美野……、落とした位でダイヤが割れたら、それはパチモンだから」

「小さな傷位は付くかもよ? 全く……、姉さんも素直じゃ無いわよね」

 じみじみと安堵の溜め息を吐いた美恵が、ここで真顔になって妹達に声をかけた。


「皆、聞いて。これからは江原さんが大っぴらに姉さんを口説きにかかるから、私達で全面的に協力するわよ?」

 それに妹達が、力強く頷く。


「そうよね。後がつかえてるんだし、姉さんが三十になるまではあと何年かかかるけど、それまでには片付いて欲しいもの」

「順番とかそういうのは抜きで、美子姉さんには江原さん以上にお似合いな人は居ないと思うわ」

「優しいし、物分かり良いしね。変な人が義理の兄に収まったりしたら、冗談じゃないし」

「話は纏まったわね」

 そこで妹達を見回した美恵は、その場で中腰になって右手を伸ばした。それを見た彼女の妹達は、何を言わずとも自然に円陣を組んで、美恵の手に自分の手を重ねる。


「じゃあ、これから気合い入れて行くわよ? ファイトーッ」

「おぉーっ!!」

 そんな風に庭で盛り上がっている娘達の様子を、書斎の窓際からこっそり眺めていた昌典は、「楽しそうだな。早速、深美に教えてやらないと」などと呟きながら、満足そうに奥へと引っ込んだ。

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