(13)不本意な再会

 秀明を殴った上で、きっぱり絶縁を申し渡して以降、予想に反して彼からの働きかけや連絡は皆無だった為、それから半年経過した頃には美子は名前を含めて、彼の存在そのものをすっかり忘れ去っていた。

 そして秀明が美子の前から姿を消して、二年近くが過ぎ去ったある日。朝食の席で昌典が突然、思い出した様に言い出した。


「そう言えば美子。今度の日曜の午前中は、何か用事があるか?」

 その問いに、美子は正直に答えた。

「午後はお母さんの様子を見に病院に行くつもりだけど、午前中は特に無いわ。それがどうかしたの?」

「そうか。午前中に江原君が来るから、そのつもりで準備してくれ」

「江原? お父さん、どういう方?」

 咄嗟に誰の事を言っているのか分からなかった美子が尋ね返すと、妹達が口々に驚きと呆れの入り交じった声を上げる。


「やだ、姉さん、もう忘れたの?」

「江原秀明に決まってるでしょ?」

「……どうして断言できるのよ?」

 漸く秀明の事を思い出した美子が、顔を引き攣らせながら突っ込みを入れたが、そこで何故か美幸が期待に満ち溢れた表情で、父親に確認を入れてきた。


「という事は、ひょっとして江原さん、課長に就任したの?」

「ああ、昨日付けで経営戦略本部資材統括部、資材調達第一課長にな。だから『改めてご自宅に挨拶に伺いたい』と連絡を取ってきたんだ」

「なっ!?」

 昌典が説明した内容を聞いて、当時の事を思い出した美子は顔色を変えたが、妹達は口々に好き勝手に感想を述べ始めた。


「やるわね~、あれから二年強しか経って無いってのに」

「まあ抜け目がない人だから、五年以内には課長に就任すると思ってたけどね」

「凄い! 流石江原さん! 早速お祝いメールを送らないと」

「そうよ、お父さん! そういう事は、ちゃんと昨日のうちに教えてよね!!」

「いや、すまん。家に帰ったらすっかり忘れていてな」

 美幸に叱りつけられて苦笑いする昌典を半ば無視して、美子は妹達を問い質した。


「あなた達……、どうして揃いも揃って、あいつにそんなに好意的なの?」

 しかし美子の非難がましい問いかけにも、妹達は全く悪びれずに答えた。

「だって江原さん、私が去年会社を設立した時、銀行から融資を受ける際の連帯保証人になってくれたし」

 美恵から驚愕の事実を聞かされて、美子はさすがに声を荒げた。


「何ですって!? 私、そんな話、一言も聞いてないわよ!」

「だって、姉さんに言ったら絶対怒るし。その他にも税理士さんとか紹介して貰って、本当に助かってるわ~」

「あんたね……」

 盛大に顔を引き攣らせて美子はすぐ下の妹を睨んだが、そこでのんびりとした美実の声が割り込んだ。


「あ、今だから言うけど、私が二年前から付き合ってる淳、江原さんの大学時代からの悪友なのよね。だから彼経由で、時々江原さんの近況を聞いてたし」

 そんな事を告白された美子は、以前紹介された妹の恋人の顔を思い浮かべつつ、素っ頓狂な声を出した。


「はぁあ!? 小早川さんが、あの男の友人? 何なのよそれはっ!! 聞いてないわよ!?」

「だって淳が『面白いから暫く黙っていようぜ』って。私も同感だったから」

「もの凄く、あいつの悪友っぽいわね」

 ニヤニヤと面白そうに笑いながら美実が口にした内容に、美子はがっくりと肩を落とした。そこで恐る恐ると言った感じで、美野が声をかけてくる。


「あ、あの……、美子姉さん?」

「何?」

「その……、江原さんは、この間何度も一緒に映画を見に行っていて……」

「は?」

「えぇ!? 美野姉さん、まさか江原さんを、あのドログロホラーに無理に付きあわせてたわけ!?」

 盛大に顔を引き攣らせて美子が美野に視線を向けるのと同時に、美幸が盛大に非難の声を上げた。それに美野が負けじと言い返す。


「そんな事ないわよ! 顔を合わせた時、偶々『友達も家族も一緒に映画を見に行ってくれない』って愚痴を零したら、『奇遇だね。俺も割とそういうのが好きなんだけど、友人達は怖がって一緒に見る奴がいないんだ。良かったら一緒に行かないか?』って向こうから誘ってくれたんだし! それから怖い映画が公開される毎に誘ってくれて、毎回パンフレットも買ってくれて。江原さんってとっても良い人……」

 胸の前で両手を組み合わせ、うっとりとした表情で中空を見つめつつ呟いた美野を見て、美恵と美実は(完全に騙されてる)と溜め息を吐き、美子はこめかみに青筋を浮かべた。


「……美野。これから映画は一人で観に行きなさい」

「えぇ!? だって一人で観に行くのは怖いもの!」

「それならそもそも、そんな物を観に行くのは止めなさい!!」

 珍しく反論してきた美野を、美子は容赦なく叱り付けた。そこで美幸が冷静に口を挟んでくる。


「全く……。美野姉さんったら、下手したら美子姉さんまで変な趣味を持っているのかと、江原さんに誤解されかねないのに。毎回パンフレットまで買って貰うなんて、厚かましいわよ」

 妹から、如何にも呆れました的な言われ方をした美野は、瞬時に眦を釣り上げて言い返した。


「何ですって!? あんたみたいに友達を引き連れてゲームセンターに繰り出して、江原さんに全額奢って貰うなんて事をする方が、厚かましくて非常識でしょうが!?」

「何? その『友達を引き連れてゲームセンターに繰り出して』って言うのは?」

 聞き捨てならない事を耳にした美子のこめかみに青筋が一本増えたのを見た美野は、自分の失言を悟って黙り込んだが、美幸は全く悪びれずに答えた。


「だって『子供だけでゲームセンターに行っちゃ駄目だ』って小学校の先生に言われた時、江原さんに『馬鹿馬鹿しいしつまらない』って言ったら、『先生の言う事には従わなくちゃ駄目だよ? だから俺が保護者として、連れて行ってあげるから。どうせならお友達も一緒に行こうか? 大勢で行った方が楽しいよね』って言ってくれて。しかも皆の分も纏めて、全額払ってくれたの。もう江原さんって、物分かり良い上に太っ腹!」

「あなたはその図々し過ぎる所をどうにかしなさい!!」

 うんうんと一人で頷いていている美幸を、美子は本気で叱責したが、美幸は自分のペースで話を続けた。


「しかもね、江原さん凄いのよ? パンチ力を測る奴で歴代記録の一位になって、レーシングゲームではぶっちぎりのトップ。シューティングゲームでは的中率百%近くて、もう一緒に行った皆に『美幸ちゃん、あんな格好良くて何でもできて、頼りになるお兄さんが居て良いなぁ』って、凄く羨ましがられちゃった」

「あんなのは、兄でも何でも無いでしょう!?」

「美子姉さんと結婚したら、お義兄さんじゃない。だから友達には『(仮)のお兄さん』って言ってあるから大丈夫」

「……どこがどう大丈夫だと」

 何を言っても無駄だと匙を投げかけた美子だったが、続く美幸の話を聞いて、若干の引っかかりを覚えた。


「あ、それからクレーンゲームも凄かったな~。狙ったのを次々取っちゃって。『皆でお揃いのを付けたいから、江原さん取ってくれない?』ってお願いしたら、『それなら頑張らないとな』って言って連続五回で見事五個取ってくれて!」

「五回? お揃いってまさか……」

「うん。去年皆にあげた、キノコの妖精のストラップ!」

「そんな物を、黙って私によこしたわけ?」

(そうと知ってれば、絶対受け取らなかったのに!!)

 去年からしっかり自分の携帯にぶら下がっている、微妙な表情のストラップの事を考えながら美子が顔を引き攣らせていると、美幸はニコニコしながら言わなくても良い事を口にした。


「傘が赤くてプンプンしてるのと、傘が青でツンツンしてるのと、傘が黄色でニヤニヤしてるのと、傘が紫でベソベソしてるのと、傘が緑でニコニコしてるやつ! 皆にぴったりでしょ? 自分のセンスに惚れ惚れするな~」

「…………」

 途端に美幸を覗く娘四人が黙り込み、微妙に食堂内の空気が悪くなってきたのを感じ取った昌典は、溜め息を吐いて美幸に声をかけた。


「美幸、さっさと食べて学校に行きなさい」

 その声に、掛け時計で時間を確認した美幸は、慌てて立ち上がる。

「げ、本当に遅れそう。ごちそうさま! 美子姉さん、お弁当貰って行くね!」

 そして食器を流しに持って行きながら、台所置いてあるお弁当を引っ掴んで駆け出した美幸の背中に、美子の叱責の声が突き刺さる。


「美幸! 廊下は走らない!」

「は~い!」

「ごちそうさま。……あの、私も行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」

 そそくさと挨拶をして立ち上がった美野を見送り、引き続いて美実と美恵が席を立つと、二人きりになった食堂で、昌典が笑いを堪えながら美子に話しかけた。


「この二年間で、外堀はしっかり埋められたらしいな。本当に全く気付いて無かったのか?」

「……不覚だったわ」

 痛恨の表情で呻いた娘を、昌典は面白そうな表情で見やりながら念を押してくる。


「とにかく、そういう事だ。当日、無理やり予定を入れるなよ?」

「分かってます」

 そこまで言われて反論するつもりは無く、美子は不承不承ながらも大人しく頷いた。



 そして迎えた日曜。予定時刻通り藤宮邸を訪れた秀明を、美子は平常心を保つ努力をしながら、玄関で出迎えた。


「随分ご無沙汰しておりました、美子さん。お邪魔します」

「ええ、随分お久しぶりですね、江原さん。どうぞお上がり下さ」

「江原さん、お待ちしてました! さあ、遠慮無く上がって下さい!」

「いらっしゃい、江原さん! あ、荷物は持ちますから、どうぞどうぞ」

「美野、美幸……」

 自分の口上の途中で、背後から飛び出すように現れた妹達に美子は口元をひくつかせたが、秀明は二人に向かって愛想を振り撒いた。


「やあ、ありがとう美野ちゃん。これは焼き菓子の詰め合わせとお酒が入ってるんだ」

「こんなにありがとうございます。皆で頂きますね」

「美幸ちゃん、これは美子さんになんだ。早速飾ってくれないかな?」

「了解しました! 早速花瓶に活けて、美子姉さんの部屋に飾ってきます!」

「美野、美幸!」

「相変わらず、二人とも可愛いな」

 秀明から受け取った紙袋と大きな花束を手に、パタパタと奥へ走って行った二人を美子は叱ったが、秀明は笑いながら感想を述べる。すると美子と同様に下の二人を見送った美恵と美実が、廊下の壁にもたれながら皮肉を言ってきた。


「ほんっと、真性のタラシよね~」

「ひゅ~ひゅ~、色男のごとーじょー」

 それを聞いた秀明は、苦笑いを漏らす。


「相変わらず二人はひねくれているな。悪いけど」

「連帯保証人様の邪魔はしないわ」

「こんな面白い見物、ぶち壊すわけ無いでしょうが」

「話が早くて助かるよ」

 何やら協定を結んでいるらしい三人に早くも苛つきながら、美子は静かに声をかけた。


「……江原さん。こちらへどうぞ」

「分かりました」

 そして妹達に見送られて、美子は秀明を先導しつつ、父が待っている奥の座敷へと歩き出した。するとすぐに秀明が、話しかけてくる。


「やあ、元気だった?」

 その台詞に、美子は舌打ちしたいのを必死に堪えた。

「妹達から筒抜けだったくせに、白々しい事を言わないで」

「随分ご機嫌斜めだな。あの妖精みたいな顔になってる」

「妖精?」

 いきなり目の前の男には似つかわしく無い単語が出て来た為、美子は思わず足を止めて怪訝な顔を見せると、秀明はゆっくりとジャケットのポケットから、自分の携帯を取り出した。


「これと同じシリーズの赤い奴、携帯に付けているだろう?」

「どうしてそれを……」

 目の前にかざされた携帯に取り付けられている、黒い傘のキノコの妖精を見て、美子は盛大に顔を引き攣らせた。そんな彼女には構わず、秀明は上機嫌に話を続ける。


「美幸ちゃんが『江原さんは絶対黒のニヒル顔の奴! 未来のお兄さんなんだから、やっぱりお揃いにしないと! それに今日のお礼を兼ねたプレゼントだから、私が自力で取るからね!』って宣言して、わざわざ自分でお金を出して、何回も失敗した挙げ句、漸く取って俺にくれたんだ。こんな嬉しい未来の妹からのプレゼントを、粗末に扱えないだろう?」

「誰と誰が未来の兄妹よ!!」

「俺と、美恵ちゃんと美実ちゃんと美野ちゃんと美幸ちゃん」

「一々全員の名前を挙げないで!!」

 そこで進行方向の襖が開き、昌典が呆れ顔を見せつつ窘めてきた。


「騒々しいぞ。どうした、美子」

「あ、ごめんなさい、お父さん」

「やあ、江原君。良く来てくれたね」

「おくつろぎの所、失礼します」

 そうして取り敢えず三人で室内に入り、昌典と美子に対面する形で秀明が座布団に落ち着くのと同時に、昌典が穏やかな口調で声をかけた。

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