『聯愁殺』ネタバレありレビュー

聯愁殺れんしゅうさつ』いかがだったでしょうか。

 これは見事に騙されたのではないでしょうか。ですが、読み終えたあとで冷静になって考えてみて、「どうして騙されたんだろう?」という疑問が生まれた方もいらっしゃるのではないかと思います。なぜかというと、よくよく考えて見れば本作に仕掛けられたトリックは極めて単純で、ミステリではもうとっくの昔に使い古されていて誰も使おうとも思わないものだったからです。それは、「連続殺人のターゲットの中で、ただひとりだけ生き残った人物が真犯人である」というものです。これがまさに主人公である一礼比梢絵いちろいこずえの立場です。

「こんなん絶対に怪しいに決まってるやんけ! いまどきこんなもんに引っかかるやつ、おれへんやろ!」思わず関西弁で突っ込んでしまうくらい、見え見えでバレバレのトリックです。であるのに、どうして私たちはこのトリックに引っかかってしまったのでしょう。

 答えは明白です。「第一章 動」があったからです。物語が始まってすぐのこの章で、梢絵はいきなり謎の男の襲撃を受けてしまいます。しかもこの章(というよりも本編全て)は梢絵の視点に立ってはいるものの完全な三人称であるため、これが梢絵と犯人との狂言だとか、彼女が見た夢や幻覚のたぐいでないことは明白です。「間違いなく梢絵は、全く予期せぬ襲撃を受けた被害者のひとりである。彼女が生き延びたのは運がよかったからに過ぎない」読者の誰もがそう思い、本格ミステリ的には極めて怪しい立場であるにも関わらず彼女に疑いの目を向けないのは(逆にこの時点で「梢絵が怪しい」と考えた方がいらっしゃったなら、その人は相当な手練れか変人に違いないでしょう)、ひとえにこの「第一章 動」があるせいです。


 この梢絵視点の三人称(三人称一視点)というスタイルは、物語が進むにつれ、さらに効いてきます。自分を襲撃した少年、口羽公彦くつわきみひこの名を教えられたときには、「いま初めて聞く名前」という内なる声を記し、さらに恋謎会れんめいかいメンバーが語る推理に、ときには感心し、ときには不満をつのらせる。それらの感情の起伏までもが、決して虚偽を書いてはならない地の文ではっきりとつづられます。もし、梢絵に対してほんの少しでも疑念を持った読者がいたとしても、それは物語が進むに従い霧消していったのではないでしょうか。なぜなら、「梢絵は本当に何も知らないんだな」ということが、これでもかというくらい分かってくるからです。

 とはいえ、梢絵は事件について「本当に何も知らない」わけではもちろんありません。なにせ彼女は、自分を襲撃してきた口羽をはじめ、本来、彼のターゲットであった三人、架谷はさたに矢頭倉やとくら寸八寸かまつかを殺害した真犯人であるのですから。ですが、それについて地の文(梢絵の心の声)で何か記すということはありません。これは一見すると「記述者にとって都合の悪い事柄を書かない」という作者のメタレベルからの介入と捉えられるかもしれませんが、違います。「書く必要がないから書いていない」というだけの話です。ここが本作『聯愁殺』の実に巧妙なところです。

 もし、この作中の集まりである恋謎会の議題が「連続殺人犯は誰か?」というフーダニットに終始していたら、確かに梢絵が自らの殺人行為に対して地の文で沈黙を守ることは困難だったでしょう。それこそ「ターゲットの中でただひとり生存した」梢絵に疑惑の目が向けられ、被害者たちの死亡推定時刻のアリバイを詰問されたら、表面上は無罪を装っても地の文でまでそれを貫き通すことは、アンフェアな記述でもしなければ無理でしょう。ですが、恋謎会のメンバーが集められた目的は「梢絵はなぜ襲われたのか?」というホワイダニットのためでした。連続殺人犯は口羽公彦である、というのは警察の確固たる見解として確立されている状態のため、誰もそこに疑問を挟む余地はなく、よって梢絵に対しての疑惑が湧き上がってこようわけがないのです。この、恋謎会がこの夜討論する議題が明確になる「第二章 愁」には、トリック(読者に対して仕掛ける叙述的な)の土台を築くため、様々な技巧が凝らされています。また、それらは読者を誘導する効果があると同時に、下手をしたらネタが割れてしまうという、(作者にとって)不利な記述を書くこととも繋がります。まさに危険と背中合わせ。ここでどこまで冒険出来るかがミステリ作家の腕の見せ所だと言えるでしょう。では少しですが振り返ってみたいと思います。(以下に記すページ、行数は、中公文庫版からのものです)



37P 11行目


 なにしろ梢絵が問題の暴漢の顔を見たのは、あの日一日だけである。


 四年前に梢絵が警察から自分を襲った暴漢(口羽公彦)の写真を初めて見せられたときのことを記した部分です。

 ここで書かれた「あの日」とは、この時点での額面上は、1997年の十一月六日であると読者の誰もが思いますが、もちろん本当は梢絵が実際に口羽に襲われた1997年二月十五日のことです。「あの日」とは、ここだけ抜き出してみると何とも胡乱で、襲撃された日付ははっきりと分かっているのに、どうしてそんな曖昧な記述をするのか、と訝しんでしまいかねません。ですが、前後に警察が実際に動いた十一月六日直後のことが書かれているため、「あの日」という代名詞だけで十一月六日のことを指しているのだと読者は分かり、記述がしつこくならないようにしているのだなと納得までしてしまうのです。



44P 16行目


 実際に襲撃された時はさほど意識していなかったが(以下略)


 梢絵が今でも暴漢(口羽公彦)に襲撃されたときのことを夢に見る、ということを綴った文章です。

 地の文で「実際に襲撃された」と書いているのがミソです。この一文で、口羽による梢絵の襲撃が彼女の夢や妄想でないことが完全に確定されました。



46P 5行目。


 まさか、彼が死んでいるって言いたいの? 修多羅の言葉にショックを受けて落ち着きをなくしている梢絵(以下略)


 修多羅しゅたらが、口羽は生きていれば成人した年齢になっている、と口にした直後の梢絵の心理描写です。

 これなどは実に巧みな描写です。この時点では読者の誰もが、梢絵が「ショックを受けて落ち着きをなくし」たのは、自分を襲った暴漢がすでに死んでいたとしたら、彼女の目的である「自分が襲われた理由」が永遠に解かれなくなるかもしれない、という懸念からのものだと思ってしまいます。それ自体も真実ですが、彼女の驚きには実はもうひとつの理由があったということも、真実を知ったあとの我々には分かります。それはもちろん、この世で梢絵だけが知っているはずの「口羽の死」という可能性を第三者の口から聞かされたためです。



46P 16行目


「え?」梢絵は戸惑った「二月……? どうして二月なんですか?」


 双侶なるともが梢絵襲撃事件の経過を改めて語る際、事件の起きた(梢絵が狂言被害で警察に通報した)十一月ではなく、そこから数ヶ月遡った二月から話を始める、と言ったことを受けての梢絵の言葉と心理描写です。

 この「戸惑い」にも、表裏二つの意味が込められています。表向きは「どうして事件から半年以上も前のことから話を始めなければならないんだ」というもので、これは読者の心理でもあります。そして、裏に隠された梢絵の真の戸惑いは、もちろん、「どうして自分が実際に襲撃を受けて、そして口羽を殺した二月からなんだ?」というものです。「まさか自分の犯行がばれた?」(文章に現れてこない)心の奥で梢絵は狼狽えたでしょうが、双侶が二月から話を始める理由というのは、口羽が二月十七日に学校を無断欠席し、そのまま行方をくらませたためだというものでした。



55P 9行目


 まるで、犯人は別にいる――とでも言いたげな修多羅のものいいに梢絵は驚いたが、


 一連の殺傷事件の犯人は口羽であるという結論は、警察として揺るぎない見解であるのか? という意味のことを双侶に確認した修多羅の台詞に続いて綴られた梢絵の心境です。もう多くを語る必要はないでしょう。どうして梢絵が驚いたのか。



 開始から六十ページに満たないこの時点でも、これだけの記述の妙が見つかっています。全てを挙げていては枚挙に暇がなくなってしまうため、このくらいでやめておきますが、ここまで見てきたことから分かるとおり、この『聯愁殺』は本格ミステリとしての超絶技巧を凝らしまくった傑作です。

 梢絵が長年抱え続けてきた謎「どうして自分は襲われたのか?」に対する答えとして出されたものは、「理由などない」という恐ろしいものでした。梢絵は、口羽が本命のターゲット(舎人浩美とねりひろみ)への殺意をカモフラージュするために選び出された〈捨て殺人〉の被害者のひとりに過ぎなかったのです。

 よく、殺人を扱ったミステリに対する批判の声として、「人の命をまるでゲームの駒のように尊厳なく軽く扱っている」といった意味のことが聞かれます。

『聯愁殺』は最後、この「駒として扱われた被害者」が反乱し、新たなる連続殺人者として生まれ変わったところで幕を閉じました。

 私も含めて、殺人事件が起きるミステリを書いたことのある読者の中には、このラストシーンにどきりとしたという方も多くいらしたのではないかと思います。梢絵が復讐の対象としたのは、彼女を殺そうとしたもので、作中レベルでのそれはもちろん口羽公彦なのですが、作品の枠を越えたメタレベルで「梢絵を殺そうとした」のは、物語の作者に他ならないのですから。


 それでは、次回の本格ミステリ作品で、またお会いしましょう。

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