『奇譚ルーム』ネタバレありレビュー

奇譚きたんルーム』いかがだったでしょうか。

 マーダラーの正体は誰か? という主軸のサスペンス要素に加えて、順番に披露される奇譚もどれも面白く、全く中だるみさせないジェットコースターのような展開に、一気読みしたという方も多かったのではないかと思います。さらには、チャット形式の独特な構成と、描かれるかわいらしいアバターが絶妙なアンバランスさとなって、一層ストーリーを盛り上げるのに貢献していました。

 ラストに明かされる真相と、さらなるどんでん返し。しかも、ただ単に読者を驚かせるだけのサプライズではなく、周到に伏線も張られ、心地よい騙され方をするという、本格ミステリを読む醍醐味も十分に味わえました。

 さらに付け加えるなら、どんでん返しを仕掛けて、読者を騙してそれでよし、という投げっぱなしジャーマンな終わり方ではなく、最後に救済を用意して後味のよい結末に持っていったところなど、児童文学を主戦場とする作者ならではのこだわりだったのではないでしょうか。


 この『奇譚ルーム』、実に十人もの登場キャラクターがいながら、生身の人間は「ぼく」(正確には「ぼく」が宿っている主人格)と精神科医の「探偵」の二人のみ。舞台がネット上の「ルーム」という可能空間だからこそ為し得たストーリーだったといえるでしょう。とはいえ、やはり「本格ミステリ」としてはギリギリな仕掛けで、この真相を見破った、という読者はそうはいないのではないでしょうか。

 実は私は、本作と似た仕掛けの洋画を以前に観たことがあって(即ネタバレになるのでタイトルは伏せます)、終盤が近くなると、「もしかしてこれは、あれでは?」という疑念が持ち上がってしまったのですが、それでも十分楽しめました。やはりミステリのトリックというものは既存のものであっても、見せ方や演出次第で生まれ変わらせることが出来ると再認識しました。


 さて、この『奇譚ルーム』は様々な読み方が出来る傑作ですが、本エッセイの趣旨に則って、本格ミステリ的に、特に十人中九人の登場人物が実は、同じ人間に宿る多重人格だった、という点に関する伏線の仕込み方について、いくつか振り返っていきたいと思います。


 まずいきなりの冒頭、9ページにして「今、部屋には、デスクトップパソコンが2基、タブレットが2台、ノートパソコンが3基、スマホが2台ある。」と、「ぼく」の部屋に都合九つの端末があるということを書いています。これらは当然、「ぼく」が様々な人格に入れ替わるごとに「奇譚ルーム」で発言するために使用していた端末の数々なのですが、いきなりこれを書いてくるというのは凄い。ミステリ作家としては相当な胆力と言えるでしょう。ですが逆に言えばこれは、まだ物語が端緒についたばかりで、読者がほとんど情報を与えられていない無垢な状態だったから可能だった手段だと言えます。読者はカバー折り返しの文章や帯から得た情報で、「これはネット空間を舞台にしたミステリだから、主人公も色々なネット端末をたくさん持っている、半分ネットジャンキーみたいな人物なのかな?」と思い、ここは軽くスルーしてしまいます。部屋にある端末が色々な種類に分かれているのもうまい煙幕となっています。これが例えば、全てスマホだとか、全てノートパソコンだとかした場合は、変に悪目立ちしてしまうでしょう。ルームに集まる人物が十人であるのに対し、端末の数が合計して9台しかないというのも絶妙なカモフラージュとして機能していました。さらに、物語はこのあと、「ルーム」に職業名だけを名乗る登場人物たちが続々と入室してきて、しかもそれらが皆、動物のぬいぐるみのアバターをしているという物語のベースを成す展開に突入していきます。もし、「部屋にあんなに端末があるのは変だな?」と疑惑を持った読者がいたとしても、物語の次なる展開を追うべく、すぐに興味をそちらに持っていかれてしまったことでしょう。ベテランらしい巧みなストーリーテリングでした。

「いや、だったら、最初から端末のことを書かなきゃいいんじゃ?」と思った方もいらっしゃるでしょうが、これを書いておくのと、書かないで穏便に済ますのとでは、物語(ミステリ)としての説得力、完成度に雲泥の差が出てきます。本格ミステリは、作者がどれだけ攻められるか、どれだけ手掛かりを提出しても読者を騙し続けられるかのチキンレースでもあるのです。こういった手掛かりの数々を伏せたまま、最後に「実はこうでした!」とやっても、それはそれで読者は驚くでしょうが、本格ミステリとしての評価は低くなり、「作者がチキンだ!」という誹りを読者から浴びせられてしまいます。逆に手掛かりを出し過ぎて簡単にトリックがばれてしまうこともありますが、この場合は「その意気やよし!」とミステリファンからは、そのチャレンジ精神を賞賛されます。分かりやすく言えば、ひたすら守ってカウンター狙い一辺倒のサッカーと、ボールを保持して攻めるパスサッカー、どちらが観ていて面白いかという話です(分かりにくい)。



 次に注目するのは、アバター十人全員が集まってすぐの場面です。ゾウの先生が、奇譚の登場人物は死ぬことがないからかわいそうだ、と同情した発言をしたことを受けて、ヒツジの少年が、「登場人物には、物語を成立させるという存在意義があるんです。もし、自分の存在に意味がないと思ったとき、登場人物は死ぬでしょうね」と、この「奇譚ルーム」が開設された目的そのものを語ってしまっています。これは、この時点ですでに少年の人格だけは、主人公の別人格たちを消滅させることに納得して探偵(精神科医)に協力しており、奇譚ルームの真の目的を知っていた、ということが分かる台詞です。


 次の場面は、ヒーローが奇譚を披露し終えた直後のこと。ヒツジの少年が消され、一番最初に奇譚を発表したマンガ家もすでに「殺され」ており、「ぼく」は誰がマーダラーなのか? と、ヒーロー以外の六体のぬいぐるみを見回します。「ニヤリと笑っているぬいぐるみがいたら、そいつがマーダラーだと思ったから」の行動なのですが、「だが、ぬいぐるみのアバターでは表情がわからない」と当然の結果を確認するだけだった「ぼく」でしたが、その直後、「ぼくは、現実世界の手を顔に持ってい」き、「ゴーグルの下の口元を手でさわると、ぼくは笑っていた」という描写が入ります。マーダラーの正体は多重人格者の「ぼく」であるわけなので、このときの「ぼく」の推測は全く当たっていたわけです。ヒーローを「殺そうと」する瞬間、まさにマーダラーは、ニヤリと笑っていたのでした。



 この物語主人公は当然「ぼく」ですが、精神科医のアバターである、クマの探偵も影の主役とも言うべき活躍を見せます。

 彼は、各人格が語る奇譚が面白いものであり、マーダラーがそれに対して「つまらない」と断定できないような状況(この場合、多重人格側が勝利するということになり、つまり、主人格が従人格に乗っ取られてしまうことを意味します)に陥りそうになると、すかさずフォローを入れていました。マンガ家と先生の奇譚には、超常的な現象と読める話に合理的な回答を与え、さらに話した人格の存在を否定するような言葉も付け加え、マーダラーの興味を削ぎ、人格自身にも「自分には存在価値がない」と思わせて消える土台を固めます。遊民のときは、奇譚とは別に持ち出してきた賭けが生死の分岐点となりましたが、合鍵を使って部屋に強行突入するという、咄嗟の判断で危機を切り抜けました。

 本作においては、探偵が謎を解くという行為が、その話をした人格を消すことに繋がっています。探偵の活躍が人格を殺しますが、それらはしかし、解離性同一性障害の患者を治療するという目的のためでした。

 作品途中までは、探偵が余計な謎解きをするたびに人(まだ読者は登場人物が多重人格のひとつだとは認識していませんから)が死んでいくため、ミステリの名探偵に対するアンチテーゼ的なテーマを狙っているのかな? という思いを読者に抱かせますが、最終的にやはり探偵は人を救うために推理をしていたのだなと分かるようになっています。しかも、この勝負は主人格(マーダラー)側からの一方的な攻撃ではなく、従人格のほうに存在意義があると認めたら、主人格は消えてもよい、という対等な戦いであったことも明かされます。実際、探偵のフォローがなかったら、マーダラーは新聞記者の時点で敗北していた可能性が高いです(人形遣いの奇譚にもマーダラーは興味を示しましたが、このときは人形遣いがマーダラーの動機解明という余計なことをしたばかりに、興を削がれたマーダラーの勝利に終わっています)。先に書いたようにラストのオチもそうなのですが、メインの読者層である少年少女たちに、過度にどぎつい物語を味合わせたくない、という作者の想いが体現されているように感じました。



 この『奇譚ルーム』私は一般書ではない、児童向け書籍の棚で見つけたのですが(ほとんどの書店がそこに置いているでしょうけれど)、そのため、一般のミステリファンの目に届きづらいというのはとても残念に思っています。ですが裏を返せば、本書に真っ先に目を留めるのは児童書の棚に足繁く通う子供たちであり、少年少女の時代からこういった上質なミステリに出会うのはとても貴重な体験だとも思います(逆に子供は一般書の棚にはあまり行かないでしょうから)。

 児童書の棚をざっと見渡してみたのですが、ラインナップの中に「謎解き」「探偵」「怪盗」といった、いかにも本格ミステリ的なエッセンスを含む作品が意外なほど多いことに驚かされました。数が多いということは、それだけそういった作品が若い読者に支持されているということでもあり、それを知った私は、本格ミステリ界の未来は明るいなと頼もしい気持ちに包まれて書店をあとにしたのでした。


 それでは、次回の本格ミステリ作品で、またお会いしましょう。

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