『容疑者Xの献身』ネタバレありレビュー

容疑者ようぎしゃエックス献身けんしん』いかがだったでしょうか。

 初読の方はもちろん、映画を鑑賞済みの方も楽しんで読んでいただけたのではないかと思います。

 本作は、犯人が最初から判明している「倒叙とうじょもの」です。通常の倒叙ものは、犯人の犯行が余すところなく読者に知らされて、「一見完璧と思われる犯行のどこに『隙』があったのか?」を探偵が指摘する展開が醍醐味ですが、東野は、犯人のある行動を読者に隠すことにより「アリバイ工作と見せかけて実は死体すり替え」をメイントリックとして存在させる、二重構造のミステリとして仕上げました。

 他にも、靖子やすこの旧知である工藤くどうの登場と、それ以降の展開から、石神いしがみが「殉教者」から、「憎むべきストーカー」化するのでは? というミスリードを盛り込んだりと、犯人による親子への献身一本だけでなく、東野は様々な手段を用いて読者を飽きさせることなくストーリーを最後まで引っ張りました。


 ミステリ的に私が好きなのは、「警察が捜査対象としている、『顔を潰されて指紋を焼かれた死体』に対しては、その死体を実際に殺したのが石神である以上、決して花岡はなおか親子に嫌疑が掛かりようがない」という「犯行のアリバイ」とでも言うべき仕掛けです。作中で石神が語っていたように、「見つかった死体が本当は富樫とがしではなくホームレスのひとりだった」ということが判明する頃には、裁判も終わり「富樫慎次しんじ殺害事件は終了。警察には手が出せない」

「倒叙もの」的に言えば石神の計画に隙はなく、「自分が捕まること前提」の捨て身の犯罪は石神の完全勝利となるはずでした。

 しかし、石神は敗れます。湯川ゆかわが自分の推理を花岡靖子に話したことにより、良心の呵責に耐えかねた靖子が犯行を自供してしまうところで物語は終了します。

 靖子が湯川の推理を聞いたうえで、何も行動を起こさずに黙ったままでいたら、石神の計画は成就したはずでした。が、靖子が石神の計画を知ってもなお自分たち親子が助かるために、黙って石神が逮捕されるのを見送るような冷酷な人間であったら、そもそも石神は花岡親子を助けようとはしなかったでしょう。

 湯川に計画を見破られた時点で石神は負けていた。その湯川が石神に疑惑を抱いたきっかけが、「湯川はいつまでも若々しいな」に始まった外見コンプレックス発言です。数学一辺倒だった石神が、柄にもなく自分の外見を気にしだしたことで、湯川は「おかしい」と思い疑惑を抱くに至ったのです。石神が犯罪に走ったきっかけが愛ならば、それが瓦解した瞬間もまた、愛ゆえに生じた男心の吐露でした。


 結局、「花岡親子を無実にする」という一番の目的は潰え、自身も実際に殺人を犯したことで逮捕され、石神の計画は最悪の結末を迎えます。石神のしたことは親子に対する「献身」などではなく、靖子が罪に嘖まれる時間をいたずらに引き延ばしただけでした。何の罪もない無辜のホームレスを身勝手な計画のために殺害した石神には、これは妥当な結末でしょう。石神が本当に花岡親子のことを想っていたのであれば、彼は犯行を発見した瞬間、自首を促すべきだったのです。

 

 本作は連載時には「容疑者X」というタイトルでした。単行本化の際に加えられた「献身」が何を意味するのか。作者の意図とは全然見当外れかもしれませんが、「勝手な深読み」をしてあれこれ語ることが出来るのも、ミステリ、いえ、小説を始め様々なメディアに触れる楽しみだと思います。


 それでは、次回の本格ミステリ作品で、またお会いしましょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る