希望の聖女 一頁目 エルクとモニカ
「我は――【神】だ」
もう何度読んだかも分からない教科書の一文を、僕は言葉に出してから本を閉じた。
そう、これは子供向けの御伽噺や昔話ではなく立派な歴史の教科書なのだ。
神がこの地に降りてから、今年で丁度100年になる。
神が降り立ったその日から、魔物達はあれだけ激しかった侵攻を止め、人の手が届きにくい山奥や洞窟、海底に身を潜めているらしい。
「何回読んでも信じられないなぁ……」
僕――エルク・ラルクは本の表紙をじっと見つめながら呟いた。
【聖王国アービター】、それが神の降り立ったこの国の名前だ。
まぁ、僕の住んでいるフィーネ村は王国からは遠く離れた国境ギリギリにあるド田舎なのだけれど……。
アービターでは少し珍しい黒髪にろくに外に出ないせいで真っ白な肌、17歳よりほぼ確実に下に見られる童顔なのはきっと父の血が強く出ているせいだろう。
僕の父はアービターより北にある【ディスカバー公国】という国の商人で、アービターに行商に来た時に母に一目惚れしてそのままアービターに移り住んだらしい。
「本当に神様なんて居るのかな?」
「こら! なんて罰当たりな事呟いてるの!」
村の外れにある森の中、その木の幹に座り込んで本を読みふけっていた僕の頭に、ぽかっと軽く衝撃が走る。
「全く……私以外に聞かれたら一体どうするつもりだったの? あんな事誰かに聞かれたら即
ぷくーっと可愛く頬を膨らませながら怒っているのは、僕の幼馴染のアルモニカ・シュタットだ。
腰まで伸びた金色の髪が、木漏れ日に照らされてきらきらと輝いている。
モニカ――彼女と親しい人はこう呼ぶ――は勝気そうな碧い瞳を釣り上げて、僕へのお説教を続けている。
辺境の村にはありふれているベージュのワンピースが全然似合っていない、ドレスでも着ればきっと貴族のご令嬢に見えるだろう。
「こらー! 人が折角お説教してあげてるっていうのにさては聞き流してるでしょー!」
しまった……つい見惚れてた。
「しまった……つい見惚れてた」
「え!? みとっ!? わたっ、私に!?」
…………や、や、やっちゃったあああああぁぁぁぁぁぁぁ!?
昔から独り言が多く、思ったことをぽろっと口にしてしまうのが僕の悪癖であり、日々直そうとは思っているのだが昔からの癖がそう簡単に直るはずもなく……ってこんな事を考えてる場合じゃない! なんとか誤魔化さないと!
「いや! その! あの! 久々に近くで見たからさ、モニカの瞳ってやっぱり綺麗だなって……」
「……」
僕は自分の事を馬鹿だ馬鹿だとは思っていたがどうやら間違いだったようだ――馬鹿ではなく大馬鹿だ。
何処の世界に誤魔化そうとして逆に本音をぶち撒ける奴が居るのだろうか?
いや、ここに居るんだけど……。
「違っ! いや違くないんだけど、今のは、えっと……」
「……そう、そんな風にセラやミコットも口説いてたのね」
「――へ?」
セラとミコット? 口説く? 僕が?
余りに自分とは無縁の単語に頭が真っ白になりかけていると、モニカが涙目になりながら訴えかけてくる。
「だって昔のエルクは絶対にそんな事言わなかったもん! 言わなかったもん!」
「に、二回も言わなくても……」
「最近のエルクは変だもん! 私の事露骨に避けてるし! かと思えばセラやミコットと隠れてこそこそ何かしてるし!! い、今みたいなセリフを言って二人を
まずい事になった……まさか二人に相談していた事がバレているなんて……。
「ち、違うんだよモニカ! 話を聞いて……」
「ばかばか! エルクのばかーっ! 二人を解放しなさーい!」
すっかりモニカの中では二人を僕が誑かした事になっているらしく、涙目になってぽかぽかと僕の胸当たりを叩いてきて、こっちの話は全く耳に入ってないらしい。
困った……どうして僕は彼女と喧嘩なんてしているのだ、今日は彼女に――好きだと伝えようと決めた日なのに。
* * * * * * * *
家が隣同士で、物心ついた時からモニカとはいつも一緒だった。
彼女は子供の頃から明るく活発で、太陽みたいな女の子だと思っていた。
いつも本ばかり読んで外で遊ばない僕とは正反対だと……。
外で遊ばずに本ばかり読んでいる僕は、他の子供達からすれば異質に見えたのだろう、僕はイジメの対象になった。
「本を返して! 返してよぉ!」
「うるせー! 俺達が折角誘ってやってんのにそんなに本がいいのかよ!」
「ち、違うよ……」
本は行商人である父が色んな地方で買ってきてくれた、聖女様の事が書かれた物で、様々な能力で人々を助けていく姿が描かれていた。
ご飯の時間も忘れ、村外れの木の幹に寄りかかって夢中になって本を読み続けていた所に、村では有名な悪ガキ3人組が通りかかって絡まれてしまった。
「あー! 俺分かった! これエロ本なんだろー!」
「まじかよー! 今度からこいつの事エロクって呼ぼうぜー!」
「やーいエロ本エロクー!」
「やめてよぉ……うぅ……ひっく……」
3人に囲まれて悪口を言われ続ける僕は、本を取り返す事も、言い返す事すら満足に出来ず、ただ泣いているだけだった。
そこに――。
「こらー! エルクをいじめるなー!」
「うわ、やべー! 男女のアルモニカだ逃げろー!」
「待てー! 本を置いてきなさーい!」
自分より体格も大きく、人数も相手は3人もいるのに、その女の子は全く怯む事なく悪ガキ達を追い掛け回していた。
そして――。
「はい、もう取られちゃダメよ?」
「……ううっ……あ、ありが……とうっ」
「あーもう! 男の子でしょ? いつまでも泣かないの、それとちゃんと言い返す!」
「う、うんっ」
「まったくもう……さ、早く帰ろう?」
そうして繋いだ手は暖かくて、優しくて、いつも僕を守ってくれていた。
それはまるで、本で読んでいた聖女様みたいで、僕は彼女の強さに憧れた。
しかし――僕とモニカが11歳になった時にとある事件が起きた。
その出来事をきっかけに、僕は彼女をどんな事をしてでも守ると決めたのだ。
そう、どんな事をしてでも――。
* * * * * * * *
とにかくこのままじゃ話もできないし、なによりモニカの叩いてくる強さがぽかぽかなんて擬音では済まないレベルになってきている。
「モニカっ! お願いだからちょっと落ち着いて僕の話を聞いて……」
「落ち着いてられる訳ないじゃない!? セラとミコットは親友だって思ってたのにこれだけは言えないって何にも話してくれないし! エルクは私と目を合わせただけで逃げちゃうし! 身長だって私の方が高かったのにいつの間にか抜かれてるし!」
「違うんだよ! 二人には相談に乗って貰ってただけで……っていうか身長は今関係無いよね!?」
モニカの勢いに釣られて、つい僕も大きな声で反論してしまう。
違う、僕が言いたいのはこんな事じゃなくて――。
「だって! だって……やっぱり私が……」
「モニカっ!」
彼女の涙目だった碧い瞳から雫が零れ落ちた瞬間――思わず彼女の華奢な体を抱きしめていた。
少しでも彼女の不安を取り除きたくて、それ以上先を言わせたくなくて、意識して声のトーンを落として囁きかける。
「ごめん、こんな風に露骨に避けられたら気分も悪いよね……本当にごめん」
「……」
「二人には相談に乗って貰ってて、モニカには絶対に言わないでって僕が頼んだんだ」
「……それって、私が嫌い……だから?」
「違うよ! ああもう……今夜にって決めてたのに……」
今夜に向けて色々準備をしていたものが無駄になってしまうけど仕方ない、モニカをこれ以上不安にさせてまで夜まで待たせる訳にはいかない――僕は意を決して抱きしめていた彼女を離し、口を開く。
「ずっと前から貴女が好きです、モニカ――僕と、付き合ってください」
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