霧の街のニュートン探偵事務所

5

「記憶を失う前の私は、一体、何をしようとしたのかしら……」

　アサキは、小首を傾げながら呟いた。

「うむ、彼の姿を元にもどす方法を見つけてそれを実行しようとしたんだろうね……方法はわからないが」

　アサキは、バッグを開くと中身を見直した。

「何か思い出したことでもあったのかい？」

「ううん。でも、もう一度見れば、何か思い出せるかも……」

　そう言うと手紙と便箋を取り出した。

「その手紙は、何も書いていなかった」

「……もしかして、これから書こうとしていたんじゃないかしら？」

「アサキ。君は冴えているね。とすると、手紙を書く理由を考えれば手がかりのヒントになるかもしれないのだが」

「うーん……何を書こうとしたのかなぁ」

　アサキは、思い出そうとしたが無理だった。記憶は霧の中で立っていた時からしかない。

「ちょっと貸してくれたまえ」

　ニュートンは、手紙を透かしてみた。

「この手紙の前に何か書いていたようだね。筆跡がついている……なにか読み取れるぞ」

　ニュートンは、ホテルのフロントに来ると黒ウサギに声をかけた。

「すまないが、鉛筆あればお借りしたいのだが」

「あるよ」

　ニュートンは、鉛筆を借りると便箋を塗りつぶした。見ると筆圧の跡が白く浮き出てくる。

「すごいわ。ニュートンさん」

「うん、でも、読み取れるところと読み取れないところがあるね。ちょっと待ってくれ……えーと、”Mr.ロドリック・リントン”……42 コートロード通り……」

「そこなら知ってるぜ」

　黒ウサギが言った。

「住宅街さ。穏やかなところだよ。住むにはいい場所かな。この辺りとは大違いだね」

「その”42 コートロード通り”に住む”ロドリック・リントン”さんに手紙を出そうとしていたのかしら？」

「もしくは、出したのか。君の知り合いかもね」

「もしかしたら私の家かも。私は旅かなにかに出ていて……で、手紙を……」

「旅にしては、ちょっと場所が近いな」

「例えですよ」

「それにロドリック・リントンさんは、君の家族じゃないと思うよ」

「ニュートンさんは、よく言うじゃないですか。そうかもしれないし、そうではないかもしれない……って」

「それが今回はいい切れるんだ。アサキ、君は、301号室で花瓶の横に置かれていたものに気がついたかい？」

「花瓶の花は枯れていた」

「それも、気になるが、花瓶の横に認識票（タグ）が置いてあった」

「認識票って？」

「おねえちゃん、認識票（タグ）ってのは、軍隊で支給される物でそいつがどこの何者か名前と番号を打ち込んだ札だよ」

　黒ウサギが言った。

「戦場で死んじまっても誰の死体かわかるように」

「お、教えてくれてありがとう。黒ウサギさん」

　黒ウサギは、肩をすくめた。

「部屋から出る時に見ておいたんだが、認識票（タグ）に打ち込まれていたのは”ロドリック・リントン”だったんだよ」

「じゃあ、あの人……バラックさんがロドリック・リントンさん？」

「君は、リントンの家に手紙を出したわけだ」

「記憶を失う前の私は、バラックさんがリントンさんって知っていたってことだね」

「そうか、やっぱり偽名か。そうじゃないかと思ったんだ！　ほら、言ったとおりだったろ？」

　黒ウサギは、興奮気味に言った。

「とにかくこの住所に行ってみようか。もっと何かわかるかもしれない」

「はい！」

「なあ、アンタら何者なんだい？　ただ荷物を届けに来ただけじゃないだろう？」

「ああ、僕は探偵だ」

「そっちのオネエチャンもかい？」

「え？　ああ……私は……」

　アサキは、少し考えた後、答えた。

「た、探偵助手です」