第15話 第四章・旅立ち(3)
それからすぐ、ラーラは、マヤの元へ向かった。
何度も何度も話題に出てきた女。彼女に頼る以外ない。
村の端に、一人住むマヤ。今まで親密に話したことはなかった。彼女にはどこか近寄りがたい雰囲気を感じていたからだろう。まさか、そのマヤを頼るときが来るなんて。
ラーラは緊張しながら、家の扉を叩いた。木の乾いた音が頼りなく響く。
「マヤさん、ラーラです」
まだ日が高く、脳天が暑くなっていく。そろそろ夏になろうとしている太陽は、勢いを増している。
しばらくの後、遠慮がちに扉が狭く開かれた。
「どうしたの?」
少し警戒したような、それでいて心配を含んだ清らかな声が返ってくる。この一族はみな色が白いが、マヤは別の意味で白い。まるで血液が通っていないかのようだ。ラーラと同じ黒く長い髪は、顔の脇でひとくくりにされている。くくっているアクセサリーは、グロリアが作ったものだとすぐに分かる。赤い石を基調とした飾りだ。それは美しい黒髪にとても似合っている。
「相談したいことがあって」
そう切り出すと、ちょっと首をかしげて、そして扉を大きく開いてくれた。独特の臭いがする。悪臭に近いが、ラーラは表情を崩さなかった。
「ラーラ、大丈夫?」
言葉は少ないが、ラーラの身を案じてくれる声だった。口数が少ないのはいつものこと。心配はしてくれているみたいだった。ここ最近で起きたことを案じてくれているのだろう。家からほとんど出ないし、近寄りがたい雰囲気だが、優しい人であるとわかって、少しだけほっとする。
招き入れられ、部屋に入る。窓も閉め切り、昼間なのに暗い。椅子に座りながら、ラーラは口を開いた。
「ごめんなさい。騒がせちゃって」
キッチンに立とうとするマヤを、ラーラは引き止めた。今日はのんびりお茶を楽しむために来たわけではない。お互い椅子に座り、それからしばらく沈黙が流れる。
掌から、冷たい汗が吹き出してきた。覚悟をしてきたつもりだったが、恐怖には勝てなかった。
「……あの」
「何?」
震える声で、切り出す。
「マヤさんが飲んだという毒、私も飲みたい」
さすがのマヤも目を丸くした。そして、小さく震えだす。
「そんなもの、渡せるわけないでしょう。死に急ぐなんてダメよ」
ラーラは首を横に振る。
「死にたいのではないの。マヤさんと同じ体になりたい」
一瞬、マヤは瞬きすら止め、それから手で顔を覆った。
「グロリアに聞いたのね……絶望しているのは分かるけれど、命を落とさない保障なんてないの。私は運がよかっただけでそんなに都合よくはいかない」
珍しく口数の多いマヤを、ラーラはさえぎる。
「絶望しているのではないの。私は、未来を変えるために毒を飲みたいの」
「どうして?」
わからない、という風に首を振る。
「マヤさんと同じ体になれば、私は街へ自由に行ける。そうすれば、いろんなことが分かる。この一族が幸せになれる方法が見つかるかもしれない」
強い口調のラーラに、マヤは少したじろいだようだった。
「グロリアには、相談したの?」
「いいえ。反対するに決まってるから」
「当たり前よ」
はぁ、とマヤは深いため息をついた。
「まずは、グロリアと相談してからにしなさい」
「嫌です! 反対されたら私の計画が潰れて、この一族に平和など訪れない。私は希望を、これにかけているの」
「正気?」
立ち上がるラーラを、なだめるように見つめた。深い深い、吸い込まれるような黒い瞳。そこに、狂気の色はない。ラーラが求めてやまないものだ。
「私がやらなければ、この一族は……」
「臆病な私を非難しているのね」
自らを馬鹿にしたような笑みを見せる。悲劇を起こさない体になったというのに、雑用しかしない自分を嘲笑っているのだろう。
「そういう意味じゃ……」
「そうじゃない。私は結局、死ぬことも、希望も見つけることも出来ない人間なのよ。そんな人のために、あなたは命をはって毒を飲もうというの?」
くだらない、と言わんばかりにはき捨てた。逆に、その挑発でラーラは冷静さを取り戻した。
「私たちは、残り少ない一族の仲間だもの。全員が幸せになって欲しい」
ラーラはすとん、と椅子に座りなおした。マヤは苛苛とした顔をおさめ、試すような瞳でラーラを見た。
「あなたの命を保障しないわよ。私は死にたくて毒を飲んだのだから。今も、体は不自由。体調が優れない日も少なくないの。時たま街に行くのが精一杯なのよ。どんなに興奮しても赤くならない瞳と引き換えにね」
それが、顔の白さと家にこもっている理由か。しかし、それでラーラはたじろがない。
「でもうまくいけば」
ラーラの熱意が伝わったのか、マヤは両手をあげた。
「わかった。毒はあげる。私が飲んだ量と同じ量を。それをいつ、どれだけ飲むかはあなたに任せる。私は知らないわよ。それでもいい? いざという時、子供も産めなくなる」
「それでいいです」
ラーラは熱のこもった声で返した。子供は、すべてがうまくいってからのお話だ。今考えることではない。
マヤは部屋の奥に入り、何かを手に握って戻ってきた。
「また絶望したら、これを飲むつもりだった。昔、誰かが命を絶ったというこの根は、亡くなった母がずっと保管していたの。私が飲んで、もう残りはないって村のみんなには嘘をついていたけれど、自分のために残していた。この弱った体では、今度こそ助からない。でも、やっぱり怖くて飲めなかった」
コトン、と机の上に置き、椅子に座った。
「でもそれは、あなたに希望を託すために残しておけ、ということだったのかもしれないわね」
しかし、表情は晴れない。ビンを凝視したまま、眉をひそめている。
ためらっているのだ。毒を人に渡すとき、何も感じないわけではない。
「やっぱり渡すことは……」
拒否の姿勢を悟ったラーラは、マヤが再びビンを手にする前に、奪い取った。
「やっぱり待ちなさい。グロリアが悲しむわ」
いつも顔色が優れないが、今はさらに色白く感じる。でも、ラーラには確信があった。
「私は、死にません」
呆れたような顔。これから毒を飲もうという人間の言葉ではない。しかし、確証があったのも事実だ。
「きっと、大丈夫」
根拠の無い言葉だが、マヤは椅子にもたれ、脱力したようだった。
ゼフィラにたくされたのだ。ラーラには二人分の命がある。
「私がグロリアに責められるのはごめんよ」
「大丈夫です」
「具合が悪くなるかもしれない。私のように」
「私、頑丈なんで」
「死んだって何もしてあげないからね」
「死にません」
マヤは少しだけ歯を見せて笑った。初めて笑顔を見た気がした。
「あなたなら、本当に大丈夫そう。使い方は簡単。水で洗ってからすりつぶして、飲み込むだけ」
でもね、と真剣な顔になる。
「渡したことに罪悪感が残るから、絶対に死なないでよ」
そして、後ろを向いた。その間に出て行って欲しいのだろう、と思い、ラーラはマヤの家を後にした。一見自分勝手なような振る舞いをするが、けっして冷たいわけではない。
小さな青いビンに詰められたそれは、泥がつき、曲がりくねっている。
この毒が、未来を変える材料となるのであろうか。
その日の夜、グロリアが機織をしている隙にベッドルームで根をすりつぶし、飲み下した。
死ぬはずは無いと思って、グロリアに対し何も書置きをしなかった。けれど、体中を走り抜けるあまりの激痛に、少し後悔してしまう。
それからの記憶は、激痛にうなされるか、まどろむかのどちらかしかなかった。
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