第13話 第四章・旅立ち(1)
村につくなり、ラーラはすべてをグロリアに話した。寝ずに待っていたグロリアは、充血させた瞳をさらに赤くさせた。
「本当にごめんね。ラーラを信じて話すべきだった」
顔を覆い、声をくぐもらせるグロリア。そんな母の姿を見ていられず、目を閉じて首を振った。
「聞いていたら、それはそれで興味を持って街に下りてしまったかもしれない。後悔はやめよう。ヴィックさんは生きているんだから」
二人は、とりあえず、と椅子に座った。なんだか、グロリアがいつもより優しい。けれど、いつものように厳しく、明るくしていて欲しかった。いつもと違う日常は、不安さを煽るだけだ。
「あのね、母さん」
森で泣きながら考えたことを口にする。
「何?」
「もしかしてこの種族を私たちの代で終わらせるつもりだったの?」
グロリアは言葉につまる。そして、顔を伏せながら声をしぼりだす。
「……その通りよ。あまりに不幸な出来事が続いたから。街の人にも、不信感を与えてしまったし……。森が守ってくれていなかったら、もしかしたらその人たちに滅ぼされていたかもしれない」
ラーラは複雑な気持ちだった。それは、悲しいことのようにも思えたし、こんなことになるぐらいなら、種族が滅亡しても仕方のないことだとも思えた。
「本当は、母さんたちの代で終わるつもりだった。いいえ、ずっとずっと、先祖様はそう思っていた。けれど、恋すること、人を愛することは止められなかった」
誰かの命を犠牲にしなければいけない種族など、滅んでしまえばいいのに。
先祖たちはずっと、その思いにかられ生きてきたのだろう。
「実際、この種族の人口は減った。残りはここにいる十人だけ。不思議なことに、女しか生まれないの。そうじゃないと、種族同士でこの不幸な出来事が起こってしまうからかしらね」
悲しく笑うと、グロリアは伸びをした。
「とにかく、あなたも体を休めなさい」
「平気だよ」
「ダメよ」
グロリアは母親の顔で厳しく言った。その顔がヴィックの母親の面影と重なり、ラーラはまた目頭が熱くなった。
でも、もう、泣かない。
「ゼフィラのところに行きたいの」
グロリアは沈んだ顔を見せそうになったが、すぐに笑顔を取り繕った。
「そうね。ラーラが一番親しかったんだから、勇気付けてあげなさい。ゼフィラはあなたと違って繊細だから、いろいろショックを受けているかもしれないわ」
やっぱり、この村ではゼフィラが優遇される。でも、それでいい。
「ゼフィラは、私の妹だから」
その言葉に、グロリアは驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔になった。つられてラーラも笑った。
その後、軽く食事を摂った。落ち込んだからといって食べないわけにはいかなかった。
けれど、さすがにグロリアは腕を振るうことなく、パンとジャムが食卓に並ぶだけだった。二人は無言でそれを口に運ぶ。
ヴィックが一人で住む部屋よりも、少しだけ狭い家に、身を寄せ合うようにして生きてきた。
「私、この村のこともっと知りたい。教えて」
ぼそぼっそとしたパンを唾液で湿らせながら噛む。うまくしゃべれず、ラーラは水を飲んだ。
「母さんたちはなにも知らないの。これ以上は、本当に何も」
グロリアは首を振る。ほとんど村から出たことが無いのだから、それも仕方ないのかもしれない。ラーラは歯がゆくて思わず唇をかみ締める。それならば、とため息とともに口を開く。
「どうにかしよう、って思わなかった?」
グロリアは、ちらり、と窓の外を眺め、ラーラに視線を戻した。そして、潤んだ瞳を隠すようにうつむいた。
「私たちは、世界と関わりあいたくなくなってしまった臆病者なの」
悲しそうに呟き、パンをかじる。
世界と関わりあいたくないという気持ちはわかる。未遂に終わったものの、あの絶望を、もう二度と味わいたくないのはラーラだって同じだ。けれど、それでは前に進めない。
「私、調べようと思う」
グロリアはパンをかじる手を止めた。
「調べるって、何を」
「私や、母さんやみんなが、将来、自由に生きていける方法を。普通の人間になるための方法を探す」
しばし沈黙したグロリアは、視線を落とした。手はテーブルの上で、パンをいじっている。あまり食は進まないようだ。
「それは、いつの時代の人だって調べてきたわ。それでも解決法なんて見つからなかった」
「でも、時代は変わっているの。海の外には違う世界もある。もっと広い世界がある」
海、といって、あのニオイを思い出した。潮のニオイ。胸に下がる小ビン。
果たせなかった夢を叶えたい。
「怖くないの? 世界が」
ラーラはうなずいた。不思議と怖いものなんかなかった。小さく微笑むと、グロリアは頼もしそうに娘を見た。しかし、顔をしかめる。
「反対よ。今回はよかったけど、いつ悲しいことが起きるか」
「うん……」
それはそうだ。しかし、どうしても黙ってなどいられない。
諦めたように、紅茶を飲んだ。しかし、ラーラの好奇心は、一度発動したら止まらない。
どうしよう。どうしたら、みんなが幸せになれる?
咀嚼するリズムに合わせ、頭をめぐらせる。
そこで、思わずそのリズムを止めた。
いい案が浮かんだ。これだ、これなら……!
そう思うと気合が入り、とにかく自分が元気でいることが一番だと思った。そうすれば、おいしくない食事だって食べられる。
世界は恐しくなんかない。私たちの未来を作るためならなんでもやる。
気合を入れ、ラーラはパンを飲み込んだ。
食後、着替えなどをし、ゼフィラの家に向かった。太陽はほとんど頂点に達し、暖かい日差しを降らせていた。ポプリの綿毛が、数を増して空を舞っていた。
いつだったか、グロリアはこれを『春の雪』と呼んでいた。まさにそのとおりだと思う。
大丈夫かな、ゼフィラ。落ち込んでいるのは間違いないだろう。ラーラだって、自分ひとりが聞かされていたらもう少し落ち込んでいたに違いない。
けれど、守るものがあるというのは、ラーラを強くいさせてくれた。お姉さんだから、しっかりしなくては。
コンコン、とゼフィラの家のドアをたたく。少し、その手が震えていた。
出てきたゼフィラの母は、目を赤くしていた。グロリアのように。
「申し訳ありません」
開口一番、ラーラは頭を下げた。ゼフィラの母には何を言われても仕方のないことをしたのは自覚している。
しかし、ゼフィラの母はそっとラーラの頬に手をあてた。驚いて顔を上げると、ゼフィラの母はその腫れた頬を見て呟いた。
「グロリアがやったのね。あの人、昔からすぐに手を出すから……痛かったでしょう」
ゼフィラに受け継がれた穏やかな性格は、ラーラを余計悲しくさせた。
ゼフィラの母に何も制裁を受けないままなんて。
「私のことはいいんです。ゼフィラは……」
「ベッドにもぐりこんで出てこないの。やっぱり、ショックよね……。でも、何もなくて本当によかった。マヤには感謝だわ」
自分のことのように言った。昔、誰もがこの悲しみの上で子を産んだ。それを思い返しているのだろう。同じ悲しみを、ゼフィラは味わうことなく済んだ。
「話、出来ませんか」
ラーラが懇願すると、ちょっとためらってからうなずいた。
「返事、してくれないかもしれないけど」
部屋に招き入れられ、ラーラは緊張しながらゼフィラのいる部屋に通された。
ラーラの家とは違い、ベッドはみっつある。親子三人で住んでいるからだ。その中央のベッドが盛り上がっていた。
「ゼフィラ、大丈夫?」
少しその盛り上がりが動いたが、特に返事はなかった。
側に寄り、ラーラは隣のベッドに腰を下ろした。
「ごめんね、ゼフィラ。私が街に行こうなんて言ったから」
しかし、返事はなかった。
「大丈夫、元気を出して。私がついてるから」
けれど、ゼフィラは何も言わなかった。
繊細なゼフィラ。あれだけ瞳を輝かせていたのはつい最近のことだったのに。
「恨み言はいくらでも聞くから。だから……」
ゼフィラの元気がないと、ラーラまで元気がなくなってしまう。
でも、原因はラーラだ。今、好きなだけ罵ってくれたらいいのに。罵る元気もないなんて。どうすればゼフィラの笑顔を取り戻せるのだろう。
そのためにも、解決策を見つけなければいけない。どれほど困難な道だとしても。
これ以上話しても無駄だと思い、ラーラは立ち上がった。
「また来るからね」
声をかけて部屋を出た。結局、一言も聞けなかった。そこまで落ち込んでいるのはきっと、ラーラと同じ理由であろう。
二度と、好きな人に会えないとわかったから。
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