続々編-蒼き薔薇と不協和音-

プロローグ『涼しい日々』

続々編-蒼き薔薇と不協和音-




 9月23日、金曜日。

 僕・氷室智也が今の会社に転職してからおよそ3ヶ月。暑かった気候もすっかりと和らぎ、涼しいと思える日も多くなってきた。陽が沈み、夜になると肌寒い日も。今年もいよいよ秋がやってきたのだと思わせてくれる。

 今日は定時で仕事が終わったため、同棲している高校生の恋人・朝比奈美来に、


『仕事終わったよ。家に帰って夕ご飯を作るね』


 というメッセージを送った。

 すると、すぐに『既読』マークがついて、


『分かりました。夕ご飯楽しみにしていますね。お仕事お疲れ様でした。私もさっき部活が終わったので、今から帰りたいと思います』


 という返信が美来から届く。その文言を見て心が温かくなる。そんな中で快速急行の電車に乗り、自宅の最寄り駅である桜花駅へと向かい始める。

 美来の通っている私立天羽女子高等学校は、来週末に学園祭が行なわれる。そのために、今の時期、美来はクラスの出し物であるメイド喫茶の準備や、声楽部が開催するコンサートの練習をしている。

 そこで、美来の負担を少しでも減らすべく、学園祭が終わるまでは、定時に仕事が終わったら僕が夕食などの家事を行なうことにしているのだ。これを機に、家での家事を2人で一緒にやってきたい。これまでは美来がほとんどしてくれていたので。


「元気になりそうで、栄養のある料理を作りたいな……」


 そう考えるのは、一昨日、美来が声楽部のコンサートの練習を頑張りすぎて、体調を崩してしまったからだ。喉の調子がおかしくなり、熱が出てしまった。

 幸いにも、一晩寝て体調は良くなった。昨日は秋分の日で学校も休みであり、自宅で静養したこともあってか、今日になったらすっかりと元気になっていた。

 具合が悪くなった一昨日のときも特に胃腸が悪くなったり、お腹を壊したりしていなかったし、今朝も朝食はしっかりと食べていた。今朝の冷蔵庫の中を思い出し、


「肉野菜炒めにしよう」


 最近食べていなかったからな。あと、美来は食べ物の好き嫌いがあまりないので。ただ、料理のレパートリーを増やしていきたい。

 遅延や運転見合わせをすることなく、僕の乗る電車は桜花駅へと到着した。

 電車から降りると、反対方面からも電車が到着していた。なので、改札を出るときに周りを確認してみたけど、美来の姿はなかった。天羽女子の制服を着た女の子はちらほらいたけども。

 桜花駅を出て自宅のあるマンションに向かって歩き始める。夜になり、空気も大分涼しくなったので、歩いたことでの体の温もりが心地よく感じられる。


「もうすっかりと秋だな」


 今でさえこんなに涼しいんだから、来月の半ばにある声楽コンクールの本選が行なわれる頃には肌寒くなっていそうだ。

 そんなことを考えながら、僕は自宅に帰る。もちろん、自宅に美来の姿はなかった。

 部屋着に着替えて、さっそく夕ご飯の肉野菜炒めと中華スープを作る。食欲のそそる匂いがしてくるなぁ。お腹空いてきた。


「……美来、これから帰るってメッセージくれたよなぁ」


 いつもよりも遅いな。途中で買い物をしているのかな。それならいいけれど、つい最近具合が悪くなったので心配だ。

 夕ご飯は美来が帰ってきてから食べるつもりなので、今のうちにお風呂の掃除をして、いつでも入浴できるように準備しておこう。


「美来も元気になったし、明日は休みだから美来と一緒にゆっくり入りたいな」


 文化祭も近いけれど、今夜くらいは美来との時間をゆっくりと過ごすことができればいいな思っている。朝晩中心に涼しくなってきて、お風呂がより気持ちいい季節になってきたし。

 お風呂掃除が終わって、お湯張りのボタンを押したとき、


「ただいま~」


 美来の元気そうな声が聞こえてきた。

 玄関に向かうと、そこには学校から帰ってきた美来の姿が。一昨日とは違って元気だ。あと、学校のバッグだけじゃなくて、白い紙袋も持っているな。


「おかえり、美来」

「ただいま帰りました。桜花駅の駅ビルで買い物をしてきたので、ちょっと遅くなっちゃいました」

「そうだったんだ。それなら安心だよ。この前具合が悪くなったから、体調を崩して途中の駅で休んでいるのかなと思ってさ」

「ふふっ、心配してくださってありがとうございます。そう言ってくださったのは智也さんだけではなく、乃愛ちゃんや亜依ちゃん、声楽部のみなさんもですが。今日はちゃんと体のことを考えて、メイド喫茶の準備やコンサートの練習をしてきました。ですから、疲れはありますが元気ですよ」

「良かった。今日もお疲れ様。さあ、夕ご飯はできているから、美来は着替えてきて」

「分かりました。美味しそうな匂いがして、もうお腹がペコペコです。着替えてきますね」

「うん」


 美来が部屋着に着替えてきている間に、僕は夕食の配膳をすることに。美来が元気で、2人分の食事を用意すると幸せな気分になるな。

 程なくして、美来はいつものメイド服姿でリビングに登場する。涼しい気候になったからか、長袖のロングスカート姿で。こういうところでも季節の移り変わりを実感する。


「肉野菜炒めに中華スープですか! 美味しそうですね」

「美来は病み上がりだし、栄養のバランスが取れるものがいいと思って。さあ、さっそく食べようか」

「はい! いただきます!」

「いただきます」


 僕は美来と一緒に夕食を食べ始める。これでようやく一週間が終わったんだと思える。


「野菜炒め美味しいです!」

「味見はしたんだけど、美来にそう言ってもらえて良かった」

「ふふっ、智也さんは料理がお上手ですよ? ……あぁ、中華スープも美味しい。段々と涼しくなってきましたから、温かいものがより美味しくなりますね。安心できるといいますか」

「安心できる……か。それ分かる気がするな」

「ほっとできますよね。温かいですから」

「……ふふっ」


 笑ってしまったけど、美来はそのつもりで言ったんだよな。

 美来が美味しいって言ってくれたからか、味見をしたときに比べて格段に美味しく思える。ただ、美来の料理の方が断然に美味しい。美来は料理が上手だと言ってくれたけど、腕を上げないといけないな。


「そういえば、買い物をしてきたそうだけど、文化祭に使うものかな。僕も今の時期に羽賀や岡村と一緒に買い出ししたことがあったからさ」

「いえ、文化祭のためのものではありません。まあ、使おうと思えば使えますけど。何を買ってきたのかは後でのお楽しみということで」

「そっか、分かった」


 後で分かるんだったら、今は詳しく訊かないでおこう。美来の可愛らしい笑顔を見る限り、楽しそうなものを買ってきた気がするから。


「文化祭もあと1週間くらいだけれど、準備は進んでいるのかな」

「クラスの方も部活の方も順調に進んでいます。一昨日は喉の調子が悪かったですけど、今日はちゃんと声を出すことができて安心しました。健康な体が何よりも大切なんだって実感しました」

「そうだね。具合が悪かったら、綺麗な声を出せなくなっちゃうし、文化祭を思う存分楽しめないからね」

「同じようなことを乃愛ちゃんや花音先輩にも言われました。本当に気を付けなければいけませんね」


 そう言って、美来は夕食をもぐもぐと食べている。この調子なら、よほど無理をしない限りは大丈夫そうな気がする。家に一緒にいるときを中心に僕も気に掛けるようにしよう。


「部活の方はこの調子でいけば大丈夫なんだね。クラスのメイド喫茶の方はどうかな?」

「順調ですよ。メイド服も手作りで、家庭科部の子や接客担当の子を中心に作ってくれていて。提供するメニューも決まって、ホットケーキなど提供するスイーツ作りを料理担当の子が練習しています」

「そうなんだ。順調に進んでいるなら良かった」

「はい。来週の木曜日と金曜日は授業がなくて、文化祭の準備の日になるので、きっと大丈夫だと思います」

「天羽女子にもそういう日があるんだね。面倒だったり、大変だったりするときもあるけど、準備の日も楽しいんだ。授業がないからかもしれないけれどさ」

「授業がないのは魅力的ですよね。準備の日を含めて楽しみたいと思います」

「それがいいと思うよ」


 懐かしいな。部活に入ってなかったから、羽賀や岡村と一緒にクラスの方の準備をやっていたっけ。岡村はたまにサボって行方不明になっていたけれど。

 あと、美来、乃愛ちゃん、亜依ちゃんは接客担当で、先週末にここで家にあるメイド服姿になって接客の練習を行なった。僕と玲奈ちゃんがお客さん役で付き合って。3人とも練習を重ねるうちに落ち着いて接客できるようになったので、きっと本番でも大丈夫だろう。

 それにしても、文化祭で着るメイド服は手作りなのか。どんなメイド服姿を見せてくれるのか楽しみだな。特に美来は。


「智也さん。今、手作りのメイド服を着た私のことが楽しみだと思っていたでしょう」

「バレちゃったか」

「ふふっ。文化祭当日を楽しみにしてくださいね」

「うん。それを励みに来週の仕事は頑張れそうだよ」

「では、智也さんが来店したときには、普段お仕事を頑張っているご褒美も兼ねて精一杯のおもてなしをしますね」

「楽しみにしているよ」


 もう明日にでも文化祭をやってほしいよ。早く文化祭でのメイド服姿の美来を見てみたい。許されるのなら、その姿を写真に収めたい。

 文化祭話に花を咲かせて、夕食を美味しく食べたのであった。

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