第3話『従妹』

 桃花ちゃんは僕を一目見た瞬間、僕のことをぎゅっと抱きしめてきた。この優しい温もりと彼女の匂いは変わっていないけど、女性らしく成長したためか、以前よりも柔らかな感触がしっかりと伝わってくる。


「お兄ちゃんの匂い、変わってないなぁ。懐かしい。私、お兄ちゃんの匂い好きだよ」

「そ、そうなんだね」


 桃花ちゃんは僕の胸に頭をすり寄せてくる。

 思い返せば、桃花ちゃん……僕にくっついていることが多かった気がする。こうして僕のことを抱きしめてきたことは何度もあったっけ。普段は大人しいけど、僕に対しては甘えん坊だったのだと今になって分かる。


「お兄ちゃん、ひさしぶりに会ったけれど本当にかっこよくなったよね……」

「そうかな? ありがとう。桃花ちゃんも可愛いまま成長したね」

「お兄ちゃんがそう言ってくれるの、とても嬉しいよ。そういえば、6月くらいに間違えて逮捕されちゃったよね。そのときは大丈夫だったの? すぐに釈放されたから良かったけど、あのときはとても心配で……」

「担当した警察官が僕の親友だったからね。無実を証明してくれたよ。ただ、僕の無実が証明されても、私生活には色々な影響はあってね。もちろん、今はちゃんと転職して仕事ができているから安心して。心配かけちゃってごめんね」

「いいんだよ。それにしても良かったよ。お兄ちゃんが犯罪なんてしないって信じてたよ」


 親戚中から連絡があったと両親から話を聞いていたけど、こうして実際に桃花ちゃんから心配だと言われると……僕は本当にたくさんの人を不安にさせて、迷惑を掛けてしまったのだと実感する。今後、何かの機会があったら、自分自身の言葉で、親戚のみなさんに僕はもう大丈夫であることを伝えたいな。


「ありがとね。事件が起きたときはここにも電話したみたいだね」

「うん。でも、伯父さんも伯母さんもお兄ちゃんは絶対にやっていないって言っていたから、それを信じてた」

「……そっか。僕を信じてくれてありがとう」


 桃花ちゃんの頭をゆっくりと撫でると、彼女は柔和な笑みを浮かべた。何だか、今みたいなことを昔は何度もしていたような気がする。


「そういえば、お兄ちゃん。そちらの金髪の女の子は? 私のことをじっと見つめているけど」

「……えっと、ね」


 桃花ちゃんと話していたから、美来が僕の側にいることをすっかりと忘れてしまっていた。美来の方を見てみると、無表情で僕達のことを見ていた。


「智也さんが、従妹の女の子と幸せそうに抱きしめ合っている……」


 あはは……と、表情のないまま、力の抜けた笑い声を出されると恐いな。今のこの状況にショックを受けているのだろう。


「美来」

「……あっ、はい! すみません。その……有紗さん以外で智也さんのことをぎゅっと抱きしめる女性を見たのは初めてだったためか、衝撃が大きくて。気持ちが遥か遠くへと飛んでいっていました」

「そ、そうだったんだね」


 結婚を前提に付き合っている今だからこそ冷静だけど、もし、僕と再会するまでに今みたいな状況を見ていたら、気を失っていたかもしれないな。


「桃花ちゃん、彼女は結婚を前提に僕と付き合っている朝比奈美来。そして、美来。彼女は僕の従妹の恩田桃花ちゃん」

「初めまして、朝比奈美来といいます。まだ、高校1年生の16歳ですが、智也さんとは結婚を前提にお付き合いさせてもらっています」

「ああ、この子が昨日、伯母さんが言っていたお兄ちゃんの恋人さんだったんだね。初めまして、恩田桃花です。大学1年生でまだ誕生日が来ていないから18歳だよ。智也お兄ちゃんとは従妹で、昔はよくお盆やお正月に一緒に遊んでいたの。……って、恋人の前でお兄ちゃんに抱きしめちゃった。ごめんね、昔の癖っていうのかな……」


 桃花ちゃんは照れ笑いをしながら僕から離れた。この様子からして、桃花ちゃんの性格はさほど変わっていないようだ。ひとまずは安心かな。


「それにしても、お兄ちゃんに彼女かぁ。しかも、結婚前提で。美来ちゃんは凄く可愛いし、背も高いし、スタイルがいいし、金髪だし。ところで、に、日本の方ですか? ジャパニーズ?」

「純粋な日本人ですよ! この金色の髪は母親譲りなんです」

「へえ……」


 桃花ちゃん、美来のことを物珍しい感じに見ている。友達の仁実ちゃんのような茶髪は見慣れていても、金髪の子を見たことはこれまであまりなかったのかな。


「桃花ちゃん、いらっしゃい」

「あっ、伯母さん! おひさしぶりです」

「そうねぇ。10年ぶりくらいかしら。随分と大きくなったわね。暑かったでしょう。冷たい麦茶を出してあげるから」

「ありがとうございます、お邪魔します」

「このスーツケースは玄関に置いておこうか」

「そうだね、お兄ちゃん」


 桃花ちゃんは家に上がってリビングの方に向かっていった。


「桃花さん、写真での可愛らしい雰囲気を保ったまま成長していますね。そして、智也さんのお話通り、智也さんに甘えている感じがします」

「そうだね。でも、警戒する必要はないと思うよ。美来が僕の彼女だと知って慌てて離れていたくらいだから」

「……そうですね」


 と言って笑顔は見せているものの、いつものような笑みではない。はっきりと作り笑顔であると分かる。どこか不安な気持ちがあるんだろう。


「美来」


 美来の名前を口にして、僕は彼女の額にキスをした。

 すると、美来は驚いた様子を見せていたけれど、それは一瞬のことで、頬を赤くして僕のことを見つめながら、


「ビックリしちゃったじゃないですか」


 もう、と呟きながらも笑みを見せた。うん、さっきよりもいい笑顔になったな。

 リビングに戻ると、さっき僕と美来が座っていたソファーの端の方に桃花ちゃんが座っていた。

 桃花ちゃんのことを気遣ってなのか美来はソファーの端の方に腰を下ろした。なので、自然と僕は2人の間に座る形に。

 母さんがいないと思って周りを見渡すと、台所で昼食の準備をしていた。


「いやぁ、桃花ちゃん、大きくなったね」

「こうしてお会いするのは、10年ぶりくらいですもんね。ここに来るのも久しぶりです」

「今はもう大学生くらいだっけ?」

「はい。この春に緑山学院大学の文学部に入学しました」

「へえ、緑山学院か。それは立派だ。あんなに小さかった桃花ちゃんがもう大学生なのか。時間が経つのって早いもんだな」

「そうですね」


 父さんの言う通り、時間が経つのはあっという間だけど、振り返ってみると10年前のことがとても昔のように感じる。そう思うのも、10年ぶりに美来と再会したことが影響しているとだろうけど。


「そうだ、桃花ちゃん。これ、智也と美来ちゃんが先日、旅行に行ったときに買ってきてくれたゴーフレットだから食べな」

「そうなんですか。お兄ちゃんと桃花ちゃん、新婚旅行も済ましていたんだね」

「まだ智也さんとは結婚していないので、正確には婚前旅行になりますが……とても楽しかったです。……とっても」


 どの場面を思い出しているのか、美来は顔を真っ赤にしながら答えた。ただ、とっても幸せそうだ。


「ふふっ、美来ちゃんったら可愛いね。お昼ご飯が近そうですけど……お言葉に甘えて1枚いただきます」


 そう言って、桃花ちゃんは抹茶ゴーフレットを1枚食べる。


「美味しい!」


 甘いものを食べることができたのか、桃花ちゃんは幸せそうな様子を見せる。そういえば、桃花ちゃんは甘い物好きで、夏休みに遊びに行ったときには叔母さんの手作りゼリーを一緒に食べたっけ。


「そういえば、桃花ちゃんは智也と美来ちゃんが住んでいる家に泊まるってことでいいのよね?」

「そうです。昨日、美来ちゃんからOKをもらったと伯母さんから聞いていますけど……どうかな? あれから気持ちが変わったりした?」


 さすがに僕らの自宅に泊まるだけあって、桃花ちゃんは美来本人から気持ちを聞きたいようだ。


「いえ、変わっていません。今日から家に泊まりに来てください」


 美来は落ち着いた口調で桃花ちゃんにそう言った。


「ありがとう、美来ちゃん。お兄ちゃんも今日からよろしくお願いします」

「うん」

「じゃあ、桃花ちゃんのことは智也と美来ちゃんに任せるとするか。昼食ができるまで智也の部屋でゆっくりするとといい」

「そうですね、ここに来るのは本当に久しぶりですから」


 そういえば、僕の家族が桃花ちゃんの家に行くことはたくさんあったけれど、桃花ちゃんの家族がここに来るのは数えるくらいしかないじゃないだろうか。

 昼食ができるまでの間、僕は美来と桃花ちゃんを自分の部屋に連れて行き、3人でゆっくりと過ごすことに。自分の部屋はとても落ち着くな。


「もしかしたら、ここにお宝ってあるのかな、お兄ちゃん」

「お宝っていうほどのものはないと思うよ。小さい頃に遊んだおもちゃとか、学生時代によく読んでいた漫画はあるけど」

「私も何度かこのお部屋に来たことはありますが、棚の中などはあまり見ることはできていません。一緒に探してみましょう!」

「うん、そうしよう!」


 まるで小学生だな、2人とも。僕が変なものをここに隠していないかどうか確かめたいのかも。特に美来は。


「物色するのはいいけど、あまり散らかさないようにね」

「分かりました、智也さん!」

「どんなのが出てくるか楽しみだね」


 美来と桃花ちゃんは部屋の中を物色し始めた。てっきり、お互いのことや僕のことを話すと思ったんだけれな。でも、それは僕と美来の家に行ってからでもゆっくりできるか。

 心当たりといえば、昔、岡村が持ってきたエロ本を、何度か持ち帰るのを忘れるということがあったけれど、ちゃんと翌日には彼に返している。僕はそういう本を一度も買うことはなかったので、美来や桃花ちゃんが悶える事態になることはないと思う。


「と、智也さん! 何なんですか、この漫画は!」

「何かえっちだよ! お兄ちゃん!」


 あれ? ないはずなのになぁ。どうして、そんなセリフが部屋の中に響くんだろうね。

 顔を真っ赤にした美来が僕に漫画を渡してくる。


「ああ、この漫画……懐かしいな。僕が高校生くらいのときに流行った恋愛漫画だよ。随所にキスシーンとかが出てくるんだよね」


 なるほど、そのシーンが描かれているページを開いてしまって叫んだわけか。


「も、もしかして……そのシーンを読んだとき、美来ちゃんや私を思い浮かべて……」

「そこまでするほどの変態じゃないよ、僕は。でも、この漫画は人によっては刺激が強いかもね。一応、全年齢向けなんだけど」

「そうなんだ。……お兄ちゃんも男の子、なんだね」


 桃花ちゃん、顔を赤くして僕のことをチラチラと見てくる。あと、僕はもう男の子って呼ばれる年齢でもないだろう。もう24歳の社会人なんだし。

 それに、桃花ちゃんはともかく、美来は僕よりも変態だと思うけどね。意外と、漫画になるとキスくらいの描写でも美来は興奮するのかもしれない。

 最初は物色されることにあまり気分が良くなかったけど、2人の面白い反応が見られるかもしれないと思うと、結構楽しくなってきたのであった。

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