第4話『耳打ち少女』

 お昼ご飯は僕の大好物の母さんの手作りハンバーグ。美来の作ったハンバーグとはまた違った美味しさがあって、どこか懐かしさがあった。

 僕がハンバーグを美味しそうに食べていたからなのか、美来は母さんにどうやって作ったのか訊いていた。これまでの美来のハンバーグも十分に美味しいと思うけど、母さんに作り方を訊いたことでさらに美味しくなることに期待しよう。


「伯母さん、お昼ご飯ありがとうございました。とても美味しかったです」

「それなら良かったわ。これからも来たくなったら来ていいからね。うちは旦那と黒猫しかいないし」

「にゃぁん」


 親方、美来だけじゃなくて桃花ちゃんのことも気に入ったようだ。桃花ちゃんの脚の上でくつろいでいる。


「ありがとうございます。そのときはお言葉に甘えますね」

「……娘がいたらこういう感じだったのかねぇ。まあ、俺と母さんには将来的に嫁ができるけどな」


 ははっ、と父さんは楽しそうに笑う。それにつられて母さんも。うちの両親がこんなに美来のことを気に入っているなんて。安心した。


「じゃあ、智也、美来さん。桃花ちゃんのことを頼んだよ」

「ああ、分かった」

「お任せください!」

「私はもう大学生なんですけどね。2人とも、しばらくの間はお世話になります」


 しばらくの間か。大学生だから、今の時期は絶賛夏休み中なんだよな。夏休みの短い大学でも9月の半ばくらいまであるし。今月中は美来が夏休みだからいいとして、9月に入っても家にいるとしたらどうしようかなぁ。それは後々考えていけばいいか。


「お邪魔しました」

「お昼ご飯、美味しかったです。お義母様」

「……正月にはまた美来と一緒に帰ってくるよ」

「分かったわ。智也、無理せずに仕事を頑張りなさい。美来ちゃんと桃花ちゃんは勉強や部活をしっかりとね」

「何かあったら、いつでも連絡してきなさい。さすがに誤認逮捕レベルの出来事には遭遇しないことを祈るが……」

「僕だって、そういった目には二度と遭いたくないよ。体に気を付けて仕事を頑張るよ。じゃあ、また」


 午後2時過ぎ。僕は美来と桃花ちゃんと一緒に実家を後にした。

 1日の中で最も暑い時間帯だけあって、家を出た瞬間にとても熱い空気が僕らを包み込んだ。熱中症にならないように気を付けないと。


「桃花ちゃん、ここから僕らの家まで1時間半くらいかかるからね」

「うん、分かった。お兄ちゃんの実家でゆっくり休んだし、ここに来るまでも3時間近くかかったから大丈夫だよ。それに、電車から見える東京や神奈川の景色が楽しみなの」

「そっか。そういえば、昔はたまにカメラを持って外に遊びに行ったね」

「そうだったね。今も写真は好きで、写真サークルに入ってる。文芸サークルと掛け持ちなんだけどね」

「へえ、そうなんだ」


 2つのサークルを掛け持ちしているなんて凄いな。でも、どっちも文化系のサークルだから意外とできるのかな。


「そういえば、話のネタになるかもしれないと思って、昔の写真を持ってきたんだよ。お兄ちゃんの写真もあるから楽しみにしていてね、美来ちゃん。ホームビデオをダビングしたDVDも持ってきたんだ」

「そうなんですか! とても楽しみです!」


 美来、今日一番の笑みを見せているよ。桃花ちゃんが持ってきた写真やホームビデオの内容によっては、今以上の笑みを見せてくれると思う。

 僕ら3人は、電車に乗って僕達の家に向かい始める。普段、休日の昼過ぎに電車に乗ることは全然ないけど、さすがに平日のラッシュ時よりは空いている。


「東京って意外と自然があるんだね」

「ここは23区じゃないからね。高いビルはあまりないし、遠くには山が見えるし」


 東京に一度も来たことがない人は意外だと思うかも。

 東京出身の僕は、高校時代までは地元から出なかったので、大学進学をきっかけに、23区の中を歩いたときにはその都会さに驚いた。


「僕はこういった雰囲気の街が一番好きかな。今、美来と同棲しているマンションがあるところも同じような感じだよ」

「そうなんだね、お兄ちゃん」

「正確には、私達が同棲しているマンションがあるのは神奈川県ですけどね。駅の周りはビルやお店も多いですが、駅から少し歩くとのんびりとした雰囲気になりますよね」

「そうだね」


 場所とか、広さとか、家賃とか……美来と一緒に色々と考えた末で今の家に決めたけど、今のところはとても満足している。美来の高校のこともあるので、最低でも彼女が高校を卒業するまでは今の場所に住み続けたい。


「今の話を聞いたら、2人が住んでいる街がどんなところなのか楽しみになってきたよ」

「ははっ、そっか。僕らも引っ越してから半月くらいしか経っていないから、駅の周りと、駅からマンションまでの間に何があるかってことくらいしか分かってないよね」

「そうですね。智也さんの夏期休暇のときは、旅行に行きましたし。ただ、とてもいい場所であることは間違いないと思っています」


 美来がそう言ってくれて良かったよ。まあ、僕も彼女と同じ感想だけれど。


「じゃあ、今は引っ越した所に慣れ始めているところなんだね。ちなみに、その新居の最寄り駅って何ていう駅なの?」

「桜花駅だよ」

「……桜花駅なんだ」


 そう呟くと、桃花ちゃんは急に黙り込む。桜花駅っていう名前に覚えがあるのかな。急行も止まるくらいに大きな駅で、駅周辺には以前、テレビで紹介されたお店もあるから。


「どうかされましたか?」

「ううん、ただ……桜花駅っていう名前が素敵だなって思っただけだよ。それに、私の名前と雰囲気も似ているからかドキッとしちゃった」

「あぁ、なるほど。桜花と桃花……どちらも可愛らしいですよね」


 確かに、桜花と桃花は名前が似ているとは思ったけど。ただ、そんな名前を持つ桃花ちゃんだからこそ「桜花」という言葉を聞いて思うことがあるのだろう。


「話は変わるけどさ、お兄ちゃんと美来ちゃんって素敵な関係だよね。お昼ご飯を食べるときも言っていたけど、10年ぶりに再会したんでしょう? しかも、美来ちゃんはずっとお兄ちゃんのことが好きで」


 桃花ちゃんはうっとりとした表情で話す。僕と美来が10年間会っていなかったことは事実だけど、本当のことを桃花ちゃんに話すべきかどうか。


「ええ、そうですよ。当時、6歳の私がプロポーズをしたら、結婚できる年齢になっても気持ちが変わらなかったら考えようって智也さんが言ってくれたんです」

「それってもう運命じゃない。10年ぶりに再会したってことは、美来ちゃんは16歳だよね。結婚できるのは16歳からだから……」

「でも、実は……何年か前に智也さんのことは見つけていて。でも、16歳になるまで再会はしないと心に決めていたので、それまでの間は智也さんのことを遠くから見守っていました。智也さんの姿は見ていたかったので……」


 美来ははにかみながらそう言った。まさか、何年間か見守っていたことを自分から話すとは。


「美来ちゃん、一途だね。クラスに好きな子はできなかったの? それに、美来ちゃんは男女問わずモテそうな気がするけど」

「何人かから告白されたことはありましたけど、私は智也さん一筋でしたから全て断りました」

「そうだったんだ。でも、それはお兄ちゃんへの想いがとても強くて、揺るぎなかったからできたことだね。結婚前提で付き合っているのも納得だよ」


 桃花ちゃんはひたすら感心している様子だった。

 美来は随分と纏めて言ったけど、改めて美来がこれまでしてきたことを考えると……色々な意味で凄いな、美来って。


「それで、お兄ちゃんと美来ちゃんって……ど、どこまで進んだの?」


 さすがに電車の中だからか、桃花ちゃんは小さな声で僕らにそう問いかけてきた。

 どこまで進んだか。桃花ちゃんも大学生だし、言葉を選びながらも本当のことを話すか、それとも適当にごまかすか。


「どうしたの? 美来ちゃんは顔を真っ赤だし、お兄ちゃんは黙っちゃうし。もしかして……そういう感じなのかな?」

「……私から説明します。ただ、そういうことを話すのは恥ずかしいですし、ここは電車の中ですから耳を貸してください」

「うん」


 美来は桃花ちゃんに耳打ちをしている。果たして、本当のことを言っているのかどうか。言っているならどこまでの内容を話したのか。

 美来が話し終わると、桃花ちゃんはゆっくりと僕の方を見てきて、


「2人の子供と会える日を楽しみにしているね」


 頬を赤く染めながらそう言って、両手で顔を覆う。


「……美来。桃花ちゃんに何を言ったのか僕にも耳打ちしてくれないかな」

「しょうがないですね」


 美来は顔を僕の耳元まで近づけて、


「夫婦になることを見据え、数え切れないくらいに営んでいると言いました」

「……そっか。事実を伝えることを選んだんだね」

「ええ。私達の関係は分かっているので、嘘を言っても意味はないと思って」

「なるほどね」


 桃花ちゃんの反応を見ると、美来はもっと直接的な言い方をしていると思ったんだけど、意外と言葉を選んでいたな。てっきり、僕と幾度となくえっちなことをして、昨晩もたくさんしてとても気持ち良かったんですよ……みたいな感じで言ったのかと。


「何かごめんね、美来」

「いえいえ、いいんですよ。ここは電車の中ですし、言葉は選びますって。お家だったら分からなかったですけど」


 美来はいつもの可愛らしい笑みを浮かべながらそう言った。どうやら、僕の考えていることを見抜かれたらしい。さすがは僕の将来の妻だけある。


「何だか、今さらだけれど、2人のお家にお世話になることに申し訳なさが……」

「気にしないでいいんだよ、桃花ちゃん」

「そうですよ。何日間になるかは知りませんが、私達の家で楽しい時間を過ごしてください。それに、智也さんとの昔話をたくさん聞きたいですし」

「ありがとう、2人とも。お兄ちゃんを奪うようなことはしないから安心してね。あと、昔みたいに甘えちゃわないように気を付けるから」


 僕の実家に到着したとき、桃花ちゃんは僕の姿を見たらすぐにぎゅっと抱きしめてきたからな。きっと、そのこともあって、僕に甘えないようにしようと心がけているのだろう。


「分かりました。桃花さんのことを信じていますよ」

「……うん」


 意外にも早く、美来と桃花ちゃんの間には和やかな空気が出来上がっている。このまま家でも穏やかに3人で過ごせるといいなと彼女達のことを見ながら思うのであった。

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